囁きの朝
それから数日。進展はなし。
数日経ったのだし、ディアデム卿は裏取りを終わらせただろうか。何か得られた情報をこちらに流してくれればいいのだが。
そんなことを思いながらの早朝。まだ鶏すら鳴いていない。かろうじて地平線から太陽が顔を出した頃。
ラディウスは静かに剣の手入れをしていた。砥石を取りに倉庫へ行き、そこから部屋に戻るのも面倒なのでその場で研いでいる。
いつもの鉄面皮を保ち、ほぼ無表情で黙々と。倉庫の壁の高いところに開いた通気口から差し込む光が室内の明かりだ。ざりざりと研いでいると、半開きにしていた扉ががちゃりと開いた。
「あっ……騎士さん、いらっしゃったんですね」
誰かと思えば、行儀見習いのメイドだ。よくロヴィーナの話し相手になっている。名前は確かククルスといったか。
ラディウスが思考を巡らせている間にも彼女は人懐っこい笑顔でラディウスのそばに寄ってくる。行儀見習いゆえに他のメイドよりも朝が早いのだとか雑談を振りながら。
「朝起きたら石鹸がなくて。屋敷の物置にもないから私が取りに行かされることになったんですよぉ……」
お互い大変ですね、との言葉に適当に相槌を打ちつつ、ざりざりと剣を磨き続ける。その白刃のきらめきを見つめ、メイドがぽつりと呟いた。
「……それ、意味あるんですか?」
「どういうことだ?」
「あっ、いえ、他意はなくて」
剣の意味を問われた。その問いはラドランの汚名に関することかとラディウスが雰囲気を尖らせる。
刃のように鋭く剣呑な視線を受け、ぱっとメイドが慌てたように両手を振る。
「ロヴィーナ様は『不死鳥姫』ですし……護衛がいる意味って薄いんじゃないかなって……」
どうせ生き返るのだ。護衛などいなくてもいいのでは。殺されても死なないのだから別に守らなくてもいいじゃないか。守ろうと護衛が身をなげうった末に死んでしまったら。不死鳥姫は何度でも生き返るがそれ以外の人間の命はひとつだけなのだ。その個数と価値の差を考えたら護衛の命のほうがよほど尊い。
そういう声があるのだ。駒鳥姫を掲げる立場である保守派層の中にすら。先程の問いかけはそのことを指したもので、決して自分の意見ではないと言い訳しつつ、彼女は顔を伏せた。
「私、変なこと言ってますね。ごめんなさい。いけませんよね。駒鳥姫様を軽んじるなんて……」
ごめんなさい、ともう一度言葉を重ねた。自分の発言の意味を振り返って、軽率だったと反省する。
しょんぼりと肩を落とす彼女の背中は頼りなく、そのまま消え入りそうなほどだ。
「ごめんなさい、あの、忘れてください」
「……そうさせてもらう」
つまらない話題だった。忘れてやるから二度と言うんじゃないぞという意味を込めて不問にする。
会話を打ち切ったラディウスはやや荒い手つきで砥石を刃に滑らせる。それが威圧としての効果を生んだのか、ぴゃっとメイドが跳ねるように飛び上がった。
「でも…………ごっ、ごめんなさいごめんなさい! 許してくださぁい!!」
泣き出さんばかりに叫び、走って逃げ出す。わぁあん、と聞こえたので本当に泣いているかもしれない。
悪いことをしただろうか。いや、あんなことを聞いてくるほうが悪い。不快を反芻して正当化しつつ、ざりざり、じゃりっと剣を磨く。
誰が何と言おうと、自分は護衛の役目をこなすだけ。そして忌々しいカッコウを見つけ、殺し、兄の汚名を雪ぐ。そう、あんなに素晴らしく尊い兄の死後が汚名に沈んでいいはずがない。それを払拭するためなら自分の生涯ひとつ費やしたって構わないし、ガルド家すらチップにして全賭けしよう。
曲がりなりにも兄が惚れた女性なのでロヴィーナのことは利用したくはないが、必要ならばそれも。駒鳥神すらも。すべては兄さんのため。
執拗に刃を研ぐ。この剣でカッコウの首を刎ねてやる。それが叶わぬのならば、この剣を自らの喉に突き刺す。兄の汚名も雪げず仇も討てない人生など何の意味もない。
決意を反芻し、気分が凪ぐまでラディウスは刃を研ぐ。鶏の鳴き声が朝の喧騒を連れてきた頃、ようやく剣を鞘にしまった。




