第十話(142) 魔法少女の資格
道案内するネコが向かった先は、ウルキア帝国の西端から、北に向かった森の奥地にある、ひと気のない洞窟だった。中に入ると真っ暗で、地球の底へと向かっているかのような最深部へと案内するのだった。
「よく無事に辿り着くことができたものだね」
脳に直接語り掛けられた感覚だ。
「物騒な世の中になっちまったから、途中でおっ死んじまうんじゃないかと思ったよ」
暗闇の中、目の前に突然、老女が現れた。
「ひょっとして、あなたがルキファ様ですか?」
ミルヴァが訊ねた。
「いかにも」
母親のようなジア様と違って、かなりのご高齢だ。黒衣の上から黒いマントを羽織っており、それが闇の中でも分かった。杖をついているが、杖に支えられている感じではなかった。髪も黒紫色のままで、黒い眼光も鋭かった。
「お目にかかれて光栄です。わたしはミルヴァと申します」
そこで大魔法士が杖を地に打ち付けた。
「自己紹介なんて誰も頼んじゃいないよ?」
そう言って睨みつけると、ミルヴァは口を閉じてしまった。
「お前さんが誰なのか、この私が知らぬとでも思ったかい? お前は確かにお利口さんだけど、時々誰でも分かるようなことが分からない時があるね。それが分かっていれば魔法士にさせてやったんだが。仕方ないよ、お前自身に問題があるのだから」
ん?
「大魔法士様」
ミルヴァが訊き返す。
「わたしは魔法士になれないというのですか?」
「私に二度も説明させる気かい?」
やはり聞き間違いではなかったようだ。
ミルヴァが食い下がる。
「納得のいく説明をお願いします」
「おやおや、そんなものを要求されたのは初めてだよ」
そこでルキファ様が何度も頷く。
「ああ、そういうことか、そういうことなんだね。人間に傲りが見え始めたわけではなく、私たちに傲りがあったんだ。そりゃそうさ、人間など真似しかできないのだから当たり前だ。私としたことが、そんなことも分からなくなるなんて、年を取るというのは嫌なものだね。お前さんたちのような若い者の心が見えなくなるんだからさ」
数百年、いや、数千年単位の話をされているので、私には理解できない心境だ。
「大魔法士様」
ミルヴァは諦めきれない様子だ。
「わたしのどこがいけなかったというのでしょうか?」
「それを訊ねてどうするね?」
「わたしは知りたいのです」
「知ったところで、どうにもなるまい」
「もう一度、試練を受け直します」
そこでルキファ様が杖で地を打つ。
その瞬間、地面が揺れたような気がした。
「ミルヴァや、そんなものはないんだよ。お前さんのことだから、資格を得るコツを教えてやれば、きっと上手くやるだろうさ。でもね、それは真似しかできない人間のやり方であって、私たち魔法士の生き方ではないんだ。お前さんは人間らしい生き方を望んでいるのだから、黙って人間落ちするがいいよ。お前さんほど人間らしい者もいないのだからね」
それでもミルヴァは後に引かない。
「他の大魔法士様のご意見を伺う機会をお与えください」
その言葉にルキファ様が陽気に笑った。
「お前さんはおもしろい子だね」
笑いが止まらない様子だ。
「私以外にいないというのに、どうやって訊ねる気だい?」
「ジア様やテラア様がいます」
「それで、私が間違っていると訴える気じゃないだろうね?」
「何か不都合でもおありですか?」
「それで、お前に味方するとでも?」
「わたしは、間違ったことは何もしておりません」
「そうだね」
大魔法士様から笑顔が消えた。
「間違った者がいるとすれば、お前さんに試練を与えた私たちだ」
「わたしは試練を受けるに値しないというのですか?」
「ああ、そうさ。初めから乗り越えられないと分かっている者に与えるんじゃなかった」
「わたしほど魔力が高く、才能を持った者は他にいません」
「ああ、そうだね、ジアが言っていたように、優しくもある」
「それでは、どうしてなのですか?」
そこでルキファ様が私たちの顔を順に見た。
「四人とも首に下げた石を見せるんだ」
ミルヴァとビーナの石は暗闇の中でひと際光り輝いていた。
「それではっきりと分かったろう?」
「何が分かるというのですか?」
「ミルヴァとビーナには魔法士になる資格はないのさ」
「ウチも?」
それまで黙っていたビーナが声を上げた。
「それならマルンとマホには、その資格があるというのですか?」
「石の違いを見れば明らかじゃないか」
私に資格がある?
ビーナは納得しない。
「二人は何もしてないじゃない!」
「黙るんだ! だから資格を与えるって言ってるじゃないか」
ミルヴァとビーナは不服そうな顔をして大魔法士様を睨んでいる。
それに対して、正式に魔法士になれるというのに、マホは一切表情が変わらなかった。
「ジアはその石のことを何と言っていたね?」
ミルヴァが答える。
「魔黒石です」
「お前さんの石はどうなってるね?」
「白く光っています」
「白く汚れたんじゃ『魔黒石』とは言えないじゃないか。そうだろう?」
黒いから魔黒石。この預かった石を元の状態のままお返しするのが、私たちに与えられた試練だったわけだ。それを二人は、石の色を変えるのが資格を得られる条件だと、自分たちで勝手に解釈して、白く光らせるために努力していたというわけだ。
しかし、私に二人の過ちを指摘する資格はない。なぜなら石の色を変えるためにアイデアを出して助力してしまったからだ。そんな私に魔法士になる資格はあるのだろうか? それを訊ねずにはいられなかった。
「大魔法士様、発言の許可をいただけないでしょうか?」
「マルンだね。どうしたんだい?」
この方には正直に語らなければならない。
「私の魔黒石は元のままですが、それは魔力が不足していただけであって、いえ、魔法の掛け方自体が分からなかっただけであって、自分の意志で試練を乗り越えたわけではないのです。そのような私が魔法士の資格を得てもよいものなのでしょうか?」
ルキファ様が溜息をつく。
「お前さんも私の判断にケチをつけるつもりかい? 正直であることはお前さんの美点だよ。でも、それは判断を下した私に対して、遠回しに批判していることになるんだ。自分の立場を弁えていたら持たぬ疑問さ」
そこで唸る。
「そうだね、お前さんはしばらく魔法士見習いとしようじゃないか。お前さんの隣には、私の後継者に相応しい見込みある子がいるんだ。その子の側に仕えるといい」
マホがルキファ様の後継者?
それにはミルヴァも黙ってはいられなかったようだ。
「ちょっと待ってください。マホを後継者に選ばれるというのですか?」
そこでミルヴァが笑う。
「失礼ですが、それは判断能力に疑問を持たざるを得ません。マホはわたしよりも魔法力が低いのですよ? アイデアに乏しく、いいえ、何も生み出せない子なのです」
ルキファ様が杖を打つ。
「お前は喋れば喋るほど愚かになっていくね。いいかい? 試練の最中に魔法を使わなかったから後継者に相応しいと言ってるんじゃないか。なんたって、私の仕事は魔法力を与えることではなく、奪うことなんだからね」
それが『死神』とか『破壊神』ともいわれている理由のようだ。
「マホのような子が現れるまで、私がどれだけ待ち望んでいたことか、お前さんたちには分からないだろう。特にミルヴァ、お前のような者には、不死は耐えられないのさ。やっと、死ぬことができるんだ」
そう言うと、ルキファ様はマホを我が子のように抱きしめるのだった。
「マホや、会いたかったよ。よく生まれてきてくれたね。早く私の後継者になっておくれ。そして、私の魔力を奪うんだ。お前さんには重荷を背負わせることになるけど、私の目に狂いはないはずだ。どうだい? 私を死なせてくれるね?」
マホが答える。
「はい。お引き受けいたします」
ルキファ様が感心する。
「お前は余計なことを口にしない、本当に賢い子だね」
マホが大魔法士の後継者に選ばれた。私はそれほどのお方とルームメイトでいながら、そのことに気づけなかった。どれほど私はバカなのだろう? ミルヴァの閃きにばかり目を奪われ、マホに対しては自分よりもレベルが低いと内心で見下していたくらいだ。
「大魔法士様」
ミルヴァが懲りずに具申する。
「マホを後継者にお選びになるのは構いませんが、それと比較するように、わたしから魔力を奪うのは納得がいきません。わたしとマホでは備わっている魔力の性質が異なっているではありませんか。わたしには新しい魔法を生み出す才能があります。それをどうしてお認めにならないのですか? 失礼ながらルキファ様には、魔力を与える素質のある者を見抜くお力がないのだと思われます。わたしならば、ジア様の後継者になることができるかもしれないじゃありませんか?」
それを聞いて、ルキファ様が大笑いする。
「お前がジアの後継者だって?」
それからギロリと睨む。
「それは思い上がりというものだ」
ミルヴァは怯まない。
「わたしは何も悪いことをしていません。それどころか、人々に善行を施してきたのです。それに引き換え、マホは苦しんでいる人を目の前にしても、助けようともしなかったのですよ? それのどこに魔法士になる資格があるというのですか? わたしの魔法によって助かった命があります。大勢の人たちから感謝もされました。わたしの善行によって、人間社会は救われたのです。それに対して資格を与えないというのは、どうしても納得がいかないのです。あまりに酷い仕打ちではありませんか?」
ルキファ様が一息つく。
「もう、お前は私が何を言っても信じないんだろうね。ならば自分の目で確かめるがいい」
そう言って、杖を振った。
すると一瞬で周りの景色が変わるのだった。
ここは、どこかのお城の、見知らぬ寝室。
いや、前に来たことがある。
しかし、ベッドで横たわっている巨体の女とは出会っていないはずだ。
自分の足で歩けないほど太っているので、出会っていれば忘れるはずがない。
「この女に見覚えがあるだろう?」
ルキファ様は私たちに訊ねるが、答えられる者はいなかった。
「心配無用さ。女には私たちの姿や声は感じられないんだからね」
そういうことではなく、誰も女の素性が分からないだけだ。
「これは誰ですか?」
ミルヴァの問い掛けに、ルキファ様が呆れる。
「おやおや、さっきお前さんが魔法で命を救ったとか言ってたじゃないか? この子はグルトン領のギュラ王女だよ?」
いや、ギュラ王女は皮と骨だけの姿で痩せこけていたはずだ。
「ミルヴァや、これはお前が魔法を掛けた一年後の姿さ。お前たちがいなくなった後、魔法で味覚がおかしくなった王女の食欲が止まらなくなってね、こんな姿になるまで食い続けてしまったんだ。ごらんよ? 太ももの内側が痒くなってるのに、自分でかくこともできないんだよ? 何が『命を救った』だ。今にも死にそうじゃないか」
表情だけなら、以前よりも苦しそうに見える。それは寝返りが打てないとか、痒いところに手が届かないとか、自分の力では起き上がれないとかではなく、食べたい物を食べることができないからだ。
「おい! 腹が減ったぞ!」
ギュラ王女が巨体を揺らしながら怒鳴り声を上げた。
「食い物を持ってこい!」
その声に応える者は誰もいない。
「黄金のリンゴはまだかっ!」
そんなものは存在しない。
「腹が減ったよ」
すると今度は涙声で呼び掛けるのだ。
「喉が渇いた。水でいいから、水をちょうだいよ」
サイドテーブルに水が用意されているが、自分で飲むこともできないわけだ。
そこでミルヴァが水を飲ませようとコップを掴もうとするが、その手が空を掴んだ。
「無駄だよ」
ルキファ様が説明する。
「これはお前の知らない未来だが、現在からしたら過去の場面なんだからね」
「では、この後ギュラ王女はどうなったというのですか?」
「また王女を苦しめに行くというのかい?」
「そんな」
ミルヴァが自問する。
「わたしは王女を救いました。ほら、現にこうして延命できたではありませんか? 美味しい物をたくさん食べることができたでしょうし、確かにこの姿を見れば不憫に思いますが、それでも後悔はしていません」
ルキファ様がマホに訊ねる。
「マホや、お前はミルヴァの協力を拒んだね。それはなぜだい?」
マホが思い出す。
「それは、あの時の王女は死期が近づいていたので、できることは何もなかっただけです。でも、マルンが『してあげられることは何もない』という言葉を言っていたのですが、それを聞いて、何かできることがあるのではないかと考えることができました。それで寄り添って死を看取ろうと思うことができたのです」
大魔法士様がマホの手を握る。
「お前はやっぱり死の使者に相応しい子だよ。私のところにきてくれてありがとうね」
そこでミルヴァを睨みつける。
「それに引き換え、お前はギュラ王女に『暴食』の大罪を背負わせちまったのだからね」




