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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第三話(91) 少年たちの夢

 辺りを見回すと、いつの間にか浜辺は見物人で溢れ返っていた。

 決闘なんてそうそうにお目に掛かれることではないので当然といえば当然だ。

 準備運動で身体を慣らす。


「おい! さっさと始めろよ!」

「日が暮れちまうぞ!」

「怖気づいたんじゃねぇだろうな!」


 先ほどからヤジが飛び交っていた。

 相手をする決闘者は仲間を集めていたようだ。

 長身のゴボウみたいな男の他に四、五人が兄貴分の少年を取り囲んでいた。

 武器を持っているのは、そのスイカみたいな男だけだ。

 僕の相手はスイカ男、ただ一人。

 武器は同じく短剣だ。

 それを抜き身で持っていた。

 準備はできた。


 しかし、スイカ男はまだ仲間と話し合いを続けていた。

 見え透いた作戦だ。

 ここは浜辺。

 砂の上での戦闘で気をつけるのは、蹴り上げた砂に注意するだけだ。

 実戦なら、砂が目に入った瞬間に命を落とす。

 手に握っていることも考えられる。

 それが訓練ではなく、実戦の怖さだ。

 でも、僕は正攻法でいく。

 一振りで首を落とす。


「おい! さっさとやらねぇか!」


 そこで見物人がき立てるように手拍子を打ち始めるのだった。

 それに合わせて他の者も手拍子を合わせる。

 スイカ男が前に出てきたところで、それが拍手へと変わった。

 それを自分への応援だと思ったようだ。

 スイカが笑ってる。

 視線も泳いでいた。

 つまらない相手。

 それでも決闘は止めるわけにはいかなかった。


 短剣を鞘から抜くと、どよめきが起こった。

 当然だ。

 触れただけで皮膚が裂けるほど研ぎ澄まされている。

 それを見て、スイカ男の顔つきが変わった。

 やっと命のやり取りをしている怖さを感じてくれたようだ。

 思わず笑顔になるところだった。

 僕も前に出た。

 踏み込む足を計算して、間合いを取る。

 相手はそんなことも考えていないようだ。

 棒立ちもいいとこだ。

 もうすでに、勝負はついた。


 その時だった。


「テレスコ長官の息子じゃないか?」


 見物人の言葉だった。


「本当だ」

「おいおい、エムル・テレスコのせがれだぜ」


 その声が届いた瞬間、スイカ男が完全に戦意を失くしてしまった。

 それから握った短剣を放り投げる。

 それを見て、見物人がスイカ男に怒声を浴びせるのだった。

 拍手と怒声を併せ持つのが大衆の本質だ。

 スイカ男が僕の前に跪いて、許しを請う。

 そんなことは、もうどうでもよかった。

 なぜなら、その時、僕は敗北を知ったからだ。

 僕は負けた。

 スイカ男にではなく、父であるエムル・テレスコに負けたのだ。



 その日の夕食の席で、僕は母のカミーラにこっぴどく叱られてしまった。いつもは温厚で、常にニコやかにしている上流貴族出身のお嬢様なのだが、僕が決闘をしたことを知って、取り乱してしまったのだ。


「ヴォルベや、あなたの命は、あなた一人のものじゃないのですよ」


 優しい口調だが、母は確かに怒っているのだ。


「わたくしがどれだけ心配したと思っているのですか?」


 この機微は身内にしか分からないだろう。


「謝って済む問題ではないのですよ?」


 未だかつてないほど怒っている。


「あなたからも何か言ってあげてください」


 父のエムルも同席していたが、一言も口を開かなかった。

 いつもなら優しく母上の話し相手をしているところだ。

 父上が何を考えているのか分からなかった。

 それが母上の怒りよりも怖かった。


「分かりました。わたくしはこれから寝室へ行って一人で泣いてきます」


 そう言うと、召使いに付き添われて、食堂を後にした。


「大丈夫でしょうか?」

「一人になりたいのだろう」


 母上のことを誰よりも知る父上の言葉だ。


「すみませんでした」

「そうだな、母親を悲しませるのは何よりも重い罪だ」


 父上ほど母上を大切に思う人はいない。母上は国王陛下の妃であるフィン正妃の妹なので、平民出身の父は身分違いの結婚をしたわけだが、だからこそ政略結婚とは違って、確かな愛情を持って結ばれたといえるわけである。


「父上は怒らないのですか?」


 感情を見せないので、こちらから訊ねてしまった。


「話は聞いている。よく逃げなかったな」


 怒られるどころか、褒められてしまった。


「もしも逃げていたら、功を盗まれていただろう。お前には名前があるからな」


 州都長官の息子だと、僕が逃げれば、相手は戦わずして名を上げることができるというわけだ。


「しかし、止めを刺さなかったというじゃないか」


 少し前の出来事なのに全部正確に伝わっているようだ。


「それはどうしてだ?」

「はい。それは切る瞬間、見物人の一人が父上の名前を口にしたからです」


 父上が草茶を飲みながら聞いている。


「それを耳にした相手はすぐに武器を放り投げてしまいました。しかし、僕も身体が動かなくなってしまったのです。実戦ならば雑念に囚われてしまったということですから、きっと不意を突かれて殺されていたでしょう。それが後悔しても後悔しきれないのです」


 父上が何度も頷いている。

 それから遠い目をするのだった。

 しばらくして、口を開く。


「私も似た経験をしたことがある。もう三十年以上も前のことだ。決闘を申し込まれ、受けたはいいが、そこで見物人が群衆の中にいたモンクルスを見つけたのだ。当時、すでに剣聖の名は知れ渡っていた。相手の男は震え上がってな。その場で失神してしまったのだ。しかし、男は私に震えたのではない。男が戦っていた相手は、私ではなく、私の背後にいたモンクルスだったのだ。戦争が終わって三十年になるが、私は未だに己の力量がどれほどだったのか分からずにいる。死んでいった者たちはみな、私とモンクルスを重ね合わせて戦っていたのだからな」


 平民出身の父上が州都長官になれたのも、母上と結婚することができたのも、すべてはモンクルスの一番弟子だったからだ。そう考えると、僕の存在もモンクルスなくして生まれなかったというわけだ。


「ハハッ」


 そこで父上が何かを思い出したかのように笑うのだった。


「父上、どうされたのですか?」

「いや、ガイルのことを思い出したのだよ」


 ガイルというのは貿易の勉強をするために大陸に渡った兄上のことだ。


「兄上が、どうかされたのですか?」


 父上が微笑みながら語る。


「アレは本当に調子がいいところがあって、自身の身に危険が及ぶと感じたら、自分から私やモンクルスの名前を出して追っ払うんだそうだ。それで武器を持たずに大陸に渡るというのだから、よほど口が上手いのだろうな」


 兄上らしいエピソードだ。


「心配性の母上を安心させることができるのですから、父上の言う通りなのでしょうね」



 それから日が沈み、夜が深くなるのを待ってから、従弟のフィンスがいる隠れ家へと向かった。命が狙われているフィン・フェニックス正妃陛下が匿われているので、日がある内は絶対に近寄ってはならないことになっている。


 たまにフィンスを町に連れ出して怒られることもあるが、それでもそういう時は細心の注意を払って抜け出し、尾行に気をつけて家に帰すので、これまでに素性がバレたことは一度もなかった。


 隠れ家がある場所は旧貴族街で、現在の貴族街は建築中の王城の近くに集中しているため、人が寄りつかない場所になっている。周囲の森林資源を守るために立ち入り禁止区域にもなっているので、身を隠すには絶好の場所といえるわけだ。


「やぁ、中の様子はどうだい?」

「変わりありません」


 門兵のロアンと挨拶するのは日課のようなものだ。


「それより公子」


 ロアンは僕のことをそう呼ぶ。


「聞きましたよ。決闘をされたんですって?」

「もう知っているのかい?」

「はい。先ほどカミーラ様から正妃陛下の元へ使いの者が来ました」

「そいつは参ったな」


 ロアンが微笑む。


「しかし、ご無事で何よりでございます」

「ロアンに剣術を仕込まれたおかげだよ」


 事実、ここで合宿を行って、彼から教えを受けたからこそ、今の僕があるのだ。


「お役に立てたのなら何よりでございます」


 ロアンも父のように、決闘をした僕のことを責めなかった。


「それじゃ、怒られに行くとするか。こういうのは早い方がいいからね」


 そう言うと、ロアンは笑うのだった。

 ジョークで笑えたら、それが別れのタイミングだ。



 門を潜ると、そこに二階建ての邸がある。それは僕の生家でもあった。二階が居住空間となっていて、両親が使っていた部屋をフィン正妃が使い、兄上の部屋をフィンスが使っている。唯一、僕の部屋だけが僕の部屋のままだった。


「兄さん」


 一つ年下のフィンスは僕のことをそう呼ぶ。


「決闘をしたって聞いたよ?」

「そう興奮するなって。掛けて話そう」


 フィンスと話をする時は客間を使う。客が来ないので調度品の類はないが、それでも客室も併せて毎日きれいにしておくというのが使用人の仕事だ。長椅子に並んで腰掛け、一本の蝋燭で語り合うのが、それも僕たちの日課のようなものだった。


「無事だったんだね?」

「この通りさ。ただし、幽霊となって現れた可能性もあるけどね」

「冗談はよしてください。本当に心配したんだから」


 フィンスは母親一人に育てられたので、どうしても思考がフィン正妃に似てしまうところがある。それと生まれた時から足が不自由なので、争い事を避けるための思考パターンになってしまうのだろう。


「決闘はどうだったの?」

「それを話す前に、久し振りに会ったジンタの話からさせてくれ」


 そこで今日の出来事を時系列順に話すことにした。フィンスと情報を共有するというのが、僕が決めた僕だけのルールだ。だから出会ったばかりのエリゼに恋心を抱いたことも正直に打ち明けなければならなかった。


「その、エリゼさんだけど、年は幾つなの?」

「さぁ? お互い名前以外は語らなかったから」

「そっか。また会えるといいね」


 それを本心から思ってくれるのがフィンスの寛大さだ。彼は物心がついた時から隠遁生活を続けているので、恋をするような異性とはこれまで一度も出会ってこなかった。恋心すら何であるか分かっていない可能性がある。


 それでも嫉妬せず、羨まず、他人の心配をし、時に心を痛め、落ち込んでいれば勇気づけることができるのだから、フィンスほど心の広い持ち主はいないのである。


「でも、再会したところでどうなるものでもないからな」


 そこでフィンスが妙案を思いつく。


「ガイル兄さんがテレスコ家の家督を継ぐのだから、ユリス・デルフィアスのように家名を捨てるという手もあるよ? つまり商家に婿養子として入ればいいんだ。そうすれば結婚することができるじゃないか。貴族の次男や三男が商家に婿入りする例はたくさんあるのだから難しい話じゃないさ」


 きっぱりと否定する。


「それだとフィンスとこうして会えなくなる。婿入りした時点で、その家の者になるということだからね。そういう人間をこの家に一歩も近づけるなってロアンに命令したのは、父上であり、僕でもあるんだから、それを自分から破ってはいけないんだ。これは僕だけではなく、父の仕事、そう、主従関係の信頼性に関わる問題だ」


 フィンスが憂いた顔をする。


「それはよく分かるよ。兄さんは伯父上を敬愛し、州都長官という職務を誰よりも理解しているからね。でも、それでは兄さんの人生はどうなるの? これではまるで他人のためだけに生きているみたいじゃないか。いや、ぼくは別に兄さんを遠ざけたいわけじゃない。むしろ、こうしていつまでも語り合っていたいんだ。けれど、それが個人の幸福を奪うことになるなら、考えただけで胸が苦しくなるんだ」


 フィンスほど心の優しい弟はいない。個人の幸福に希望を見い出せないのは、むしろ彼の方だ。そのことをアピールせずに、僕の幸福ばかりを願うのだから、年下の弟に忠誠を誓うことができたのだ。


「フィンス、前に夢を語ったことがあったろう? 憶えているかい?」

「もちろん。忘れやしないさ」


 あれはユリス・デルフィアスがカイドル州へ旅立った五年以上も前の話だ。


「パナス王太子が無事に次期国王に即位されるまでは、どんな困難にも立ち向かわなければいけないんだ。苦難の連続であろうとも、途中で投げ出したり、私利私欲に心が揺れたりしてはいけない。現在の王宮は七政院の官僚たちに牛耳られていて、あれからさらに複雑な状況になって、オフィウ派だけではなく、ダリス・ハドラ神祇官という野心家まで台頭してきたからね。このままこの状況を見過ごせば、フェニックス家の崩壊だけではなく、カグマン島そのものを乗っ取られてしまうかもしれないんだ。陛下が衰弱するまで忠実な振りをしてきたのだから頭にくるじゃないか。ペテン師のフリをした役者じゃなくて、役者になりきれないペテン師なのさ」


 この世は人間の面を被った悪魔ばかりだ。


「島国というのは常に大陸からの脅威に備えなければならないんだ。それを戦わずして、国を盗むような奴らに守れるわけがないんだよ。不平等な条約を押し付けられても、自分たちが血や汗を流すわけではないということを知っているからね。いざとなれば、平気な顔して亡命するような連中なのさ。だから僕たちはユリス・デルフィアスのように、自分たちにできることを、自分たちで見つけて、行動に移さなければならないんだ」


 ユリスとも縁戚関係にある。


「国のためなら、どんな犠牲でも払うつもりだ。それが僕たちの務めじゃないか。国家の幸福を個人の幸福のように感じられるのが、公人の特権であり、素質でもあると思うんだ。幸いにして、僕たちは国の繁栄に喜びを感じられる人間だ。それが生まれつきなのか、そのように育てられたのかは分からないが、国を守られるなら、個人の幸福など必要ないと思えるだろう? もちろん、両立させることが恒久にして最大の夢だけどね」


 フィンスが僕の手を取り、強く握り締めるのだった。

 それだけで充分に気持ちが伝わってきた。

 そこで外からノックの音がした。

 叩き方から、それがフィン正妃陛下だということが分かった。

 ドアを開けるのは僕の役目だ。


「あぁ、ヴォルベ、来ていたのですね」

「挨拶が遅れました。すみません」


 フィンスの母君は月下のユリのように美しいお方だ。

 その顔に悲しみを与えたのは僕のせいである。


「それよりも、カミーラから聞きましたよ」

「はい。ここへ来る前に母上から厳しく怒られたところです」

「なにを言っているのですか。あなたのお母上は悲しまれているのです」


 おっとりした母上と違って、伯母上はハキハキとしている。


「なぜそれが分からないというのです?」


 僕が反論する前に続ける。


「ヴォルベ、あなたは少し勝手が過ぎます。危険を顧みないということは、決して勇気があるということではないのですからね。牙を見せびらかせば、あなたを必要と望む者も現れるでしょう。しかし、手懐けることができなければ、退治してしまうのが人間ではありませんか。あなたはとても賢いので、それが分かっているはずですよ」


 それから蝋燭の火が消えるまでお叱りを受けた。

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