第二十六話(202) ミルヴァの大誤算
南側の麓にある前線基地の近くに空飛ぶ円盤を着地させた。そこを目指して南軍の兵士らが山から下りてくるのが見えたからだ。考えたくはないけど、どうしてもレオーノの身に何か起こったのではないかと思ってしまった。
「少しだけ近づいてみましょうか」
テントを張った野営地に向かうミルヴァの後について行く。
「どうやら襲撃を受けたみたいね」
辺りには激しい戦闘の跡が見て取れた。
「兵士の口の動きを見た感じだと、レオーノが怪我をしたみたい」
遠くからだけど、私も『大将が負傷した』と説明する口の動きが分かった。
「ねぇ、ミルヴァ、治療してあげられないの?」
「冗談は止して」
「本気で頼んでるの」
「だったら尚更ダメね。わたしたちは姿を見せるわけにはいかないのよ?」
「助けてあげたいの」
「だったら自分で何とかすればいいでしょ?」
できないと知ってて、わざとそんなことを言うのだ。
ミルヴァが溜息をつく。
「仕方ないわね」
「治療してくれるの?」
「わたしは無理だと言ってるでしょう?」
そう言って、黒色の染め物を取り出した。
「これを使うといいわ」
「それでどうするの?」
「顔に巻いて、目以外の部分を隠すのよ」
と言いつつ、ミルヴァが私の顔に染め物を巻く。
「人間は目だけじゃ相手の顔を特定できないから」
「私が治療するの?」
「当たり前でしょう」
「無理だよ」
「だったら諦めなさい」
やるしかなかった。
「分かった」
「本当に行くんだ?」
「ミルヴァが行ってくれないから」
「どうなっても知らないからね」
「どうせ自分の心配しかしてないクセに」
ということで、一人でレオーノの元へ行くこととなった。
死体が転がる森の中、恐る恐るテントへ向かう。
するとすぐにハクタ兵に見つかった。
「ここで何をしている?」
驚きつつも、武器を持っていないか目で確かめるのだった。
「私は旅の修行者です。怪我人の治療をしに参りました」
「そんな話は聞いておらぬぞ」
「アニーティアから、キンチ大将のお力になるように言付かっております」
「その名は知っている」
「話を通していただけないでしょうか?」
「治療ができるのだな?」
「はい」
とは言ったものの、自信はなかった。
「ついて参れ」
レオーノのいるテントまで案内してもらうこととなった。
「どうして女が戦場にいるんだ?」
レオーノは足を怪我しているというのに、私のことを気に掛けるのだった。
「アニーティアから怪我人を治療するように頼まれていたのです」
「ここは危険だ」
狭いテントの中に横たわるレオーノの顔が苦悶の表情を浮かべる。
「今すぐここから離れるんだ」
「治療をさせてください」
「そんな場合ではない」
「治療をさせていただくまで、ここを離れません」
「敵が迫っている。仲間の許へ行って急いで避難するんだ」
喋るのも辛そうだった。
「閣下には治療が必要です」
レオーノが見つめる。
「治療が済んだら、仲間と共に避難するな?」
「はい」
「約束だぞ?」
「お誓いします」
「それでは頼もう」
それを制したのは部下の兵士だ。
「閣下、敵の手先かもしれませぬぞ?」
「この者は勇気を出して戦場へと参ったのだ」
「しかし」
今度はレオーノが部下の言葉を制す。
「もういい。治療を頼む」
「はい」
と答えたものの、私はこれまで人間を治療したことなど一度もなかった。それでもミルヴァが治癒魔法を使っていたのは見たことがある。患部を元通りにすることは出来ないけれど、暗示で痛みを感じさせないようにすることはできるはずだ。
「出血した場合、完全に治すことはできません」
ミルヴァの真似をするしかなかった。
「それでも痛みを取り除くことはできます」
ミルヴァの場合、これだけで暗示を掛けることができるけど、言葉だけで暗示を掛けると怪しまれるため、塗布薬か飲み薬を与えるのが彼女のやり方だ。今回は清潔な包帯を用意しているだけだ。
「止血するので我慢してください」
包帯を巻いてやると、レオーノが無言で歯をくいしばった。
「ごめんなさい。痛みますか?」
「いや」
レオーノが即座に否定する。
「不思議と、さっきまで感じていた痛みがどこかへ消えた」
表情からも痛みが消え去っていた。
「後は安静になさってください」
仕上げに精神が安定する魔法を掛けてあげた。
「ありがとう」
レオーノが笑顔を見せてくれた。
「さぁ、約束だ。仲間と共に急いで避難するんだ。いいね?」
「はい」
生まれて初めて人間に魔法を掛けることができた。しかも高等レベルの治癒魔法だ。いや、治してはいないから、ミルヴァと同じ暗示魔法だ。それでも嬉しかった。誰かの役に立つことが、これほど嬉しいこととは思わなかった。
それからレオーノは部下に見送るようにと指示を出したけど、それを「修行者の隠れ家は誰にも教えられない」と適当なことを言って申し出を断り、急いでミルヴァの許へ戻り、誰にも見られないようにして、空飛ぶ円盤に乗ってキナイ峠を後にした。
翌日は夏雲が張り出していたということもあり、私たちは杖に乗って空を飛び、その上空にある雲の上から戦況を見守ることにした。上空から見た人間の戦争というのは、昆虫同士の戦いにしか見えなかった。
「ねぇ、マルン、南軍と北軍のどちらが勝つと思う?」
割と簡単な予想のように思える。
「このまま南軍が勝つんじゃないかな。理由はいくつかあって、理論上では北軍の方が数で勝っているんだけど、峠という悪路ではその数的優位を活かすことができないんだと思うの。大軍は大軍で戦ってこそ、その威力を発揮するんだけど、南軍がその特性を封じるんだもん」
もうすでに南軍の方が数でも勝っている可能性もある。
「それと北軍の仕掛けが丸一日出遅れた影響も大きいと思う。ほら、ゲミニが撤退命令を出して、コルピアスが撤回させるために本陣から城に戻ってきたでしょう? その影響が確実にあると思うのね。だって、その北軍がロスした一日で南軍は五万の大軍を前線に送り込むことができたんだもん」
その二点だけでも南軍の勝利は疑いようがなかった。
「南軍は五万の本隊が到着したことで交代しながら余裕を持って戦えるでしょう? 現にいま戦っているのはカグマン軍の王都を守っていた兵士たちだもんね。彼らはハクタ軍と戦って負傷したわけじゃないから、万全の状態で臨んでいるの。つまり当初の思惑通りとはならず、やっぱり開戦に待ったを掛けたゲミニの最初の判断が正しかったことになる。だから欲張ってはいけなかったんだよ」
ミルヴァがぼそっと呟く。
「わたしの予想とは正反対ね」
「北軍が勝つっていうの?」
「うん、それも明日か明後日には決着がつくんじゃないかしら」
大軍同士の戦争がたった四日で終わるとは考えられない。
「魔法を使って北軍を勝たせるっていうこと?」
「そんなことするわけないでしょう」
ミルヴァが即座に否定した。
「魔法なんか使わなくたって、大軍同士の戦争というのは早期に決着がつくものなのよ。むしろ隣り合う狭い領地同士でやる小さな戦争の方が長引いてしまうのよね。毎年毎年懲りもせずに戦っているでしょう? まぁ、喧嘩みたいなものなんでしょうけどね」
確かに大戦が長期間に及んだという史実はなかった。カグマン王国とカイドル帝国が三百年も戦争をしていたというけど、実際は局地戦があっただけで、大規模な遠征隊が組織されたのは五十年前と三十年前の二回だけだ。それも半年以内で収束しているのだ。
「南軍は総大将であるレオーノの負傷が敗因となるでしょうね。大軍といっても本当に戦えるのは彼の主力部隊だけなんですもの。その主力と交代したのが司令官不在のカグマン軍では話にならないわ。サッジ・タリアスの部下が指揮を執っているけど経験不足は否めないものね」
タリアス司令官は高齢のため遠征には同行していなかった。
「人間にとって五日間の行軍は足に堪えるのよ。その疲労のピークで大して歩いていないオーヒン軍と戦わなくてはならないんですもの。そうなる事態を予測していたから大軍を保有する七政院の貴族連中はどっちつかずの対応になったのね。彼らはゲミニ体制に変わっても構わないって考えているのかもしれない」
貴族にとっては議会が戦場の場ということだ。
「北軍の勝因は、認めたくないけど、コルピアスの作戦が良かったんでしょうね。兵士を盗賊として村を襲わせることで、最前線で戦うはずだったハクタ軍を各地に分散させることに成功したんですもの。道を知っているのがハクタ兵だけなのだから、その判断は間違いではないけど、ランバを盗賊退治に向かわせて前線から追い出したのは、やはりコルピアスの作戦勝ちよ」
カグマン兵が武力放棄して捕虜になる姿が目についてきた。
「結局、戦争といっても相手を全滅させるまで戦うわけではないのよね。わたしたちが魔法を使ってガルディア帝国を壊滅させたのが異常だっただけで、本来の戦争って数日で大勢が判明するものなのよ。中には大軍を用意するだけで、実際にはほとんど戦わずに決着する大戦もあるの。今回の南北戦争に限れば、南軍の遠征軍に国境を跨がせないだけの兵力を準備することができた北軍の作戦勝ちというわけね」
それをミルヴァは自分のおかげだと言いたいわけだ。確かにその通りかもしれない。相手の兵数や、三国の立てた正確な作戦を事前に知ることができたのだから、考えてみると勝って当たり前だ。
しかしミルヴァはハクタ国に勝たせようとしていたような気もする。それがデモンを警戒することで方針を転換させたということだろうか? 現在の彼女はゲミニの息子を思うままに操っているので、この結果も悪くないのだろう。
「さて、会談の準備を始めていることでしょうから、わたしたちも王城へ戻るわよ」
ということで、オーヒン城へ向かった。
オーヒン城へ行くと、すぐにゲミニ・コルヴス宰相の待つ執務室へと案内された。城の中がいつもより静かに感じたのは、すでに勝利を手中にし、危機を乗り越えた安堵感が漂っているからだろうか。
ところが執務室の中にはアント・セトゥスとゲミニ・コルヴスが顔を突き合わせるように対峙しており、雰囲気は険悪そのものだった。二人の隣にはサウルとゲティス国王の、それぞれ二人の息子が黙って座っていた。
「しかし宰相閣下」
セトゥスには何やら反論したいことがあるようだ。
「ここは追加の兵を出し渋る状況ではありませぬぞ」
ゲミニは明らかに腹を立てている。
「コルピアスの奴めが、優勢にも拘わらず四万もの救援を寄越せと言っておるのだぞ?」
「それで終わらせるつもりでございましょう」
「こちらが見えないことをいいことに、過剰な要望をしてきておるのだ」
「さすがにそれほどの余裕はないかと」
「ふんっ」
ゲミニの鼻息があらい。
「分かるものか。奴は救援が目的ではなく、部隊が届ける物資が目当てなのだろう。戦地で消費したことにして貯め込むに決まっておる」
その言葉に他の三人は誰も反論しなかった。
「そもそも四万もの救援部隊がどこにあるというのだ? 城の衛兵を指し出せということではないか。いや、それでも足りぬ。司令官のくせに、そんなことも把握しておらぬというのか?」
そこで思案する。
「よもや、この城を狙いにくるつもりではあるまいな?」
「さすがに邪推かと」
セトゥスは否定したが、ゲミニは納得していない様子だ。
「市中の警備兵まで寄越せと言っておるのだぞ?」
「優勢ではあるが、幕引きまでは遠く感じているのかもしれませんな」
「そんなものは優勢でも何でもないではないか」
「降伏を、それも全面的な降伏を受け入れさせねばなりませぬからな」
「意思決定はフィンス・フェニックスが行うのだったな」
セトゥスが説明する。
「左様でございます。カグマン国の王都に留まっておれば七日掛かりますが、ハクタならば五日、ガサ村におれば三日で降伏させることができましょう」
状況を鑑みると、フィンスはハクタの王宮で防御陣を敷いていそうだ。
「しかしな、アントよ、城や市中を無防備にさせるわけにもいくまい」
「仰る通りではございますが、コルピアス司令官は此度も宰相閣下が兵力を出し惜しみするのではないかと懸念しているのではございませぬか?」
ヘビがネズミを睨む。
「わしがいつ兵力を出し惜しみしたというのだ?」
「我らセトゥス家がオーヒン国建国に尽力したことをお忘れか?」
ネズミがヘビを睨み返した。
「それ相応の地位を手にしたではないか」
「手にした地位が保証されたわけではございませぬ」
「息子を国王選に出馬させたのが誤りであったな」
「やはり根に持っておられたわけだ」
「デモン・マエレオスにでも唆されたのであろう」
「そのようなことは断じてないと申し上げたではございませぬか」
権力者になると頭の中が疑心でいっぱいになるようだ。
「マエレオスが国王選で我がコルヴス家を排斥しようとしたのは忘れぬぞ?」
「宰相閣下ともあろうお方が憶測で物を仰られては困りまする」
「加担した事実があろう」
「国王選は全会一致で下された議決ではございませぬか」
おそらくだけど、ミルヴァがデモンの長男であるイワンを利用して、オーヒン国の次期国王を選挙で選ぶように知恵を授けたのだろう。それを今度は野心的な父親が息子を利用してコルヴス家を排斥しようと企んだわけだ。
「我がセトゥス家がデモン・マエレオスと密通などしておらぬことは、現状ハクタ国が敗れ去ったことで証明できたではございませぬか」
ゲミニが唸る。
「うむ。で、そちは何を望んでおるというのだ?」
「我が自治領軍を救援部隊に加えてほしいのです」
ヘビオヤジが笑う。
「また最後にうま味のある部分を持っていくというわけだな」
「残飯を処理するだけにございます」
と、ネズミオヤジも笑うのだった。
「しかし、アントよ、自治領軍だけで司令官の要望に応えることができるとは思えんがな」
「我が軍一万五千を加えた二万兵ならば、要求の半数でも充分かと存じます」
「ならばこちらは五千でよいというのだな?」
「我が軍の指揮下に加えることが条件となります」
「それで国庫の負担が減るというのならば、わしとて異論はない」
そこでゲミニは息子ではなく、ミルヴァに助言を求めた。
「ドクター、そなたはどう思うかね?」
ミルヴァが立ったまま答える。
「敵営に潜り込ませた味方からの情報でございますが、敵将の一人であるレオーノ・キンチ大将がすでに手負いの状態にあるとの報告を受けました」
その言葉にゲミニが歓喜した。
「また、前線にランバ・キグスの姿は確認できず、急造された混成部隊であるが故、指揮系統に乱れが生じている模様です。このままでも降伏するのは時間の問題ではありますが、早期の決着をお望みならば、やはり救援部隊を即時投入された方がよいかと思われます」
正しい情報を伝えたということは、オーヒン国に勝たせると決めたということだ。
「しかし四万もの追加支援とはいかがでございましょう? しかも城を守るために訓練された衛兵や、市中の取り締まりをしている警備兵など、遠征に適さぬ兵士を前線に送り込むというのは得策とは思えません。専門職として育てた苦労が失われるかもしれませんものね」
納得できる言葉を話すというのも、暗示魔法では必要不可欠な要素の一つだ。
「宰相閣下のご懸念通り、コルピアス司令官はすでに戦後処理を始めているのかもしれませんわね。奇襲奇策を得意とする御仁ですので、すでにハクタを制圧するための根回しをされているのでございましょう」
コルピアスに対する疑念を植え付けようとしているわけだ。
「物資の横流しを監視するだけではなく、コルピアス司令官の動きを抑制するためにも、ここはセトゥス閣下にご協力していただいた方がよいかと思われます。北部の平定にはセトゥス家のお力が必要でございますからね」
なんてことのない会話に思えるけど、その場にいる全員に確信を抱かせるのがミルヴァの暗示魔法だ。相手の望みを知り、それを叶え、疑惑を持つ者には、その疑いが確かだと信じ込ませる。それを知るための調査に膨大な時間を割いてきたわけだ。
ゲミニ・コルヴスはコルピアスが報告していない情報を知ることでミルヴァへの信頼を深め、アント・セトゥスはセトゥス家の重要性を代わりに説いてもらって彼女を信用し、幼なじみである二人の息子は両家のわだかまりが解消されたことで彼女に感謝するわけだ。
暗示魔法の極意は、相手のパーソナル・データを知ることにある。単に話術が巧みというだけでは、詐欺師とか、アドリブが得意な喜劇役者としか思われない。暗示魔法で最大限の効果を発揮させるには情報収集に労力を割くことが肝心というわけだ。
「陛下に至急ご報告したいことがございます」
血相を変えた警護官が、許可を得ずに慌てて入ってきた。
「何事だ?」
ゲミニが問い質した。
「たった今、デルフィアス率いるカイドル軍がこちらに向かっているとの報せを受けました」
「ユリスだと?」
これにはミルヴァも驚愕の表情を浮かべるのだった。




