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第十六話(192) ミルヴァによる第三の変身

「マルン」


 私の名前を呼んだのは化粧道具を持ったミルヴァだ。


「動かないで」


 ミルヴァの隠れ家で鏡台の前に座らされているところだ。


「今日の化粧はちょっと濃くするわよ」


 私たちにとっての化粧は、別人に成りすますための変装道具にすぎない。


「次からは自分でやってもらうから、ちゃんと覚えるのよ?」


 そう言って、ほっぺたに太字でほうれい線を書き込むのだった。


「えっ? ちょっと待って!」

「動かないの」

「だって、大丈夫なの?」

「何が?」

「子どもに落書きされたみたいになってるけど」


 ミルヴァが化粧を続ける。


「大丈夫よ、人間の目にはこれが初老の女の顔に見えるんだもの」


 それがミルヴァの魔法力だ。


「今回わたしが変身するのは半島にあるクルナダ国出身の『アミーリア』という名前の修行者だから、マルン、あなたもわたしの名前を呼ぶ時だけは言い間違えないように気をつけないとダメよ」


 確かオーヒン国にいる時は『アナジア』で、ハクタ国にいる時は『アニーティア』という人物に成りすましていたはずだ。それぞれ年齢の違う人物に設定することで同一人物だと疑われないようにしているが、今回が最も高齢に設定された人物である。


「これから向かうのはカグマン国でね、明日サグラ港で大型船の処女航海を記念した式典が行われるのよ。今日中にフィンス国王が現地入りするみたいで、替え玉じゃなく、本物が現れるか、この目で確かめておこうと思って」


 何か裏の事情がありそうだ。


「どういうこと?」


 ミルヴァが私の化粧の仕上がりを鏡越しで確かめる。


「明日フィンス国王が暗殺されることになっているのよ」


 のんびりしているということは、それを止める気はないようだ。


「同じ日にハクタ国とカグマン国との間で戦争が始まるの。さらに、ここでどちらが勝ってもオーヒン国との戦争が待っているというわけね。つまり、かつての仲間同士が殺し合うということになるわね。誰が最後に生き残るか分からないけど、わたしは最終的にガタ族のハトマにこの島の女王になってもらおうと思ってるんだ。やっぱりわたしたち魔法使いによく似た人間って、男ではなくて、女の中からしか現れないんですもの」


 今のミルヴァがそうすると決めてしまったら、間違いなくそうなるだろう。



 夜明け前の出発だった。


「さぁ、マルン、行きましょうか」


 化粧を終えたミルヴァが手にしているのは大きな宝石を取り付けた杖だ。


「なにそれ?」


「ああ、この杖のこと?」


 ミルヴァが説明する。


「大陸に行った時に、見たこともない大きな琥珀石が売ってたから、こういう日のためにと思って、思い切って買っちゃったの。探そうと思えば自分で見つけられるんだろうけど、財産を持つようになってから、そういうのが面倒になっちゃって。それに仕事が真面目で、目が利くような宝石商には気前よく代金を払おうと思ってさ。それがお金持ちの務めでもあるわけでしょう?」


 確かに見事なカッティング加工が施されていた。


「この『稲妻の杖』ってすごいのよ? 前に『雷の杖』を見せてあげたことがあったでしょう? あれは石が小さいから単体にしか攻撃が効かないんだけど、この『稲妻の杖』はわたしの視界に入るすべての敵を一瞬で殺すことができるの。だからマルン、あなたはわたしの目の届く範囲にいてちょうだいね。危険が迫ったら、躊躇なく稲妻を走らせるんだから」


 ミルヴァは魔法使いとしては天才だけど、ネーミング・センスが悪いので、私には『イカズチ』と『イナズマ』の違いがよく分からなかった。おそらくだけど、彼女は世界中を飛び回っているから、きっと最果ての地から適当な単語を拾ってきたのだろう。


 それはともかくとして、魔法が道具のグレードアップによって強度が増すというのは素晴らしい発見だ。変装魔法にしても、やはり天才だけが次々と新しい魔法を生み出すことができるのだ。



「いい? しっかり掴まって」


 杖に跨って、ミルヴァにしがみつく。


「それじゃダメね」


 と言って、互いの胴を縄でしっかりと結ぶのだった。


「今度は一瞬だからっ」


 そう言うと、宇宙に向かって飛んで行った。


「マルン、あれが、わたしたちの地球よ!」


 それどころではなかった。

 息ができなくて、気を失いそうだった。

 でもミルヴァは平気なので、きっと私の思い込みだ。

 だけど無理なものは無理なのだ。


「いくわよ」


 気がついたら、浜辺で眠っていた。

 朝焼け具合が出発した時とそれほど変わらない。

 ということは、本当に一瞬で移動できたようだ。

 これは、ほぼ『瞬間移動』と言ってもいいだろう。


「どう、驚いた?」


 ミルヴァが私の顔を覗き込む。


「すごいでしょう?」


 手を取って起こしてくれた。


「結局ね、垂直落下が一番速いって気がついたの」


 気がついたとしても、実際にできる魔法使いはいない。いや、たとえ魔法使いであっても、焼け死ぬと思ってしまえば、それを自分に暗示を掛けてしまうので、人間と同じように死んでしまうのだ。私が死ななかったのは魔法のレベルが低いからだろう。


「ここが目的地なの?」

「そうよ、ここが目的地のサグラ港」


 見ると、遠くに大型船が停泊している港が確認できた。


「でも、よく正確な場所に移動することができたね」

「ああ、それね、実は巨石時代の遺跡が役立っているのよね」

「巨像とか、巨大墳墓とか、地上絵とかだっけ?」

「そう、ひょっとして、それらはわたしたちの先祖が目印として残して、人間が真似たのかもね」


 その辺は流石に時代が古いので、位の高い魔法使いにしか分からないことだ。



 それからサグラ港まで浜辺を並んで歩いた。


「あの港はね」


 ミルヴァが懐かしそうな顔をする。


「わたしが『アニーティア』として王宮に出入りしていた時に、このわたしが国王に進言して造らせたのよ? といっても元から小さな漁村はあったんだけどね。それでも大型船を停泊させるにはハクタ港よりも適していると思って、それで当時の七政院の連中を説得して回ったの」


 当時というと二十年くらい前のことだろうか。


「都生まれの七政院には、まず大型船というのが理解できないのよね。穀物船を想像するのが精一杯なの。これから船はどんどん大きく、どんどん速く、どんどん頑丈になっていくって言っても信じてくれないんですもの。絵を描いて見せても笑われるだけなの。それで実物を見せるしかないと思って、大陸から造船技師を連れてきたのよ」


 文化の伝播でおかしな現象があるとしたら、そこには必ず私たち魔法使いの存在がある。


「手付金だけ騙し取られたことが何度もあって諦めたんだけど……」


 そこでミルヴァは立ち止まって、朝日に照らされた大型船を見つめた。


「ちゃんと海を渡って来てくれた人たちがいたのね」


 感慨深いものがあるのだろう。


「でも考えてみれば、それはそうよね。最初は大型船を買い取って持ち帰ろうと思ったけど、断られて当然なのよ。彼らにしてみたら大型船を嵐から守れるだけの港があるかどうか分からなかったんですもの。船よりも港が大事だったのよね」


 それで時間が掛かったのだろう。


「それにしても人間って薄情よね? 違う。造船技師のことじゃないのよ? そうじゃなくて、誰一人『アニーティア』に感謝している人がいないんですもの。前に彼女に変身して王宮に行ったことがあったんだけど、追い返されたの。門前払いよ? 七政院の面子が入れ替わったとはいえ、あまりにも酷くない? それで『カグマン王国みたいな恩知らずの国は滅んでもいいや』って思っちゃったんだ」


 王宮に一人でもミルヴァに感謝できる人がいれば救われたかもしれないということだ。


「こういうのって全部国王の手柄になっちゃうのよね。造船技師が文化を伝えるために命懸けで海を渡ってきたというのに、そんな情熱すら功績を横取りするのよ? 『自分たちは貪欲に学んだ』とか、『大陸と対等な関係があった証左だ』とか、そんな意味不明な自慢をするのよね?」


 彼女は『高潔なる人物は必ずしも貴族社会から出てくるとは限らない』と言っていた。


「他人の功績を盗む人って何なんでしょうね? 先祖を誇ったって、現在のあなたが惨めなら仕方ないでしょうに。結局は頑張らないといけないというのに、他人の足を引っ張ったり、他人の功績を横取りしたりするのよ。起源説を唱える人間に碌なのがいないのも、全部そういうこと。楽をして現在の自分を誇ろうとするのね。それがお金になるなら儲けものって感じかしら? そんな暇があるなら『造船技師たちのように汗を流して、この島に貢献しろ』って言ってやりたいわ」


 ミルヴァは権力や圧力を恐れない唯一の島民だ。



 カグマン王国のフィンス国王が港に到着するまで時間があるということで、私たちはクルナダ国の外交団の特使が宿泊している宿屋街へ向かった。その途中、建設中の建物がたくさん目についた。


 これから海上貿易が盛んになるということで、地方から人が押し寄せてきているのだろう。元々は法務官の領地でもあるので行政が主導して行っているのかもしれない。ともかく、現状、島で一番活気に溢れた地域といっても過言ではないだろう。



「いや、これはこれは遠い所、よくおいでなさった」


 高級宿の主室で出迎えたのは特使のウーベ・コルーナだ。アステア系なので赤毛の持ち主だが、その赤毛が頭頂部にしか生えていないため、ミルヴァはニワトリに似ていることから、『トサカ男』と呼んでいた。


「それはどういう意味でございますの?」


 ミルヴァがゆっくりとした口調で返答をした。


「いえ、お身体を気遣ったまでです」

「心配されるような歳ではありませんことよ」

「ハハッ、これは失礼」


 人間には、私たちのことが老婆に見えているようだ。


「さぁ、お疲れでしょう。どうぞ、こちらへお掛けください」


 そこで海を一望できるテラスへとエスコートされた。ミルヴァとコルーナ特使が同じテーブルに着いて、私は壁際の長椅子に座った。陽射しが強かったけど、ひさしが丁度いい張り出し具合だったので気持ち良かった。


「アミーリア女史の手はいつもお綺麗だ」

「それでは手しか褒めるところがないようではありませんか」

「決してそのようなつもりは」


 弱り顔のコルーナ特使を見て、ミルヴァが老婆のように笑った。

 ミルヴァがしわがれた声で切り出す。


「それより本題に入ろうかね」


 そこでコルーナ特使が室内の警護官に手の合図だけで退室を命じるのだった。


「暗殺計画の方は順調かい?」


 トサカ男がコクリと頷く。


「朝一番の報告では万事予定通りのようでございます」

「それじゃあ、あちらさんには気づかれていないということだね?」

「ということになります」

「それは確かだろうね?」

「昨夜の時点で警備や警護が増員されたという話はありませんでした」

「うん」

「移動中の様子も報告するように命じているので心配はいりません」


 ミルヴァは老婆に見えるように姿勢まで崩して演技していた。


「ということは何かい? テレスコの息子は従弟を見殺しにするということかい?」

「ということでしょうな」

「それは確かだろうね?」


 コルーナ特使が力強く頷く。


「小官がオーヒンを出る時にはまだセトゥス領の隠れ家におりましたのは間違いございません。それで小官よりも早く王宮へ行くというのは考えられませんね。馬を気持ちよく走らせる道は多くありませんからな」


 戦争が起こると道が増えたりするが、カグマン領は比較的平和だった。


「ドラコ隊に伝令を託したかもしれないじゃないか」

「外部の者と接触したという報告も受けておりません」

「あの大泥棒は山籠もりに出掛けると聞いているよ?」

「小官がオーヒンを出た後に山に籠ったと聞きました」

「ちゃんと監視をつけてるんだろうね?」

「いずれにせよ、カグマン王が港に現れればそれでよいのです」


 ということは、監視が不十分ということだ。


「しかし、なんたって陛下は子どもの王様の命なんて欲しがるんだろうね?」

「ご存知ない?」

「最近はアナジアにすべてを任せているからね」

「左様でございますか」


 コルーナ特使が説明する。


「実を申しますと、此度の策謀は本国からの極秘指令などではないのです。首謀者は誰かと申しますと、コルピアス閣下ということになります。そこへシスター・アナジアが噛んだ形でございましょうか」


 ミルヴァは知らない振りまでしないといけないわけだ。


「お弟子さんのアナジア女史から説明があると思いますが、此度の計画は暗殺が目的ではないのです。計画では式典を終えたフィンス国王が大型船に乗って近海を遊覧する予定で、その時に船内で火を放つわけですが、その時に助け出されても構わないと考えております。大型船を燃やすことが目的でございますからね」


 それでは、ただの海賊だ。


「これは、一種の『警告』なのですよ。カグマン王国に海上貿易の相場を荒らされては迷惑極まりないですからな。コルピアス閣下はそれを望んでおられないのです。小官といたしましても、本国に圧力が掛かる前に対処せねばなりませんし、それが外交官の役目というものではございませんか? 大型船が燃えるのを見せることで、海上貿易に対して消極的になってもらえば、それでよいのです」


 ミルヴァが訊ねる。


「しかし大丈夫かね? 疑われて捕まりやしないかい?」

「その点は問題ございません」


 トサカ男がニヤッとする。


「なにしろ小官もフィンス国王と一緒に乗船しますからな」

「なるほど、自分も被害者になろうっていうわけだね?」

「左様でございます」

「せいぜい死なないことだね」

「ご一緒しますか?」

「バカ言うんじゃないよ」


 そこでトサカ男はバカ笑いするのだった。



 しばらくして部下から報告が入り、正午すぎにフィンス国王が予定通りに到着するということで、ウーベ・コルーナ特使は出迎えるために護衛を引き連れて宿を後にした。私たちは旅の疲れを理由に遠慮させてもらって、用意してもらった客室に移動した。


「さぁ、マルン、ゆっくりしている場合じゃないわよ」


 と言いつつ、部屋の中を見て回る。


「私たちも出迎えに行くの?」

「そんなわけないでしょう」


 と、寝室を覗く。


「よかった。これなら隠れ家に戻らなくても良さそうね」


 と、ミルヴァが手招きする。


「マルン、ちょっといらっしゃい」


 と言って、鏡台の前に座らせるのだった。


「今度は『アニーティア』に変身するから、少しだけ化粧を落としましょう」


 どうやらミルヴァは鏡を探していたようだ。鏡は貴重品なので宿屋だからといって常備されているものではない。それでも高級宿ならば備わっている場合があるのだ。『アニーティア』に変身するということは、次の行き先はハクタ国だ。


「フィンス国王には会わないの?」

「会うわけないでしょう? どうせ明日には死んじゃうんだし」


 と、ミルヴァが説明しながら中年女性に見えるように化粧を施すのだった。


「ハクタに行ってどうするの?」

「明日の午前中には戦争が始まるわけでしょう? それを特等席から見物するのよ」

「行っても大丈夫なの? デモンに捕まったりしない?」

「大丈夫よ、彼にしてみたら万事順調なんですもの」

「じゃあ、疑惑は晴れているというわけね?」

「今ごろ前祝いをしているかもね」

「確かに、戦争って始まった時には既に終わってるっていうもんね」

「といっても、最終的にわたしたちが勝つことを誰も知らないんだけどね」

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