5:二度あることは三度ある
緋村が推理を語り終えたあと、井岡がこんな疑問を口にした。
「番字さんは、『犯人は向日葵の種を食べることのできた人間』ってことを、誤魔化したかったんやろ? それやったら、別に新品の種を作らんくても、空の袋やとか食べかけの種──全部食べてもうたあとやったんかも知れんけど──を、持ち帰ればよかったんやない?」
「思うに、それだけでは不安だったんだろう。犯人が向日葵の種を持ち去る理由は、やはりそこに指紋なり証拠が残ってしまったから、としか考えられない。つまり、事件当時種をつまんでいたのは、犯人だったのではないか、と疑われてしまう可能性が高い。結局のところ、『日向さんのもらって来た種は手付かずのままだった』と言う状況を作り出さねえ限り、冷清水さんを容疑者にはできなかったんだ」
人を──それまで酒を酌み交わしていた友人を──殴殺した直後だと言うのに、そこまで冷静な思考ができるものだろうか? いや、できたのだ。だからこそ、向日葵の種は現場に残されていた。
しかし、種を移し替えた袋から鞠井さんの指紋が検出されたことにより、彼女の目論見は破綻してしまう。おそらく、その報せを耳にした時は、本人以上に驚いたことだろう。
もしも事件の二日前に、鞠井さんが日向さんの自宅を訪れていたことを、知っていたとしたら──二人がマスターに誰にも話さぬよう、頼んでいなければ──、番字さんはゴミ箱から袋を探し出し、偽装工作に利用しようとは考えなかったはずだ。少しでも捜査の目を眩ませようとした結果、彼女は思わぬところで、足を掬われたのである。
※
これはあとになって聞いた話だ。
九日の夜、僕たちと入れ違いで来店した番字さんは、先述のとおりその場で罪を認めた。緋村の予言の話を聞かされ、自首をする決心が付いたのだと言う。
いったい何故、日向さんを殴殺しなければならなかったのか。冷清水さんが問うと、彼女はうなだれながら、少しずつ当時の様子を話し始めた。
「……向日葵の話をしていたんです。私が種をいただいていた時、日向がさんがこんなことを言いはって……」
──向日葵の花って、太陽の方を向いて咲くって言いますよね。まるでお日様に憧れているみたい。
「それで、私……最近テレビで知った蘊蓄を、話してしまいました。向日葵が太陽の動きを追いかけるのは花を咲かせる前の話で、一度開花したあとは、基本的に東を向いたまま動かへんって……。何の気なしに口にしたことやったんですけど、それが日向さんの機嫌を損ねてもうたんです」
彼女の怒りを鎮めるのは、意外にも困難だった。番字さんとしても、どうしてかように激憤する必要があるのか理解できず、懸命に宥めようとしていたはずが、いつの間にか彼女に応戦していた。
それだけであれば、まだ酷い口喧嘩で済んだだろう。しかし、先に手を挙げたのは、日向さんの方だった。肩を小突かれた番字さんは、続いて放たれた攻撃から身を守ろうとした──つもりだった。
どう言うはずみで灰皿を掴み取り、相手の側頭部を殴り倒してしまったのか。彼女自身も、明確には覚えていないと言う。
気が付いた時には、彼女は血の付いた灰皿を持って立ち尽くしており、見下ろす先のカーペットの上で、日向さんが動かなくなっていた。
「本当は、その時点で警察に通報して、大人しく自首するべきやったんでしょうね。……でも、どうしてもできんかった。罪を償うのが、怖かったのもあります。けれど、それ以上に……理不尽やったから。なんでこんなわけのわからんことで人を殺して、逮捕されなあかんのやろうって、自分の不運さに憤りさえ覚えました。だから……」
彼女は贖罪から逃れることを選んだ。選択を違えたのだ。
「……どうして日向さんがあんなに怒り出したのか、今でもよくわかりません。でも、もしかしたら……自分のことを言われているように感じたのかも……」
「どう言うこと?」冷清水さんが尋ねる。
「日向さんって、ご両親とうまくいってへんかった時期があったそうやないですか。だから、花を咲かせたたら太陽を見んくなる向日葵の話と、大学を卒業したあとご両親と疎遠になった自分とを重ね合わせて、あんなに怒ったんやないかなって……」
何気なく放たれた言葉が、彼女の逆鱗に触れてしまったと言うことか。そんなキッカケで口論になり、あまつさえ命を奪ってしまうなど、番字さんにも想像できなかったはずだ。それは謂わばお互いにとって、不幸な事故のようなものだった。
「……実際のところ、私の考えが正しいんかはわかりません。日向さんが無事やったら、教えてほしいくらいです。……ホンマに、なんでこんなことになってもうたんやろ。ツイてへんなぁ、私……」
告白の最後に、彼女は額に手を当てながら、そう呟いた。自らの不運を嘆いて。
※
それから数日後の放課後。授業終わりに偶然一緒になった井岡と並び、僕は構内のメインストリートを歩いていた。
「ホンマに緋村くんって頭ええんやね。頼んでおいてなんやけど、あそこまで鮮やかに謎を解いてまうとは、思わんかったわ」
ベタ褒めである。本人が聞いたら、嫌そうに唇を歪ませるに違いない。
適当に相槌を打っていると、彼女は出し抜けに、
「やっぱり、あの噂ってホンマなんかな? ほら、今年の夏、《GIGS》って言う音楽サークルの合宿中に起きた殺人事件を、緋村くんが解決したって話。確か、噂やと緋村くんの他にもう一人、部員以外の阪芸生がおったそうやけど……」
その「もう一人」は、思わず彼女の姿を見返した。足を止めてしまいそうになる。
あの夏の事件が噂になっているとは……いや、同じ大学に通う生徒が巻き込まれ、命を落としたのだから、ある意味当然か。
僕が返事をできずにいる間、彼女は横目でこちらの視線を見返し続けた。まるで、僕の心の中を、見透かそうとするように……。もしかしたら、井岡は噂が事実だとわかった上で──僕が事件の当事者であることも理解した上で──、カマをかけようとしているのではあるまいか。
利発で勘の鋭い彼女のことだ。あり得ない話ではない。
しかし、だとすれば何と答えるべきか──迷った結果、今度こそ立ち止まってしまった。僕の半歩先に進んだ井岡は、歩速を緩めて振り返る。不思議そうな表情が浮かんでいた。
「どないしたん?」
「……いや」うまい誤魔化し方が思い付かず、苦し紛れに問う。「もしも本当のことだったら、どうするんだ?」
「え?──うーん……別に? どうもせえへんよ?」
気の抜けるような返事に、何故だか胸を撫で下ろす。
「あ、でも、もしホンマなんやったら、いずれまたそう言う機会があるかもね。よく言うやん。『二度あることは三度ある』って。だからあと一回くらいは、殺人事件に巻き込まれるんやない?」
今度のセリフを緋村が聞いたら、唇をひん曲げどころでは済まないだろう。僕としても、あんな経験はもう御免だ。
「さすがにあり得ないよ」
苦笑と共にそう返し、僕はようやく歩き出した。
そう、三度目などあり得るはずかない。そもそも、今回は直接的な当事者となったわけではないのだから、ノーカウントだろう。
──この時はまだ、そう思っていた。
井岡の不吉な言葉が的中してしまうのは、それから約二ヶ月後のこと。平成最後のクリスマス・イヴに、僕と緋村はまたしても、凄惨な殺人劇の舞台に立つハメになる。
のみならず、他でもない井岡自身が、その発端となるのだが……。
それはまた、別の話だ。




