第二十四話(200) ミルヴァの助言
「マルン」
大聖堂で夜のお祈りをしていた私の名前を呼んだのはミルヴァだ。
「そろそろオーヒン城に伝令が入る頃だから出掛けるわよ」
カグマン国がハクタ国に勝利した日から三日後の夜のことだった。
「え? そんなに早く伝わるものなの?」
「そうね、今回はリレー方式で何人も走らせていたみたい」
「馬じゃないんだ?」
「ほら、南部は厳戒態勢だったから」
「ああ」
「でも峠を越えてからは馬を何頭も乗り継いだみたいだけどね」
これは島内の最速記録ではなかろうか。
「おお、ドクター・アナジアよ、やはりそなたが側にいてくれると安心だ」
ゲミニ・コルヴス宰相閣下の執務室を訪れると、そわそわしながら出迎えるヘビオヤジの姿があった。軍服姿のままでいるということは、彼の方でも早ければ今日か明日には伝令が入ると読んだ上で待機しているということだ。
ただし、ゲミニの場合はハクタ国が圧勝すると予想している点で、私たちとは心境に違いがあった。ハクタ国の勝利を伝え聞くと同時に出陣の合図を出す予定だと思うけど、結果が真逆の場合、どのように判断するかは私にも分からなかった。
「閣下は軍服の着こなしも立派でございますわね」
ミルヴァが嘘をついた。
「おお、そうか? まぁ、最高司令官としては当然であろうな」
褒め言葉は何でも信じるのがヘビオヤジだ。
「開戦初日の報告では、ハクタがだいぶ苦戦していると聞きましたが?」
「それも織り込み済みよ。二日目に本隊を投入するのがキンチ将軍の常套戦術だからな」
「では、二日目の報告で勝敗が決している場合もございますわね」
「そなたは良い時機に現れたというわけだ」
これまでミルヴァはあえて様々な時間帯にオーヒン城を訪れるようにしていたため、夜中に訪問しても不審に思われないというわけだ。いつもと違う行動をすると怪しまれるので、日頃からおかしな行動を心掛けていたのだ。
「わたくしが来たことで吉報が凶報へと変わらぬと良いのですが」
「いやいや、どちらが勝とうが構わんので、いずれも吉報よ」
「そうなのですか?」
「うむ。最後に勝つのは我々なのだからな」
そこで長い舌で鼻先の汗を舐める。
「ただ、我が軍が投入する兵数を知って青ざめるキンチの顔が見れぬのが残念だがな」
「確か将軍は退役されて、ご子息に指揮権を譲られたのでは?」
「あの息子はダメ」
このオヤジに言われると腹が立つ。
「ユリス・デルフィアスほどの指導力はなく、ヴォルベ・テレスコほどの野望もない。ユリスは詰めが甘かったが、レオーノは何もかもが甘いのだ。今ごろ将軍は出来の悪い息子に頭を抱えているかもしれんな」
その長い舌を引っこ抜いてやりたいと思った。
「陛下のような立派なご子息に恵まれた閣下が優秀だったというだけでございましょう」
「やはり人間というのは血統なのだよ」
私たちは魔法使いなので、人間程度の生き物だと環境次第で様変わりすることを知っている。血統というのは、特別な力を持つ私たち魔法使いにしか当てはまらないものだ。それなのに人間は、何でもかんでも私たちの真似をしたがるのだ。
むしろ交配に恵まれたユリスやレオーノが突然変異種で、保守的な貴族社会に変化をもたらす存在だということを深く考察するべきだ。『貴族の子は貴族』などとイメージで語るのではなく、洗脳教育という環境も考察に加えなければならない。
生まれてから成人を迎えるまでに洗脳教育を受けてしまうと、植え付けられた概念を覆すことや、特定宗教や固定思想から脱却することは難しいけれど、レオーノには物事を転換して考えられる自転的思考型の頭があった。
つまりレオーノは世の中の変化に対応できる公転的思考と、世の中の同調圧力に流されない自転的思考の、その二つを併せ持つ、最も地球人らしい人間といえるわけだ。レオーノの魅力は、地球そのものの自然としての魅力でもある。
「宰相閣下、伝令が到着したそうです」
室内の警護官がそう伝えると、ゲミニが喜色満面の笑みを浮かべた。
「通せ」
中に入ってきた伝令兵が挨拶をして、革封筒を手渡すと、それを受け取ったゲミニが急いで開封し、中から一枚の紙切れを取り出した。その文面を見た瞬間、驚きの声を上げたが、すぐに笑い出した。その笑い声が不快なほど止まらないのだった。
「デモンの奴めっ、ざまぁみろ!」
そう言って、大笑いした。
ミルヴァが声を掛ける。
「ということは、ハクタ国が敗れたということでございますか?」
伝令は正しく伝わったようだ。
「ああ、これで戦争は終わりだ」
と言いつつ、伝令兵に指示を出す。
「今からコルピアス司令官に向けて新たな伝書を書く」
「はっ」
ゲミニが紙に指示を書き記し、捺印して、表面が乾いたのを確認してから革封筒に入れた。それを伝令兵に直接手渡すと、直接コルピアスに手渡すように念押ししてから送り出すのだった。
峠の麓で本隊を待機させて攻撃命令を待っていたコルピアスが、ゲミニに呼び戻されたのが夜中のことで、そのコルピアスがオーヒン城に大急ぎで引き返して戻ってきたのが翌日の昼前のことだった。年寄りには堪える移動速度だ。
ゲミニ宰相以下、高官らは王の間で到着を待っていた。王の間にはゲティス国王陛下が座る椅子しかないため、全員が起立したままコルピアスを待っている状態だ。玉座の前に絨毯が正面入り口まで長く敷かれ、その端に右列と左列に分かれて整列していた。
こういうのは高い地位ほど玉座に近いものだけど、ミルヴァは左列の先頭に立つゲミニの隣なので、やはり信頼されているというわけだ。ちなみに右列の先頭がセトゥスなので、国づくりに貢献した地位は揺らいでいないことが分かった。
「陛下!」
コルピアスが顔を真っ赤にしてゲティスの前に歩を進める。
「撤退とは、どういうことでございますか!」
と、握りしめた伝書を広げて見せた。紙がしわくちゃになっていることから、それを一度丸めてしまったと推察できた。憤っている様子から見て、コルピアスは『戦争反対』に反対していることが分かった。
「カイケル、もう終わったのだ」
コルピアスの名前を呼んだのは陛下ではなくゲミニ宰相だ。
「終わったとは、どういうことか?」
「そのままの意味で受け取るがいい」
「十万の兵を国境地帯に待機させておるのだぞ?」
「だったら今すぐ呼び戻せ。そう、命じたではないか」
「勝機をこちらから手放すというのか?」
「カイケルよ、我々は勝ったのだ」
だから議場ではなく、王の間にいるわけだ。
「なにをバカな!」
「これこれ、陛下に対する暴言は許さんぞ?」
「ゲミニよ、わしは貴君に言っておるのだ」
「カイケルよ、冷静になれ」
そこでコルピアスが大きなお腹で深呼吸した。
「しかし宰相閣下、ハクタを制圧する好機ではありませぬか。それをみすみす手放すというのは、野菜を畑で腐らせるようなもの。いや、腐らせるだけならまだいい。これではカラスに食われるのを黙って見ているようなものではございませぬか?」
「司令官」
ゲミニも呼び方を変えた。
「ハクタはいずれ手に入る。いや、ハクタどころか、近いうちにカグマン国も我々のものとなるのだ。なにも焦ることはない。出兵せずに手に入れられるのだから、ハクタの敗北は我々にとって、これ以上ない結果なのだよ。畑があっても、百姓がいなければ野菜は作れぬのだからな」
ゲミニ・コルヴスはカグマン国に属する七政院の自治領に旧・オルバ派、つまり反オフィウ派や現王政に反対する勢力の七割を掌握しているとミルヴァが言っていた。だからハクタ国が敗れた時点で、ゲミニは南部の半分以上を手に入れたと確信しているわけだ。
後はゲミニお得意の政治力で何とかなると思っているのだろう。だからハクタ国の敗北と同時に勝利宣言したわけだ。そのことをコルピアスが知らないため、二人の間に初めて対立が起こったのだ。
「シスター・アナジア、お待ちくだされ」
解散となり、王城内の礼拝堂に戻る途中の廊下でコルピアスに呼び止められた。
「なんでございましょう?」
足を止めたミルヴァが応対した。
「少し話をさせてはいただけませぬか?」
「では、わたくしの部屋へ参りましょう」
私たちには礼拝堂の隣にある泊まり部屋を与えられている。普段は利用することが少ないけど、掃除は城の修行者にやってもらっているので常に清潔だ。見張りがついてくることもないので話を聞かれることもなかった。
「どうぞ、お掛けになってください」
ミルヴァに勧められて、コルピアスが窓際のテーブル席に座った。
「それで、ご用件というのは何でございましょう?」
ミルヴァは真向かいに腰を下ろしたが、私は戸口に立ったままだ。
「分かっておるであろう?」
「何のことでございましょう?」
「この期に及んで撤退など有り得ぬではないか」
「わたくしは陛下のご意思に従うまでにございます」
「そんな建前はどうでもよい」
「しかし、労働力となる兵士を死なせずに済むのですから、閣下にとっても最良の結果ではございませんか?」
コルピアスが臭そうな布切れで汗を拭う。
「いやいや、ゲミニは何も分かっておらんのだ。カグマン国の七政院を裏で牛耳っているつもりであろうが、死んだはずのフィンスが生きていた時点で風向きは変わりつつある。なにしろ前王の忘れ形見なのだからな。我々に協力的だった役人どもも、いつ手の平を返すか分からんぞ?」
この分析は正しいかもしれない。七政院の中には様々な派閥が存在していて、オフィウ派とフィンス派とコルヴス派がきれいに分かれているわけではないからだ。寝返る者もいれば、どっちつかずの浮遊層みたいな派閥も存在しているという話だ。
「しかし現王であるフィンスに味方する者が少ないのも事実でございましょう?」
「だが、ハクタに勝利した、これは大きいぞ?」
「なるほど、フィンスはハクタ軍を無傷で手に入れたということですものね」
「その通り。今ごろ反対派の大貴族どもも焦っていることだろう」
七政院の自治領軍が脅威となるのは、それが一枚岩として機能した時だけだ。単独では十万にも満たないため、フィンス国王が攻めようと思えば、いつでも滅ぼされる状況に陥ったということになるわけだ。
「おもしろいですわね。反オフィウ派として結束していた七政院の大貴族が、オフィウが負けた途端に戦々恐々とした状態に追い詰められるんですもの。『反対のため』の反対って、これだから信用ができないんですよね」
コルピアスがテーブルをコツコツと叩く。
「おもしろがっている場合ではない。時間がないのだ。フィンスに兵力を与えないためにも、今こそハクタを叩くべきではないか」
「ゲミニ宰相閣下にも、そのように順序立てて説明すれば良いではありませんか? そうすれば分かっていただけるのではありませんか?」
「もうすでに、ありとあらゆる結果を想定して話し合ってきたのだ。ただ、唯一、まさか、戦死者を出さずにカグマン国が勝つとは、よもや思うまい。それで怖気づいたのだな」
ミルヴァが笑った。
「何がおかしい?」
ミルヴァの笑いが止まらない。
「いえ、怖気づいたのではなく、おそらく閣下の指揮を信用していないからだと」
「多勢に無勢で負けるわけがなかろう」
「パルクスには負けたではありませんか?」
「なぜそのことを知っておる?」
コルピアスがテーブルを叩く。
「あのヘビ、ペラペラと喋りおってからに」
正体がバレずに済んだようだ。
「しかし無傷の南軍相手では、閣下もご苦労なさるのではありませんか?」
「あの頃のわしではない」
「よほど勝算がおありのようですね?」
「戦争に勝つには武器と防具を揃えるだけの経済力も必要だったのだな」
「確かに当時は裸同然の移民を兵士にしていたと聞きました」
「あとは戦えるだけの訓練を積む時間も必要だった」
「時間も充分ですわね」
「こちらは十二万の兵士を投入するのだ」
「敵は八万から九万が限界かと」
「それで、このわしが負けると?」
「遠征軍には勝利できましょう」
その言葉にコルピアスの表情が曇る。
「それはどういう意味かね?」
「ハクタの市内には理論上では計測できない民兵がたくさんいますから」
コルピアスが笑う。
「市民が軍隊相手に戦うと思うかね?」
「襲撃を受ければ守るのは当然でございましょ?」
「いや、ハクタの市民は戦わん」
「どういうことでございましょう?」
コルピアスが説明する。
「ハクタにはわしの仲間がたくさんおるのだ。海上貿易を通じて三十年以上も協力し合ってきたからな。むしろ、わしに手を貸したいと思っておる者の方が多いんじゃないか? なにしろオーヒンに統治された方がたんまりと稼ぐことができるからな。南部は七政院の領地が優遇されていて、他の地域の取り立てが厳しいのだ。だから昔から不満を溜めている者が多かった」
そこで神妙な顔つきになる。
「しかしゲミニは利権にうるさいからな。海上貿易でわしがたんまりと儲けておることは知っている。おそらくだが、わしに勝たせないようにしているのも、ハクタの利権を盗まれると警戒してのことであろう。それを話し合えればいいのだが、わしにも利権を守ってやらねばならない恩人がたくさんおるのだ」
そこでミルヴァに向かって両手の指を組むのだった。
「シスター・アナジアよ、なんとかゲミニを説得してはくれぬか? 遠征軍さえ追い返してしまえば、ハクタの市民は我々に味方する。必ず勝てると分かっている戦を諦めるなど、もったいないではないか。なんとか、こう、シスターの魔法の言葉で、ゲミニを説得してみてはくれぬだろうか?」
こんな奴に協力する必要はない。
「いいでしょう」
だけどミルヴァは違った。
「まことか?」
「しかし魔法の言葉などという便利なものはございません」
「うむ。では、どうやって?」
「いくつか質問しても構いませんか?」
「もちろんだとも」
ミルヴァが考える振りをする。
「敵軍はどこまで迫ってきているのでしょう?」
その質問にコルピアス司令官は丁寧に答えたけど、どれも私たちが知っていることばかりだった。ミルヴァが現地で調べてきたので、私たちの方が詳しいくらいだ。それでもミルヴァは怪しまれないために初めて聞いたという反応を示した。
「そうですか」
そこでもミルヴァは考える振りをする。
「負けたはずのレオーノ・キンチ大将がガサ村にいるところまでは分かっているのですね」
「ああ、それは間違いない」
「だとしたら、宰相閣下のお気持ちを変えることができるかもしれません」
「本当かね?」
「はい。宰相閣下はキンチ家に対して個人的な恨みを抱いているようですので」
「ありがとう、シスター」
私はミルヴァのことが嫌いになりそうだ。




