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第二十二話(242) 決闘当日

「ペガス」


 兵舎の泊まり部屋を訪ねて来て、俺の名前を呼んだのは親友のケンタス・キルギアスだ。


「薬あるか?」

「ない」


 持っているけど、嘘をついた。


「持ってるって言ってなかったか?」

「持ってたけど、もうないんだよ」


 それを聞いて、ケンタスは頭を押さえて俺が座っている正面の寝台に腰掛けるのだった。


「まだ頭が痛いのか?」

「ああ、やっぱり酒は合わないみたいだな」


 酔っ払いに飲ませる薬はない、というのがモモの村に伝わる教えなので、ケンタスに秘薬を渡さないことにしたわけだ。


 ビルボン湖畔で宴会を開いたのは、わざと隙を見せることで敵に攻め入らせる狙いがあったようだが、それを聞いて嘆かわしい気持ちになった。


 俺がそばにいながら、命を粗末にするような作戦に二人の兄弟を参加させてしまったので、親代わりのオルグさんの気持ちを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのである。


「ずっと気になってたんだが、その、部屋の隅に置いてある壺はなんだ?」

「便壺だ」


 お前の骨壺だ、とは言えなかった。


「虫が湧くだろ」

「緊急用に決まってるだろ」


 腐った死体は伝染病の元になるため、部族民には遺体を焼く風習があり、それで村長さんが骨壺を持たせてくれたのである。


「それよりも兄ちゃんとの決闘はどうするんだ?」

「何度聞かれても答えは変わらないさ」


 様々な神話で兄弟による殺人や父子による親殺し子殺しなどの骨肉の争いが描かれているそうで、神話で起こることは人間の世界でも起こると、まるで他人事のように口にするのである。


「神話には、例えば狩猟や農耕などを象徴する神がいて、そういった神々の営みが自然災害を記録する物語にもなってたりするけど、普通の人間であるキルギアス兄弟の決闘にはどんな意味があるんだ?」


 ケンタスが思い出しながら述べる。


「兄貴が『俺たちは使途しとの一人にすぎない』って言ってたな。『お前も俺も主役ではない』ってさ。『いずれ誰が主役か分かる時がくるが、それは今じゃない』って」


 大陸由来の新しい宗派だろうか? 兄ちゃんがあぶない宗教にハマってしまったかもしれない。


 それに弟も巻き込まれたわけで、本来なら俺がドラコの目を覚ましてあげないといけないのだが、非力なのでどうすることもできなかった。


「でもよ、兄弟で戦うといっても、公子と剣を交えた時みたく寸止めするんだろう? まさかとどめを刺したりしないよな?」


「バカ言うな!」


 ケンタスが語気を荒くして否定した。


「そんなことできないんだよ」

「本気で戦うということか?」

「じゃなきゃ死ぬに決まってるだろう」

「殺すってことだぞ?」

「兄貴も『全力を出せ』と言っている」


 そこでケンタスが頭を押さえる。


「酔ってたからハッキリとは思い出せないけど、公子とアウス・レオス大王の話をしていたな。『矛盾は矛と盾だから起こるのであって、矛と矛なら矛盾は起こらない』ってさ。兄貴も酔っていたから何を言いたかったのか、意味がさっぱり解らないけどな」


 ドラコの兄ちゃんはヘンな物を売りつけようとしているのではないだろうか? 決闘で使った剣に高値を付けて、それを半島で売って大儲けするつもりとか、どうも心配になる。


「っていうか、兄ちゃんと戦う前に本場の剣闘士グラディエーターと戦わないとダメなんだもんな」


 ケンタスが小首をかしげる。


「一度は納得したものの、よくよく考えてみると、おかしな話だな。普通は国の代表を選出するために俺とマン・ザザで争うのが普通だろう? じゃないと、どちらかの国が二戦二勝した時、同じ国同士で決勝を戦うことになるからな」


 それもドラコの発案だと聞いている。


「勝てるよな?」

「もちろん勝つさ」


 友達が自信を持って答えた。


「あの男はオレのことを『若造のくせに生意気だ』って言ったんだ。勝負の世界では年齢も経験も関係ないっていうのに。若い頃に打ち負かしてきた相手に、今の自分がなっちまってるって、客観的に見えてないんだよ」


 本場仕込みのグラディエーターをナメているのは、ケンの方ではないだろうか? 急に不安になってしまった。



「おい、ペガス、ちょっと付き合え」


 決闘を目前に控えたる日のこと、盛夏は過ぎ去ったものの、まだまだ残暑が続く中、ミクロスに呼ばれて領事館の空き部屋に連れて行かれた。そこで机の前に座らされて、事務仕事を命じられるのだった。


「この証書を見本にして、同じ文面を羊皮紙に書き写してくれ」


 そう言って、正面に座るミクロスが紙と筆記用具を押し付けるのだった。


「なんですか、これ?」

「借用書だ」


 俺には一生縁のない話だが、貴族や豪商の間で用いられる貸借たいしゃく契約のことである。紙だけでお金を信用貸しできるのだから、借金できるのは信用できる人に限られるわけだ。


「そんなもん作ってどうするんですか?」

「金を借りるに決まってるだろう」

「誰が?」

「オレ様だよ」


 ミクロスに金を貸す人がいるとは思えなかった。


「お金なんて借りてどうするんですか?」

「バカだな、賭けるんだよ」


 誰もいないのに声を潜めるのだった。


「お前も有り金があんなら全部突っ込んだ方がいいぞ? なにしろ今回ほど堅いヤマはないからな」


 間もなく行われる決闘はギャンブルの対象になっていた。勝つには三試合の勝敗予想を三連単で的中させなければならないが、すでに勝剣投票権は売り出されており、かなりの賭け金が積まれているという話だ。


「優勝予想は剣闘士のリンドーだが、ありがたい話だよな、みんなケンタスが負ける前提で予想してるから、他の三人の優勝予想が大穴になってるんだよ。決闘が終わったら、オレたちはとんでもない大金持ちになってるぞ?」


 泡を飛ばして喋っているので、口の周りのヨダレが汚い。


「お前、今いくら持ってる?」

「持ってませんよ」

「だったらオレが貸してやるよ」

「いや、いいです」

「なんでだよ?」

「勝手に借りたらモモに怒られますから」

「情けねぇ男だな」


 いつもの説教が始まりそうな予感だ。


「十日後には必ず金持ちになれるってのに、お前は目の前に転がってる一世一代のチャンスを自分から逃すんだもんな。だからダメなんだよ。確実に儲けられる機会なんて、残りの人生で二度と訪れることはないんだぞ?」


 強引に借金を作らされるところだったが、「お金を借りられるのは大隊長のように出世した人に限られる」などとおだてることで、なんとか断ることができた。


 といっても、持ち金を全部賭け金として使わされたけど。誰の優勝予想に賭けたかというと、ミクロスが絶対だと言い張るケンタスだ。


 そのミクロスはバルダリス総督、ヴォルベ、ランバの三名から十年分の年収に相当する多額の金を借り入れるのだった。


 ランバに関しては、一度は断ったものの「貴族になれたのはオレ様が身体を張ったおかげだ」と説き伏せて金を借りるのであった。


 とはいえ、順当にケンタスとドラコが決勝に進出した場合、やはり剣術ではドラコに勝ち目はないということで、一夜にして大金持ちになることは確定しているのである。


 一番人気が剣闘士リンドーなので、自ずと人気最下位のケンタスが大穴となった。二番人気がドラコなのは、こちらでもザザ家を一網打尽にした武勇伝が伝播しているからだ。


 第一試合は、その遺恨試合から開始される。



 決闘当日は晴天となった。島の北部なら秋の気配を感じる季節だが、クルナダ市の気候はまだまだ夏が居座っている感じであった。


 詰めかけた観客もトゥニカというペラペラの貫頭衣一枚で過ごす人が目についた。高額な入場券を払える人しかいないので、さすがに腰巻だけの人は一人もいなかった。


 市内の中心地に建つ闘技場は、帝都のコロシアムと意匠は同じだが、縮尺が異なるそうだ。


 本場の五万人収容に対して、こちらは一万人しか入らないが、ステージと客席が近いので迫力では引けを取らないという話だ。


 闘技場は円形のばち状になっており、三階建ての階段席は階級によって選別されており、前列に王侯貴族、中列に騎士などの下級貴族、後列に富豪や市民の順で並ぶのだった。


 今回の決闘はクルナダ国とガルマ国の国王が見守る天覧試合なので、日除け用の天幕が張られた一角があり、そこで俺もカグラダ府の職員として一緒に観戦することになった。


 席は二階の前列、つまり特等席である。常に警備兵に睨まれた状態だが、互いの顔を見知った富裕層の客しかいないので、まったく危険はなかった。


 総督のご家族だけ一階席での観戦で、そこで警備するにも高い地位を必要とするので、ガレットとミクロスは外されて、代わりにヴォルベとランバが警護を務めた。


 そのガレットは一階の通路で警備をしているので、俺の周りにはミクロスとシプルフと、その他の職員が固まって座っていた。


 気になったのは、一階席に座っているデモン・バンクスだ。隣に座る凛々しい青年国王とずっと話し込んでいるが、一枚布のトガを着こなして優雅に振る舞う様を見ていると、どちらが本当の国王か分からないくらいであった。


 青年国王の隣にはガリク・オッポスの姿もあった。巨体で有名なので、すぐに分かった。デモンと仲睦まじい様子で話し合っているが、実際はこの二人が決闘をしているようなものなので、政界というのはつくづくおかしな世界だと思った。


 特設リングでは一般客の入場が済むまで演舞が行われているが、便所が込み合う問題があるため、みんなが協力的であった。


 ただし、この日は軍隊が警備に当たっているため、それが行儀よくさせている理由の一つでもあった。


 日中に国王を王宮に帰参させなければいけないということで、とにかくピリピリしており、試合が始まるまであっという間であった。


 決闘のルールは至ってシンプルだ。相手を戦闘不能の状態にさせること。その場合は生死が問われない。


 また、自ら特設リングの場外に出れば負けとなる。しかし敵前逃亡で処分されるので、自ら棄権することはないはずだ。


 特設リングは一辺の長さが大人の歩幅で十歩程度なので、逃げ回ることができないようになっている。


 武器は自由だ。戦場では弓矢や槍が有利だけど、立ち合いから入る決闘では短剣を選択するのが一般的だ。


 本場の剣闘士団は丸盾も使いこなすという話だが、勝負が長引くということで、今回の決闘では認められなかった。


 同じ理由で防具も三つしか認められていなかった。肘当てと、肩当てと、ヘルメットだ。ただし着用の義務はなかった。


 本場では鉄の胸当てや鎖帷子くさりかたびらを纏うが、それもレギュレーション(規則・禁止事項)によって変わるということだ。


 ちなみに今回の決闘で身に着けるのは腰巻一丁である。靴はストラップで固定するサンダルが一般的だ。今はグラディエーターサンダルが一般層まで普及しているくらいである。


 そして、いよいよ、決闘が始まるのだった。


 第一試合。

 ドラコ対マン・ザザ。

 選手入場から客席のボルテージは最高潮。

 声援と野次が飛び交う。

 ドラコの方が人気だ。

 つまり兄ちゃんに賭けている人の方が多いということである。


 しかし、マン・ザザには驚いた。

 とにかくデカい。

 背の高いドラコが見上げている。

 横幅も大人二人分だ。

 その大男が陽気にステップを踏むのである。

 客席は大ウケだった。


 ドラコも余裕だ。

 笑いながら手を叩いている。

 でも笑っているのは表情筋だけ。

 目で情報収集をしているはずだ。

 それがドラコ・キルギアス。

 兄ちゃんの方はすでに戦いを始めているのである。


 二人が対峙する。

 ドラコが小さく見えるというのも不思議な光景だ。

 違いは身体の大きさだけではない。

 武器が違う。

 見たこともない大きな太刀を持っている。

 大人の足くらいの大きさだ。


 兄ちゃんの方はドラコの剣。

 ヴォルベに継承された剣が戻ったわけだ。

 研ぎ澄まされた片刃剣。

 刃こぼれするので扱えるのは特別な人だけ。

 それが筋肉や脂肪の巨大な塊に通用するのか?

 それが見どころである。


 試合開始の合図を告げる銅鑼どらが鳴った。


 マン・ザザが仕掛ける。

 大きく振りかぶって、

 力任せに叩き斬る。

 ブウン。

 そんな音が聞こえてきそうだった。


 ドラコがヒラリと身をかわす。

 相手の動きが大きすぎるのだ。

 難なく避けることができた。


 その後も軽快に足を使う。

 リングの大外をグルグル回る。

 ゆっくりだ。


 リング中央のマン・ザザ。

 その姿を目で追いかける。

 なぜか、もう既に背中で息をしていた。


 ドラコが足を止める。

 マン・ザザが標的に狙いを定めた。

 そこで太刀を振り上げる。


 まるで断頭台に吊るされた刃だ。

 それを自在に振り下ろせるわけだ。

 リングに血が飛び散った。


「うあぁぁぁぁっ」


 手首を失ったマン・ザザが悲鳴を上げた。


「いてぇよぉぉっ」



 拳を失くした手で殴りかかる。

 しかし、今度は肘から先を切り落とされるのだった。


「この野郎!」


 左手で太刀を拾うも、そちらも切り落とされた。


「え? おれの手はどこだ?」


 もう、わけが分からないのだろう。


「うぐっ」


 最後は首を切り落とされるのだった。


 転がった頭が床に転がっている腕を見つけて、なぜか笑っているように見えた。


 ここまでが一瞬の出来事であった。

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