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第二十五話(201) マルンのお願い

 ミルヴァに対する怒りが収まらなかった。彼女の助言を受けたコルピアスがゲミニを説得し、ゲティス国王から開戦命令を受けて、嬉々として戦地へと赴いたからだ。反対していたゲミニが賛成に転じたのは、コルピアスがレオーノの殺害を約束したからである。


 彼女に対する怒りが収まりそうにない。レオーノを殺すためだけに戦争を始めるゲミニにも怒りが湧くけど、それよりもミルヴァだ。戦争には干渉しないと言っていたのに、レオーノを戦争の道具のように扱ったからだ。


 三十年以上前から似ているとは思っていたけど、本当にミルヴァはデモンにそっくりだ。デモンがミルヴァを真似ているので後天的ともいえるけど、その二者は鏡面関係そのもののように思える。最大の特徴は自分以外の者を道具として扱うところ。


 他者を道具として扱えるからゴミのようなこの世界で成功者になれたのかもしれない。だけど、ゴミのような世界と、ゴミのような人間は、掃除される運命にあると、なぜ分からないのか。そんなことをオーヒン城の泊まり部屋で拭き掃除をしながら考えていた。



「ねぇ、ミルヴァ」


 国王との話し合いを終えて戻ってきたところで話し掛けた。


「どうしたの? 変な顔して」

「変な顔じゃない。私は怒ってるの」

「怒るようなことなんてあったかしら?」

「とぼけないで」

「とぼけてないわよ」

「分かってるでしょう? どうして戦争を焚きつけたの?」


 そこでミルヴァは溜息をついて、窓際のテーブル席に腰を下ろした。

 私はあえて立ったまま彼女を見下ろすことにした。


「考えてみたんだけど、コルピアスの話は無視できないと思ったのよね。政治っていうのは、結局のところお金でしょう? 国民の安全や生活を守るにはお金が必要なんですもの。税金を集めるにもお金が掛かり、集めた税金を管理するにもお金が掛かり、税金を使うにもお金が掛かるんですもの」


 私たち魔法使いには関係のない話だ。


「道や橋を作るのにお金が掛かるのは誰でも知ってるけど、それを維持させるためにもお金が掛かるって、意外と人間には自覚できないことなのよね。だから役人って頭が悪い人にはできない仕事なの。災害が起こった時にお金や人手を上手に使えないような役人が政権を担っていたら、二次災害で被害が拡大してしまうんですもの。優秀な役人だったら本来あるはずのない被害で、災害自体も最小限度に留められるのよ? だから頭の悪い政治家に政権を任せてはいけないの」


 それも私たち魔法使いには関係のない話だ。


「コルピアスは特定の人物や団体に便宜を図って私腹を肥やすタイプの政治家だから味方するつもりはないけれど、商売で何度もトラブルを経験してきたからお金の使い道はよく知っているのよね。それと商売人は天候が社会生活や経済活動に与える影響もよく分かっているのよ。だから常に最悪の事態を想定できる力もある」


 私たち魔法使いには一切関係ない話だ。


「コルピアスの風を読む力を侮ってはいけない。あの男が言うようにフィンス・フェニックスにハクタの国力がそのまま移譲されるのは危険だわ。んん、違う、フィンスが危険ということではなくて、彼が死ぬ百年後の未来が不安なのよね。南部に強固な基盤ができあがったら、やがてはカイドル州のように北部を侵略し始めるでしょう? そうすると北方原住民はさらに北へと追いやられてしまんですもの。現に南方原住民は海を越えた近隣の島々に追いやられてしまったじゃない」


 まるでミルヴァは歴史の大波を一人で強引に押し返そうとしている感じだ。


「南軍に勝たせてはいけないのよ。出世したモンクルス隊の隊士が引退を迎える時期だから、そうなると付け入る隙が生まれるの。それからしばらくすると原住民系の役人や下級貴族を重用しているフィンスへの不満も溜まるでしょうから、いつ反旗を翻すか分からなくなるものね。暴発してしまうと抑えるのは困難よ。そうならないためにも北軍が勝利を収めた方がいいの」


 彼女が虐げられている人たちのために戦っていることは分かるけど……。


「北軍が勝ったら、七政院は解体させようと思う。それは無理でも、すべての人事はわたしが決める。これだけの島を一つにまとめるというのは、それくらいの強権が必要なのね。解散させる権利と任命する権利。それくらいの独断裁量がないと、すぐに腐ってしまうんですもの。それをわたしは千年とか二千年とか、それくらいの長期スパンで変えていきたいのよ」


 そう言うと、ふっと息を吐いて、汗をかいていないのに額を拭った。確かにミルヴァの言っていることは正しいかもしれない。でも、私の怒りはそんなことではないのだ。聞きたくもない長い話を聞かされて煙に巻かれるところだった。


 人間ならば何に怒っていたのか記憶から消し去るよう、魔法を掛けられていたことだろう。それで洗脳されて、南軍との戦争に勝利することを自ら決意したように思い込ませるわけだ。それが彼女の魔法による精神支配だからだ。


 でも、私には通用しない。魔法を使えなくても、私も同じ魔法使いだからだ。それにレオーノを利用して、ゲミニ・コルヴスを戦争の誘惑に駆り立てた怒りもある。それともう一つだけ……。


「そういうことじゃないの!」


 生まれて初めてミルヴァに対して怒鳴ってしまった。


「どうしたというの?」


 ミルヴァは怯まなかった。


「レオーノの運命を勝手に変えないで!」


 それを聞いたミルヴァの口角が上がった。


「マルン、あなたも人間の男を好きになっちゃったの?」

「そういう問題じゃないでしょう?」

「ビーナと同じね」

「同じじゃない」

「同じよ。しかも『自分は違う』と思っているところまでそっくり」


 そこでミルヴァは立ち上がって、反対に私を座らせた。


「運命って、絶えず変わり続けているものなのよ? 常に変化しているのだから、変えたとか、捻じ曲げたとか、そういった概念すら存在しないの。運命を信じる者って、自分は特別だと思いたい者だけなのよね」


 また言いくるめるつもりだろうか?


「『レオーノの運命を変えた』っていうけど、本来なら今日にでも暗殺されて死ぬかもしれなかったのに、わたしの助言で戦争が始まって、それで生き延びてしまう可能性もあるわけよ。それが絶えず変わり続けている運命の正体なの。人間の一生なんて何がどう影響するのか分からないんだから、与えた影響なんて考えなくていいの」


 納得しそうになる自分がいた。


「わたしばかりを責めるけど、マルン、あなたも同じことをしようとしているのよ? コルピアスが戦争を始めたことでレオーノは助かるかもしれないのに、今度はあなたが止めさせることでレオーノを死なせることになるかもしれないの。それでもあなたは戦争を止めさせる?」


 反論の言葉が見つからなかった。


「それともなに? あなたにはわたしには見えない未来が見えているというわけ? それでレオーノを確実に助けられるというのなら、戦争を止めてあげてもいいわよ? どうする? わたしに、その、あなたに見えている確実な未来を見せてみなさいよ」


 返せる言葉がなかった。


「一度くらい」

「なに?」

「これまで黙って協力してきた」

「それは感謝してる」

「大事な友達と別れてまでミルヴァについてきた」

「ありがとう」


 そんな言葉はいらない。


「一度くらい私のわがままを聞いてくれてもいいでしょう?」


 そう言うと、ミルヴァが微笑むのだった。


「『わがまま』って認めるんだ?」


 頷く。


「レオーノを助けてあげて」

「初めから、そう言えば良かったのに」

「助けてくれるの?」

「それは無理なのよ」


 やっぱりミルヴァはミルヴァだった。


「どうしてよ?」


 ミルヴァが座って説明する。


「だって、南軍は急いでキナイ峠まで進軍させているわけでしょう? そのスピードに『アニーティア』が追いつけると思う? 無理に決まっているのよ。そんなところに姿を見せたら絶対に怪しまれる」


 人間世界の物理法則に合わせるのは、もう、うんざりだった。


「『アナジア』も王城にいるわけだから、今から城を出たとしてもキナイ峠に姿を見せることができるのは三日後ね。その時には勝敗が決しているかもしれないから、帰りのことを考えると行くことはできない」


 でも、その面倒な人間世界を創ったのが、私たち魔法使いだ。


「もちろん『アミーリア』もダメよ。あれは初老設定だから長旅はできないの。だからこっちに来てからは姿を見られないように偵察していたのよ。だから今回は悪いけど諦めてちょうだい」


 嫌だ。


「私も行く」

「行くって、偵察に?」

「行くったら、行く」

「ダメよ、あなたはどん臭いんだから」

「行かせてくれないと、もう協力しない」


 私の言葉に、ミルヴァの返事が止まった。

 どうやら、これが正解だったようだ。


「いいけど、夜中に限らせてもらうわね」



 オーヒン城を出て、いったん大聖堂に戻り、そこからさらにガサ村の奥地にあるミルヴァの隠れ家に帰ることとなった。なぜなら、そこに偵察用の乗り物があるからだ。その乗り物とは……。


「さぁ、乗り込んでちょうだい」


 と言われても、私には意味が分からなかった。


「乗り込むって、これに?」

「そうよ」


 と言われても、私にはどこからどう見ても大釜にしか見えなかった。


「戦地では、どこから矢が飛んでくるか分からないでしょう? だからこの大釜を空に浮かべて、上空から地上を偵察するわけ。この大釜に乗っていれば、例え見つかって矢を射られたとしても安心できるでしょ」


 ミルヴァの魔法力というか、発明力というか、発想は本当にすごい。


「でも、最初はピクりとも浮かせられなかったの。杖は軽いから簡単に飛べたんだけど、ほら、大釜って、どうしても重たいイメージがあるでしょう? そうなると頭が『重い』って思い込んでいるから、本当に重たく感じてしまうのよ」


 そこで頭を切り替えられるのがミルヴァのすごさだ。私は人間社会で生活していると、どうしても人間と同じような感覚を持ってしまうから、例えば水に顔を浸けただけで息が苦しくなってしまう。


「でもね、無重力をイメージしたら、簡単に浮かせることができたんだ。空の上で急停止させることも可能だし、縦横無尽に移動させることができるの。ただ、人間に見られたら驚くと思うから夜中だけにしてるんだけどね」


 円盤状の金属の物体が空に浮かんでいたら大騒ぎになるはずだ。


「さぁ、行くわよ!」



 空飛ぶ円盤の乗り心地は最高だった。世界中で最も美しい景色が空の上にはあるからだ。これが昼間だったらさらに気分がいいはずだ。これだけ気持ちがいいと、いつか人間も同じように空を飛ぶ日がくるかもしれないと思った。



「あらあら、もう始まっちゃってるじゃない」


 キナイ峠上空で地上を見下ろしながらミルヴァが驚きの声を上げた。


「どういうこと?」


 ミルヴァが地上を指差しながら説明する。


「コルピアスが王城を出たのが半日前だから、まだ本隊とは合流できていないはず。それでもかなりの死体が見えるわよね? ほら、あそこの崖下だけでも千体から二千体は転がってる。他の場所にも同じくらいの死体があるでしょう? ということは、コルピアスが城を出る前から戦争は始まっていたのよ」


 意味が分からない。


「どうしてそんなことになったの?」


 ここからはミルヴァの仮説だ。


「コルピアスは必死だったから彼の指示ではないと思うの。事後承諾のために必死になっていたという見方もできるけど、そんなリスクを冒す男ではないから、やっぱりコルピアスの命令ではないでしょうね」


 崖下に死体が山のように積み重なっている。


「それでも原因はコルピアスだと思う。開戦前に盗賊に変装させてハクタ領の村を襲わせていたでしょう? それでランバが本格的に討伐隊を送り込んだのよ。そこでオーヒン軍の方も応援を要請して、駆けつけた援軍に応戦する形で南軍の方も部隊を投入したんだと思う。だから結局、オーヒン軍の指揮官が不在だから止まらなくなっちゃったのね。だから現状は指揮系統がはっきりしている南軍が圧倒しているのよ。死体のほとんどがオーヒン軍の兵士でしょう?」


 確かに南軍の軍服を着た死体がほとんど見当たらなかった。というより、何がどうなっているのかさっぱり掴めないのだ。オーヒン軍の死体の山は、まるで隕石でも衝突したかのような死に方だからだ。かといって、どこにもそれらしき痕跡は見当たらないのだ。


「これ、オーヒン軍は本当に十万もの軍勢を揃えていたのかしらね?」


 ミルヴァの疑問は尤もだった。褒美を目当てに参加して、開戦と同時に姿を晦まして、大勢が判明してから再び姿を現す兵士もどきが少なくないからだ。特にオーヒン軍の兵士は他に仕事を持つ半兵がほとんどなので公式にも拘わらず兵数に信頼が置けないのだ。


 ただし、それは南軍、特にハクタ兵も同じだった。漁や畑の仕事を持つ半兵は戦わず、炊き出しや、荷物運びや、死体からの武具の回収をする役目を担うことが多いのだ。だから実際に戦うのは兵数の半分程度、場合によっては半分以下だったりするわけだ。



「さて、そろそろ夜が明けるわね」


 ミルヴァが終わりを告げた。峠といっても流石に広すぎて、結局レオーノを見つけられなかった。それでも予想に反して南軍が優勢だったので、胸騒ぎのようなものは一切感じなかった。


「あそこに交戦中の兵士らがいるわね」


 ミルヴァが指差した方に目を向けると、屹立きつりつした山の馬車道に千人以上のオーヒン軍が固まっているのが見えた。斜面は急で、道幅は広いけれど、道を踏み外せば崖下に転げ落ちるという怖さがある難所だ。


「あっ、ジジだ」


 オーヒン軍の補給部隊が来るのを待ち構えていたのだろう。


「なるほど、丸太だったのね」


 崖上から丸太を転がして下にいる敵を一網打尽にするということか。


「え? 違う」


 丸太を落下させるわけではなさそうだ。


「ちょっと待って」


 と言いつつ、なぜかミルヴァが笑った。

 私も笑いが止まらなかった。

 なぜなら、ジジが丸太を振り回して敵を崖下に落とし始めたからだ。


「あれって夢じゃないわよね」


 と、ミルヴァの笑いが止まらない。


「逃げようと思って自分から足を滑らせて落ちてるよ」


 呆気に取られるとはこのことだ。


「道を塞いでいるから逃げ場がないわけね」


 ミルヴァが感心し始めた。


「補給部隊がくるのを夜通し息を潜めて待ってたわけだ」


 こうなるとオーヒン軍に遠征は不可能ではないだろうか? それとも補給なしで現地調達させるつもりだろうか? それで南軍と戦えるとは思えなかった。峠を押さえたことで、南軍の勝利は決まったようなものだ。


――そこでホルンが峠に鳴り響いた。


 それを聞いた南軍の兵士が互いに声を掛け合うのだった。おそらくホルンは南軍が号令として響かせたものなのだろう。少しだけ心配なのが、優勢だったジジが丸太を放り出して南側に急いで下山して行ったことだ。


「レオーノに何かあったのかも」


 嫌な予感がした。


「もう日が出てるから」


 ミルヴァに反対された。


「お願い」

「様子を見るだけよ」


 ミルヴァも気になったようだ。

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