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第三話(179) ガタ族のハトマ

 ガタ族が暮らす集落に到着したのはそれから三日後のことだった。海岸線沿いでは塩湖があり、そこで村人たちが製塩作業を行っていた。北西部族が使用する塩の多くはここで賄われているという話だった。


 岩塩に恵まれた南部に比べて、北部は特に塩の価値が高いようだ。また、潮の満ち引きの関係で製塩に適した場所も限られるとかで、ガタ族の塩浜は北西部族にとって重要な土地になっていた。


 カグマン国が統治する以前から塩税というものがあり、塩湖を有する海岸部に住む部族が納めた塩が一旦皇室に収められて、内陸部に住む部族が納めた雑貨や工業品などと、現物として交換される仕組みになっているそうだ。


 他にも労働力の対価、つまりは給料として塩が支払われるので、北部では貨幣と同等の価値を持っているようだ。ただ、税率というか、各々で価値観が違うので、負担の大小で揉めているらしく、定期的に話し合いが行われているという話だ。


 帝国が崩壊してカグマン国の統治へと変わっても、仕組みそのものは変わっていないとのことだ。それでも塩税の負担が増したことで不満は増大しているらしい。また、国王のユリスは州都長官時代から内陸部の部族を優遇しているため批判の声が大きいそうだ。


 それでも部族民が反旗を翻さないのは、国民生活の安定が保たれているからだろう。北西部族にだけは自衛権が認められており、塩税の徴収以外は干渉しない関係とのことだ。しかし、それがカグマン人による統治の限界でもあった。


 北西部族として一括りにされる三豪族が決起して完全に独立しないのは、三豪族の間でも対立や意見の相違があるからだ。それでも争うことなく共存しているのは、カグマン人による植民地化に抵抗するという共通の目的があるからに違いない。


 その三豪族の中でも、間に立つガタ族は特に不満が大きいそうだ。人口が多く、領土も他より大きいけれど、その分だけ税の負担が多くなっているというのがその理由だ。真面目な働き者ほど苦しむのは、何年経とうが、いつの世でも一緒だということだ。


 一方で、ナザ族やオガ族にも尤もらしい言い分は存在する。それは自分たちが外部の敵からの侵略を防いでいると自負している点だ。それは正しいかもしれないけど、平時が続けば、大飯食らいの怠け者に見えてしまうのも仕方のないことだ。


 平時といえども軍備を怠らないから平和が保たれている、と全員が考えてくれるわけではない。戦争を体験せずに年齢を重ねてしまうと、軍隊なんて必要ないのではないか、という思考に至ってしまう人が増えてしまうからだ。


 ゲミニ・コルヴスがせっせと戦争の準備を始めているところなので、せめて『自衛だけは怠るな』と言ってやりたいところけど、それも余計なお世話なのかもしれない。そんなことを考えていると、目的地に辿り着いた。



 ところが、ガタ族が暮らす集落に到着すると、ミルヴァは村の人と挨拶を交わすだけで、すぐにその場を後にしてしまった。それから川上に向かって歩き出し、山の奥へと歩を進めるのだった。


「あれ? 族長さんに会うんじゃないの?」

「ハトマは狩猟係だから山暮らしをしているのよ」


 僻地に暮らす部族といっても、ガタ族だけでも三十万から四十万の人口があり、近親婚を繰り返すと病気になることを知っているので、あえて分散して集落を形成しているとのことだ。


 そもそもガタ族は婚姻によって区分化されたという経緯があるので、南方移民の原住民であるナザ族と、北方移民の原住民であるオガ族が、結婚して生まれたのがガタ族の祖先というわけだ。血が濃くならない為の方策だったのだろう。



「アナジアじゃないかっ!」


 川上の集落に到着すると、ひと際身体の大きな女がこちらに向かって駆け寄ってきた。


「ハトマ!」


 そう言って、ミルヴァは族長と抱擁を交わすのだった。


「我が妹よ、会いたかったぞ」

「わたしもよ、姉さん」


 ハトマは三十前後の大きな女だ。灰色の髪は混血の証だ。北方部族の白髪は色素欠乏ではないので、きれいに色が混ざり合うのが特徴的だ。人によっては斑模様や縞々模様になることもある。


「ちょうどイノシシ狩りから戻ってきたところだったんだ。一緒に食わないか?」

「ごめんなさい。今は断食中なの」

「そうか、それならば仕方ないさ」


 カグマン王国の女は問答無用で農婦か女工にさせられるけど、部族の女に生まれたら、どんくさい男よりも、身体能力に優れた女が狩猟に選ばれる。女よりも運動神経が鈍い男は思ったよりもたくさんいて、女よりも使い物にならないからだ。


「連れがいるとは珍しいな」

「この子はナデアといって、わたしの妹みたいなもの」


 ハトマが灰色の瞳で私を見る。


「だったら、あたしにとっても妹のようなものだ」


 そう言って、強引に私のことを抱きしめるのだった。行為自体は嬉しかったけど、力の加減が分からないのか、息苦しくて仕方がなかった。そのことを知ってか、ミルヴァはニタニタと笑っていた。


「それにしても、しばらく会えないと言っていたじゃないか。どうしたんだ?」

「うん、姉さんに相談したいことがあって、それで急いできたの」

「そうか、分かった。かわいい妹のためだ、あたしが相談に乗ろうじゃないか」


 そう言うと、私たちを自宅の山小屋へと案内するのだった。途中で村の人と挨拶を交わしたけど、女も男も身体が大きくて、それでいて足が速そうな体型をしている者ばかりだった。しかもハトマと同じように明朗快活な人たちばかりなのが印象的だった。



「椅子はないから、寝台の上にでも腰掛けてくれ」


 小屋の中には四つのベッドがあり、そこで女四人で共同生活を送っているとのことだ。食事は村人全員で一緒に行うため、夜になるまで同居人が戻ることはないと言っていた。結婚して子どももいるけど、狩猟期間が終わるまで山籠もりするのが彼女の仕事だそうだ。


「それで、相談したいことというのは?」


 ハトマの問い掛けにミルヴァが答える。


「うん、少し困ったことになっちゃってね、ほら、前に来た時に『王国が三つに分割された、この機を好機と捉え、先祖の土地を取り返す動きがある』って言っていたでしょう? それを噂話としてオーヒン国のゲティス国王に話してしまったの。それも『ハクタ国と北西部族が協力関係にある』ってデマを付け加えてね。というのも、王家にとって大切な家宝を持ち出した貴族の子どもがいて、その子の背後にいる協力者を知るためにも重要だったの。それで、その土地を奪還する作戦はどこまで進んでいるのか知りたくて、急いできたんだ」


 ミルヴァはハトマに対して情報を正確に伝えた。これはかなり信頼しているとみて間違いなさそうだ。それとは別に、やっぱりミルヴァは人間に戦争を唆しているわけではなかった。それを確かめられただけでも同行して良かったと思った。


「そうか……」


 ハトマは呟いて、天井を見上げた。

 ミルヴァが頼み込む。


「わたしたちがお願いしたいのは、ハクタ国と協力関係にあるというデマを、是非とも実現してもらいたいの。それは王城内におけるわたしの立場が危うくなるとかではなくて、それが正に最善の策だからなのよ」


 ハトマが渋面を浮かべる。


「いや、確かに一昨日までは盛り上がっていたんだ。『渡来人なんか追い出してやろうぜ』ってね。ところが三日前に国王が軍隊を引き連れて都に帰ってきてさ、その大行列を見た偵察隊が青い顔で戻ってくるものだから、一気に熱が冷めてしまったんだ。出発前よりも兵士の数が増えて帰ってきたからね。在留兵を含めれば五万はくだらないという話だ。それだけの数を相手に戦うのは無理だ」


 ミルヴァが粘る。


「北西地域には百万人近くの部族がいるのよ?」

「戦う者は五万の半分もいないさ」

「先祖の土地を取り返したいんじゃないの?」

「まともに戦えるだけの武器がないんだよ。棍棒で突撃させるのか?」

「だったら、わたしが用意する」

「用意してもらったところで、慣れない武器には戦闘訓練が必要だ」

「そうね」


 珍しくミルヴァが引き下がった。


「しかし、なんでまた、アナジアはそんなにもあたしたちに協力的なんだ?」


 ミルヴァが答える。


「それはハトマのような素敵な女性を守るためなんだよ。女性差別の元凶でもある太教が島に蔓延れば、同化されて、たとえ姉さんのような人でも、田んぼか工場でしか働き口がなくなってしまうの。それは立派な仕事だし、なくてはならない職業なんだけど、それは数ある選択肢の中の一つでなければならないのよ」


 ウルキア帝国では当たり前のことが、ここには存在していなかった。


「太教に支配されるとね、修行者のわたしですら神職を奪われてしまうんですもの。それだけならまだマシな方で、一度でも異教徒のレッテルを張られたら、道端で裸にされて、大勢の男たちからレイプされて、そのまま火あぶりにされてしまうんだから。それが大陸ではもうすでに実際に起こっているの。大陸で起こったことは、必ずこの島でも起こる。そのためには王政と戦うだけではなく、勝たなくてはいけないのよ。それにはハトマの協力が必要なの」


 正にそれこそが私たちの唯一にして絶対の目的だ。


「宗教家らしい答えだね」


 そう言ってハトマは微笑むが、目の奥が怒りに燃えているのが分かった。戦争が起こる度に部族の女が王国の兵士から酷い目に遭わされてきた話を聞かされているはずだ。だから、怒らないはずがないのだ。


「それにしても、オーヒン城に出入りするアナジアがハクタ国と手を組もうとするなんて、なんとも胡散臭い話だな。確か両国は仲が悪いんだろう? それで、どうして敵対する国と、あたしたちとを、わざわざ手を組ませようとするんだ?」


 ミルヴァがニヤリとする。


「それは一時的にだけど、ハクタ国を勝たせようと思っているからよ。ハクタ国と同盟を結んだところで、オーヒン国は必ず裏切るに決まっているんですもの。約束は破るためにあると思っているような連中なんだから。でも、絶対に勝てると確信が得られるまで動かないのがゲミニ・コルヴスなの。そのためにも後背の敵であるカイドル国が目障りなのね。そこで北西部族が戦争をしたがっているという噂に飛びついたのよ。ハクタ国の支援を妨害しないのもそのためね。むしろ協力しようとしているでしょう? オーヒンとハクタにとって当面の敵はカイドル国で、完全に利害関係が一致したのよ。だからわたしたちも王政にダメージを与えられるなら、この機を逸してはいけないと思うの。三脚というのは、そのうち一本でも折ってしまえば、後は倒れるしかないんですものね」


 ユリスを犠牲にするということは、ビーナとの決別を意味すると既に伝えてある。

 ハトマが訊ねる。


「ハクタ国の支援というのは、本当に期待できるのか?」


 ミルヴァが頷く。


「それはわたしが保証する。ハクタ国には大陸から武器を買うお金を出してもらって、オーヒン国の交易ルートを使って密輸するの。すべては密約だから、誰にもこちらの動きを掴ませないから安心して」


 ハトマが訊ねる。


「その、王家の家宝を盗んだ貴族の子どもというのは? 背後に協力者がいれば奇襲が失敗して返り討ちにあうんじゃないのか?」


 私もそれが疑問だった。


「大丈夫。挙兵さえしてくれたら、わたしが必ず勝たせるから」


 ミルヴァが保証した。


 つまり魔法を使うということだ。挙兵もなく兵を殺せば不自然なので、戦端が開かれることが重要というわけだ。ミルヴァが前線で戦えば戦争を早く終わらせることができるので、被害を最小限に抑えられるのが利点だ。


 ハトマは自信なさげだ。


「その挙兵が、上手く兵士を集められるかどうか……」


 結局、話がそこに戻ってしまった。


「北のオガ族はどういう反応なの?」

「いや、まだ話し合っていない」

「そもそも彼女たちが立ち上がる決意をしたんでしょう?」

「それでも、あたしたちの協力を見込んでのことだろうからな」

「だったら、わたしが話し合ってみる」

「焚きつけて、討ち死にさせる気か?」

「そんなことにはならない」

「その保証もないだろう?」

「わたしも彼女たちと一緒に戦うの」


 ミルヴァが決意を固めた。

 しばらく見つめ合った後、ハトマが重い口を開く。


「だったら、あたしも一緒に戦おう」


 ミルヴァが首を振る。


「それはダメよ」

「どういうことだ?」

「あなたには生きていてもらわないといけないから」

「他人に戦わせて、隠れていろというのか?」

「あなたは死んではいけないの!」


 その強い口調にハトマは気圧されるのだった。


「ハトマにはこの島の女王になってもらうんだから。わたしはもう、そう決めたんだから。だから、あなたには戦わせない」


「しかし――」


 ハトマの言葉を、ミルヴァが遮る。


「もう、大将が前線に立って戦う時代ではないのよ? それにハトマには別にやってもらいたいことがあるの。ここに来る前にナザ族の族長さんと会って、その時に彼女たちにも『ハクタ国と北西民族が手を組んでいる』というデマを流してきたんだ。ほら、彼女たちはモンクルス隊と繋がりがあるでしょう? だからその彼女たちに『デマはデマだった』と思い込ませてほしいのよ。自分たちで疑惑を晴らすことで、より強く確信を持つと思うんだ。その効果を狙いたいの」


 ハトマが訊ねる。


「具体的には何をすればいい?」


 ミルヴァがその場で思案する。


「日常生活を変えずに武器や防具の密輸を手伝うだけでいい。彼女たちは必ず探りを入れてくるだろうから、気取けとられないようにしてほしいんだ。あなたは族長で、ひと際目立つでしょうから、そのためにもオガ族との接触は控えてほしいの」


 ハトマが得心する。


「それで戦わせないというわけだな。うん、いいだろう。あたしもナザ族を計画に引き入れるつもりはなかった。あの連中ときたら口ばっかり達者で、それでいて労せず功の分け前を要求するのだからな。今の彼女たちを見たらモンクルスは何を思うか、想像すらしたくないね」


 人間は守られるのが当たり前になると、途端に態度が大きくなる生き物だ。国境で警備をしている人たちのことを気にも掛けず、自分たちは安全な場所で優雅にお茶をたしむ。つまり人間とは誰もが腐敗する貴族になる素質を持ち合わせているということだ。



 その夜、同居人の三人には別の山小屋に移ってもらって、ハトマとミルヴァと私の三人で一緒に眠ることとなった。といっても私たちは睡眠を取らないので、朝まで眠った振りをしなければならなかったのだが。


「アナジア、起きているか?」


 端にいるハトマが隣で眠るミルヴァに声を掛けた。


「ええ」


 眠そうな振りをしているミルヴァが可愛らしかった。


「ふと、思い出したんだ」


 窓から差し込む月明かりが優しい。


「死んだ婆様のことを憶えているだろう?」

「うん」


「その婆様が言ってたんだ。三十年前に渡来人が都に移り住んで、大きな顔をして歩き回っては、部族の暮らしを見ては笑うんだってさ。何もしていないのに笑うんだ。奴らにとっては、まるで猿が自分たちの真似をしているみたいで可笑しかったんだろうな」


 よく聞く話だ。


「笑われたことで、婆様は恥ずかしいと感じたそうだ。今までそんな感情を持ち合わせたことがなかったのに、惨めにも感じたって言っていたな。でも婆様は何が嫌って、恥ずかしいと感じる自分が嫌だったそうだ。それは自分だけではなく、家族や村人に対する気持ちでもあるからね」


 ハトマの声が震えている。


「でもアナジア、きみは違った。あたしたちに『人間が人間らしく生きている素敵な村ね』と言ってくれたんだ。あたしたちはただ、ご先祖様から譲り受けた暮らしを受け継いでいるだけだ。それが婆様にとっては、自分が褒められることよりも嬉しかったんだな。婆様が死ぬ前に、民族の誇りを取り戻してくれて、ありがとう」


 人間からお礼を言われたのは初めてかもしれない。


「あたしたちに会いにきてくれて、ありがとう」

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