第二十話(152) カグマン島の歴史
旅の途中で川から攫った砂金を叩いて、クルナダ国の港から出港している交易船に乗り込んだ。そこからカグマン国の北東にあるハクタへと流れ着いて、そこでいつものようにミルヴァが島の歴史について調べるのだった。
私がお世話になる教会で奉仕活動をしている間、ビーナは王都に向けてカラス部隊を送り込み、自分はさっさと町に繰り出して観劇に勤しむのだった。女が一人で街中を歩けるということは、ウルキア帝国と同じくらい治安が良いといってもいいだろう。
どうやら王宮の力が強いらしく、警邏隊の目が届く範囲に限ると犯罪率が極端に下がるようだ。フェニックス家による絶対王政が存在し、国王に忠誠を誓う兵士たちの顔つきは、これまで見てきたどの兵士たちよりも誇りに満ちていた。
徴兵制までしっかりと整備されているということは、村単位で戸籍管理ができているということでもある。いくら島国の小国とはいえ、これは大陸諸国の中でも滅多に見られないことなので、それだけでもかなり先進的だといえるだろう。
商業権や漁業権の管理まで徹底されているのは、七政院という行政機関が完璧に機能しているからだ。七人の高官に広大な領地を管理させて、しっかりと平等に徴税しているらしい。
総合すると、カグマン国には大陸諸国にある制度を知識として持ち帰ってきた人物が昔から存在していたということが分かる。しかも大陸の広範囲、つまりガルディア帝国以外の古代文明からも学んできた証拠も存在していた。
フェニックス家の王族はガルディア系の民族なので、元から真似や盗みが得意なのだけれど、裏を返せば貪欲に学習する民族ともいえるわけだ。そのモノマネが得意な民族が隆盛を誇るのは必然なのかもしれない。
ただし、身分制度がキツ過ぎる印象もある。大貴族と呼ばれる七政院の高官一族の権限が強すぎて、原住民が同じ人間として扱われていないからだ。身分制度というのは『人間が扱うには難しい』ということを、人間たちは理解できないのだ。
それでも、これだけしっかりとした管理社会を実現させたフェニックス家の絶対王政は、現代社会に生きる人間からは称賛されることだろう。為政者ならばカグマン国の行政を手本とするはずだからだ。
ただ、そこでカグマン国の政治を真っ向から否定するのが、島の北半分を支配しているカイドル帝国だ。古代ウルキア人ら先住民が国民の大半を占め、大陸の北方民族や南方民族の移住者も含めて多民族国家を形成しているのが特徴的だ。
帝位に就く者の条件も単純で、支配地域で最も力のある者が皇帝の椅子に座る僭主制を採用している。カグマン国と違って七政院のような行政機関を置かず、それぞれの地域を治める豪族がご先祖様の土地を守り抜いている。
とはいっても、帝都が存在しており、王城もあって、フェニックス家の臣兵に匹敵するくらいの兵力は有しているという話だ。実際に、過去には何度も交戦しており、その度にカイドル帝国の防衛軍が勝利を収めていると聞いた。
人種的にも、政治的にも、宗教的にも対立している両国だけれど、現在が平和そのものなのは、十数年前に停戦協定を結んだのが理由のようだ。カグマン国の大遠征、といっても四桁の兵数だけれど、それに失敗したことが原因となったようだ。
ミルヴァによる独自の算出結果によると、カグマン島というのは、何から何までガルディア帝国にそっくりらしい。例として総人口が、およそ十分の一にスケールダウンしているという話だった。
それらの事実を踏まえて、港町のハクタから、カイドル帝国の領内にある静かな湖畔へと場所を移して、改めて会議を行うことにした。はっきり言うと、カグマン国は治安がいいけど、私たちにとっては息苦しい場所でもあった。
「つまり、まとめると、こうね」
湖畔の緑地に座っているミルヴァが説明する。
「わたしたちには三つの選択肢があるの。一つはカグマン国の王都にある王宮を乗っ取ってしまうこと。この場合、フェニックス家はガルディア帝国のジス家と縁戚関係にあるから、最短でガルディア帝国の皇宮に近づくことができるかもしれない。問題は、わたしたちの見た目が古代ウルキア人そのものだから、王族との結婚は難しいということかな? 徴兵されている身分の低い兵士もそうだけど、部族出身者以外は、大体ガルディア系の濃い茶色の髪をしているのよね。そうなると、今の能力では全員の視覚に魔法を掛けるわけにもいかないし、すんなりと王宮に入り込むというのは、やっぱり難しいかな」
厳しい階級社会では、まず血筋で判断されるものだ。
「次にカイドル帝国の皇室入りを狙う場合だけど、こちらはメリットがたくさんあるの。第一に、最も力のある者が皇帝の地位に就けるという点ね。それはどういうことかというと、たとえ非力な人間だとしても、魔法を掛けてあげれば、わたしたちの意のままにできる皇帝を作り上げることができるからなのよ」
ミルヴァなら、いくらでも才能ある人間に見せ掛けることができるだろう。
「第二に、カイドル帝国は古代ウルキア人が中心となって建国したから、島全帯に地教を布教させる下地が整っているということね。もちろん北方や南方から移ってきた少数部族や豪族がいるから土着性の強い自然信仰が根付いているんだけど、それでも太教を国教に定めているカグマン王国よりはマシだと思うの。カイドル帝国の初代皇帝は女だったようだし、神職には今も女が就いている。もう、それだけで充分よね」
ミルヴァなら仕事さえできれば奇跡を演出することができるだろう。
「第三に、わたしたちの見た目に関してだけど、カグマン王国の領土内では巡礼者の格好をし続けなければ怪しまれるけど、カイドル帝国の領土内ならば、礼服じゃなくても、平服で町の中を歩ける点ね。これは単純に楽だと思う。商人の娘に化けたり、貴族の娘に化けたりすることが、服を着替えるだけで可能ですものね」
目立たないように魔法をあまり使わないということも大事なことだ。
「現在の皇帝は古代ウルキア人をルーツに持つけど、その前の皇帝はガルディア系カイドル人だった。更にその前はアステア系カイドル人だったらしいの。これにはどういう意味があるのかというと、ガルディア人が帝位に就いた後に古代ウルキア人に最高権力が戻ったということは、帝都や皇宮を特定の民族に乗っ取られることがなかったということなのよね。もちろん、現在に限った話だけど」
ガルディア系の皇帝はカグマン国の回し者ではなかった、とも読み取ることができる。
「注意しなければいけないのは、島民が思う以上に、カグマン王国やカイドル帝国の、そのどちらにも属さない豪族の力が強いことなの。これまでの戦争について調べてみたけど、カグマン軍は侵攻しても、帝都への近道ではなく、迂回して攻め入っているの。それがどういう意味かというと、戦略ではなく、単純に両国の間に存在している豪族が支配している地域を避けるためなのよ。おそらく散々酷い目に遭って、悉く撤退を余儀なくされてきたのでしょう。でも、豪族を戦局の外に置くことで、二国間において島の覇権が争われることになったのね。それで二、三百年掛かって、やっと領土問題を決着させる一定の合意を結ぶに至ったというわけなのよ」
そこでミルヴァが苦悩する。
「現在の島の状態は平和そのもの。厳しい身分制度に苦しむ人がいるけれど、すでに二十年近く戦争がないのだから、それだけでも大陸の愚か者たちよりもマシだと言えるでしょう。そこでわたしたちには『これからどうするか?』という問題があるのよね。カイドル帝国の皇帝を意のままに操るといっても、ガルディアの帝都から見れば、辺境の田舎町でしかないわけでしょう? そんな身分があってないような皇族をわざわざ皇宮に招くとは思えないのよね。それでもカイドル帝国の皇室を利用しないというのはもったいないし」
世界平和を実現させるために、狭い範囲の平和を一旦壊さなければならないということだろうか? より大きく、より確かな平和のために、一部の人間たちには犠牲になってもらう必要があり、そこで心を痛めているわけだ。
「そこで三つ目の選択なんだけど、思い切って何もない土地に第三の王国を一から築いていくというのも面白いと思うのよね。それが海を渡る前に決意した初心でもあるし、その方がやりがいもある。山の中に住んでいる豪族に手を出せないような王国なのだから、数十万人の都を作るだけでも、鉄壁の防塞都市にすることができると思うの。戦争の規模が小さいというのもあるのだけれど、はっきり言って、王国軍も帝国軍も、そのどちらも大したことはないのよ。王国軍による一万五千人の三ヶ月に及ぶ進軍があったらしいけど、わたしたちなら一日で全滅させることができるわよね? こちらから先制攻撃を加えることはないけれど、もしもわたしたちに歯向かってくるようなことがあったら、その時は力の差を思い知らせてやることもできるし」
そこでビーナが声を上げる。
「モンクルスとジェンババを甘く見ない方がいいと思うけど?」
モンクルスというのはカグマン王国の剣士で、ジェンババはカイドル帝国の軍師だ。
「あなた、また仕事もせずに劇場に入り浸っていたらしいわね」
「観劇も仕事のうちなの」
ビーナがムキになる。
「だってね、モンクルスってスゴイんだよ。山賊退治も含めて、これまで何百回と戦ってきたけど、一度も負けたことがないの。それどころか、生涯を通じて一度もカスリ傷すら負ったことがないんだって。十代で『剣豪』と呼ばれて、二十代の頃にはすでに『剣聖』と呼ばれていたの。もう、会いたくてたまらない。芝居を観て、モデルとなった人に『会いたい』って思ったのは生まれて初めてなんだ。人間の男にトキメキを抱くなんて思いもしなかった。きっと、これが恋というものなのね」
湖上にモンクルスを思い浮かべてビーナがうっとりしているが、彼女が観たのはお芝居であって、神格化させたモンクルスにすぎないのだ。人間社会ではよくあることで、大抵は実像とかけ離れているものだ。それについてミルヴァも苦言を呈する。
「これから大事な仕事を始めるというのに、しっかりしてよね。このところ弛んでいると思ったら、お芝居なんかに夢中になるんだから。あんなものは大ウソだって、あなたが一番よく分かっていることでしょう? 大陸にいた頃は、色んな劇を観て酷評していたじゃない? それらと何が違うというの? モンクルスについてはわたしも調べたけど、ここが大陸と違って狭い島国だということを忘れないで。話を大袈裟にすることで敵に脅威を与えているのでしょう? 犯罪を未然に防ぐための喧伝でもあるし、おそらく王宮に政治利用されているのよ」
ビーナが反論する。
「モンクルスは違うもん。カラスが集めた情報だけど、むしろ貴族連中には今でも疎まれているくらいなんだよ? 国王が平民以下の教会の子どもに領土を与えたものだから、身分制度の崩壊を嘆いているの。モンクルスの暗殺を企てる貴族もいるくらいなんだから。でもね、捜しても見つからないんだって。与えられた山に隕石が落ちたんだけど、その時に死んでしまったんじゃないかって言う人もいる。ねぇ、ミルヴァ、モンクルスが今も生きているのか、ウチらも捜してみましょうよ」
ミルヴァが却下する。
「勘弁してちょうだい。今回は変に情報が偏っていると思ったら、あなた、モンクルスのことを捜していたのね。もっと色んな情報を集めてもらいたいんだから、人間の中年男に固執するのは止めて。彼が古代ウルキア人の血を引くから肩入れしているんでしょうけど、わたしたちが王国を作り上げて、彼が目の前に立ちはだかったら、倒さなければならない相手なのよ? まぁ、そうならないように政治力だけで島を統一させるつもりだけどね」
ミルヴァの頭の中には世界平和の望みしかないようだ。
「ただ、味方に引き入れることができれば頼りになるかもしれないわね。というのも、新しい王国を作っても、大陸から無視してもいいと思われる存在では意味がないでしょう? そのためにはガルディア帝国にとって無視できない脅威を感じさせないといけないわけ。そこでモンクルスやジェンババの存在が役に立つかもしれない。島国の新興国に対して懐柔させようと思うのか、それとも討伐しようと思うのかは分からないけど、とにかく気を引く存在にならないといけないの。といっても、その時には彼らの寿命の方が確実に尽きているでしょうけどね」
ビーナが訴える。
「だからだよ。早く見つけないと一生会えなくなるかもしれないんだよ? もしかしたらモンクルスから協力が得られるかもしれないじゃない? 王都やハクタの兵士の優秀さを見てきたでしょう? あれは剣聖の門弟たちが指導者となって教育しているから統率されているのよ?」
それも貴族にとっては面白くないのかもしれない。カグマン国の貴族は大きく二派に分かれており、院政を牛耳る『大貴族』と、成り上がりが可能な『下級貴族』では何もかもが違う。早い話、大貴族のお世話をするために仕方なく貴族を名乗らせている感じだからだ。
だからこそ、教会に捨てられた子どもであるモンクルスに土地が与えられたというのが大きな問題となっているのだろう。出世できるということは、それだけ野望を抱く平民を増やしてしまうことになるからで、そのことに既得権を有する大貴族は危惧しているわけだ。
「あのね、ジェンババもスゴイの」
ビーナが興奮する。
「たった一人、彼がいたから圧倒的兵力に勝る王国軍の侵攻を防ぐことができたのよね。モンクルスは無敗の剣士だけど、それは戦術上の勝利者であって、ジェンババのように国の戦略までは任されていなかった。そこで議論が起こってるんだけど、これはそれぞれ異なる立場で戦っていたのだから、そもそも比較してはいけないことなのよ。どっちも凄いでいいのよ。だってトラとワシを比べるようなものなんだもん。ただ、二人を引き入れることができたら面白いことになるでしょうね。最強の王国を作ることができるのも確かだし」
ミルヴァが訊ねる。
「でも、ジェンババもどこにいるのか分からないんでしょう?」
「うん。部族が暮らしている山を転々としてるみたい」
二人とも暗殺の対象なので普通の暮らしができないようだ。
ミルヴァが切り替える。
「いいわ、二人の話はまた別の機会にしましょう。まずはどこにわたしたちの王国を作るか決めないと。といっても候補地はすでに決めているの」
ということで、ミルヴァに従って移動した。
ミルヴァに連れられてきた場所は、ハクタ町から北にある峠を越えて、さらに海岸線を北上したところにあるオーヒンという名の寂れた町だった。すぐ近くにゴヤという名の港町があるため、人の流れは自ずとそちらに向かってしまうのだ。
停戦前にカグマン王国の大遠征があり、その時に北上ルートと山岳ルートの分岐点となる重要な拠点となっていたけれど、停戦後はゴヤの商業組合や漁業組合から追い出された者たちが、細々と漁業を営んでいるという話だ。
土地の領有権はカグマン王国からカイドル帝国に移っていて、その代わり幾つかの内陸地をフェニックス家の荘園として譲渡したようだ。といっても、事実上戦争で奪った土地を、停戦協定によって明け渡したにすぎなかった。
オーヒンの領有権がカイドル帝国に移ったのも、ゴヤ町と違って税金を徴収することができない最下層の人間が住み着いているからだ。身分差や差別というのは貴族社会だけではなく、組合に入れないというだけで容易に起こるものだ。
とはいえ、ミルヴァによると、オーヒンの立地こそ都を作るに相応しい土地柄ということらしい。私の印象では王国と帝国に挟まれ、内陸地には豪族が目を光らせているので、治安や安全面を考えると不安でしかないが、そうではないらしい。
「あなたたちも、わたしの横に立って見てちょうだい」
ミルヴァに従って、海岸から何もない海を眺めた。
「この海の向こう。大陸の真東にガルディア帝国の帝都がある。その正確な位置をこの島の人たちは知らない。わたしたちのオーヒン国が大国になった時、心配しなくてはいけないのが大陸からの侵攻でしょう? その時に上陸船を海に沈めるには沿岸に強力な軍隊を配備しておかないといけないの。ハクタ町が半島のクルナダ国を抑えているから、わたしたちの国はセイバーン国を抑えておかないといけないわけね。交戦するつもりはないけれど、侵攻を諦めさせるくらいの軍事力は備えておかないといけないわ。カグマンの王様とカイドルの皇帝はその辺のことをまったく理解できていないのよね。ジス家と血の繋がりがあるから安心しているのかしら? 奴らは平気で身内を殺すって分かってないんだわ。この島には眠っている金山があるけど、それが見つかったら、当たり前のように侵略しに来ることでしょう。その前に手を打っておかないとね」
百年後の未来を想像できる者ほど政治家に向いている。だからこそ、島の未来をミルヴァに託した方が島民の幸せに繋がると断言できるのだ。私はそのお手伝いを全力でするだけだ。
「夢があってね」
永遠の十七歳であるミルヴァが西の空を仰ぐ。
「オーヒン国は大陸にある軍事基地のような都市にするのではなくて、大きな教会を街の真ん中に建てて、世界中から巡礼者が集まるような国にしたいの。そうすれば大陸にあるような不潔で汚らしい雑踏はなくなるでしょう? 女が安心して町を歩けるようにならないと、道はゴミや糞だらけで、どうやっても綺麗になることはないんですもの」
そこでビーナが疑問を口にする。
「でも、王城がないと王様を守れないんじゃないの?」
ミルヴァにとっては想定内の質問らしい。
「そこはオーヒン市とは別に城塞都市を並行して作るのよ。でも壁を作って中に人を入れないようにしないと。森に魔法を掛けてでも隠さないといけないわ。それでカグマン王国やカイドル帝国よりも多く兵力を増強させて、気づいた時には無条件降伏させるようにしたいわね。目的はガルディア帝国を崩壊させることだから、できれば島の人間には一人も死んでほしくないのよ。沿岸警備にはハクタの駐留している軍隊の力が必要だし、ガルディア帝国との戦争ともなれば、兵士は一人でも多い方がいいものね。軍用船を用意して、開戦ともなれば、魔法でアシストしつつ、上陸して一気に帝都を制圧するのが理想かな。だから上手く三つの国を融合させたいのよね」
上手くいく未来しか想像できなかった。
「劇場や演舞場をたくさん作ろうよ!」
ミルヴァなら、ビーナの夢も簡単に叶えてあげることができそうだ。




