最初の死
この国には、鳥の神がいる。可愛らしい駒鳥の姿をした神はこの国の絶対的な頂点であり、そして信仰の対象となっていた。
神は時々、人間を選び出す。数百年に一度、不定期に。人間の視点では無作為にしか見えない選定は、ある日少女に降ってきた。
それ以来、神に選ばれた少女はこう呼ばれる。駒鳥姫と。
***
誰が駒鳥殺したの?
「駒鳥姫さま。時間です」
「えぇ。わかったわ」
メイドの呼びかけにロヴィーナは頷いた。茶褐色の髪をゆるやかに結んだ彼女は赤いドレスの裾をさばいて立ち上がる。
「ロヴィーナさま。袖が」
「あらやだ」
よく見れば袖に白粉の粉がついている。化粧の時に誤ってついたものだろう。幸いにも、拭けば取れる程度のもの。メイド長が素早く拭う。ありがとう、とロヴィーナが礼を述べた。
「それにしてもよく気がついたわね」
「いえいえ。ロヴィーナさまは昔からそういうところがありますから。見ていればすぐですよ」
「さすが。昔からの乳母なだけあるわ」
ロヴィーナが『駒鳥姫』と呼ばれるようになってからもう十年。神に選ばれた娘は神に愛された令嬢として立派に成長していた。早いものだ、と当時を知るメイド長はそう思った。駒鳥神のお膝元であるこの屋敷に連れてこられた時は、ただの平民の、それも身寄りのない孤児だったというのに。それが今や、多少粗忽なところはあっても所作は優雅だ。どの貴族の令嬢にも引けを取らない。
本当に立派になられた。ついつい、昔を思い出してほろりと涙がこぼれそうになる。いけない、と祖母のような気持ちを心の中にしまったメイド長はきりりと表情を引き締めてロヴィーナを送り出した。
「はぁ。ちょっと気晴らしに散歩したいだけなのに、どうしてこんなにも仰々しいのよ。護衛までつけちゃって」
「ロヴィーナ様は特別なかたですから」
「まぁラドラン。あなたもそう言うの?」
神に選ばれ、愛された。といっても何か特別なことをしているわけではない。神に仕える巫女として儀式を執り行ったりするわけでもなく、女王としてこの国を統治するわけでもなく。ただ神に選ばれたというだけで豪奢な屋敷で暮らしている。儀式も政治もない。権威だけの存在だ。
だからこそ特別な感じがしない。儀式をするなり政治をするなりあるのならもっとやりがいはあったというのに。
そんな愚痴をこぼしつつ、護衛の騎士ラドランを伴って玄関を出る。
まったく。ちょっと気晴らしに散歩がしたいと言っただけなのにこの仰々しさ。見送りあり、護衛つき。
散歩なんて隙間時間の行為だろうに。こんなしっかりと時間を取ってやるものじゃないと思うのだが。気持ちとしては、ふらっと行って帰ってくるだけ。10分くらいのことのつもりだったのに、散歩という予定としてしっかり1時間のスケジュールとなってしまった。
「護衛もいらないでしょうに」
「そんなことを言わないでください。俺の役目がなくなってしまいます」
「あら。働く時間が少なくなっていいじゃない」
軽口を叩きつつ、門扉をくぐって屋敷の外へ。そのまま森へと向かう道へ。
いい天気だ。歩いているだけで気分が高まる。陽気につられてロヴィーナは一歩強く踏み出した。
「森の入口まで競争しましょう。よーい!」
「あ……え!? ロヴィーナ様!? お待ちください!」
焦るラドランを置き去りにして駆け出す。ほらほら、追いついてごらんなさい。鳥のさえずりよりも軽やかに走る。
「ふふっ、負けたら減給よ!」
森の入口まであと少し。あのベリーの低木がゴール地点だ。あとちょっと。
ラドランより10歩早い余裕のあまり振り返る。くるりとドレスの裾を翻す。その瞬間、不意に胸を突かれるような衝撃がロヴィーナを貫いた。
「え……?」
胸に矢が突き刺さっている。あれ。どうして。間抜けな問いをする隙間もなくロヴィーナはその場にくずおれた。ごぼりと口から血があふれる。赤いドレスの胸元を真っ赤に染めて、急速に命の灯火が消えていく。
私、死んじゃうの?
生存本能がはたらこうとして、直感がもうだめだと答える。お前はもうここで死ぬと運命が告げている。
視界が濁っていく。息ができない。指先が冷たいのか温かいのかわからない。けれど矢が突き刺さった心臓の位置だけは熱い。そこから命が流れ落ちていく。
「ぁ…………」
それきり、意識が断ち切られた。
――誰が駒鳥殺したの?
私と雀が言いました。私の弓矢で私が殺した。




