第二十八話(204) ぺガス、北国へ行く
ジェンババに作戦を立ててもらうようにお願いしに行ったところ、一つだけ条件を提示された。それが『新皇帝には全ての指示を受け入れてもらう』ということだった。つまり命令に従わなければ協力しないということだ。
そこで早速ミクロスと俺の二人だけでユリスの執務室を訪れて、まずは三人だけで話し合うことにした。しかし、ユリスがフィルゴ補佐官の同席がなければ話し合いには応じないということで、仕方なく四人で話し合うこととなった。
といっても俺は戸口で室内警護を任されていたので、説明するのはミクロスの役目だ。真向かいの席に座るユリスとフィルゴは冷静さを保ってはいるが、驚きを隠せない様子だった。それでも二人とも賢者なので話を途中で遮るような真似はしなかった。
「……まさかジェンババが生きていたとは」
それがミクロスの話を聞き終えたユリスの感想だった。
フィルゴが念押しする。
「本物で間違いないのだな?」
ミクロスが答える。
「詳しい作戦内容を知れば納得できると思います」
「それには余の影武者が必要というわけか」
ミクロスが補足する。
「それだけではなく、貴族の死体が大量に必要だと言っていました。ただ、昨年不祥事を起こした処分保留の貴族がたくさんいますので、数には困らないだろうとも付け加えていましたがね」
補佐官が警戒する。
「随分とこちらの内情に詳しいのだな?」
「バリバリの現役みたいですね」
「ジェンババこそがスパイではあるまいな?」
「さぁ? オレには分かりません」
その答えに憤然とする補佐官だった。
「陛下、ここは慎重になるべきかと思われます」
ミクロスが反論する。
「いやいや、そんな時間はないそうですよ?」
「貴族を生贄に差し出せば、本家筋が黙っておりませんぞ?」
「オレたちは独立したんじゃないんですか?」
「本国の後ろ盾なくして国力を増強、否、国力を維持などできるものか」
「邪魔な貴族を殺せるというのに、何を躊躇う必要があるんですか?」
「本件の作戦内容が知れ渡ったら、王家への不信を招くやもしれぬからな」
「勝ちきればいいだけでしょう?」
「勝った後のことを懸念しておるのだ」
そこでユリスが二人を制止する。
「問題はそこではない。誰が余の代わりに降伏を申し入れるかだ」
つまり陛下はすでに決意されたということだ。
「影武者が見破られた場合、その者は拷問を受けることとなるだろう。それを覚悟の上で引き受けてもらわねばならない。その者が口を割るようならば、それまでの作戦がすべて無に帰すのだ。すべてはその者次第ということになる」
補佐官が頷く。
「その者は相応の地位にあらねばならぬので、小官おいて他にはおらぬということですな」
ユリスはまた一人、大切な人を失うかもしれないわけだ。
「頼めるか?」
「陛下の御意とあらば、断る理由はございませぬ」
作戦自体に反対していたのに、陛下の決意が固いとみるや、すぐに理解して、命令を受け入れるのだった。人間とは何だろう? 確かに上と下とで分かれているけれど、男同士というものは、ただそれだけではないような気がした。
それからミクロスが詳しい作戦内容を伝えて、秘密を守らせつつ、作戦を実行に移すための必要な準備について確認するのだった。作戦の全貌を知った二人は驚くばかりで感想すら口にすることはなかった。
「最後に一つだけいいですか?」
ミクロスが珍しく言いにくそうに断りを入れた。
「申すがよい」
ミクロスが赤鼻をかく。
「ドラコが裏切り者ではなく、ヴォルベも大泥棒ではなかったわけで、オレも聞かされた時はビックリしたんですが、そうなると殺されたとされているパナス王太子とパヴァン王妃は生きているということになります」
そこで目を見開いて驚くユリスとフィルゴだった。
「今はどこに?」
ユリスの問い掛けにミクロスが首を振る。
「居場所を知っているのはソレインの妹で『ガレット』っていうんですけど、その女が『ヴォルベを見殺しにしたら王太子と王妃の二人を殺しに行く』って言うんですよ」
フィルゴが問う。
「味方ではないのか?」
ミクロスが答える。
「味方ですよ」
「では、なぜそのような脅しを?」
「ヴォルベを守るって、ドラコと約束したそうです」
ユリスが頷く。
「作戦を成功させるしかないわけか」
まるでドラコがまだ生きているように感じた。
ジェンババが立てた作戦は基本に忠実だった。まずは敵軍の保有する武器の種類や数をできる限り詳しく知ることだ。それで敵軍がどのような攻撃を仕掛けてくるのか大体予想がつくと言っていた。
今回の戦争では火矢がポイントになるそうだ。大陸産の油を大量に仕入れていることから、それで都に大火事を起こそうとしていることが分かったのである。木造の旧・州都官邸が狙われると予想していた。
そこでジェンババは当初の作戦に修正を加えつつ、影武者による替え玉作戦を成功させるため、官邸の地下に、従来の隠し通路とは別に、脱出口となる新たな隠し通路を作るように命じた。
ジェンババは地質学にも精通しているため、現地に行かなくても深さや穴の大きさまで正確に指示を出すことができた。つまり奇策を用いるにも様々な分野の知識が必要というわけだ。
それと焼死体についての講習も受けた。火事の場合、火に焼かれる前に煙で肺が先にやられるそうで、だから火災現場で不自然な焼死体を用意しないようにと注意を受けた。分かる人には一発で偽装工作がバレてしまうからだそうだ。
後はユリスが死んだと思わせるために、絶対に貴重品を持ち出さないようにと厳命された。今回の敵営には内情を知る者がいるため、官邸から貴重品がなくなっていたら、それだけで怪しまれてしまうからだ。
それから都の鳥瞰図を見ながら、敵兵の配置を予想して、風向きによって火事がどのように燃え広がるか、ということまで予測を立てるのだった。帝都を守り抜いた男は、同時に帝都の弱点も知り尽くしているというわけだ。
そうこうしているうちに、あっという間に季節は巡り、秋も終わりを告げていた。ガレットから聞かされた話では、秋に戦争を仕掛けてくるという話だったので、時期がずれたということになる。
それでも慌てることはなかった。敵軍の作戦が火矢を使って大火事を起こすことだと見抜いていたからだ。ジェンババが予想した通り、風がやや強く吹いている夜明け前に、敵軍による奇襲が始まった。
犠牲になってもらう、いや、見殺しにする貴族の中には、悪事を働いた当人だけではなく、家族がいるわけだが、その妻や子どもたちを見殺しにするというのもジェンババの命令だった。
心を痛めるユリスに対して、補佐官のフィルゴは『すべてはパナス王太子とパヴァン王妃のためだ』と言い聞かせて納得させるのだった。ガレットは頭がイカレてるけど、ここにきて、彼女の脅しが役に立ったかたちだ。
ユリスの影武者や役人の替え玉となる者たちには、第二の隠し通路の存在を教えていなかった。新生カイドル国も七政院相当の官職を設けるといって、貴族連中を連日に渡って官邸に宿泊させていたけど、それもすべては焼死体になってもらうためだ。
「おい、ペガ、始まるぞ」
敵兵の動きを監視していたミクロスが、地下室の警備をしている俺のところへ来て、作戦開始を報せてくれた。眠っている替え玉たちが目を覚まさないように、静かに行動しなければならなかった。
「用意はいいな?」
「はい。万全です」
俺に与えられた仕事は、隠し通路を通る味方の数をかぞえて、全員の脱出を確認してから、最後に通路の入り口を塞いで、完全に封鎖することだ。ジェンババが考案した土袋を使った仕掛けだけれど、五回のテストをすべてクリアしているので不安はなかった。
「ペガス、後は頼んだよ」
護衛兵に先導されてユリスが脱出した。
後衛のミクロスがそのすぐ後に続く。
「余計な奴は通すなよ」
脱出させる五十人の顔と名前はすべて記憶している。
「任せてください」
二十人目、三十人目、四十人目と、後になればなるほど、胸を押さえて、息を苦しそうにしている人が増えていく。それでも音を立てないようにと命令を受けているため、咳を我慢している様子だ。四十人を過ぎた当たりで到着が遅れる者が増えてきた。
「ユリス国王は?」
全員を脱出させたところで問題が発生した。地下室に救助する予定のない女の子が降りてきてしまったのだ。おそらくだが、身なりからして替え玉となる貴族の召使いに違いない。火の手が上がっている地上へ戻るように、とは言えなかった。
「陛下はご無事だ」
「どこにいるの?」
目を見てしまうと、どうしても見殺しにはできないと思った。
しかも愛犬のチッチを抱きかかえている。
「ここに脱出口がある。一緒に逃げるんだ」
召使いは頷くと、穴の中へ入っていった。
俺も床板で蓋をしてから穴へ下りた。
それから仕掛けの土袋に穴を開ける。
封鎖を確認してから出口に向かう。
工期が半年とは思えないほどの長さだ。
もはや地下道と呼べるほどの距離である。
ふと、前を行く少女の残り香に気を取られた。
まるで実家に帰ったような懐かしさだ。
そんなことはどうでもいい。
そろそろ出口に辿り着くはずだ。
なんとか落盤事故に遭わずに済んだようだ。
突貫工事はそれが怖いのだ。
出口は官邸の裏庭にあたる牧場の中。
厩舎の床下に脱出口がある。
頭上が明るいので、もうランタンの明かりは不要だ。
少女が梯子を上って、俺も後に続く。
地上に上がると、すぐに幌馬車に乗り込んだ。
それで避難先へ移動する予定だ。
ユリスを乗せた馬車はすでに出発しているようだ。
俺たちの乗る馬車も急いで後に続いた。
騎馬隊が護衛してくれている。
ここまで来れば、もう安心だ。
気がつくと、小雪がちらついていた。
初雪だ。
避難先は王族領の森にある別荘地だ。狩猟をする際に泊まれるようにと建てた別荘なので、冬の間は閉鎖されており、そこには護衛兵が泊まれる兵舎も隣接しているため、身を隠すにはうってつけだったというわけだ。
ただし、ここにしばらく留まるというわけではなかった。都の状況次第では、すぐに玉体を別の場所へ移さなければならないからだ。それには降伏を申し入れるフィルゴの対応と、ユリスの死亡証明が認められるかがポイントとなる。
それとこの半年の間に都から兵士を少しずつ別の場所へ移住させていたので、そこに疑念を抱かせないことも重要だった。既婚者の三万兵は漁師や農民に転身させたので問題はないけど、未婚の二万兵はどこに隠せばいいかずっと悩んでいたからだ。
結局は領土の拡大と称して新天地開発を命じることで何とか誤魔化すことにしたわけだ。こちらの動きに対して疑念を抱かせなかったのは、敵軍が奇襲を仕掛けたことで証明できたといえよう。
付け加えると、都から兵士の姿が減れば敵軍からは不自然に見えるけど、減らした分だけ貴族街に居を構える貴族が私兵を増やしてくれたので、それが敵軍を欺くことに役立ってくれたわけだ。もちろん、そうなるように工作したのもジェンババだ。
「よう、ペガ、ご苦労だったな」
先に到着していたミクロスが出迎えてくれた。
「陛下はご無事のようですね」
「ああ、寒いのにお前たちの到着を外で待つってよ。だから早く――」
と、そこで振り返ったミクロスが猛然と走り出した。
俺には何が起こったのか分からなかった。
――向かった先には、ユリスがいて
――遅れて到着した召使いを出迎えているが
――その中に、俺が最後に助けた少女の姿が
――少女がユリスの元へ真っ直ぐ歩いている。
「ユリス! 危ない!」
ミクロスの声が雪空に轟く。
直後に悲鳴が耳に刺さった。
急いでユリスの元に駆けつけた。
見ると、足元の雪が血に染まっていた。
少女はミクロスによって取り押さえられていた。
護衛官がユリスに声を掛ける。
「陛下、お怪我は?」
「ミクロスが声を掛けてくれたおかげで助かった」
血はユリスの手から流れ落ちている。
どうやら素手でナイフの刃先を握ったようだ。
すべては俺の責任だ。
「コイツを頼む」
少女を二人の護衛兵に預けたミクロスが、すぐにユリスの手当てをする。こういう時は戦場を経験しているミクロスの方が応急処置に適しているからだ。俺は何もできず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「なぜ国王を狙った?」
ミクロスが少女に詰め寄った。
「父さんと母さんの仇だ」
そう言って、少女がミクロスではなく、ユリスを睨んだ。
「わたしの村は、そこにいる男に奪われたんだ」
「おいおい、そいつは勘違いだ」
ミクロスが反論するが、まるで即席の裁判を見ているようだった。ただし、雪空の下、馬車蔵の前で五十人の大人たちに囲まれた少女を弁護する人は誰もいなかった。こうしている間にも騎馬兵や警備兵らが続々と集まってきていた。
「お前の村を襲ったのはな、都にいる不良貴族であって、ここにいるオレたちじゃねぇんだ。その不良貴族だってな、今ごろ火あぶりにされて殺されているさ。つまりだな、お前が殺そうとしたユリスが、お前の親の仇を取ったんだよ」
「違う!」
少女が叫んだ。
取り押さえている警護兵が少女を地面にねじ伏せる。
すると少女は歯を食いしばって呻き声を飲み込むのだった。
「乱暴はよせ」
ユリスの命令だ。
「放してやれ」
「しかし……」
護衛兵が戸惑うのも無理はなかった。
「余の命令が聞けぬか?」
「失礼しました」
そう言うと、護衛兵は少女を解放するのだった。
ユリスが少女に近づく。
それから包帯を巻いた手で立たせるのだった。
「名は何と申す?」
少女が俯いたまま答える。
「ロオサ」
ユリスが笑顔を見せる。
「よい名だ」
包帯に血が滲んでいるので、じんじんとした痛みがあるはずだ。
「ご両親からいただいた名前か?」
ロオサがコクリと頷く。
「ご両親が殺されたのは、私の責任だ。君は何も間違ったことをしていない。自分たちがされたことと、同じことをしただけなのだからね。それでどうして、君だけに非を問うことができるだろう?」
ユリスはどうしてこうも優しい、じゃなくて、甘いんだろう。
「私が治める土地で、私に仕える民が蛮行を犯した。だから部下が先ほど君に言った言葉を、すべて撤回させてほしい。君の仇は、この私で間違いない。都にいる貴族が死んだとしても、君の敵討ちが果たされたわけではないだろうから」
いや、ユリスが与り知らぬところで貴族の連中が勝手に村を襲ったのだ。
「君の亡くなられたご両親の代わりはできぬが、同じ命であることには変わりないはずだ。ならば、私の命でご両親の無念を晴らせばいい。君からすべてを奪い取った私にできることは、それだけだ」
そこでユリスはナイフの柄を向けてロオサに差し出すのだった。
「陛下、どうか、そのような真似はお止めくだされ」
慌てて代理の補佐官が止めに入った。
「寄るでない!」
ユリスが一喝した。
それからロオサにナイフを握らせるのだった。
「私が責任を持って罪を償おう」
その言葉に、ロオサが握ったナイフを地面に落とす。
それから雪が融けるほど熱そうな涙を流すのだった。
その涙を両の手の甲で拭う。
「どうして恨ませてくれないんだ」
少女の涙は止まらなかった。
「憎ませてほしいのに」
周りにいる召使いの女まで泣いていた。
「嫌いにさせないなんて酷すぎる」
そう言うと、地面にへたり込むのだった。
ユリスがマントを脱いで、ロオサに掛けてあげる。
見ると、そのユリスも泣いているのだった。
俺にはさっぱり意味が分からなかった。
それからロオサは兵舎ではなく、ユリスのいる別荘の方へ軟禁された。影武者であることを知られては拙いということで、これからしばらくユリスが身柄を預かり、それにロオサも同意するのだった。
俺はミクロスからこっ酷く叱られてしまった。酒を飲みながら、何度も同じ話を繰り返しては、なぜか途中から自慢話へと変わるのである。それが毎晩続くものだから気がおかしくなってしまった。
フィルゴ補佐官による降伏が受理されたことを受けて、俺たち一行は北国へと向かった。馬車道が整備されていないので商人すら寄り付かないという、そんな僻地で死んだ振りをしろ、というのがジェンババの命令だ。




