第二十四話(156) ミルヴァの計算違い
何もなかったオーヒンの地に降り立ってから二年が経過した。その景色を小高い丘の上から、あの頃と同じようにミルヴァとビーナと一緒に並んで眺めていた。オーヒン町の発展は、間違いなく私たちが作り上げたものだ。
一年前に比べて、木造家屋は五千戸に増えて、人口はベントーラ領の城下町に住む移民を併せれば、当初の計画通り二万人を突破していた。男女の比率も偏ることなく、すでに新生児も生まれていた。
しかし、チャバ町からの移住者は思ったほど増えず、もうすでに引っ越し作業は終了した感があった。結局、五万人のうち三割程度しか移住してこなかったという計算だ。それはやはり生まれ故郷を大切に思う気持ちがあるからだろう。
ただし、ミルヴァもチャバ町に住む町民を全員移住させようとは思っていなかったので、それも織り込み済みのようだ。というのも、移民政策が予想以上に上手くいっているので、無理に移住させる必要がなくなったわけだ。
最近は政策を切り替えたようで、チャバ町をオーヒン村に吸収させて、新たにオーヒン町とするように働きかけているようだ。ところが、ブルドン村長とチャバの町長が話し合っているが、なかなか互いに譲らないらしい。
というのも、吸収合併は帝都にお伺いを立てなければならないとかで、まずは皇宮に話を通して、そこでオーヒンが町の認可を受けてから、改めて合併案について検討しましょう、というのがチャバ側の主張のようなのだ。
ビーナからの報告によると、帝都はオーヒン一帯で人口が増えていることは把握しているが、慎重に調査をしている最中のようで、ブルドン村長の元にはまだコンタクトがなかった。
つまり帝都は、マークス・ブルドンを正式な村長とは認めていないということだ。それだけではなく、どうやらこのままオーヒンを発展させて、そこへ帝都から町長以下、役人を送り込む計画があるらしいのだ。
それに関して、ミルヴァはブルドン村長に忠告しようとはしなかった。それはどうやってもオーヒンにいる人間には知り得ない情報だからだ。帝都の動きを知っているとなると、途端にスパイ活動を疑われてしまうのが人間社会の怖さだからだ。
「ねぇ、ミルヴァ」
ビーナがオーヒン村を見下ろしながら訊ねる。
「これだけたくさんの人たちを幸せにしてあげたというのに、それが誰一人ウチらのおかげだとは思ってないんだけど、いい加減、虚しくならない? マークスを偉大な国王にするって決めたのは自分たちだって分かっているけどさ、あまりに空虚なのよね」
ミルヴァの顔は誇らしげだった。
「こんなもんじゃないから。この程度じゃないから」
世界の行く末が見えているのは、この地球上で彼女だけかもしれない。
「でもさ、アント・セトゥスなんて小賢しい男までウチらの計画に便乗してきたわけじゃない? これって、まだまだ便乗する奴が増えてくると思うんだ。帝都の奴らなんて丸ごと盗もうとしているんだよ? まぁ、ウチらがいる限りそんなことはできないんだけどさ」
そこでビーナが南の方角に目を向けて続ける。
「厄介なのは王都の動きよね。ほら、コルピアスが王宮に呼ばれたでしょう? 何を話したのかキャッチできなかったけど、王宮の貴族どももオーヒンの土地を強引に奪いにきてもおかしくないんだよ? ベントーラ家とセトゥス家は直系ではないにしろ、王家であることに変わりはないんだからさ。いつウチらの村長を裏切っても不思議じゃないんだもん」
ミルヴァが宣言する。
「あと三年。三年以内にこの島を手に入れてしまいましょう。とりあえず王国軍や帝国軍と戦えるだけの兵力さえあればいい。戦争になったら、わたしたちの力で勝たせることができるんだから。我が軍の兵士には槍だけ持たせておけばいいの。でも、勝利が不自然に見えないように、非現実的な兵力差があってはいけないじゃない? だからもっと移民の受け入れが必要なのよ。三年後には五万人に増やして、そうすれば兵力だけでも二万から三万人は計算できるでしょう? そうすれば相手側五万の遠征軍なんか、わたしたちで蹴散らすことができるものね。大陸で経験した三十万の軍勢に比べれば大したことないんだから、圧勝するに決まっているわ」
現在のカグマン島の人口は四百五十万人で、帝国領の北部に三百万いて、王国領の南部はそれよりも遥かに少ない人口だと聞いている。その中でも遠征に参加できる戦闘員は、両国ともに少なく見積もって五万人程度ではないかと考えているわけだ。
狭い島国とはいえ、歩けるだけの足がなければ、山や森に住んでいる部族や豪族に物資を奪われるだけなので、島の戦史と照らし合わせても、行軍できる限界が五万人だと予測できた。
「それと五年で一度リセットする必要があるの。初めから歳を取っていれば目立たなかったんでしょうけど、さすがに十七歳のまま五年も変わらない姿であり続けるのは不自然ですものね。わたしたちを真似て断食を始める人もいるでしょう? 人間が真似ても意味がないというのに、どうしてみんな特別になりたがるのかしらね?」
それでも私たちを真似てくれるから、修道館の女の子たちはお行儀よく育ってくれるという部分がある。罪を犯した女が修道館で悔い改めてくれるというのも、私にとっては誇らしい体験だった。
「そういう意味でも残り三年で計画をやり遂げなければならないわね。そのためにもビーナはこれからも帝都と王都の動きを監視してちょうだい。わたしは半島へ行って移民を連れて来る。マルンは村を守っていてちょうだいね」
とうとう私だけ曖昧な言葉で託されるようになってしまった。
それから一年後の同じ日の同じ場所で、さらに発展したオーヒン村の景色を丘の上から眺めた。ミルヴァの計画通り、オーヒン村の人口は三万人に達して、とうとうチャバ町と同じくらいの規模にまで発展したのだった。
コルピアスがとにかく意地悪な男で、とうとうチャバの町民に嫌がらせを始めるようになったのだ。といっても、市場から追い出しただけなので、彼にとっては利益の追求という意識でしかないが。
チャバ町は蝋燭や油や亜麻などの生活必需品を中心とした生産が盛んだったけれど、同じ産業をオーヒン村周辺でも興して、しかもオーヒン産の方が安く手に入るということで、ここ一年で流通に変化を起こしてしまったというわけだ。
人口が増え続けていても食糧自給率が通年で百パーセント超えを維持していたので、食品以外のものづくり産業がすべて銀貨へと換わるのだ。コルピアスは移民を運ぶついでに交易を行うので、儲かって儲かって仕方がない様子だった。
これは彼が交易路を取り仕切り、販路を拡大させたから現在の成功に繋がっている。原材料を確保して、生産効率を高め、消費者まで届けるのがコルピアスの総合ビジネスで、どれか一つでも注意を怠るとすぐに停滞するそうだ。
だからこそ最初は赤字覚悟の薄利多売でも、寡占状態から独占状態にするべく、チャバ町の競合相手を廃業に追い込もうとしているわけだ。現に卸業者や運送業者は既に交渉相手をチャバ町の役人からコルピアスに切り替えている。
「ねぇ、ミルヴァ、聞いた?」
ビーナが訊ねる。
「これはベントーラ領の話なんだけどね、どうも最近になって城下町の方で問題が起こっているらしいよ。いや、ウチも見てきたわけじゃないから規模までは分からないんだけど、移民の間で争っているのが、カラス部隊の調査で分かったの」
ミルヴァがあからさまに不機嫌になる。
「問題ってなに?」
カラスからの報告をビーナがまとめる。
「色んな問題があるんだけどね、ほら、六人一組で小隊を組ませたじゃない? それでその部隊ごとに仕事を振り分けてるんだけど、どうも与えられた仕事に格差があったり、小隊長に不満があったり、組み直したいっていう要望があったり、中でも深刻なのが、移民してきた時期によって上下関係が生まれてしまうことなのよね。先に仕事を始めた人は、先に仕事を覚えたのだから、指導する立場になるのは当然じゃない? でも、それが人によっては暴力的だったり、殺人的だったりするのよ。一番に仕事を始めたというだけで指導的立場についてしまうから、楽な仕事を自由に選べて、それが永続的に維持されてしまうの。後から来た者はいくら優秀でも、一期の人間の上に立つことができないみたい。これでは不満が募るばかりで良くないと思うんだ。どうしたらいいと思う?」
ミルヴァがウンザリした顔で呟く。
「くだらない」
今までで一番大きな溜息をつく。
「はぁ、本当にくだらない。無能な上司や先輩は効率を下げるだけの害虫でしょう? そんなのはさっさとクビにして、喋る仕事から外してしまえばいいじゃない。有能な人材の足を引っ張るような奴には口を開かせてはいけないの。これまでもたくさん見てきたでしょう? 間違った人間は間違いに気づくことができないから、間違ったことを延々と社会に垂れ流すのよ。それもバカみたいに大きな声でね。悪いけど、そういう輩には、もう、二度と関わり合いになりたくないの。こんなくだらないことは、人間同士でやってればいい。わたしたちが考えることじゃないわ」
よく吠えるのも、相手を言い負かそうとするのも、批判して上に立つのも、自説を強要するのも、価値観を押し付けるのも、他人を傷つけるのも、すべては弱い自分を守るための、人間の生命活動の一環だ。
島にやってきたばかりの移民が、三年と経たずに貴族社会の真似事を始めてしまったけれど、ベントーラ領で起こっている人間模様こそが、人間そのもの、社会そのものなのかもしれないと思った。
それから一年後に、チャバ町を吸収したオーヒン村の景色を丘の上から眺めていた。吸収したといっても、私たち以外の島民にはチャバ町という認識のままだろう。オーヒン一帯で人口が増えていることなど島民は知らないからだ。
「ここからじゃ、よく見えないか」
ビーナがチャバ町の方を見つめるが、さすがに遠すぎて町の景色は拝めなかった。
「いま各地で大変なことが起きてるみたいなんだよね」
ビーナの表情がいつになく不安気だった。
「何かあったの?」
都市計画は順調なので、ミルヴァはそれほど心配している様子ではなかった。
「ミルヴァが連れてきた移民だけど、それがベントーラ領から逃げ出して、方々に散らばって略奪や暴行を繰り返しているみたいなのよね」
ミルヴァの目が変わる。
「は? そんな話、聞いてないんだけど」
「ウチらの村長も把握しきれてないんだと思う」
「村民の管理は軍隊のように徹底しろって言ってあるのよ?」
連れてきた移民は将来オーヒン国の兵士になるので、信頼して武器を持たせることができるように、初めから規律を守らせるように教育するというのが基本方針だった。そのために生涯に渡って生活保証を約束している。
「どうして、たった四万の町も管理できないのよ?」
ミルヴァはビーナを責めるが、彼女の責任ではなかった。
「仕方ないよ。逃げ出した奴らだけど、アイツら平気で仮病や死んだ振りをするような連中なんだから。監視役の仕事をさせても、その監視役も一緒にいなくなるんだからね。地区によっては百人単位で一斉に逃げ出した部隊もあるみたい。多分だけど、暖かくなる時期を待ってたんでしょう」
ミルヴァには信じられる話ではなかったらしい。
「連れてきた者たちは半島で仕事もなく苦しんでいた人たちなのよ? 支配者層とは同じ民族でありながら、階級差別によって同族とも思われていない人たちなの。仕事はもちろん、家と呼べるようなところにすら住んでいなかったのよ? 支配階級に抵抗することができないから、獣を食べる獣のような暮らしをしていたんじゃない。同族なのに信用されないから、武器はもちろん、武器の代わりにもなる農具すら持たせてくれなかったの。反抗すればその場で処刑されてしまうような、それが彼らの現実なのよ?」
ミルヴァはそんな彼らに救いの手を差し伸べたのだ。
「それなのに、せっかく人間らしい生活を与えてやったというのに、わざわざ自分から獣のような生活に戻ったというわけ? どうして? まったく理解できないんだけど? 住むところを用意してあげて、仕事も斡旋してあげた。ちゃんと労働さえしていれば、食べ物に不自由しない生活が送れるのよ? これから娯楽だって用意してあげようとしていたというのに、何が不満なのよ? これだけ恵まれた環境なんて、地球上のどこを探してもないじゃない!」
ビーナが冷静に追加報告する。
「その、労働だけどね、カラスが拾ってきた会話の中に『強制労働』とか『奴隷』とか『自由』っていう言葉が出てきたんだ。おそらくだけど、アイツらの中では仕事を与えてもらったっていう意識は一切なくて、やらされたと思ってるみたいなんだよね」
ミルヴァが失望する。
「仕事をやらされてる? は? なに言ってるの? 意味が分からない。何もなかった土地に仕事を生み出すことがどれだけ大変なことか分かってるの? 食事を配給して、将来だって保証しているんだから、怠けさせずに仕事を命じるのは当たり前じゃない? 継続して肉体労働をさせるには休息も大事だから、ちゃんと休ませてあげてもいる。貨幣の流通が安定していないから、労働を納税と等価として徴収しているだけなのよ。それのどこが『強制労働』なの? 『奴隷』なんて冗談じゃないわ。あの連中は誰からも信用されない奴隷以下の人間だったじゃない。わたしたちが初めて信用して仕事を与えてやったのに、『信用』にはどれだけの価値があるか、どうして理解できないのよ? 自由ですって? あの連中に『自由』の何が分かるっていうの? 労働、すなわち納税から逃げ出して、島民から金品を略奪し、島の女を暴行しているだけでしょう? 連中の自由っていうのは『犯罪の自由』じゃない。どうして人間はそこまで愚かになれるのよ? どうして自分たちに都合のいいことばかりしか考えられないのよ? 自由をはき違える奴らほど迷惑極まりない者はいないわね。被害者の振りをする犯罪者そのもの。逃げ出した連中ほど救いようのないゴミクズはいない。みんな死ねばいいんだわ」
ビーナが宥める。
「仕方ないよ。ウチらと違って世界を見てきたわけじゃないんだから。そもそもミルヴァが連れてきた移民は『労働』という概念そのものがないんだからね。で、その中でちょっとだけモノを知っている奴が『強制労働』とか『自由』っていう言葉を見つけて仲間を焚きつけるの。人間社会というのは集団ができると、扇動する人間が必ず出てきちゃうみたいね。そいつだって金が欲しいだけのゴミクズなんだけど、煽られた人間の目には正義の味方のように見えるみたい。基本的に人間はウチらと違って、世の中の流れを把握することはできないと考えないとダメなんだ。今があまりに平和すぎて、将来的にオーヒンが大陸からの侵略を防ぐ島の重要な防衛基地になるなんて、誰一人として理解していないんだから」
ビーナはカラス部隊を使って人間の会話を聞き続けているので、人間がいかに身勝手で矛盾した考えの持ち主か誰よりも理解しているのだ。論理が破たんしているのに、それが平然とまかり通るのが人間社会の面白い点だとも言っていた。
「ところで逃げ出したミルヴァの移民たちだけど、彼らをどうするつもり?」
ミルヴァが不機嫌になる。
「その『ミルヴァの移民たち』って言い方やめてくれない?」
「だってミルヴァが連れてきたんでしょ?」
「わたしが直接連れてきた移民はちゃんと真面目に働いているでしょう?」
「じゃあ、不真面目な連中はどうしよっか?」
「放っておけばいいんじゃない?」
「大丈夫かな? これまでと違って村の外で問題を起こしてるんだけど」
「大丈夫よ、村の外で生きていけるほど甘くないもの」
これはミルヴァの言う通りだ。まず国境を越えてカグマン王国の領土に入ると、商人や巡礼者でもない限りは、その場で殺されてしまう。裁判制度もあるけれど、裁判を受けられるのは貴族や兵士とか特別な人たちだけだ。
また、カイドル帝国の領土も安全とは限らず、特に豪族が支配している土地に一歩でも踏み込んでしまうと、敵の気配を感じることなく弓矢で討たれて殺されてしまうので、脱走者が村を襲撃するのは難しいはずだ。
「それに、しばらく島を留守にすると思うの」
ミルヴァの言葉に驚いているので、ビーナも初耳のようだ。
「護送船は出港したばかりじゃなかった?」
「それとは別よ。ほら、ビーナが前に教えてくれたでしょう?」
「何のこと?」
「アクアリオス家の直系の跡取り息子が大陸に渡るって」
「ああ、デモン・アクアリオスのことね」
現皇帝から数えて三代前に即位していたのがハカン・アクアリオスで、その曾孫がデモン・アクアリオスだ。赤い髪と茶色の目をしたアステア系の家系で、カイドル帝国開闢以来ウルキア系以外から始めて皇帝を輩出した名門一族でもある。
ミルヴァが説明する。
「そうそう、そのデモンが何のために大陸に渡るのか、一緒に海を渡って調べようと思っているの。皇帝の座は親友のパルクスに譲ったみたいだけど、実際はデモンが宰相の座に就くと思うのね。新しい皇帝が即位したタイミングで海を渡るというのは、そこに外交戦略があるからだと思うんだ。はっきりとした狙いが分からない以上、自分の目で確かめようと思って。だから留守をお願いするわね」
ビーナが念を押す。
「この時期に島を離れても大丈夫なの? ほら、ひと月前にチャバの町長が殺されたよね? それで容疑者すらはっきりしていないんでしょう? それで新皇帝のパルクスが直々に調査に乗り出すような動きもあるんだよね。護衛の兵士に遠征の準備をさせてるけど、それがデモンを港まで送るにしては多すぎるの。だって聞いた話によると五千人以上で旧都を目指すって話になってるんだもん」
それは行軍だ。
「どうも帝都の方で何か新しい動きがありそうな気がするんだよね。それがオーヒン村とチャバ町の合併話ならいいけど、フェニックス家の領地でもあるベントーラ領も絡んでいるから、王国と帝国で揉めている可能性もあるわけじゃない? ウチのカラスは優秀だけど、さすがに皇宮や王宮の中の会話までは盗聴できないんだから、ウチらが知らないところで既に歴史が動いていてもおかしくないの。だから、大陸に渡るのは構わないけど、せめてウチらの村長の安全を確かめてからにしてくれないかな?」
ミルヴァが頷く。
「そうね、その、パルクスにも会ってみたいし」




