第四十四話(132) 公子の葛藤
デモン・マエレオスが回想する。
「わしには……、いや、私には大切な友がおりました。生まれた日が一日だけ違う、例えるならば、まるで光の後に影ができたような、そのままの関係です。現に、彼は太陽のように眩しかった。逞しく育ち、勇猛で、獣を手懐けるのも得意で、群れようとしない狼すら懐かせるのです。それに引き換え、私は月のようにおぼろげで、光がなければ何一つ照らしてやることができない存在なのです。しかしある時、彼はこう言いました。『太陽が昇っているのが一日の半分だけでよかった』と。これは謙虚な心の表れであり、私への慰めでもあるのです。それからこうも言いました。『有り難いと思われている太陽も、日照りが続けば憎まれる』と。これは大衆の勝手な心理でもありますが、彼の孤独な心境を表しているともいえるでしょう。生まれた時から、次の皇帝の椅子を争う関係でもありましたが、周りの者は、みな彼に期待していました。私自身も彼が皇帝に相応しいと思っていたので、私も私で将来は学者になろうと早々に見切りをつけたのです。ですが、彼は『次の皇帝は君こそ相応しい』と言うのですよ。カグマン国との停戦協定が結ばれた後でしたので、武力がある者よりも、書物を読み、経済発展の重要性を説く私に、彼は期待したのかもしれません。……しかし、私には、どうしても、その、皇帝になりたくない理由があったのです。それは、つまり、その、こんなことを言うと、つまらない理由だと思われるかもしれないが、私は、不能者なのです。皇帝になれば、それが知られると思い、どうしても拒絶する必要があった。若かったのでしょう。羞恥に堪えられなかったのです。下男であろうが下女であろうが関係ない。自分以外の者に、不能であることを知られたくなかったのです。それで今からもう三十年以上前にもなりますが、友に帝位を託し、私は大陸へ留学と称して旅に出ようと決意しました。一緒に妻を連れて大陸に渡り、それから一年後に養子として迎えた幼児を連れて島に帰ってきたのです。それが長兄のイワンでした。帰ってくると、新都、つまり現在のオーヒン国周辺の地域で内戦、いや、違う。そう、暴動が起こっていました。友はその暴動を鎮めるために各地を転々とし、次々と鎮圧していったのです。しかし、その暴動がカグマン国の領土でも起こってしまったから、その後の悲劇を招いてしまったのです。友は協定破りの反乱者となり、剣聖モンクルスが差し向けられ、我が国としては新都を守る余力がなく、戦わずして降伏するしかありませんでした。後年、それがコルバ王とゲミニ・コルヴスによる策謀と知りましたが、私としては、新都の分離独立は悪くないどころか、よくやったと評価してやりました。友の死が彼らによる謀殺ならば、また違った感慨を抱いたでしょうが、証拠がない以上は、罪に問うことはできません。友の後を受け、帝位に就き、新都独立のためにカイドル帝国に幕を引き、オーヒン国を建国しました。ブルドン王を初代国王にしたのは私のアイデアです。なぜなら、私がそのまま国王となり、宮仕えに囲まれる生活を送るわけにはいかなかったからです。不能者であることは、今の今まで語ったことはありません。それからブルドン王を偉大な国王とすべく、数々の伝説を急造し、方々に広める仕事に着手しました。それが終わると、外交と称して大陸に渡り、ハンスとアンナを養子に迎えました。私の家族には血の繋がった者はおりません。その事実を誰一人知らぬのです。妻が死んだ時、悲しみよりも、秘密を知る者がこの世を去ったことに、安堵する自分がおりました。それがいけなかったのだろう。家族に対する負い目が、私の目を曇らせたのです。仕事を手伝うようになったイワンを、私は自由にさせました。しかし、ハンスだけは見抜いていたのです。アレはとにかく正義感の強い男だ。イワンとザザ家の関係を克明に記録していたのです。ザザ家の掃討作戦が終わった後、ハンスは私に報告しましたよ。自分からドラコに積極的に協力を行ったと。ハンスは正直な男です。私と違い、隠し事をするような男ではございません。妹のアンナに好意を抱いていることも正直に話しました。それにも拘らず、私は二人に血の繋がりがないということを打ち明けることはできなかった。誓って言うが、息子がドラコを殺したならば、ハンスは正直に打ち明ける男だ。私のように秘めておくことはない。よろしいか? ドラコを殺した犯人は、わしら親子に罪を着せようとしたことを忘れてはなりませんぞ?」
これが息子に対する、せめてもの罪滅ぼしなのだろう。
「友というのは、ジュリオス・パルクス・アクアリオスのことですね?」
「わしにはその名を口にする資格はない。建国の際に名を利用したのだからな」
「誰がジュリオス三世を殺したか分かっていないのですか?」
「ああ。その者はモンクルスまで亡き者にしようとしたのではないかと見ているが、父上から何か聞いてはおりませぬか?」
「残念ながら、何も聞かされておりません」
「犯人を見つけようと手を尽くしたが、ついに見つからなんだ」
デモン・マエレオスは、本当は友を殺した犯人を見つけてほしいのかもしれない。僕としても、できることなら、それを叶えてあげたい。しかし、もうすでに三十年以上も経過しているので、さすがに今から捜査を始めても手遅れだ。
「閣下は、なぜ私にすべてを打ち明けようという気になったのですか?」
マエレオス閣下が即答する。
「それは次の世代に社会を委ねなければならぬと考えたからでしょうな。己の判断力よりも、ハンスとアンナが信じる者を信じてみようという気になったのですよ。それが健全な社会の在り方だと思ったのです」
しかし、彼はハクタ国の神祇官になったばかりだ。
「ですが、閣下はカイドル帝国の最後の皇帝であり、次にオーヒン国の官僚となり、離職するとマエレオス領の領主となって、現在はフェニックス家に奉仕する神祇官となりました。その目的というか、忠義は何を拠り所としているのでしょうか?」
マエレオス閣下の返答に迷いはない。
「乞われた場所で最善の結果を残すことしか考えていないのです。それが目的であり、忠義と思っていただければ結構かと。帝位に就いている時には帝政に順じ、国名を変えてもそれは変わらず、責を取り、任を辞すれば、新たな職を求め、領民に尽くしました。ハクタで神祇官となったのは、ひとえにこれまでの仕事を評価してくださる者がいて、主君に乞われたからなのです。一つの職に殉じ、一人の主君にのみ奉じるというのは尊い行いのように思われますが、主君を何度も変えながら、与えられた場所で職責を全うするというのも、異なる価値観でありながら、これもまた立派な行いだと思うのです。それが偶々わしの場合は後者だけだったということでございますな」
そこで問う。
「閣下は帝政下にお生まれですが、王政維持について、どのようにお考えでしょうか?」
「王政の維持に価値など持てるはずがございません」
反応に困る返答だ。
「先にも述べましたが、私は不能者でございます。世継ぎを持てぬ者に、世襲を是とする制度など支持できるはずがないではありませんか。子を持たぬ者に、そのような価値観など強要できぬのです。王政は人材の登用に障害をもたらしますからな。組織運営にとって、これほどの悪しき慣習は存在せぬでしょう」
一理あるが、真逆の価値観なので理解し合うのは難しい。
「私は王政維持に命を賭す覚悟があります」
「結構ではございませんか」
彼にとっては想定内のことだったようだ。
「異なる価値観というのは、同時に存在してもよいものなのです。現にこの三十年、いや、五十年間、我々の島では王政と帝政が両立していましたからな。それが今後も続くのか、それともどちらか一つになるのか、もしかしたら互いの良い部分を残して融合することだって考えられますが、いずれにせよ、どちらの制度にしても極論として悪例が存在するのですから、互いの異なる価値観から多くを学べばよいのです」
今の僕が理解するには難しい話だった。それでも王政を維持しつつ、国王とは別に宰相のポストを作るというのは、まさに僕がやろうとしている理想形に近いとも思える。それが許される時代が来るのか分からないが、目指す最終形はそこにある。
「公子が三種の神器の一つを保有していることは、今や広く知れ渡ったと考えた方がよいかと思われます。三種の神器の存在すら知らぬ者も、公子が保有したことで知ることとなったのですからな。ですが、公子に対して刺客を送り込む者がないということは、島民の多くは王政の維持を望んでいると考えてもよろしいかと思われます。カグマン国やハクタ国にいる大貴族にしても、王政が維持されているから現在の地位があると認識しているので当然でしょうな。そういう意味においても、現在の王政を維持させるのはそれほど難しくないと考えております。しかし、油断してはなりませんぞ? 七政院の貴族が実務権限を有しているからこそ、国王陛下に忠実でいられるのですからな。その利を奪われれば、よからぬことを企む者も出てくるとお考えくだされ。現在の公子は情勢を見守っておられるだけだから、周りの者たちも静観していられるのです。しかし、権力を思うがままに使える立場となった場合はどうでしょうな? 黙って利権を明け渡すとは思えぬ」
現在のデモン・マエレオスは、完全に王政維持のために仕事をしているという感じだ。まるで生まれた時から王政のために奉じてきた人のように見える。新たな仕事を与えてやれば、思考を完全に切り替えられる人なのだ。これだけの切れ者は見たことがない。
「ご忠告感謝いたします。であるならば、しばらくは爪と牙を隠しておくこととしましょう。といっても、立てればポッキリと折れてしまうような物しか持ち合わせておりませんがね」
閣下が微笑む。
「ご謙遜を。公子には爪や牙ではなく、翼が生えておるのですよ。貴方ほど自由に飛び回れる者を、私は見たことがありませぬ。デルフィアス陛下も御旗に描かれている不死鳥を体現されているお方だが、公子は幸運をお運びになられている」
ドラコにも同じことを言われたことがあるが、彼は死んだ。
「残念ながら、そのような実感はありません。むしろ周りを不幸にしているのではないかと疑っているくらいです。信頼してくれた人を続けざまに亡くしてしまいました。ですから、マエレオス閣下も充分お気をつけください」
閣下が叱咤する。
「何を申される。わしは公子に救われたのです。わしら一族を亡き者にしようとする存在があることは確かですからな。それは剣豪ドラコでも敵わぬ相手なのですぞ? 公子がいなければ、わしだけではなく、デルフィアス陛下も既にこの世を去っていたかもしれないではありませぬか。情報伝達の速さから察するに、敵営にも翼を生やした者がおるのでしょう。実際に背中から生えた翼が見えていれば苦労はないが、あちらは姿を消すこともお上手なようだ。手強い相手だと肝に命じていただきたい」
「承知しました」
今後、この人の『生き残る力』は参考になるかもしれないと思った。これから多くの人と出会うだろうが、正体を明かさずに接しなければいけないわけだ。そこで彼の生き残り方が役に立つだろう。真似できることは、真似するんだ。
アネルエ王妃が誘拐された時に用いられた荷馬車がマエレオス邸に放置されてあった事実から、マエレオス家の人間をドラコ殺害の容疑から外してもよいと考える。閣下自身が言ったように、問答無用で処刑されていてもおかしくないからだ。
となると、ドラコを殺した犯人はどこにいるというのだろうか? 殺害時、ドラコは金の王冠に繋がる数少ない重要証人だった。ハドラ神祇官がいたとはいえ、簡単に葬っていい人物ではなかったはずだ。
そう考えると、ルシアス・ハドラの作戦が成功して、ゲミニ・コルヴスの下に金の王冠が渡った時に、確実に横取りできる計算が立っていた人物こそ真の黒幕なのかもしれない。ゲミニ・コルヴスの周辺に犯人がいることは間違いないはずだ。
ゲミニ本人の可能性は低いだろう。双子の姉とは不仲だと言っていたからだ。不仲に見せ掛けている可能性も低い。なぜなら彼が金の王冠を望んだのは、オフィウに三種の神器を渡さないためで、それはコレクションしている金の剣を守りたいためでもあるからだ。
王族殺しの首謀者はオフィウで、金の王冠を強奪しようとしたのはゲミニだが、真の黒幕は、この両者の間を飛び回れる人物に違いない。最後にすべてを手中に収めることができると確信している者こそ、ドラコを殺した人物に他ならない。
それが誰なのか、今の僕には皆目見当がつかなかった。しかし、なんとなくではあるが、こちらから探さなくても、向こうから接触してくるような気がするのだ。味方の振りをして近づき、隙を見て金の王冠を盗むような、そんな予感だ。
午後の祝宴は盛大に行われ、その場でデモン・マエレオス閣下から重大発表があり、領主の座を息子のハンス・マエレオスに譲られる旨が伝えられた。それに対して領民は拍手喝采で新領主を称えるのだった。
翌日にはセトゥス領へ帰る予定だったが、護衛兵が二人も死んだということもあり、この遺体を越境させるというのがすごく手間の掛かる作業だったため、五日先まで滞在が延びてしまった。しかし、その間にハンスと語り合えたので有意義ではあった。
帰りは遺体を運ぶので、馬車での移動となった。ルシアスからの書状を持参した代わりの警護兵も配属され、十人態勢での帰参となった。警護兵は新顔だったが、みなハドラ家に対して忠実だったので、問題はないと判断した。
その日のうちに隠れ家にしているセトゥス領の別荘に到着し、翌日から走り込みと剣術の練習を再開した。ルシアスに頼んであったカイドル国所有の書物も届いており、少しずつ冬ごもりの準備も整っていった。
それから二日後の朝、いつものようにテントと食料を背負いながら走り込みの練習をしていると、折り返し地点となる森の泉で佇む山猫を見つけた。こちらに向かって優しい微笑みを向けるその少女は――
「ガレット!」
約一か月半振りの再会である。
「ヴォルベ!」
肌寒い季節となったので、ガレットも厚着の上、持ち物も増えている様子だ。
「随分と早かったじゃないか」
「途中で雨が降ったから、これでも遅れたんだ」
「戻ってきたということは、デルフィアス陛下は無事にご帰参されたんだね?」
「うん。ミクロスは行軍の指揮が上手い。兄貴も感心していた」
そこで一先ず緊急避難用として作った秘密基地に案内して、といっても作りかけなので、まだ見た目はただの岩場の横穴にしか見えないのだが、そこで火を熾して、一緒に昼食を食べることにした。
ガレットが持ってきた見たこともない大きな栗と川魚を一緒に焼いて、草茶と一緒に食べた。モグモグと頬っぺたを大きく膨らませて食べている時のガレットは、普通の女の子にしか見えなかった。
「途中から兄貴が隊列に加わって、一緒に都へ帰ったんだ」
丸太で作った椅子の座り心地は悪くなさそうだ。
「都へ帰ってからも官邸に出入りするようになって、ドラコの仕事をそのまま引き継ぐことになった。兄貴は顔が広いから、行く先々でもてなしを受けたんだ。それでユリスに気に入られたんだな」
ソレイン・サンは十以上も存在する部族を束ねる長になったという話だから、独立したカイドル国にとっては遇する必要のある人物だと判断したのだろう。ユリスらしい人材登用といえるかもしれない。
「ソレインからの伝言は?」
「しばらく都から離れられないから、それを踏まえて指示を出してほしいって」
「都の様子は?」
「特に変化はない」
ガレットがもう少し詳しく説明する。
「独立したことを知らぬ者がほとんどで、知ったとしても違いが分かる者なんてほとんどいないんだ。部族の中には未だに昔のカイドル帝国のままだと思っている者もいれば、カイドル帝国すら知らぬ者もいる」
そこが広大な北方地域を治める難しさだと、バドリウス殿下やコルーナ特使が口にしていた。反乱を起こす豪族も、同じ国民意識など初めから持っていないのだ。ソレインのように協力的な方が異端なのかもしれない。
「兄貴への伝言はあるか?」
都への反乱が起こることを正直に話すべきだろうか?
「ヴォルベ?」
都にはユリスだけではなく、ミクロスやジジやぺガスもいる。
「兄貴への伝言は?」
僕の指示を待つソレイン。
「どうしたヴォルベ?」
そして、ガレット。
「何があった?」
決断の時。
「これは確かな人物からの情報なんだけど、来年の秋頃に向けて、カイドルの都で反乱を起こす動きがある。地方の豪族が手を組んで、都に二万の兵を送り込むらしいんだ。現時点で二万なら、もっと増えることも考えられるだろう。挙兵の時期も早まるかもしれないし、つまり一刻の猶予もない状況だ」
伝えなければならないのは、それだけではない。
「でも、でもね、それをユリスに伝えてしまうと、僕が情勢に影響を与えたことが既成事実となってしまい、カイドル国に対して有利になるように働きかけたことが、その情報をもたらした相手に知られてしまうんだ。現時点では本当に豪族が反乱を起こすかどうかも分からないし、その豪族の中にはオフィウ・フェニックスのスパイも紛れ込んでいて、探りを入れただけでも、僕が情報を漏らしたことを嗅ぎ取られてしまうかもしれないんだ」
僕はまだ答えを出せていなかった。
「僕が情報を漏らしたことが知れたら、ユリスが送り込んだスパイとしか思われなくなるだろう。そうなると、その先に用意されているであろう、次なる計画を知る機会が奪われてしまうことにもなり兼ねない。でも、この情報をユリスに伝えなくては、どうやったって、都にいる人たちのことは救えない。それで僕はこうして話している今も、どうしていいのか分からないんだよ」
違う。
「そうじゃない。本当は怖いんだ。情報を漏らすような奴だと思われたら、危険人物として命が狙われるかもしれない。『金の王冠』の保険も役に立ってくれないだろう。きっと殺されるに決まってる。みんなを心配する振りをして、ごめん、僕は自分のことしか考えていない、弱い男なんだ」
そう言うと、ガレットが微笑んだ。
「バカだな、怖いのは当たり前じゃないか」
そう言って、いつもの険しい顔になる。
「ヴォルベは死ぬまでアタシが守る」
ガレットに嘘はない。
「それがドラコとの約束だからな」
一年後、僕の元に『ユリス・デルフィアス死亡』の報が届いた。
第三章 公子の素養編 完
原典
『ハクタ記』
『フィンス・フェニックスとの対話』
『カグマン王国の王宮日誌』
著述者:ヴォルベ・テレスコ
現代語訳者:アイ・イシグロ
小説執筆者:ライト・ペン
ヤマト語訳:石黒愛




