03.出会いの予感
数日が過ぎた、ある日の翔陽高校。
昼休みのチャイムが鳴り終わったばかりの教室で、陽咲はぼんやりと窓の外を眺めていた。
真夏の陽射しがグラウンドを白く照らし、揺れる空気の向こうで部活動の声がかすかに聞こえる。
教室の中は、弁当の匂いと他愛ない会話に満ちていて、いつも通りの賑やかさだった。
「ねぇ陽咲。今日の帰り、七海も誘ってカフェ寄らない?」
不意に声をかけられ、陽咲は振り向く。
「いいね、カフェ。新作の抹茶オレンジ、飲んでみたいんだよね。淡路島なるとオレンジをたっぷり使ってるらしくて」
その瞬間、陽咲の瞳がぱっと輝く。まるで宝物を見つけた子どものような無邪気さに、美鈴は思わず小さく息をついた。
七海は高校に入ってからの友人。
けれど美鈴は幼なじみで、陽咲の感情の揺れ方を誰よりもよく知っている。
そんな美鈴は、ふっと呆れたように笑うと、陽咲の頬をつまんだ。
「いたっ、なにすんのよ急に!」
「ほっぺた占い。今日はご機嫌みたいね。何かいいことあった?」
「ほっぺた占いって何よ、それ……」
少しむっとしながらも、陽咲の表情は完全には崩れない。
むしろ、美鈴のからかいにどこか安心しているようだった。
「で?進展は?」
「……あ、この前ね、新堂くんに会えた」
その一言で、空気がわずかに変わる。
「へぇ。で?」
「やっぱり、本物は良いなって思った」
「アイドルじゃないんだから、その言い方どうなの。それで?告った?」
興味の矛先が一気に核心へ向かう。
陽咲は視線を逸らした。
「まだ。だって向こう、私のこと知らないし……いきなり告白しても、いい返事なんて期待できないでしょ。まずは知ってもらわないと」
「悠長だねぇ。そんなこと言ってる間に、誰かに取られるかもよ?」
その言葉に、陽咲の胸が一瞬だけ強く跳ねる。
けれど──。
「……でも、どうすればいいのか分かんないし」
慎重さが、足を止める。
「そうやって考えてばっかだと、何も変わらないよ。こういうのって勢いが大事なんだから」
「……もう少し、考えてみる」
それ以上は踏み込まず、美鈴は軽く肩をすくめた。
「じゃあ放課後、いつものカフェ行こう。七海には私から連絡しとく」
「ありがと。お願いね」
放課後。
三人は電車に揺られていた。
学校の周辺には寄り道できる場所が少なく、目当てのカフェへ行くには少し時間がかかる。
普通電車で特急停車駅まで出て、そこから乗り換え。
色麻駅まで向かうのが、いつもの流れだった。
駅へ向かう途中、不意に陽咲の視界に一人の男子生徒が入る。
——あれって。
胸が、どくんと鳴る。
『新堂くん……?』
気づいた瞬間、顔が熱くなる。視線を上げることすらできない。
その様子を横で見ていた美鈴が、そっと背中を押した。行け、と言わんばかりに。
——無理。まだ、無理。
心の準備なんて、できていない。
陽咲は俯いたまま、一歩も踏み出せなかった。
一方で——。
翔汰もまた、彼女に気づいていた。
あの日、偶然出会った少女。
印象に残りすぎて、忘れられなかった顔。
「また会えた」
そう思った瞬間、自分でも分かるほど顔が熱くなる。
けれど、足は止まらない。
何を話せばいいのか分からない。
あの日の偶然だけでは、会話のきっかけにはあまりにも頼りない。
焦りに似た感情が胸をかすめ、翔汰は気づかれないように少しだけ歩く速度を上げた。
どうして、こんなにも落ち着かないのか。
たった一言でいいのに。
「こんにちは」——それだけで、何かが変わる気がするのに。
けれど、その一言は喉の奥で絡まり、外に出ることはなかった。
言葉にならない想いだけを残して、二人の距離は静かにすれ違っていく。
振り返ることのない背中が、少しずつ遠ざかっていった。




