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第十九話(195) ミルヴァの誤算

「マルン」


 私の名前を呼んだのはミルヴァだ。


「さぁ、早く後ろに掴まりなさい」


 これから杖に跨って、森の中を移動するところだ。


「目立たないように低空でゆっくり飛ぶわよ」


 そう言うと、木々の間をすり抜けるように、人間が走る速度で飛ぶのだった。リアーム・キンチ将軍のところで長話に付き合わされたので、すっかり夜が明けていた。おそらくだけど、もうすでにカグマン軍とハクタ軍の戦争は始まっているはずだ。


「ねぇ、ミルヴァ、前線へ急がなくてもいいの?」

「その前にレオーノに会いに行かないと将軍に怪しまれるでしょう」


 魔法使いでもアリバイを残しておく必要があるというわけだ。


「フィンス国王の暗殺計画があるけど、そっちは見に行かなくてもいいの?」


 低空飛行を続けながら説明する。


「エムル・テレスコ長官が護衛しているから、どうせ失敗に終わるでしょ。オーヒン国のコルピアスにしてみたら、そのテレスコ長官を戦線から遠ざけることができればそれで良かったのよ。戦局までは読めないでしょうけど、長官さえいなければ、戦略を戦術で覆すことはできなくなるでしょうからね。オーヒン国にとってはハクタのキンチ将軍と戦った方が、モンクルスの愛弟子と戦うよりもマシだと思ったんじゃないかしら」


 エムル・テレスコはモンクルスの弟子の中でも一番弟子だ。


「それにキンチ将軍の戦略って相手を数で圧倒することでしょう? それってつまりオーヒン国にとっては同じように南軍以上の兵士を派兵すればいいっていうことなんですもの。だからキンチ将軍を相手にした方が対策を講じやすいのよ」


 気になることがあるので聞いてみる。


「嫌な予感がするって言ってたけど、まだ同じように感じてる?」


 ミルヴァが唸る。


「う~ん、そうね、テレスコ長官が都から離れているといっても、明日には戻って来られる距離にいるわけだから、今日の戦い方が重要になることは間違いないと思う。それでもその一日の差が、カグマン国にとっては痛恨の極みとなるのよ。だからハクタ国が勝利するのは間違いないでしょう」


 流石に倍の兵力差では話にならないということか。


「問題は南軍と北軍の全面戦争よね。デモンとキンチ将軍の間で権力争いが続くようなら、コルピアスのような戦争に不慣れな肩書だけの軍人でも大勝利を収める可能性がある。……ただ、それとは違う妙な胸騒ぎがするのよね」


 ビーナがいれば鳥を操って島中からリアルタイムで情報を集められるけど、ミルヴァだと動物たちが言うことを聞いてくれないそうだ。同じ魔法使いでも飛べない私がいるように、様々な特性に分かれているのだ。


「ビーナがいればはっきりするんだけどね」


 ミルヴァも私と同じことを思ったようだ。



「ここから歩くわよ」


 レオーノ・キンチ率いる後衛部隊が陣を構えているのは、旧・ハドラ領の小区にある棄村された役場村跡だった。ここに作戦本部が置かれていた。飲料水を確保できるので、夏場の王都攻めには絶好の位置取りというわけだ。


「シスター・アニーティア様ですね」


 森を抜けて村に近づくと武装した兵士にすぐに見つかった。


「わたしがアニーティアです」

「キンチ将軍から丁重にお迎えしろとの連絡を受けております」

「それではレオーノ・キンチ大将に会わせていただけますか?」

「こちらです」


 こうして連れて行かれた先は、防具を纏った兵士がうじゃうじゃいる役場の中だ。目視で適当に計算したから正確ではないけど、この役場村の中だけでも一万人以上はいるような気がした。周辺を併せれば二、三万人はいるかもしれない。



「お初にお目に掛かります。わたくしがアニーティアでございます」


 続けて私も偽名で挨拶をした。


「父から話は聞いております。私がレオーノ・キンチです」


 そう言って、アニーティアと握手を交わした。


「下男の汗が染み込んだ椅子を貴女に勧めるわけには参りません」


 そう言うので、ソファのある来賓室へ移動した。



「お掛けください」


 ミルヴァが腰を下ろしてから、レオーノも真向かいに腰を下ろした。私は彼の警護兵と同じように背後で立っていなければならなかった。半端な貴族ならば私にも座らせるけど、レオーノには私が召使いとして同行していることが分かるようだ。


「しかし随分と早く到着されましたね。父から半日は掛かると聞いていたのですが」

「旅慣れしていますからね」

「それでは伝令兵の方が遅かったのかもしれません」

「そのようなことはないでしょうが、わたくしはハドラ領をよく知っているものですから」

「ああ、そういうことでしたか」


 改めて見るけど、美しい顔をした青年というのが第一印象だ。サラサラした茶色い髪が肩まで届きそうで届かない。無邪気に遊ばせている手の指が長く、微笑みを絶やさない顔は父親のキンチ将軍とは似ても似つかなかった。よほど奥さんが美人なのだろう。


「しかし表の兵士の数には驚きました。まるで王宮軍をそのまま連れてきたみたいですものね」

「そのまま連れてきたのです」

「え?」


 ミルヴァの驚く顔を見て、レオーノが無邪気に笑う。


「息子の初陣ということもあり、父が念を入れたのでしょうね。といっても、大軍をもって一気に制圧することで民間人に被害を出さない、というのが父の基本戦略でもあるので、これまでと違うことをしたわけではありませんけどね。ただ、私を守る護衛兵の数が多すぎるのが気になりますが。それでも父上の好意ですので、今回だけは甘えさせてもらいました」


 キンチ将軍は軍紀に厳しいことで有名だが、息子には甘いようだ。


「それにしては、いささかのんびりしているようにお見受けしますけど」

「もうすでにやるべきことはやり終えました。後は各部隊の部隊長からの報告を待つだけです」


 実際に戦争をするのは、明確に線引きされた下級貴族が中心だ。


「勝利条件についてはどのように考えておられますか?」


「本日中に王都を制圧し、明日の日没前までには宮家を一人残らず保護するというのが第一段階ですが、同時にサグラ町にいるフィンス国王陛下の監視、追跡も行っているのです。開戦を知っても王都に戻るとは限りませんので、どこかへ避難するならば、そこへ本隊を送り込むことができれば、被害を最小限に留めることができるので最良かと考えています」


 ハクタ国はマクス国王とオフィウ王妃を極秘に避難させているので人質に取られる心配はなかった。そうなるとカグマン国の勝利条件は相当厳しいものとなるだろう。倍以上の兵力と戦って『参りました』と降参させなければいけないからだ。


「フィンス国王が七政院の自治領に逃げ込む可能性もありますわね」

「その場合も自治領内にいる父の協力者が報せてくれるでしょう」


 キンチ将軍はカグマン人の中でも軍政のトップに君臨していた人なので、奴隷階級出身のテレスコ長官を重用するフィンス国王は、自国にも拘わらずキンチ将軍よりも味方が少ない状況なのかもしれない。だから開戦当日なのに将軍は祝杯を挙げていたわけだ。


「フィンス国王に逃げ場はないということですわね」

「はい。できれば味方による騙し討ちという形にはしたくないんですがね」


 つまりフィンス国王が七政院の自治領に逃げ込んだ場合、そこで暗殺される可能性があるわけだ。王都に戻るにしても包囲されている状態だろうし、これはハクタ国の完勝に終わりそうだ。問題はそれが今日になるか明日になるか、というだけである。


「シスター」


 そこでレオーノが話を変える。


「貴女は先ほど『ハドラ領をよく知っている』と仰っていましたが、ダリス・ハドラ神祇官とも話をされたことがあるのですか? 私にはどうしても猊下のようなお方が謀反を起こすなどとは考えられないのです。それをお聞きしたくて」


 私には分からない話だ。


「はい。猊下とは懇意にさせていただきました。詳しい事情は分かりませんが、猊下には猊下のお考えがあったのでしょう。その後の経過を踏まえれば、ユリス・デルフィアス国王のご命令だったのかもしれませんわね。なぜなら王宮が襲撃された後、デルフィアス国王の意に沿った人事が成されましたからね。『勝てば官軍』とは大昔からある言葉でございますが、勝てなかったのがすべてでございましょう」


 知りすぎていても不審を抱かせるので会話の匙加減が難しそうだ。


「そうですね。我々も戦争に敗れれば国賊とか逆賊などと呼ばれるかもしれませんからね。現にカグマン王に刃を向けようとしています。正統性というのは、勝ってこそ示されるということでしょうか」


 そこで膝の上に置いた拳に力が入る。


「ただ、ヴォルベ・テレスコだけは許せないのです。あの男はすべての人間を裏切りました。オーヒン国に亡命したと聞いていますが、それすら利用しているだけでしょう。何よりも許せないのはエリゼを裏切ったことです」


 エリゼって誰だっけ?


「エリゼというと、ハドラ神祇官のご息女ですね」


 ミルヴァの言葉にレオーノが返答する。


「はい。彼女と私は結婚する約束をしていたんです。いえ、もちろん親が決めた結婚ですが、何も起こらなければ、今ごろ婚約していたと思います。あの男がハドラ家を利用するためにエリゼを唆したと思うと、やはり許すことはできないのです」


 ヴォルベならやりかねない。


「オーヒンに勝つことができれば、ヴォルベを見つけることができるかもしれませんわね」


 背中を見ているだけで、ミルヴァが嬉しそうにしているのが分かった。


「閣下」


 後背の警護官が戸口に立つ警護兵から合図を受けたようだ。


「伝令が入りました」


 レオーノ・キンチ大将が頷く。


「よし、通せ」


 命令を受けた警備兵が扉を開けると、伝令兵が敬礼と挨拶をして入ってきた。


「モノス・セロス閣下からの伝令を報告しに参りました」


 そこで伝令兵がミルヴァの存在を見止める。

 察したレオーノが命令する。


「構わん。続けろ」

「はっ、セロス閣下は救援を要請しております」

「なに? 救援だと? 始まったばかりではないか」


 怒鳴ったわけではないのに、伝令兵が恐縮した。


「北東門で交戦中でありますが、突破できない模様であります」

「カグマン軍の精鋭主力部隊はフィンス国王と共にサグラ町にいるのだぞ?」


 私も王都に残っているのは兵役の浅い二万足らずの新兵だと聞いていた。


「閣下」


 そこで戸口の警護兵が直接声を掛けた。


「伝令です」

「通せ」


 そこへ別の伝令兵が現れた。


「カレオ・ラペルタ閣下からの伝令を報告しに参りました」

「なんだ?」

「はっ、ラペルタ閣下は救援を要請しております」

「どうなってるんだ?」

「南西門で交戦中でありますが、突破できない模様であります」


 レオーノが頭を抱える。


「状況がまるで見えない。具体的に説明してくれ」

「「はっ」」


 そこで二人の伝令兵の息が合った。


「どちらか一人で頼む」

「「失礼しました!」」


 そこでも二人の伝令兵の息が合ってしまうのだった。


「北東門の様子から聞かせてくれ」

「はっ」


 一人目の伝令兵が説明する。


「夜明けを合図に作戦を開始したのですが、こちらが行動を開始する前に、敵側は隊列を組んで待ち構えていたのです。しかし数で勝るため、セロス閣下は怯むことなく突撃命令を下しました。しかし味方の軍勢は敵に対してまったく歯が立たないのです」


 テレスコ長官は主力の精鋭部隊の方を都に残してきたということだろうか?


「南西門の方はどうだ?」


 二人目の伝令兵が説明する。


「まったく同じ状況であります。前日から壁の内側に商人を装って部隊を潜伏させましたが、その者らとも連絡を取ることができません。ひょっとしたら、その部隊が捕まって、作戦が漏れたのかもしれません」


 レオーノが手で止める。


「憶測は結構だ」

「失礼しました」


 レオーノが訊ねる。


「セロス閣下は弓隊を使わなかったのか?」

「有効射程距離を見誤ったようであります」


 要するに怖じけたということだろう。


「レオーノ大将」


 ミルヴァが問う。


「いかが為さるおつもりですか?」


 レオーノが決断する。


「救援は送りません」

「撤退でも為さるおつもりですか?」

「まさか」

「敗色濃厚ですわよ?」

「大軍は大軍でこそ意味があるのです」

「お父上の言葉ですわね」

「はい。都の兵士には明日の朝まで寝ずに戦ってもらいましょう」

「カグマン軍にとっては連戦になるわけでございますね」

「そういうことです」


 これでハクタ国が勝ってもレオーノ一人の功績になるわけだ。戦争で武勲を立てるというのは何だろう? 名もなき兵士たちの方がよっぽど勇敢なのに、指揮官ほどの栄誉は得られない。ビーナが戦争にうんざりしたのが、分かったような気がした。



「ね、ミルヴァ」


 私たちは役場村を出て、人目につかない森の中を歩いてきたところだ。


「レオーノの言葉っておかしくない? だって大軍で戦うというなら最初から全員で戦えばいいわけでしょう? 今の状況って、自分たちで自分たちを窮地に追いやっているような、そんな風に見えるんだよね」


 ミルヴァが杖に跨る。


「仕方ないのよ。平民を集めた都の軍と貴族が指揮する王宮軍ではまったく別物なんですもの。レオーノにしても、そう育てられたから変えられないのよね」


 私も杖に跨って、ミルヴァの背中に掴まる。


「それで負けたら意味がないじゃない」

「勝てるんでしょ」

「レオーノに戦える?」

「彼が戦うわけじゃないから」


 そう言って、急発進させるのだった。



 王都に到着すると、北東門の前で戦っている両軍を確認することができた。それを私たちは都を望む山の上から見ているわけだ。私たちは目がいいから見えるけど、あちらから私たちのことを目視できる人間は唯の一人も存在しない。


 ミルヴァが問う。


「朝からずっと戦ってるのかしら?」

「そうじゃないの?」


 適当に返事をした。


「そんなことって、ある?」

「でも、現に戦ってるし」


 ミルヴァが首を捻る。


「パルクスが戦った時はもっと早く決着がついたわよね?」

「パパは特別だから」

「ドラコだって早かったでしょう?」

「ドラコも特別」


 ミルヴァが唸る。


「まるで練習試合をしてるみたい」

「でも死体があるでしょう? ほら、また死んだ」

「あっ」


 ミルヴァが指を差す。


「あれ見て、石畳に転がってる死体」

「それがどうしたの?」

「血が出てない。石畳が血で濡れてないの」


 ということは、死んだ振り?

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