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第二十三話(199) ジジの願い

「ジジ」


 僕の名前を呼んだのはエムル・テレスコ長官だ。


「よくやってくれた」


 王都にある首都官邸の長官室に呼ばれて、今回の働き、つまりはリアーム・キンチ将軍を捕縛して、ご子息のレオーノ・キンチ大将を降伏させた作戦を労ってもらったところだ。フィンス国王陛下はすでに王宮に戻られたとのこと。


「想像以上の働きであったぞ」

「閣下からのご命令に若干の修正を加えたことをお許しください」

「見事な気転だ」

「お褒めに預かり光栄です」


 頷いたものの、長官の表情は険しいままだった。


「貴君は充分すぎるくらいの武勲を立てたが、まだ危機は去っておらぬ。我々に協力してくれたランバ・キグスが前線で孤立したままの状態にあるからな。生きたまま陛下に会わせてやらねば、報いてやったとはならんだろう」


 オーヒン軍の侵攻はすでに始まっているかもしれない。


「そこでだが、合併した正規軍五万を率いてランバの元へ急いでくれぬか? 司令官は依然としてタリアス閣下のままだが、ご老体に長旅をさせるわけにもいくまい。私も王宮に戻って陛下をお守りせねばならんので、貴君しか頼める者はいないのだ」


 フィンス陛下に矛先を向けたハクタの王宮軍は数に含まれていないようだ。


「はい。承知しました」

「そうか、引き受けてくれるか」

「しかし、現存兵力をそのまま出兵させても大丈夫なのですか?」

「七政院の自治領軍がこちらに向かっておる」


 確か四十万人以上いるという話だ。


「といっても王都の防衛に協力してくれるのは、そのうちの三割程度だがな。それでも十万以上の兵が日夜交代で見張りを務める予定ではある。問題はオーヒン国がどの程度の兵力を投入してくるかだ。同数程度の兵力ならば、ハクタには民兵も多くいるので圧勝できるだろうが、それ以上ならば甚大な被害が及ぶであろう。王都は無事でも、ハクタは壊滅状態に陥るやもしれん。十五万が勝敗を左右させる境界線となるだろうな」


 王都さえ守れれば、という話でもない。混乱が混乱を呼び、乱世を呼び込んでしまうからだ。情勢が不安になると王政に不満がたまり、治世を維持できなくなる可能性があるので、王政が打撃を受けないためにもオーヒン軍の侵攻を食い止めなければならないわけだ。


「それでは早速準備を始めます」


 その前に長官に無理なお願いをしてみる。


「長官、このようなことを頼める立場ではないことは重々承知しているのですが、マクス殿下に寛大なる処置をお願いできませんでしょうか? 殿下がいなければ我が国は滅亡の一途を辿っていたかもしれません。どうか、お命だけは助けていただきたいのです」


 テレスコ長官が深い溜息をつく。


「残念だが、私も陛下に進言できる立場にはないのでな、すべては陛下がお決めになることだ。しかし、タリアス神祇官には話してみようではないか。今のところは、それで我慢してもらいたい」


 それ以上は何も言えなかった。


「はい。ご配慮感謝いたします」


 そこで戸口に立つ警護兵が来訪者の存在を告げた。


「通せ」

「はっ」


 現れたのはキンチ大将とご子息のレオーノ大将だった。

 すぐにテレスコ長官が立ち上がった。

 それを制したのはキンチ将軍だ。


「そのままで」


 長官が座り直す。


「我々は立ったままで結構だ」


 そう言うと、キンチ親子は長官の前に並び立つのだった。


「息子のレオーノから折り入って話があるようだ。是非とも聞いてもらいたい」

「伺いましょう」


 テレスコ長官が珍しく緊張しているように見えた。


「単刀直入に申し上げます。小官を対オーヒン軍の任に当たらせていただけないでしょうか? 特別待遇は望みません。指揮権はなくてよいのです。武勲と引き換えに免責を持ち掛ける気も毛頭ございません。ただ、こうして、反逆者として、処分が下されるのを待つのは耐えがたく、それならば最後に、国家のために、いいえ、国民のために戦って散りたいのです。それは小官の部下も同じ気持ちであります」


 キンチ将軍が付け加える。


「エムルよ、わしからもお願いする。息子の頼みを叶えてはくれぬか? 部下の兵士らもわしの命に従っただけなのだ。処分ならば、このわしが受けよう。それに息子には二万の兵がおる。それもハクタでの戦い方を知る兵士ばかりじゃ。使わない手はなかろう?」


「父上!」


 レオーノが一喝した。


「もう、そのような駆け引きはおやめください」


 将軍が意気消沈した。


「そうであったな、元はと言えば、このわしが軍政の腐敗を招いたせいで、それが国家を二分し、デモン・マエレオスのようなペテン師を呼び込み、亡命者のコルヴス親子に乗じる隙を与えてしまったのだ」


 憑き物が落ちたような顔をしていた。


「カグマンとハクタがそうであるように、七政院の自治領にも派閥が二分化しておる。どれもこれも、このわしのせいだ。あらゆる場所で二項対立の問題が顕著に見られるのは、このわしが原因なのだよ」


 人生で初めて味わった敗北は、これほどまでに人の心を変える力があるということか。


「エムルよ、息子に罪はない。最後に機会を与えてはくれぬか?」


 テレスコ長官はどのように答えるんだろうか?


「最後というのはいただけません。将軍は生きてこそ価値のあるお方ですから。それはご子息にも同じことが言えるのです。私は陛下に取り次ぐことしかできませぬが、条件付きで取り計らっていただけるよう頼んでみましょう」


 キンチ将軍が訊ねる。


「条件とな?」

「はい。マクス殿下の居場所を教えていただきたいのです」


 将軍が大きく息を吐き出す。


「ということは、オフィウ王妃陛下については処刑も止む無しか」

「そういうことになると思われます」


 主君を売るのは将軍にとって最大の屈辱、いや、恥辱だろう。


「止むを得まい」


 マクス殿下の身に何が起こるか分からない状況なので、少しだけ希望を持つことができた。できれば僕自身が隠れ家に行って保護したいところだけど、そこはテレスコ長官を信じることにした。


「ジジよ」


 長官から新たな命令がありそうだ。


「貴君にはレオーノ大将の警護を任せる」

「長官、お待ちください」


 それに異を唱えたのがレオーノ大将だ。


「小官は前線で戦うつもりでございます故、閣下の大事な部下をお借りするわけには参りません」


 テレスコ長官が微笑む。


「この戦士は、その前線でこそ最も敵の脅威となる男でございます」


 キンチ将軍も微笑む。


「息子よ、それはこのわしも保証しよう」


 自分がこれほど他者から評価をされているとは思わなかった。



 開戦から三日後、すなわち終戦の翌早朝、兵士らに充分な休息を与えてから、急いでランバの待つ前線へと進発した。総勢七万人の大行進で、早ければ二日、遅くとも三日後には合流できる予定である。


 流石はレオーノ大将率いる旧・王宮軍で、隊列が無駄に伸びることなく行軍させていた。午後には後衛との距離が開いたので、しんがりをタリアス司令官の直属の部下に任せて、僕たちは一足先にランバとの合流を目指した。


 その旧・王宮軍の兵士らにしても、勝ったところで終戦後に反逆の罪で処分を受けることは承知のはずだ。それでも下級貴族の次男や三男らが最前線を志願したのは、戦わなければ家族や土地を守れないからだ。


 一番納得がいかないのが、国境から遠く離れた場所にいる、戦争とは無縁な生活を送っている七政院の自治領軍の兵士だ。オーヒン軍の侵攻があるというのに非協力的な対応に終始する始末だ。


 ただし、それでもやはり責められるべきは兵士ではなく、兵士に命令を下す貴族のお役人たちだ。その貴族のお役人にしても、キンチ将軍が言っていたように派閥があるので、一口に貴族が悪いとか、政治が悪いとか言えないというわけだ。


 こういう議論は結局のところ、自分がどうあるべきか、ということに帰結する。染まるのか染まらないのか、屈するのか抵抗するのか、正すのか正さないのか、批判しか出てこない口先だけの人間になるのではなく、生き様という行動で示さないといけないわけだ。


 その点、馬に乗っているレオーノ・キンチ大将の背中は凛々しく見えた。僕のような貴族ではない者がいる前で、父親を叱りつける息子など見たことも聞いたこともない。そんな人は過去に存在しなかったのではないだろうか? それくらい有り得ないことだ。


 この人のためだったら戦える。僕はいつもそうだ。ドラコのためだったり、テレスコ長官のためだったり、そういう人がいなければ戦えない男だ。レオーノ・キンチ大将には、懸けてみるだけの何かがある。この人を死なせてはいけないと思った。



「おお、ジジ殿ではござらんか」


 僕の到着を聞きつけて駆けつけてきたのは二年振りの再会となるランバだ。


「こんなに早く援軍に恵まれるとは」


 先行するレオーノ大将率いる二万の旧・王宮軍がランバのいるガサ村の演習地に到着したのは出発した翌日の夜だった。後発組は明日の昼過ぎに到着するはずだが、それでも充分速い方だ。


「すべてはキグス閣下のおかげです」

「その呼び方は止めてくだされ」


 照れ臭そうに笑うランバがおかしくて堪らなかった。それでも、いつまでもこうして兵舎の教官室で旧交を温めている場合ではなかった。それはランバも分かっているので、すぐに状況を確認することにした。


「ランバがここにいるということは、まだオーヒン軍による侵攻はないんですね?」

「まだそのような報告は受けてないが、ちょっと問題が起きましてな」

「問題というのは?」

「いや、収穫が盛んな時期とはいえ、少しばかり山賊に悩まされておりましてな」

「ドラコが死んだことが広まったのかもしれませんね」

「北部から流れてきているというから、その影響もあるでしょうな」

「対応は?」

「それが」


 ランバが頭をかく。


「広範囲で頻発しているので手が回りませんでな」

「明日、ハクタ兵が到着するので対応に当たらせてはどうでしょう?」

「そうせざるを得んでしょうな」


 そこでランバが話を変える。


「ところでジジ殿、レオーノ・キンチ大将は信頼の置けるお方ですかな?」


 僕なんかに聞くほど情報を持っていないということだ。


「僕からは何も言いません。ランバの目で確かめてもらえますか?」

「任せたはいいが、いざという時に逃げ出されては敵いませんからな」

「それもランバが決めてください」

「隊長ならどうしますかな?」

「ランバが決めるんです」


 副隊長、いや、長官が苦笑する。


「しばらく会わないうちに、ジジ殿は変わられましたな」

「それはもうテレスコ長官にしごかれる毎日ですから」

「長官はお優しい方で有名ではござらんか」

「とんでもない。この世で一番おっかない人です」

「どうやらジジ殿は見込まれたようでございますな」


 僕に初めて父親を感じさせてくれた人でもある。



 それからレオーノ大将と話し合いをするために会議室に移動した。まずは三人だけでの話し合いだ。この後に各部隊の隊長を集めた全体会議が開かれる予定だが、その前に議題を確認しておこうというわけだ。


「ランバ・キグスにございます」


 緊張した面持ちだ。


「お目に掛かれて光栄にございます」


 初対面とは意外だった。


「こちらこそ、お会いできて光栄です」


 同じ国で二年間も要職に就いていた間柄とは思えない挨拶だ。


「さぁ、掛けて話しましょう」


 五百席の会議室には、警護兵の他に僕たち三人しかいなかった。ランバとレオーノ大将がテーブルを挟んで向かい合うように座り、僕は椅子を移動させて彼ら二人のはす向かいの位置に陣取った。あくまで中立であることを分かりやすくするためだ。


「思えば」


 最初に口を開いたのはレオーノ大将だ。


「ハクタ国が三年と持たなかったのは、私がこうして閣下との話し合いを設けなかったからかもしれませんね。これまでの非礼、心よりお詫び申し上げます」


 ランバが慌てる。


「いやいや、何と申せばよいやら、主君並びに、国家そのものに背いた私奴に謝る必要はございませぬ。本来ならば、会わせる顔などないのですからな」


 レオーノ大将の素晴らしいところは表情を変えないところだ。


「信じてはいただけぬと思いますが、自分でも嘘のように晴れやかなのです。戦わずに済んだという安堵感と申しましょうか、やはり心のどこかでそれまで属していたカグマン国と戦うことに抵抗があったのでしょうね」


 レオーノ大将じゃなければ今も殺し合っていたかもしれない。


「いえ、これから戦いに身を投じることについてはすでに覚悟を決めております。そうではなく、今振り返ると、すべてがデモン・マエレオス猊下に誘導されていたような、いや、操られていたような感覚でしょうか」


 レオーノ大将が回想する。


「オフィウ王妃陛下はとてもお優しい方で、カグマン国との戦争には反対されていたのです。いえ、反対どころか、戦争そのものを忌避されておりました。ところが、マエレオス猊下とお会いになられると、すぐに意見を変えられるんですね。私の昇進についても、軍人になるのは反対されていたのに、マエレオス猊下と会われた直後に意見を変えて『昇進させてやる』と仰るのです。お年もお年なので不予の心配をいたしましたが、もはや疑う余地はありません」


 そのデモン・マエレオスの行方は不明となっていた。


「閣下にとっては大事な義父でございましたね。失礼な物言い、どうかご容赦ください」

「いえ、謝っていただく必要はございません」


 ランバが説明する。


「実は私も義父に疑念を抱いていたのです。きっかけは妻の一言でございました。妊娠した妻が呟くのです。『母親がどんな人か聞かされたことがない』と。それで義兄のハンスが祝いで駆けつけた時に聞いたところ、彼も『幼い頃に死んだので知らない』というではありませぬか。そこでハンスが改めて父親に訊ねたそうですが、彼はそこで乳母だと思い込んでいた下女が実の母親だったと知ったのですな。それだけなら仕方のない面もございましょう。なにしろフィウクス家はカイドル帝国の皇族でしたからな。ない話ではないということでございます」


 それでも下女を側室に迎えたというのも納得いかないが。


「不信を極めたのが、子が生まれた時でございましたな。上等な産着や立派な揺り籠などは届けられたのですが、肝心の義父が姿を見せぬではありませぬか。祝いの言葉も伝令の口から聞かされたのです。三月経った頃には、夫婦共々すでに亡命を決意いたしておりました。このままでは我が子を政争の道具に利用されかねないと思いましたからな。ですから公子、いえ、テレスコ長官のご子息と会った時には、すでに心は決めていたのです。ああ、いや、得体の知れぬ、何かこう、見えざる力によって導かれたような、そんな神秘的な思いを感じたのですよ」


 デモンによって曲げられた道を、公子が正しい道に戻そうとしている感じだ。

 レオーノ大将が頷く。


「我が子のために地位を投げ捨てたわけですね」

「いえ、元々過分だったのでございましょう」

「それでも閣下の指揮なくして、この難局を乗り越える術はございません」

「小官には王宮の兵士を動かせるだけの力はありませんぞ?」

「ならば私にご命じ下さい」


 そこで二人は立ち上がり、固い握手を交わすのだった。

 そこへ警護兵が来訪者の存在を告げた。


「通せ」


 警護兵がランバの指示に従った。


「ずいぶんと偉くなったものだ」


 現れたのはドラコ隊のロニー・キングだった。


「ロニー殿ではござらんか」


 ロニーはドラコ隊の中でも諜報活動専門の隊士だ。


「出産祝いは後にしよう」


 ロニーは何でも知っている男だ。


「お前さんが助けを求めるから色々と調べてやったが、例の山賊だけどな、ありゃあ、オーヒン軍の兵士に間違いねぇ。成りは山賊だが、オーヒン軍が化けてやがるんだよ。とっとと手を打たねぇと大変なことになるぞ? こんなところで陣を張ってたってしょうがねぇんだ。もうすでに五千から六千は峠を越えて来ちまってるからな」


 つまりオーヒン軍による侵攻はすでに始まっているということだ。


「確かですかな?」


 ランバの念押しにロニーが頷く。


「ああ、間違いねぇ。公子も同じような見立てをした。オーヒンでは『魔王子』と呼ばれているが、ありゃあ、本当に悪魔だぜ? たった一人で敵の百人隊を皆殺しにするんだからな。いや、オーヒンにとっての『悪魔』は、俺たちにとっての『天使』かね? いやぁ、ともかく、この二年で相当腕を磨いたようだ」


 ロニーが褒めるとは珍しかった。


「しかし、ずいぶんと仕掛けが早いように思われるが?」


 ランバの問いにロニーが答える。


「不可侵条約なんて、あってないようなものだ。死体なんてすぐに腐っちまうんだから、領土を侵犯した証拠なんて残らないだろうよ。そのための山賊というわけだな。後はどうとでも言い逃れができるというわけだ」


 オーヒン国に南部を制圧するだけの力があるのだろうか?


「明日か明後日には、ハクタが敗れた情報がオーヒン城に届くだろうから、十万の大攻勢が始まるぜ? いや、出そうと思えばもっと出せるはずだ。こっちは足りてるのか? 見たところ、そんな感じはしないけどな」


 なんだろう? 初めからこちらが用意できる兵数を把握していたような、そんな絶妙な兵力差。ハクタには民兵がいるから制圧はされないだろうけど、こちらの手持ちの遠征軍は最大で九万までしか用意できないのだ。


 しかも、それは戦死者をほとんど出さずに済んだから九万の兵力を温存できただけで、互いに被害が出た状態で統合していたとしたら、半数で戦わなければならなかったということも考えられる。


 これでは七政院の自治領軍が初めから遠征に参加しないと知っていたとしか思えないのである。内部に内通者がいるのだろうか? いや、それ以上に不気味な存在が隠れているのかもしれない。


「キグス閣下」


 そこでレオーノ大将が二人の会話に割り込む。


「小官に国境付近までの進軍を明日の早朝までにご命令くだされ」

「それでは本隊が追いつけぬので孤立させることとなりますからな」

「相手が正攻法で戦ってくれるとは限りませんよ」

「二万に十万の敵兵と戦わせるなど、誰が命令などできましょう?」

「峠を楽に越えさせてはならないのです」


 有史以来、初めての状況なので誰も正解が分からないのである。

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