第八話(140) ヴァナグロリア・バニタスの場合
それから二か月かけてバニタス領に入ったのだが、目指す街道の先が三又に枝分かれしているところで、道案内してくれていたネコが馬車道の真ん中で座り込んでしまった。マホが話し掛けるが、黒猫は首を捻ったまま動かなかった。
「どうしたのかしらね?」
ミルヴァが心配そうに声を掛けるも、ネコは反応しなかった。
「この四差路に原因がありそうだけど」
ビーナの推察だ。
「そうね、目指す方角が分からないのかもしれないわね。ということは、お城で何か問題が起こっているのかもしれない」
そこで領民を見つけて話を聞くことにした。向かった先は野菜畑や雑穀畑の管理を任されている村の教会だ。加工場もあれば、集会場もあり、見たところ行政は行き届いている感じだった。
「陛下がご逝去されてから大変なんですよ」
私たちを応接室に通してくれたのは牧者だが、彼女もまた、どこにでもいる話し好きの太ったおばさんだ。家の手伝いをする年齢に達していない村の子どもを預かるのが彼女の仕事のようで、この時も運動場で遊ぶ子どもたちの面倒を看ているところだった。
「いえね、それで次の女王陛下がすんなりと決まれば何も問題ないんですが、ほら、西側の国境地帯が物騒で、ここもいつ戦禍に見舞われるか分かりませんでしょう? それで領土を分割統治するようにお決めになり、従来のお城の他に二つも建てたものだから、いえ、一つは古城を改装しただけなんですが、それでも、その三つのお城に三人の女王候補のお姫様がいるから揉める原因になっちゃったんですよ。いえいえ、陛下がご健在で、次の女王をお決めになっていれば何も問題がなかったのです。近々お決めになるつもりでしたのだからね。それが急逝されたものだから対応に困っているというわけでございますね。といっても、時間の問題でしょう。ほら、聞いたことありません? ガルディア帝国との戦いで英雄となったアリアン・ヒュースですよ。弱冠二十歳にしてガルディアの大軍を半数以下で蹴散らしたというではありませんか。王室はその王子様を王配として迎える準備をしていたのです。これほど心強いことはありませんものね。なんでも美男子という噂ですし、お見えになった時は村の者でお出迎えしようという話で盛り上がっているところなのです」
そこで話の長いおばさんが照れ笑いを浮かべる。
「あら、いやだ。舞い上がったところで、わたくしが結婚するわけじゃありませんものね。ですが、この村だけではなく、どこもその話題で持ち切りだと聞きますね。問題は、王子様が三人のお姫様のうち、誰をお選びになられるかということなのです。亡くなられた陛下は生前『王子が選んだ者を次の女王とする』と遺されて天に召されたそうですからね。三人とも王家筋の者なので、わたくしたちにとっては誰がなろうと変わらないですが、それでも気になるじゃありませんか。そこは領民の間でも予想が割れているのです。というのも、王家筋の家系にも色々とございましてね。丘の城のお姫様はとにかくお金持ちでいらっしゃいます。常識的に考えれば『丘の城のお姫様』をお選びになられると思われるのですが、『森の城のお姫様』も捨てがたいという意見もございますわね。なにしろ『美貌に勝る天賦なし』と言いますでしょう? それはもう『ガルディアの戦争理由は森の城を攻略するためではないか』と冗談半分で口にする者もいるくらいですからね。いえいえ、『湖の城のお姫様』も負けてはいないのです。とにかく気立てがいいというではありませんか。『飢えた者がいれば食料を分け与え、寒さに凍える者がいれば薪を分け与える』というのは有名な逸話でございますからね。初めから三者が一人の人物ならば苦労はないのでございましょうが、さて、王子様はどなたをお選びになられるのでしょうかね?」
牧者のおばさんは一度口を開くと話が止まらなくなるので、子どもたちの様子を確認しに席を外したタイミングでお暇させてもらうことにした。まだまだ話し足りない様子だったが、人間社会の下世話な問題には興味がないので先を急ぐことにしたわけだ。
その足で向かったのは、お金持ちのお姫様がいるという丘の城だった。それはビーナが言い出したことで、本人は亡くなられた女王のお墓があるからだと言っていたが、私の目にはふかふかのベッドがお目当てなのは丸分かりだった。
丘の城は完成したばかりらしく、これまでに訪れた城よりも、より城塞としての機能を有しているように思われた。雇われている衛兵の数も多く、城下町の機能性も含めて、完全に戦争のための都となっていた。
「わたくしを呼びつけたのは、あなたたちですか!」
城の扉が開かれたと思ったら、いきなり派手でケバい女ががなり立てるのだった。刺繍の細かなドレスや、高級品の香水を身体に撒き散らしていることから、彼女が城主のメイネイ・バニタス王女だということが分かった。
「誰かと思ったら、ただの巡礼者ではありませんか。何しにここへ来たというのです? ここへ来たところで、あなたたちに恵んでやるものは何一つありませんよ! 噂を聞きつけて来たのでしょうが、騙されてなるものですか。どうせ、その黒衣も盗んできたのでしょう。大事なお客様がお見えになるというのに、汚らしい格好で物乞いされては迷惑ですからね。今すぐ目の前から消えなさい!」
それから私たちに対応した衛兵を睨みつける。
「この者たちのどこが客人なのですか? あなたは王子と物乞いの区別もつかないのですか? あなたに城の門番を任せるわけにはいきません。クビです、クビ! さっさと死んでおしまいなさい!」
それだけ言うとスッキリしたのか、満足げに踵を返して引き揚げるのだった。
「ああ、思い出しただけでも腹が立つ」
一晩お世話になる町の教会の客室で、ビーナが大きな声を出した。
「静かにしなさい」
それに対して、ミルヴァは大人だった。
「ねぇ、王子様に選ばれたら、あんなのが女王になるというの?」
「そうね、それが先代のご遺言らしいから」
「間違ってるよ」
「間違わない人間がどこにいるというの?」
これは皮肉ではなく、正しい指摘だ。
「でもさ、あんなのがお金持ちのお姫様になれちゃうわけ?」
ビーナと違って、ミルヴァは愉快な感じだ。
「そうよ。あんな性格だから財産を守ることができるんでしょう? 礼服を着ていても頭から信用せず、泥棒かもしれないから恵んでもやらないの。仕事ができない部下をさっさとクビにして、他の者にチャンスを与える。好き嫌いは別として、紛争地域では彼女ほど頼りになる女王様はいないんじゃないかしらね」
そう言われると、ビーナも黙るしかなかったようだ。
二日後に訪れたのは、絶世の美女がいるという森の城だった。そこまで言われると、同性といえども見たくなるのが心情だ。私は張り合うつもりはないけれど、ミルヴァは誰よりも関心があるクセに、それでいて興味のない振りをしているのは丸分かりだった。
「ユティ王女殿下がお会いになられるそうです」
衛兵に謁見を申し込んだところ、王宮に掛け合ってもらい、すぐに承諾を得た。
そのまま王の間へ通されて、踏み入れた瞬間、目が眩んだ。
玉座に収まるユティ王女は、憎たらしいほどの美人だったからだ。
「あなたたちが初めてではないのですよ? 今日だけでも五組目の来訪なのです。アリアン王子がお越しになると噂が流れてからというもの、あなたたちのように巡礼者を装った女狐や泥棒猫の訪問が後を絶たないのですから困ったものです。どんな手段を講じてでもお近づきになりたいのでしょうけど、わたくしの目は誤魔化せませんよ」
見た目だけではなく、性格も憎たらしい。
「神官の職は間に合っていますので、どうぞお引き取りください。男をたぶらかすのはお上手そうに見えますけど、女であるわたくしには通用しません。まっ、もっとも、あなたたちのような田舎の小娘が誘惑したところで、引っ掛かる殿方はいないでしょうがね。ましてやアリアン王子は戦争の英雄です。頭の悪そうなあなたたちの策謀に引っ掛かるものですか。あなたたちを見れば、思慮の浅さが外見に滲み出ているのですからね。姿見を用意しておきますので、帰る時にでも、それでご自分の姿を確認なさい。己の醜さを知れば、人は謙虚になれるというものです」
ユティ王女は私たちを罵倒するために王の間へ呼んだのだろう。
「なんなの、あの女!」
一晩お世話になる町の教会の客室で、今度はミルヴァが大きな声を出した。
「ミルヴァったら、ひょっとして妬いてるの?」
ビーナがからかった。
「あんな女に嫉妬なんてするものですか」
「でも、イライラしてるじゃない」
「泥棒呼ばわりされたのだから、腹が立つのも当然でしょう?」
「そう? 所詮は人間の戯言じゃない」
ビーナに不機嫌な様子は見られなかった。
「珍しく余裕があるのね」
「だってウチらと違って、人間なんて一瞬で年老いてしまうんだし」
これは正しい指摘だ。
「それにユティ王女はそれほど悪い人には見えなかったな。言葉は辛辣なんだけど、それは人間の醜さを知っているからなの。これまでに、よっぽど酷い女たちを見てきたんだと思うよ。それにあれくらい同性に対して非情になれないと紛争地域の女王なんてやってられないんだよ。アリアン王子を迎えれば、案外と名君になれるかもしれないんじゃない」
その言葉にミルヴァは反論しなかった。
それから二日後、心の優しいお姫様がいるという湖の城へ行った。古城を改装したという話だが、城壁は崩れたままで、見張り塔も半壊状態なので、王族が暮らしているとは思えなかった。
「おや? またお会いしましたね」
その門兵は、丘の城でメイネイ王女からクビを宣告された衛兵だった。
「生きていらしたのですね」
ミルヴァも驚いた。
「はい。メイネイ王女の言葉をいちいち真に受けていたら、領地から人がいなくなってしまいますからね。宰相閣下のご判断で、王女には内緒で職場を変えてもらったのです。実を言いますと、王女からクビにされたのはこれで三回目でして、衛兵の顔など見分けがつきませんから、それで仲間内で順繰りに持ち場を回しているというわけです。城の中にはユティ王女からクビを宣告された女たちもいます。王女様は綺麗で若い召使いには厳しいので、すぐに辞めさせてしまうのですよ。そんな我々を拾って大切に扱ってくれるのが、我らがヴァナグロリア姫というわけです」
お姫様の名前を口にした時の衛兵の顔は誇らしげだった。
それからヴァナグロリア王女に謁見を申し込むと、すぐに返事をもらえただけではなく、玄関ホールまでやって来て、私たちを恭しく出迎えるのだった。黒猫を見て喜んでいるということは、彼女は前にも私たちの仲間をもてなしたことがあるのだろう。
「黒猫を連れた修行者様ですね?」
ヴァナグロリアは地味でボロの平服を纏ったどこにでもいる普通の女の子だ。
「お会いしとうございました。旅の疲れもあるでしょうから、癒えるまで好きなだけご逗留くださいませ。わたくしたち城の者も精いっぱいのおもてなし……、といっても豪華な食事などはご用意できないのですが、気持ちを込めて歓待させていただきます。それでは先に客室へと案内しますね」
そう言って、王女自ら城内を客室まで案内するのだった。
「噂通り、本当に優しいお姫様ね」
客室で私たちだけになったところで、ミルヴァが呟いた。
「ヴァナグロリアが次の女王になるといいんだけど」
ビーナにも好印象だったようだ。
「だってそうでしょう? メイネイ王女では兵士がいくらいても足りなくなるだろうし、ユティ王女では召使いの数が足りなくなる。その点、ヴァナグロリア王女ならば王政をしっかりと引継ぎ、王宮を守り続けてくれるだろうしさ。それは臣下の者も望んでいることでしょう? 問題は、肝心のアリアン・ヒュース王子が誰を選ぶかよね」
そればっかりは、私たちにはどうすることもできない問題だ。
「だったら王子にヴァナグロリア王女を選ばせればいいんじゃない?」
ミルヴァの言葉だが、その意味が理解できなかった。
「どういうこと?」
ビーナも理解できなかったようだ。
「そのままの意味よ。ヴァナグロリア王女をお金持ちにすることはできないし、今さら美しい顔に変えることもできない。でも、アリアン王子に世界一のお姫様だと思わせることはできるでしょう? つまり、わたしたちが恋のキューピットになればいいわけ。そのためにはビーナにも手伝ってもらわないといけないけどね。マルンとマホには無理でしょうから、あなたたち二人はお留守番していて」
そう言うと、翌日から二人だけでどこかへ出掛けて行ってしまった。
ミルヴァとビーナの二人が湖の城へ戻ってきたのは一週間後のことだった。その時、なぜかアリアン・ヒュース王子の従者たちに紛れていたものだから、出迎えたヴァナグロリア王女まで驚いていた。
アリアン王子は噂通りの好青年で、幼さが残る可愛らしい顔と、それに似つかわしくない逞しい鋼を思わせるような筋肉が、不思議なアンバランスを生み出し、城内にいる女たちの心を魅了するのだった。
性格もよさそうで、古城なのに神殿に招待されたかのように振る舞い、粗末な食事を最後の晩餐であるかのように噛み締め、ボロボロのドレスを着たヴァナグロリア王女を天使と出会ったかのように見つめるのだった。
それは王子が連れてきた十人の従者も同じで、誰もが口を揃えて『三つの城の中で一番だ』と褒め称えるのであった。王子が誰と結婚するのか分からないが、ヴァナグロリア王女に恋をしているのは誰の目にも明らかだった。
最後の目的地であるプリード領を目指すため、残念ながらアリアン王子のプロポーズを見届けることはできなかった。だから誰と結ばれたのかも分からない。
王子は人柄がいいので、メイネイ王女やユティ王女にも同じような態度で接している可能性がある。そうなるとヴァナグロリア王女も本命とは言い切れなくなる。
いずれにせよ、バニタス領という広大な土地を治める女王を決めるプロポーズとなるので、アリアン王子お一人では決められないと思われる。
無事に成婚するまで数か月かかる場合もあるし、なので気になるけれど、やはり先を急ぐしかなかった。
「どうやら成功したみたいね」
湖の城を出たところで、ミルヴァが呟いた。
「これでヴァナグロリア王女が選ばれたら、ウチらのおかげだよ」
ビーナも手応えを感じている口振りだった。
そこで気になったので、ミルヴァに訊ねてみることにした。
「ねぇねぇ、何を成功させたというの?」
「わたしたちの魔法よ」
「どんな魔法を掛けたというの?」
ミルヴァの代わりにビーナが説明する。
「アリアン王子が湖の城に到着する前に合流して、ボロボロのお城を見て、それが金ピカの神殿に見えるように吹き込んでやったの。王女の着ている古いドレスも『光り輝く世界に一着しかないドレス』とか大袈裟に表現して、ヴァナグロリアが眩しく見えるようにしてあげたのよ。出された粗末な食事も『最高級のお肉を用意してあります』と言ったら、パサパサの鶏肉を牛肉のように齧りつくんだもん。あれを見た時は笑いそうになっちゃった」
アリアン王子の五感すべてに魔法を掛けたということだ。
ミルヴァが謝る。
「マルンとマホには悪いことしたわね。でも、ビーナがいなければアリアン王子が引き連れてきた十人の従者全員に同じ魔法を掛けることなんてできなかったの。その中の一人でも魔法の効き目が弱いと失敗してしまうでしょう? だから確実だと思えるビーナにしか頼めなかった。ごめんね」
とんでもないレベルの話だ。まだ魔法士の資格を得ていないというのに、複数、それも十人以上の者に対して同時に同じ魔法を掛けられるのだから、二人はすでに中級レベル以上の詠唱魔法を取得したといってもいいのではないだろうか。
もう、二人の魔法レベルについて行くことはできないだろう。二人の魔黒石が白く光っているのに対し、私とマホの魔黒石は元のままだ。試練も次のプリード領が最後となるので、残された時間もわずかだ。
旅の道中も、魔法士について考えるよりも人間社会のことを考えていることの方が多いくらいだ。どこの領土で暮らしたらいいか、どんな仕事をしたいか、そんな意味のないことをひたすら考えてしまうのだった。
一つだけ確かなことは、これから行くプリード領だけは住みたくないということだ。ガルディア帝国が支配地域を広げてからというもの、戦争が絶えなくなってしまったからだ。人間同士の戦争に付き合うほどくだらないことはない。




