第一話(177) アナジアの策謀
最近のミルヴァは私やビーナに相談することなく勝手に作戦を立てて実行してしまうので、今後の予定を知るにはわざわざこちらから質問しなければならなかった。そこで大聖堂内の間借りしている客室で訊ねてみることにした。
「ねぇ、ミルヴァ、じゃなくて、アナジア」
ゲティス国王との会話を終えた彼女は革張りのソファで一息ついているところだ。
「さっきの話で気になることがあったんだけど、北西の豪族がハクタ国の支援を受けて、カイドル国に対して戦争の準備をしているというのは本当なの? ビーナはそんなこと一度も言ってなかったよね?」
ミルヴァが気怠そうに答える。
「ああ、それはその場で思いついたの。自分で言うのもあれだけど、なかなか良いアイデアだと思わない? ヴォルベを試すつもりで考えた策だけど、オーヒン国の背後にカイドル国があると、ハクタ国が覇権を握るのは難しいものね。最終的にはマクス国王に島を統一してもらわなければならないんだから、早め早めに障害を取り除いてあげないと」
なぜかモヤモヤしてしまう。
「冷静に考えれば、ハクタ国は建国したばかりだから豪族を支援する余裕はないし、そもそも軍事同盟を結べる関係ではないのは明白よね? でも、人間というのは疑り深い人ほど裏に何かあると考えてくれるでしょう? ゲミニ・コルヴスがその典型ね。彼のことだから勝手に陰謀があると思い込み、裏も取らずに息子の話に乗っかってくれると思うの」
なにか引っ掛かる。
「そのためにも先回りして、ハクタ国が豪族を支援する、ということを既成事実にしないといけないのよね。近いうちに三豪族の酋長さんたちに会いに行こうと思うから、マルン、今回はあなたにもついてきてもらうわよ。長旅の場合は話し相手がいないと退屈で仕方ないんですもの」
モヤモヤの原因が分かった。
「一緒に行くのは構わないけど、旅の目的って豪族をそそのかして、カイドル国との戦争をけしかけることだよね? それを知ったらビーナは怒らないかな? せめて前もって相談くらいはしておいた方がいいと思うんだけど」
そう言うと、あからさまにミルヴァが不機嫌になった。
「なんでビーナが怒るの?」
ここは落ち着いて、冷静に答える必要がある。
「いや、その、前にビーナが言ってたんだけど、『人間は放っておいても勝手に戦争を始めるから、そんなものに反対しても無駄だ』って。でも、『ワタシたちが人間同士を争わせるのは間違いだ』って言ってたの。つまり戦争の勝敗を左右させる行動や、人間が始めた戦争を早く終わらせるのはいいけど、自分たちから戦争を起こすような真似はしちゃいけないって」
すかさずミルヴァが反論する。
「ちょっと待って、マルン、あなた何か勘違いしているんじゃないの? ハクタ国を勝たせるというのはビーナが考えた作戦なのよ? それを実現させるために頑張っているのに、どうしてわたしがあの子に怒られないといけないのよ?」
「でも、ほら、私たちはマークス・ブルドンのように、お世話になった人間には素晴らしい生涯をプレゼントするって決めているでしょう? だからビーナはユリス・デルフィアスにも素晴らしい生涯をプレゼントしてあげたいと思っているの。だけど、建国したばかりのカイドル国に戦争を仕掛けるとユリスを苦しめてしまうことになるじゃない? だからビーナも反対すると思うんだ。ちょっと前に『ユリスを見殺しにしたら許さない』って言ってたし」
そのように説明しても、ミルヴァは納得してくれなかった。
「『許さない』ってどういうこと? ハクタ国に勝たせるのが、わたしたちのシナリオでしょう? それでどうやってカイドル国を見捨てずに勝たせられるというの? 矛盾しているじゃない? あの子が書く台本って、いつもそうなのよね。理想ばかりで現実が見えていないの。結局はその欠落した現実部分をわたしが補ってあげてるんじゃない。反対するだけの人って楽でいいわよね。だって、自分の手を汚す必要がないんですもの」
その指摘は事実だった。矛盾や言動不一致など、あげればきりがないけど、実はその作品の欠陥部分にこそ、迷える心情や苦悩が描かれているわけで、そして、それこそがビーナそのものだったりするのだ。
「ビーナの気持ちは伝えたからね」
私はそれだけしか言ってやれなかった。
ゲティス国王がミルヴァの元を再訪したのは翌々日のことだった。ミルヴァが持ち掛けた作戦を、父親のゲミニがどのように反応したのか報告してもらうことになっていた。この日もゲティスは護衛に待機を命じて、一人で客室にやってくるのだった。
「マザー・アナジア」
長椅子に仲良く腰掛けているミルヴァにゲティスが話し掛けた。
「例の件を父上に相談してみたのですが、『ヴォルベ・テレスコがスパイかどうかを探るにはいい方法かもしれないが、ハクタ国が豪族と手を組んでいるのが事実ならば厄介だ』とも言っていたのですね。つまり父上はこう考えているのです。ハクタ国と豪族が手を組んでいるというのは意図的に流されたデマで、実はカイドル国と豪族が手を組んでいる可能性もあると。デマを流すことによって、豪族が戦争の準備をしているのを、我々は黙って見過ごすこととなります。それこそが敵の真の狙いで、気づいた時には我々に対する包囲網が築かれているのではないかと」
国王が不安そうに続ける。
「ハクタ国のオフィウ王妃陛下とカイドル国のユリス・デルフィアス国王陛下の仲は芳しくないというのは有名ですが、共通の敵が存在するならば、その時だけでも手を組むことはできると、父上は懸念しているのです」
いかにも疑り深いゲミニのオヤジが考えそうなことだ。
「保証がなければ父上は動かないと思うのです。どうしたものでしょうか?」
ミルヴァが珍しく長考する。その横顔を、ゲティス国王は『待て』をされた子犬のような眼差しで見つめるのだった。ミルヴァが声を掛けなければ、そのまま何日も待ち続けるのではないかと思われた。
「お父上が懸念するのは無理もありませんね。北西部族の存在は、かのモンクルスですら恐れていたといいますからね。では、こうしてみてはいかがでしょう? 近いうちにハクタ国と三豪族の間で不可侵条約が結ばれるので、それにオーヒン国も加わるのです。そうすれば不安は一掃されるではありませんか。お父上とオフィウ王妃陛下が不仲であることは承知しておりますが、共通の敵が存在するならば手を組むことも可能でございましょう?」
そう言って、ミルヴァが皮肉の笑みを浮かべるのだった。
ゲティスもつられて笑うが、すぐに不安げな表情になる。
「しかし果たして、そのようなことが実現可能なのでしょうか? 北西部族とは国交もありませんし、ハクタ国にしてみたら、外交努力によって実を結んだ条約を横取りされたように感じるのではありませんか? 国益に反する不利な制約があるならば断固拒否せねばなりませんし、そうなった場合は余計に関係がこじれないか不安になるのです」
不安症は父親譲りのようだ。
「そもそも我々の間には言葉の問題というのがございます。北西部族は閉鎖的なので部族の言葉しか用いないというではありませんか。言葉は戦争や植民地化で混ざり合うと聞きますが、北西部族とは戦争を回避してきましたからね、我々が外交団を派遣したところで、まともに言葉が通じるのか、それも不安になるのです」
ミルヴァがゲティスの手を握る。
「でしたら、わたくしが話をまとめてこようではありませんか。もちろん陛下に許可をいただければの話ですが」
ゲティスがミルヴァの手を握り返す。
「よろしいのですか?」
「陛下の御為なら」
「北西地域は危険だと聞いています」
「それも陛下の御為なら」
「マザー・アナジア」
そう呟くと、ミルヴァの手を額にこすりつけるのだった。
「条約の締結が実現したら、即位以来、陛下にとっては最初の大仕事となりますわね」
「そこまで考えてくれていたのですね」
「お父上もさぞお喜びになられることでしょう」
「早速相談してみたいと思います」
「陛下御自身が考えて決めたことだと申し上げればよろしいかと」
「それではマザー・アナジアの功にはならぬではありませんか」
「わたくしは陛下のお役に立つことができればそれでよいのです」
「なんて謙虚なお人なのでしょう」
ゲティスは気づいていないが、会話の随所に魔法が掛けられていることを、彼は知らない。ゲティスが父親に話す時には、最初から自分が考えたアイデアのように話すこととなる。本人が気づかぬうちに、魔法によって行動が制御されているというわけだ。
人間というのは頭の中で勝手に辻褄を合わせたり、過去の記憶を美化したり、自分に都合よく解釈して思い込むので、後は事実を知るミルヴァが上手に調整してあげることで、記憶に整合性が保たれるというわけだ。
同じ魔法使いでも私にはできないことだ。これは人間における運動神経のようなもので、頭では分かっていても実践できないという、そんなもどかしさに例えると分かりやすいかもしれない。
ゲティス国王が結果を報告しにきたのは翌々日になってからだ。いつものように客室まで一人でやってきて、ミルヴァに跪いて挨拶をしてから、それから長椅子に並んで腰掛けて会話を始めるのだった。私はそれを戸口に立って見守るだけだ。
「マザー・アナジア」
ゲティスの顔はまるで母親に一日の出来事を報告する子どもみたいだ。
「例の件を父上に相談したのですが、今回は大変気に入った様子で、『平和条約の締結はお前に一任するから』と、続けて『是が非でも実現させろ』と急き立てられました。父上ったら、まるで自分が思いついたアイデアであるかのように命令するのですよ」
息子がもたらした話ですら自分の手柄にしてしまうというのが、実にゲミニ・コルヴスらしいところだ。元々はミルヴァのアイデアだけど、父親を目立たせるというのがミルヴァの狙いだし、それを見越しての策謀でもあるわけだ。
「すでに具体的な日程も考え始めていて、年内に三者会談を行うならば、来春までには調印式を実現させたいと言うのですね。それを秘密裏に行ってほしいとも言うのです。というのも、この機を利用してヴォルベ・テレスコがカイドル国と通じているか試すつもりなのですね。元々はマザーが私に授けた策ですが、父上はすっかり自分が思いついた策だと思っているのです。どうか、父上をお責めにならずにいただきたい」
ミルヴァがゲティスの茶色い髪を指で梳く。
「それでいいのですよ。わたくしが陛下に『存在を目立たせぬように』とお願いしたのですからね。それが上手くいったということは、陛下の話術が巧みだった証でもございましょう。このままわたくしたちの存在を隠し続けて、暗殺者の目に留まらぬことが肝要でございますわね」
ミルヴァは母親を知らない甘えん坊の貴族を扱うのが上手だ。いや、そういった共通点を持っていたからユリスとゲティスに近づいたのかもしれない。マザコン男は有能な反面、暗示に掛かりやすいのでターゲットに向いているのだろう。
「こうと決めればすぐに行動に移す父上なので、早速ガルディア帝国の外交官ら二人に話を持ち掛けたようです。おそらくですが、近いうちにヴォルベ・テレスコはオーヒン城に呼ばれて、北西部族がカイドル国に対して戦争の準備を始めているという話を聞かされることとなるでしょう。そのことはヴォルベ少年しか知りません。今後カイドル国やカグマン国がどのような動きを見せるのか、すべては一人の少年の判断に掛かっているというわけですね。父上はスパイだと睨んでいますが、スパイのような動きを見せないならば、それはそれで本物の大悪党だとも言っていました。どちらにしても厄介な存在に変わりはないというわけです」
そこでミルヴァが魔法を唱える。
「陛下、よろしければ、わたくしにヴォルベ・テレスコと会う機会を与えていただけないでしょうか? と申しましても、会う約束を取り付けていただかなくてもよいのです。ただ、その少年が城を訪れた時、その帰り道にでも大聖堂に寄っていただくように声を掛けていただくだけで結構ですので」
魔法に掛かったゲティス国王が頷く。
「それでは、それも父上にお願いしてみましょう」
「陛下はどんな望みも叶えてくださるのですね」
「自分でも不思議なのですが、マザーと出会ってからすべてが順調なのです」
「これからも共に祈りましょう」
そう言うと、デートにでも行くかのように聖堂へと向かうのだった。
魔王子ことヴォルベ・テレスコが大聖堂を訪れたのはそれから一週間後のことだった。モンクルスの片腕といわれた父エムルと同じように、周囲への警戒を怠らない優秀な兵士だ。
この日はガルディア帝国の外交官とクルナダ国の特使との会談を終えた翌日ともあって、心配事を抱えたせいか、頭の中で色んなことを考えているように見えた。それでも普通の人から見たら、ふてぶてしい子どもにしか見えないだろう。
今回の訪問は、ゲティスから生活必需品の援助があって、それでそのお礼に立ち寄ったことになっており、その前にミルヴァと私の三人で会うという段取りができていた。
「お掛けになったままで結構ですよ」
客間に入るなりヴォルベが立ち上がったので、それをミルヴァが制した形だ。
「白湯をお持ちしただけですからね」
「お心遣い感謝します」
とは言ったものの、魔王子はコップに触れようともしなかった。
「少しだけお話をさせてもらっても構いませんか?」
ヴォルベがコクリと頷いた。
ミルヴァが彼の対面に座る。
「わたくしは修行者のアナジアと申します」
「ヴォルベ・テレスコです」
「どちらに所属の兵士様でございますか?」
「まだ十五になっておりませんので、どこにも所属しておりません」
原住民の血が濃いせいか、背丈は大人と変わらなかった。精悍な顔つきをしているけど、癖のある赤紫色の髪が印象を柔らかくしている。しかし、もうすでに何人もの優秀な衛兵を斬り殺したと聞いているので、ミルヴァも警戒していた。
「公子はハクタ出身と伺っておりますが、やはり将来はそちらに所属されるのですか?」
「いいえ」
「では、お父上がいらっしゃるカグマン国に所属なさるのかしら?」
「いいえ」
「それではカイドル国に行かれるのですね」
「いいえ」
「ということは、このままオーヒン国に亡命なさると?」
「いいえ」
ミルヴァの質問は尋問魔法でもあるので、普通の人間ならば嘘をつくことは不可能だ。心に疚しい気持ちがあったとしたら、言葉に詰まることはあっても、それを隠して反対の言葉を口にすることなどできないはずだ。
「どこにも所属しないとなると、今後どうされるおつもりなのですか?」
「私を高く買ってくれる国と契約を結ぶつもりでございます」
ゲミニが魔王子と称したように、ヴォルベは本物の大悪党なのかもしれない。
「そのために王妃と王太子を見殺しにして『金の王冠』を奪ったというのですか?」
「奪ったということではなく、偶々私の元に転がってきたのです」
ミルヴァの魔法が効いていないのだろうか?
「『金の王冠』は王家に伝わる家宝だと伺っております」
「だから子どもの僕に誰も触れることができないでいるのです」
「駆け引きの道具にされているのですね」
「保険、そう、金貸しにおける担保のようなものです」
あまりに正直に欲望を口にするので、かえって純粋に見えるくらいだ。
「お父上が知ったら、さぞや嘆かれることでしょう」
「僕に何を期待しているのですか?」
そう言って、魔王子はミルヴァに凄んで見せた。
「誰の差し金かは存じませんが、僕に泣き脅しは通じませんよ。『金の王冠』が欲しければ地位と名誉を保証することです。教会に行って、神牧者から説法を聞かされれば、僕が懺悔して改心するとでも思ったのかな? だとしたら勘違いも甚だしい。なにしろ後悔などしていないのですからね」
魔王子など存在しないのに、それが目の前にいるように感じられた。
「祖国への忠誠は?」
「兵士でもないのに、そんなもの、あるはずがない」
「フィンス・フェニックスへの忠誠は?」
「従弟の話はたくさんだ」
「ユリス・デルフィアスへの忠誠は?」
「辺境の王様に用などありません」
「お父上を裏切るというのですか?」
「くどい!」
「そうですか、わたくしではお力になれぬようですね」
ミルヴァの尋問魔法に掛からなかったのはモンクルスくらいだ。ドラコですら防ぐことができなかったので、ビーナですらマークしていなかったヴォルベに魔法を跳ね除ける力はないはずだ。ということは、やっぱりただの大悪党ということだ。




