第二十七話(203) ぺガス、カイドル国へ行く
「ペガスよ」
俺の名前を呼んだのはミクロス・リプスだ。なぜ俺が話し相手を務めなくてはならないかというと、ケンタスとボボが懲役刑で島流しにされた直後に敬愛するドラコが死んで、優しいジジがデモン・マエレオスの監視役としてカグマン国に行ってしまったからだ。
どういうわけか、一人取り残された俺は生まれ故郷から遠く離れた寒いカイドル国の地に行くことになってしまったというわけだ。しかも嫌いな、いや、苦手なミクロスと同室生活という地獄のおまけつきである。
「おい、ペガよ、聞いてんのか?」
この赤鼻の小男は無視もさせてくれなかった。
「あっ、はい、なんですか?」
護衛隊長のミクロスが荷をまとめながら喋る。
「ユリスには気をつけろよ?」
「分かってますよ、陛下のお命をお守りするのが兵士の務めですからね」
これからカイドル国までの長い道のりが待っていた。
「違うよ、そうじゃねぇ」
ミクロスが大きな鼻をかく。
「ユリスが自分の命を粗末にしねぇか気をつけろってことだ」
「どういう意味ですか?」
「自殺しないように見張れってことだよ」
「なんでユリスが自殺なんかするんですか?」
「アネルエ王妃陛下が誘拐されてからおかしくなっちまったからな」
「そうは見えませんけどね。バリバリ仕事をこなしてきたじゃないですか?」
ミクロスが舌打ちする。
「お前はバカだから分からないのも無理はねぇけど、ああいうのがヤバいんだ」
「国王になった重圧ですか?」
そう言うと、ミクロスがデコピンをしやがった。
「だからそうじゃねぇんだよ。そういうんじゃなくて、今のユリスは心の支えを失った状態だからな、まぁ、自ら命を絶つことはないだろうが、なんていうか、無意識に『死んでもいいや』なんて思ってたりすんだよ。ほら、ぼうっとする時があるだろ? そういう時に馬に乗ると落馬事故を起こしたりするってわけだ」
確かにユリスには物思いにふける瞬間が度々ある。
「まぁ、基本的には馬車を乗り継いでの移動だから大丈夫なんだが、中には大きな河を渡る時には騎乗してもらわないといけないからな。それで溺れて死んだんじゃ、護衛隊長としてのオレ様の面子にも係わるからよ、気をつけろって話だ」
結局は自分のことばっかだ。
「それにしてもペガよ、お前はもっと人間の心の機微というものを学ばないと、オレ様のような優秀な兵士にはなれんぞ? 手本にさせてやるから、これからたっぷり勉強させてやるよ」
殴れるものなら、ぶん殴ってやりたいと思った。
その後、ユリス・デルフィアス国王陛下を無事に新生カイドル国の王都へと連れ帰ることができたので、ミクロスの心配は杞憂に終わった。途中からソレイン・サンが率いる、北方部族だけで結成された部隊に守ってもらったことも付け加えておきたい。
問題は王都に帰ってから起きた、ユリスが旧・カイドル州を留守にしていた間、職務を任せていた貴族たちと地元民の間で諍い事が頻発していたことだった。
「余が不在の間、貴官は何をしていたというのだ?」
久し振りに再会したというのに、側近中の側近であるフィルゴ補佐官はいきなり部下の前で叱責を受けるのだった。そんなユリスはこれまで一度も見たことがなかった。旧・長官室にいるミクロスを含む十人以上いる高官や部下らの顔に緊張が走った。
「謝罪の言葉もございません。ひとえに小官の力量不足が招いた故の結果にございます」
「ああ、いや、すまない」
そこでユリスは申し訳なさそうに椅子に腰掛けた。
「あの者どもを従わせるだけの地位を貴官に与えなかった私の責任だ。どうか、許してくれ。貴官はよくやってくれた。これから皆で対策を講じようではないか」
それから会議室に移動して、長旅の疲れが癒えぬまま会議が開かれた。俺は戸口の横に建つ室内警護を任されたが、本来ならば頼りになるジジの役目だ。新兵の俺がやらされている時点で、新国が人材難に陥っていることが分かるというわけだ。
それにしてもフィルゴ補佐官による被害報告はどれも酷い内容のものばかりだった。貴族連中が村を襲って悪行の限りを尽くしていたのだ。俺も結婚する予定のモモが無事でいるのかどうか気が気でならなかった。
貴族といってもカイドル州に流された貴族は七政院の自治領内の権力闘争に敗れた連中なので、フィルゴ一人でどうにかできるわけがないのだ。七政院の血を分けた親類縁者なので、悪いことをしてもユリスですら迂闊に処分することができなかったわけである。
それも独立国となった今日まで、といきたいところだが、そう簡単にはいかないのが貴族社会らしい。こちらで貴族の身に何か起これば、報復として即位したばかりのフィンス国王陛下の身に危険が及ぶかもしれないというのが理由のようだ。
結局、ソレインの部隊に見張りを強化させるという対策を明示しただけで、事件を起こした当事者である貴族連中への処分はなく、有耶無耶の状態で会議が終わった。ユリスですら何もできないのなら、これから何千年経とうが、特権階級は特権階級のままだろう。
そんなことがありつつ、日々は慌ただしく過ぎ去ってゆき、生まれて初めての冬を迎えた。いや、冬は毎年訪れるものだけど、北部の冬はそれまでの冬とは比べ物にならないくらい辛かった。
過ぎ去ってしまえば、それまでの寒さによる痛みが無かったかのように感じるのも人間で、思い出そうにも思い出せないほど、すっかり環境に慣れてしまった。俺は雪国の方が性に合っているのかもしれない、とさえ思うほどだった。
春の陽気は心を楽しくさせてくれたけど、世の中というのは常に俺の知らないところで事件が起きていて、いきなり問題を突きつけられるということが珍しくない。その問題はソレイン・サンによってもたらされた。
なんでも彼の妹が冬の間ずっと口を利かなかったということで、それを心配したソレインから相談を受けたわけである。正確にはモモに相談しにきたところに、たまたま休日にセタン村を訪れていたところに居合わせたというわけだ。
「なぁ、ガレットよ」
それがソレインの妹の名前だ。弓使いの名手として有名らしいけど、俺は会うのが初めてだった。確かに腕の筋力は発達しているけれど、全体的には俺と年の変わらぬ少女なので、長弓を扱えるとは思えなかった。
「何か一言くらい喋ったらどうなんだ?」
さきほどから兄のソレインが呼び掛けているけど、ガレットは歯をくいしばって頑なに喋ろうとしないのである。モモの家には俺を含めても五人しかいないのに、ガレットには大勢の敵に囲まれているように見えているかのようだ。
「モモだって暇ではないんだぞ?」
「ワタシの心配はいらない」
モモは自分の考えをハッキリと口にする人だ。
「暇じゃないのはオレの方なんだけどな」
そこで口を挟んだのが、なぜか一緒についてきたミクロスだ。
モモはミクロスに対してもハッキリと物を言う。
「暇じゃないのなら用事を済ませてこい」
「いや、用事ってほどでもないからよ」
「だったら口を挟むな」
モモに怒られるミクロスを見て、ざまぁ見ろと思った。
「ガレット」
モモが優しく話し掛ける。
「黙っているのには、ちゃんとした訳があるのだろう? だったら無理に喋らなくてもいい。ワタシも無理強いは嫌いだからな」
未だにモモのような素敵な女性と結婚する自分が信じられないでいた。
「ガレットはソレインが心配していることを知っている。ソレインだけじゃなく、村のみんなが気に掛けてくれていることも全部分かっているんだ。それでも喋らないということは、それだけの理由があるのだからな」
ガレットが俯いて震え出した。
「それでもガレットはワタシに会いにきてくれたんだ。それだけでワタシは充分なんだ。ガレットの気持ちは充分に伝わった。だから、無理に喋らなくていい。喋れなくなったわけではないんだから、ワタシも心配しない」
ガレットの手の甲を濡らしたのは涙だろうか。
「ごめんなさい」
喋らなくていいと言われた途端、ガレットが口を開いた。
「ヴォルベと約束したんだ」
ヴォルベ? テレスコ長官の息子がヴォルベだけど、同一人物だろうか? 彼は王宮が襲撃された直後に家出をして、その後、なぜか大泥棒となって世間を賑わせていると聞いた。カレンをヴォルベに預けたので気になっていたのだ。
「大事な約束だったんだな」
と言って、モモは立ち上がり、ガレットを抱きしめに行くのだった。
「ヴォルベって、大泥棒のヴォルベ・テレスコか?」
いい雰囲気をミクロスがぶち壊した。
「ヴォルベは泥棒じゃない!」
ガレットの目が殺気立っていた。
「ミクロス、オマエは黙っていろと言っただろう」
そう言って、モモはガレットの目元を拭ってあげるのだった。
そこで口を開いたのはソレインだ。
「しかしヴォルベといえば、王太子を殺して、王家に伝わる三種の神器を盗んだ男として、今やどこの都でも話題の人物だぞ? オーヒン国に匿われているという話だが、そんな男と一体どんな約束をしたというんだ?」
ガレットが答える。
「村の人間以外には聞かせたくない」
「だったらワタシも聞きたくない」
とモモはキッパリと答えるのだった。
「部族の仲間を殺すような奴は助けたくないんだ」
おそらく都にいる貴族連中のことだろう。
ソレインが問う。
「助けるって、何が起こるというんだ?」
ガレットが考える。
「モモたち村のみんなは、アタシが助けるから」
モモが問う。
「よくしてくれた都の人たちはどうするんだ?」
ガレットは、それには答えなかった。
モモが諭す。
「みんなが助かる方法があるはずだ」
「それじゃあヴォルベが死んじゃうだろう!」
「ガレットは、ヴォルベのことが好きなのか」
「そんなんじゃない!」
俺には少女が何を考えているのか分からなかった。
「約束したんだ、ヴォルベを守ってあげろって。アタシしかヴォルベの役に立てないって。だからアニキにも言えなかったんだ。ドラコが誰にも話すなって」
「ドラコが何だって?」
ミクロスが大きな声を出した。
「ドラコに何を言われたんだ?」
ガレットが告げる。
「ドラコは裏切ってない。すべてドラコの計画通り上手くいってたんだ。黒幕の正体を暴くためにスパイになっただけだ」
ジジやミクロスですら騙されたというわけだ。
「殺されるはずじゃなかった。でも死んじゃったから、ヴォルベがドラコの仕事を引き継いだんじゃないか。だからアタシはヴォルベを守ってあげないとダメなんだ」
お喋りのミクロスが黙っているのは腹を立てているからだろうか。
ソレインが自問する。
「いや、おれも、ヴォルベには騙されたとばかり思っていたが」
そこで妹に問い掛ける。
「ドラコを裏切っていないのが確かなら、それと村のみんなを助けるって、どう繋がっているんだ?」
ガレットが答える。
「秋にオガ族の奴らが攻めてくる。そのことを知っているのはヴォルベだけだ。他の人に教えたら自分が殺されるかもしれないというのに、ヴォルベは優しいから教えてくれたんだ。だからアタシはヴォルベを守るために黙ることにした」
「おいおい」
ミクロスが怒る。
「そんな大事なこと、よくも今まで黙っていられたもんだな? お前が喋らなかったら、オレたちは殺されていたかもしれないんだぞ? どこの誰が友好関係にあるオガ族が攻めてくるなんて思うかよ。お前はヴォルベ一人のために、オレたちカイドル国民を全員見殺しにしようとしたんだ」
俺もガレットの気持ちがますます分からなくなった。
「アタシはヴォルベを守る」
譲る気持ちはないようだ。
「そうと知ったら、こうしちゃいられねぇ」
と言いつつ、ミクロスが立ち上がった。
「待て! どこへ行く?」
それを制したのはガレットだ。
「ユリスに報告させてもらう」
「ダメだ」
「戦争がおっぱじまるっていうのに、黙っていられるわけねぇだろうが」
「ヴォルベはどうなる?」
「知らねぇよ」
「だったら行かさない」
と言ったガレットの右手には手投げナイフが握られていた。さすがのミクロスも今は無防備なので動かなかった。相手はドラコが見込んだ戦士だと知っているので尚更だ。しかし、いつの間にナイフを取り出したのか、隠し持っていたことも分からなかった。
「ガレット」
モモが諌める。
「ミクロスは敵じゃないだろう?」
そこで視線を動かす。
「オマエも座れ」
その言葉にミクロスは素直に従うのだった。
「いい方法がないか、みんなで話し合うんだ」
ミクロスが愚痴る。
「話し合うと言ってもな、それを敵さんに言ってほしいくらいだぜ」
ソレインが腕を組む。
「それが唯一の解決方法かもしれないぞ? オガ族とはこれまで互いに干渉しないことで上手くやってこれたんだ。カイドルがどうなろうと、助けもしないし、敵に加担するような真似もしなかった。例の村を襲った都の貴族連中だって、オガ族には一度たりとも手を出したことはないはずだぞ? それでどうして戦争になるというんだ?」
ガレットが答える。
「ハクタの魔女がオガ族を支援すると言っていた」
ソレインが頷く。
「ということは、黒幕はやはりオフィウ・フェニックスか」
それにはガレットが首を捻るのだった。
ミクロスが問う。
「なんだ? ドラコを殺したのはハクタの魔女じゃないのか?」
「違う」
ガレットが即座に否定した。
「ドラコは黒幕について『自分と同じ』だと言っていた」
「スパイということか」
ソレインが思案を巡らす。
「つまり表の顔と裏の顔を使い分けている人物がいるということだな。それでおれたちにも極秘で任務を遂行してたんだ。つまりドラコは、その黒幕がカイドルの内部にもいるかもしれないと考えたわけだ。そうなってくると誰を信じていいのか分からなくなってしまうな。こちらが確かな人物だと接しても、そいつが誰を信用しているかまでは分からない以上、情報に蓋をするのは難しくなる」
ミクロスも思案する。
「しかしハクタが絡んでるっていうことは、ユリスの命を狙っているのは間違いねぇんだ。だったらオガ族をぶっ潰して、その後にハクタを滅亡させちまえばいいじゃねぇか。ちと遠いが、今なら挟み撃ちできる状況にあるんだからよ」
ガレットが反対する。
「ヴォルベを見殺しにするのは、このアタシが許さない」
「いや、だけどよ、オレたちを救えればヴォルベも本望じゃないのか?」
「ダメったら、ダメだ」
「お前、ヴォルベのことが好きなのか?」
「違う! そんなんじゃない!」
「でもよ、このまま黙って殺されるわけにもいかねぇだろうが」
俺もミクロスと同じ気持ちだ。
「ヴォルベを守らなくてはいけない」
ガレットの気持ちも分かる。
「それがドラコとの約束だからだ」
ケンの兄貴がこれほど特別な存在になっているとは思わなかった。
ガレットが訴える。
「ドラコの作戦は、まだ生きているぞ」
これにはミクロスも反論できないようだ。
「だったら、ドラコが生きていたら、どうするか考えてみないか?」
ソレインの提案だ。
「スパイ活動しているヴォルベを生かすには、おれたちがヴォルベから情報を聞き出したことを誰にも知られてはいけないということになる。つまりオガ族が戦争の準備をしていると認識してはいけないということだ。もっと言うと、オガ族には予定通り戦争をしてもらわなくてはいけないわけだな」
無理があるような気がした。
「その上、もしも戦争に勝ってしまったら、やっぱりヴォルベが情報を流していたということになるので、オガ族との戦争には負けなくてはならないんだ。そこで初めてヴォルベは信用を得られるわけだからな」
無茶苦茶な話だ。
「そういう状況をどうやったら作り出せるかが問題というわけだ」
みんな黙ってしまった。
ここは俺が口を開くしかない。
「隊長はドラコ隊の隊士ですし、新兵時代から一緒にいたわけですから、こういう場合にドラコがどうするか一番分かってるんじゃないですか?」
ミクロスがムッとした顔をする。
「オレ様は作戦の草案に一度も携わったことがねぇんだよ」
それを、なぜか偉そうに言うのだった。
「だったらドラコではなく、ドラコ以上の男にお願いするしかないな」
ソレインの言葉にミクロスが反論する。
「そんな奴いるわけねぇだろう?」
「たった一人だけいるんだ」
「はぁ?」
「おれたちにはジェンババがいるんだよ」
伝説の軍師。
「あの爺さん、まだ生きてんのか?」
「ちょっと前に誕生日を祝ってやったけど、『まだ人生を折り返した気がしない』って言ってたな」
確か齢七十を過ぎているはずだ。
その日の帰り、思い出したかのようにミクロスに訊ねられた。
「ところでペガスよ、セタン村に何の用があったんだ?」
「婚約者のモモに会いに行っただけです」
そう言うと、なぜか尻を蹴られるのだった。




