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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第四話(92) 悪夢

 週に一度、休息日に建設中の新王城にあるオルバ教会に行って、そこでお祈りをするのが幼い頃からの日課だった。両親と一緒に出掛けるが、帰りは毎回適当に理由を作って一人で帰ることにしていた。


 最近は教会の掃除をするといって両親を安心させて帰らせることが多い。そうすれば母上が喜ぶし、喜ぶ母上を見て父上も喜ぶからである。僕も含めて三人が三人とも喜びを得られる方法は、考えさえすればいくらでもあるということだ。


「ママ! いたよ!」


 外からマクス・フェニックスのとぼけた声が聞こえてきた。マクスは『ハクタの魔女』ことオフィウ・フェニックスの一人息子で、亡きオルバ・フェニックスの忘れ形見といわれている男だ。断定的な言い方をしないのは、僕は信じていないからである。


「おい! ヴォルベ。そこを動いちゃダメだぞ!」


 入り口で冴えない顔を見せて、すぐにママの元へ走って行くのだった。子どものまま大人になり、そのまま腹の出た中年になった男である。ママがいなければ何もできない男で、無邪気さだけが取り柄の大男だ。


 それにも拘らず、ハクタの魔女はマクスを次期国王にしようと画策しているのだから、正気を疑わざるを得ないというわけだ。そういう理由から、オフィウもまた七政院の貴族連中に利用されているだけではないかと考えてしまうのである。


「ママ、段差があるから気をつけて」


 マクスが盲目の母親の手を引いて現れた。


「お前は本当に優しい子だね」


 オフィウ・フェニックスと会ったのは年初以来だった。会話をするのは兄のガイルが大陸に渡った時以来だから、かれこれ一年前になる。といっても挨拶をした程度なので、ほぼ面識のない間柄だ。


 それでもこの老婆が『ハクタの魔女』であると信じて疑わないのは、ユリス・デルフィアスから充分注意するようにと助言を受けたからだ。今の僕には彼以外に信用できる者がいないということでもある。


「そこにいるのはヴォルベで間違いないかい?」


 オフィウが歩きながら訊ねた。


「はい。ヴォルベ・テレスコでございます」


 疑念があっても、それを相手に悟らせてはならない。フィン正妃の言葉通り、牙を見せびらかしてはいけないのだ。特にオフィウは人の心を読むのが上手いと聞いている。悪感情があれば、すぐに見抜いてしまうことだろう。


「一人で何をしていたんだい?」

「掃除でございます」

「それは結構なことだ。さすがは平民の子だね」


 ここで感情を見せたら僕の負けだ。

 マクスに手を引かれて、オフィウがゆっくりと歩いてくる。


「一年振りだけど、随分と背が高くなったんだね」


 盲目だが、声の伝わり方で、それが分かったようだ。


「オフィウ王妃陛下はお変わりないようで何よりでございます」

「世辞まで言えるようになったのかい」


 そう言って、下品に笑うのだった。

 それから僕の目の前までやって来ては身体を隅々まで調べるように触るのだった。


「決闘をしたんだってね」


 そう言って、僕の手の平を丹念に調べるのだった。

 やはり牙は隠しておかなければならなかった。


「本当にヴォルベなのかい?」


 オフィウが僕の手を握って驚いている。


「はい。相違ありません」

「締まりのない身体をした兄貴と違って、お前さんはよく励んでいるようだ」


 そう言って、もう一度じっくりと僕の身体を調べるのだった。


「いやね、お前さんのところの母親の家系は、死んだフィンスのように出来損ないの子どもばかり生まれてくるもんだと思っていたから、ワシは驚いているのさ。でも、父親の血が良かったんだろうね。さすがはエムル・テレスコだ。たいしたもんだよ」


 感情を悟らせてはいけない、牙を見せれば退治される。


「お褒めに預かり、光栄の至りでございます。父上には感謝しても感謝しきれません」


 僕の言葉に、オフィウが相好を崩すのだった。


「お前さんは兄貴と違って立派な息子のようだね。そうさ、何よりも父親に感謝しなければならないんだ。そんな当たり前のことが分からない者で溢れているのが、世の中っていうところでね。最近は特に酷くなっているじゃないか」


 オフィウは僕の手を握ったまま放そうとしなかった。

 そのため指先から感情を悟られないように注意する必要があった。


「しかし、ヴォルベなら安心だ。兄貴ではなく、お前さんがエムルの後を継ぐがいい。親父さんは信用できる男だからね。ハクタに尽くしてきた恩義に報いるには、息子に後を継がせてやるのが一番なんだ」


 父上とユリス・デルフィアスは昵懇じっこんの仲だ。それはオフィウにとっても既知きちのことである。それでも信用されているということは、父上も父上で牙を隠しながら政務を行ってきたということなのだろう。


「いいかい? よく聞くんだ。困ったことがあったら何でも相談しにくるんだよ。後を継がせることに反対する者がいたら、ワシが何とかしてあげるからね。お前さんは父親の言うことをちゃんと聞いていればいいんだ。そうすれば、きっといいことがあるからね」


 ハクタの魔女の恐ろしいところは、反対勢力まで作り上げて、それをねじ伏せて、あたかも、自分には強力な人事権があると見せ掛けてしまうところだ。自作自演を仕掛けることがあるので、踊らされないように気をつけなければならないのである。


「ありがたきお言葉、心より感謝いたします」

「お前さんが後を継いだらマクスをしっかりと支えてあげるんだよ」

「お約束いたします」


 そう言うと、やっと手を放してくれた。


「マクスや、お前も何か言っておやり」


 促されたマクスが邪気のない顔で訊ねる。


「ヴォルベ、これから一緒にカード・ゲームやらねぇか?」

「父上から勝手に王城の中に入るなと言われております」


 それに答えたのはオフィウだ。


「いいじゃないか、ワシが許可を出すよ」


 ハクタの魔女は、もうすでに新王城を自分のものだと思っているようである。



 それから十二日後のことだ。


「目覚めよ、同志たちよ」


 悪夢を見た。


「我が名は、予言する者である」


 世界が闇に包まれている。


「さあ、望むがいい」


 老婆の声だった。


「そなたらの願いを叶えてしんぜよう」


 悪魔の誘惑だ。


「どんな願いでも叶えてやるぞ」


 ハクタの魔女の顔が思い浮かんだ。


「現実には起こり得ない、などと考える必要はない」


 オフィウが僕の耳に語り掛けてくる。


「欲望の限りを尽くすのだ」


 負けそうになる自分がいる。


「今こそ、本能の赴くまま行くがよい」


 僕には確かな欲がある。


「恐れる事は何もない」


 どうしても手に入れたいものがある。


「迷うことなく、立ち上がるのだ」


 そこで目が覚めた。



 それから数日後、父上の職場である州都官邸の長官室に呼ばれた。滅多に呼ばれることはなく、呼ばれる時は決まって大事が起きた時だけだった。前に呼ばれた時はユリスがカイドル州の長官になった時だから、もう五年以上も前になる。


「失礼します。ご子息をお連れしました」

「結構。大事な話があるので下がってよろしい」


 来客の際、通常はそのまま室内警護につけるのだが、この日は人払いするのだった。


「父上、お話というのは何ですか?」


 父上が長官の椅子に座ったまま答える。


「国王陛下が亡くなられた」


 崩御。

 ついに、この時がきてしまった。

 体調を崩されていたので覚悟はできていたが、それでも胸に応えるものがあった。

 一つの時代の終わり。

 一人の死が、時代の死のように感じられる。

 僕たちにとって、時代は生活そのもの。

 陛下は、僕そのものだった。

 それを、亡くしてから気がつくのである。


「ヴォルベ、涙を見せるな」


 袖で涙を拭った。


「これはまだ機密情報だからな。国民に報せるのはまだまだ先になるだろう。それまでは他言無用だ。王の不在期間をなくすため、新しい国王が即位されてからの発表になるだろう。新国王の即位にはユリスの同意も必要となるので、少なくとも五十日以上は掛かるだろうな」


 それは一筋の光だった。


「ユリスと会えるんですね?」


 父上も嬉しそうだ。


「ああ、すでに速達伝令兵を向かわせたそうだ」

「フィンスや正妃陛下には伝えてあるんですか?」

「ああ、カミーラが直接伝えたいと願い出てくれてな。今朝、日が昇る前に邸を出た」


 母上は、姉に伝えるのは自分の役目だと思ったのだろう。正妃陛下にとっては夫であり、フィンスにとっては父親だ。結局、コルバ国王はフィン正妃とフィンスが生きていることを知らぬまま死んでしまったということになる。


「うむ」


 父上が唸りながら大きく息を吐き出した。


「これからのことだがな。これまでの生活が一変するかもしれない。パナス王太子がそのまま即位されるのは既定路線で、これにはオフィウ王妃陛下も異論はないようだ。しかし、マクス王子も含めて、二人の同意がなければパナス王政は生まれない。そこでオフィウ王妃陛下は必ずや条件を出してくると考えられるが、それがハクタへの遷都というわけだな。実現すると、ハクタは州でなくなるわけだから、州都長官というポストもなくなるはずだ。そうなれば自ずと私の仕事もなくなるというわけだ」


 それはどういうことかというと、その時点で僕も五長官職の息子ではなくなってしまうということだ。上手くいけば首都長官か、土地が与えられれば荘園の領主になれる。しかし、最悪の場合は名前だけの貧乏貴族になる可能性もあるわけだ。


「報告が遅れましたが、この前、オルバ教会でオフィウ王妃陛下とお会いしたのですが、その時、父上の話も出て、かなり信用しているご様子でした。私に対しても父上の後を継ぐように後押しするのです」


 父上が首を振った。


「オフィウ王妃陛下は無駄に敵を作らぬお方だ。昇進、昇格、褒美などのエサをバラ撒いて、人をやる気にさせるのが抜群に上手いのだ。有能かつ、御しやすい者がいれば、その者が私に成り代わるだろう」


 そこで父上が立ち上がった。


「ヴォルベ、いいか、人を簡単に信用するな。また、一つや二つの功績で、簡単に信用が得られると考えてはならない。つまり他人から信用されていると、自分一人で勝手に思い込んではいけないということだな。『これだけのことをしたのだから、すでに信用が得られたはずだ』と考えているのはお前一人だけで、相手はまったく信用していないということがあるのだ。他人の心を読んだ気になってはいけない。信用していい人間というのは、ユリス・デルフィアスのように『このお方ならば裏切られても構わない』と思える人間だけだ。もちろん、私にとってのユリスが、お前にとってのユリスとは限らないのだがな」



 その日の夜、フィンスに会いに隠れ家へ行った。顔を知らないとはいえ、父親を亡くしたのだから、深い悲しみを抱いているに違いないと思ったからだ。それでも、傍にいてやることしかできないが。


「大丈夫かい?」


 客間の長椅子に座るフィンスが気丈に振る舞う。


「僕は大丈夫なんだ」


 そう言って、天井を見上げた。


「それより母上が心配で」


 そこで口を閉じてしまった。

 会話らしい会話はそれだけだった。



 その翌日、久し振りに情報屋のジンタと会った。話をするのは酒場通りにある、いつもの軽食バーだ。そこでラム酒と魚の素揚げを奢り、代わりに仕入れたばかりの情報を聞くというのが僕たちの関係である。


「ダンナ、王宮で何かあったんですかね?」


 コルバ国王が亡くなったことは話せない。


「いや、やめときやしょう。なんとなく分かってるんですぜ。でも、こればっかりは口にできませんもんね。ダンナだって、知ってたって口止めされてるでしょうし、うん、これ以上はなしだ」


 僕に一切の責任を負わせないところがジンタの良さだ。


「助かるよ」


 一言くらいは褒めてやるのが礼儀だ。


「礼よりも酒のお代わりの方がいいんですけどね」


 ということで、お代わりを注文してやった。


「いや、しかしね、ダンナ、この島で一体なにが起こっているんでしょうね?」

「何かあったのか?」

「へい。それが二日ばかし前のことになりやすが、ガサ村で幽霊騒動が起こったんでさ」


 ガサ村というのは軍の特殊訓練地だ。


「幽霊の話が聞きたくて、お前に高い金を払ってるんじゃないぞ」


 ジンタの顔は真剣だ。


「いや、ただの幽霊じゃないんですぜ? なんたって、その幽霊は人を殺しちまうんですから。おまけに部隊が消えたって話ですからね。その消えた隊長がランバ・キグスで、そうです、あのドラコ隊の副長だった男なんですからね」


 貴族社会では馬のような足を持つミクロスと捨て子のジジの方が有名だが、兵士の間ではランバの方が有名だったりする。ザザ家との戦闘でも、彼が部隊の兵士を適切に配備したから勝利できたとも評されているのだ。


「それは確かなのか? ランバは職務に忠実な男だぞ?」

「へい、間違いありませんぜ」

「どこに消えたというのだ?」

「それが分からないから王宮の精鋭部隊に捜索命令が出たんでさ」


 ランバが無断で職場を放棄するとは思えない。


「なぁ、ジンタ、お前の力で見つけ出すことはできないか?」

「勘弁してくだせえ。いくらダンナの頼みでも、それはできない相談ですぜ」

「これには何か裏があると思うんだ」

「よしてくださいよ」

「ドラコ、いや、ユリスが裏で動いているかもしれない」


 ジンタがキッパリと断る。


「こっちはドラコ隊どころか、ランバの顔も知らないんだ。知ってる顔を尾行するならやりましょう。しかし、知らない顔の男を探すなんて、そんな当てのない仕事は引き受けられませんぜ」


 ジンタがそう言うのなら本当に無理なのだろう。小賢こざかしい情報屋なら前金をふんだくって逃げてもおかしくない依頼だが、ちゃんと断るところがジンタの良さでもある。だから彼が持ってきた情報に金を払いたいと思えるのだ。


「それと速達の伝令兵が襲われたって話もありますからね。それも一人や二人じゃないって話です。それで王宮がバタバタしているようなんで、そっちが落ち着くまでは、しばらく様子を見ておきたいっていうのもあるんですよ」


 ユリスの元へ走らせた伝令兵は大丈夫だろうか? ユリス・デルフィアスが不在のまま新しい国王が決まるということはないだろうが、彼が王都に到着する前にパナス王太子の身に何かが起これば、マクス・フェニックスが次期国王候補となってしまう。


 しかし、妙な胸騒ぎを覚えたところで今の僕には何もできなかった。ジンタからの情報を待つことしかできない男だ。それがオフィウ・フェニックスの策略であろうとも、黙って見ているしかないのである。



 翌日、州都官邸の貴賓室に呼ばれた。ゲストが招待されているので、夕食会に参加しなければならなかった。上流貴族との食事なので気乗りしなかったが、断れるはずもなく、仕方なく礼服を着て、母上と一緒に本宅を出て官邸へ向かった。


「お客様が参られました」


 そこに現れたのは、エリゼだった。

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