第四十三話(131) 第六容疑者
「公子!」
死んだ馬に祈りを捧げているところで、背後にランバの声が聞こえてきた。
「教官!」
と言いつつ、抜き身の体勢を取る。
それを見て、ランバがお道化るのだった。
「ハハッ、小官は幻ではありませんぞ」
剣を構えたところで、ランバに勝てるはずがない。
「どうして幻のことを知っているんですか?」
「知ってるも何も、小官らもガサ村で体験しておりますからな」
新婚のせいか、深刻な話をしているはずなのに表情が明るかった。
「いや、しかし、その幻騒動のおかげで軍から部隊を離脱させることができ、隊長の作戦を実行できたわけですからな。昔からある神隠しを用いて姿をくらまそうと思っておりましたが、これ幸いとばかりに利用してやったのです」
そこで雨上がりの空を見上げた。
「ちょうど、あの時も雨が降っておりました。公子がお見えになるということで、妙な胸騒ぎを覚えて、それでこうして馳せ参じたというわけでございます。いや、ご無事で何よりでございましたな」
そう言って、死んだ馬に祈りを捧げた。
「ところで、公子の前にはどんな幻が現れましたかな?」
「父上です」
「幻は見る者の最も恐れている人物が現れるといわれており、正しい心を持つ者だけが生き残ることができるのです。不正を正せない者は、己に負けてしまうのですよ」
雨上がりの森は静寂に包まれており、周囲に人の気配は感じられなかったが、ランバは周辺を念入りに調べてから戻ってくるのだった。それからドラコ隊・副長時代の顔つきを取り戻して、静かに口を開いた。
「時間がないので手短に話すといたしましょう。すでにご存知のことと思われますが、小官はハクタ国に骨を埋める覚悟をいたしました。自ら望んだわけではなく、マエレオス猊下に引き立てられての任命でございます故、断れる立場にないことも事実でございます。しかしながら、不本意な人事というわけではないのです。短い時間ではありましたが、彼の地には教官時代の教え子らがたくさんおり、直接指導した兵士だけでも数千人以上が現在も軍隊に所属しております」
父上と同じような人生だ。
「その中には親御さんの顔を思い出すことができる者もおりますし、出世の手助けをしてやらなければならぬ見込みのある者もおります。小官だけが大任に与り、公子を含め、他の隊士らには申し訳が立ちませぬが、覚悟を決め込む必要がございました。受けたからには、ハクタで暮らす人々の安全を保障してやらねばなりません。それが公子のお父上から引き継いだ責務なのです」
そこで複雑な心境を吐露するのだった。
「それ故、予め申し上げておきたいことは、今後、小官は、何事においても、ハクタ国の人々の暮らしを第一に考え、その生活を守ることを優先的に選択し、実行するだけだということを先にお伝えしておきたいのです。政治的な駆け引きがあろうとも、政争に巻き込まれようとも、その意思が変わることはございません。ハクタ国民のために命を賭す覚悟を決めましたからな」
それは有事の際、ハクタ国のために戦うという宣言でもある。
「公子とお別れした僅か二月の間に事態が急転したことは承知しております。複雑な事情を抱えておられるとは思いますが、この日を限りに、お手伝いすることはできないと申し上げておきましょう。それは、お手伝いしようにも、外部との連絡が一切取れぬからなのです。その上、片付けなければならぬ仕事が山積しており、いや、なにしろ終わらせた仕事よりも、新しく頼まれる仕事の方が多いので、増えるばかりでございますからな。ここで愚痴っても致し方ありませぬが、お父上の背中を見てきた公子ならば分かっていただけるかと」
今度は僕が返事を返す番だ。
「ハッキリと言っていただいて助かりました。実のところ、今朝までどこまで話していいのか悩んでいたからです。ですが、こうして今後の方針や、ご覚悟を窺い知ることができましたので、僕の方からはもう何も申し上げることはありません。身の置き所を模索している段階ですので、次にどのような立場で会えるか分かりませんが、最終的な目標は一つだと信じております。ハクタは僕の生まれ故郷ですので、どうか、故郷の人をお守りください。ドラコを殺した犯人は僕が捕まえます」
ランバが怪訝な表情を浮かべる。
「隊長を殺めた犯人を捕らえるというのは、我々隊士にとっても大願ではありますが、くれぐれも無理をされてはいけませんぞ? 正直に申し上げますが、公子、あなたは王族や貴族からまったくといっていいほど信用されておりませぬからな。三種の神器を守った英雄ではなく、盗人の盗品を盗み取った大泥棒としか思われていないのですよ。王太子殿下をお守りできなかったことも批判の対象となっております。国内はもちろんのこと、カグマン国でも同じような風聞が流れていると思っていただきたい。表面上は笑顔で近づきながら持て囃す者もおるでしょう。しかし、そういう者ほど公子が金の王冠を手放す瞬間を待ち構えているものなのです」
デモン・マエレオスはパヴァン王妃とパナス王太子が生きていることを周囲に漏らしていないということだ。
ランバが白髪頭をかきながら続ける。
「いや、これは小官も自戒を込めて申して上げているのです。五長官職に任命されたことで貴族になったことを祝ってくれる者もおりますが、みな平民出の兵士ばかりです。元からの貴族は誰一人として同じ身分だとは認めてはくれませぬ。公子にも同じことがいえましょう。政治の世界も同様ではございますが、誰かが、何者かの命により、常に我々の弱みを握るために仕事をしているのです。公人というのは、弱みを握られてしまえば理を失います。『理なくして道はなし』と言いますが、まさに弱みを握られ利用されるだけの人間になってしまえば、望む道など歩かせてはもらえませぬ。どうか、その点を心に留めておいていただきたい」
僕を利用しようとしている奴らが山ほどいるということだ。
「僕は幻となって現れた父上の首を斬ったばかりです。たとえ身内であっても、不正に目を瞑ることはありません。それが公人の責務だと考えているからです。相手が誰であろうと、何者にも屈しないことを、この『ドラコの剣』に誓います」
ランバが微笑む。
「やはり公子が隊長の剣を持つに相応しいお方だったようだ」
そこで遠くからランバを呼ぶ声が聞こえてきた。
「公子、まだお話ししていないことがございます」
急に怖い顔になった。
「今すぐ、ここからお逃げなさい」
有無を言わさぬ感じだ。
「マエレオス猊下は公子を逮捕するおつもりです。オフィウ王妃陛下から、そのように命じられておりますからな」
その可能性は考えていた。
「暴走して死んだ馬を見せれば、姿を消した理由にもなりましょう」
考える時間はなかった。
「……止しましょう」
ランバが驚く。
「いや、しかし、それでは」
「いいのです。今の僕は逮捕を恐れてはなりませんからね。この話も聞かなかったことにします。ですから、猊下に命じられた場合は躊躇なく逮捕してください」
ランバが無言で頷いた。
「それに教官の晴れ姿の様子を、隊士たちに報告してあげなければなりませんからね」
その言葉に、新郎は照れ臭そうに微笑むのだった。ここで会話を打ち切り、捜索隊と合流を果たした。その後、警護兵二人の死亡と馬二頭の死が確認された。死んだ兵士はどちらも恐怖に怯えた顔で亡くなっていたそうだ。
翌日は晴天に恵まれたため、パレード日和の結婚式となった。心の優しい領主の娘の慶事ということもあり、町全体が笑顔に包まれていた。特別に仕立てられた白の礼服に身を包んだアンナお嬢様は特にお綺麗で、町の少女たちがウットリしていたのが印象的だった。
式が終わると、新郎新婦は馬車に乗せられて、町を一周するパレードに駆り出されて行った。手を振るアンナお嬢様の身体をずっと支えてあげているランバの姿に、父上と母上の姿が重なって見え、束の間ではあるが郷愁に囚われてしまった。
パレードが行われている間に、町の中心にある中央広場では盛大な祝宴の準備が進められていた。領民総出の宴ということもあり、至る所で料理の準備が行われていた。鶏だけでも二百羽以上は用意されているという話である。
祝宴が始まるまで時間があるということで、僕も料理の手伝いをしようと思ったが、私邸に戻られたデモン・マエレオス神祇官からお呼び出しを受けたので急いで駆けつけた。そこで逮捕されるかもしれないが、予め知っていたと思わせてはならない。
ランバから何も聞かされていないと思わせるには、突然の逮捕に驚く芝居をしなければならないのである。ランバに疑いの目が向けられないためにも、自然な演技が必要になるだろう。
「ご挨拶が遅れたことを、お詫び申し上げます」
私邸の客間でデモン・マエレオスと顔を合わせたのだが、昨日は警護兵が死んで、その件について役場で事情を説明し、今朝は挙式の準備で忙しそうにしていたため挨拶が遅れてしまったのだ。
「改めて申し上げます。本日はおめでとうございます。お招きいただき、誠にありがとうございます」
花嫁の父が返答する。
「こちらこそ感謝いたします。お詫びしなければならないのは小官の方でございます。我が領地にて、ご不幸に見舞われたこと、お詫びの言葉もございません。公子がご無事で何よりでございました」
この日のデモン・マエレオスも僕を大人のように扱うのだった。
「さぁ、どうぞ、お掛けください」
勧められた椅子に腰掛けた。
それからマエレオス閣下はテーブルを挟んだ正面の席に着くのだった。
「いや、そんなに畏まらなくて結構でございますぞ。話らしい話は特にありませんからな。これから酒が入りますので、酔っぱらう前に公子と話をしておきたいと思ったのですよ」
そこで赤獅子が顎をさすり、話題を選ぶ素振りを見せた。
「うむ、そう、いや、そうですな、先に申し上げておきましょう。実は、公子に招待状をお送りしたのは、逮捕するための方便だったのです」
そこでマエレオス閣下は僕の反応を窺った。
あまり大袈裟に驚かない方がいいと思った。
「オフィウ王妃陛下から逮捕拘禁するように命じられておりましてな、オーヒン国内での逮捕は難しいとお伝えし、それならばと、娘の結婚式を利用して誘き出してはどうかと提案したのです。そのアイデアを大変気に入ってくださり、今日に至ったわけでございます」
ここで何か反応した方がよさそうだ。
「では、逮捕され、ハクタへ移送されるわけですか?」
マエレオス閣下が僕を見極めようとする。
「ランバから何も聞かされていないご様子ですな」
ここは頷くだけにしておいた。
「いや、聞いているのかもしれないが、この際どちらでも構いません。よく逃亡せずに列席してくださった。心から感謝いたします」
これは得意のハッタリなので、一切反応しないことにした。
「というのも、初めから公子を逮捕することなど考えておりませんでしたので、本当にご無事で良かったと思っているのですよ。本当のところを言いますと、アンナにマエレオス領で結婚式を挙げさせたくて、公子への逮捕命令を利用させてもらったのです。そうでもしなければ、ランバを国外へ連れ出すことはできませんでしたからな。これまで娘には何もしてやることができませんでしたが、やっと親らしいことができたと思うことができました。公子にとっては、いい迷惑だったかもしれませんがね」
これもデモン・マエレオスの得意技だ。僕をオフィウ・フェニックスと同等に扱うことで、交渉相手、つまり僕を勘違いさせようとするのだ。僕ではなく、ランバを試したのかもしれないし、どこまで本当のことを言っているのか分からない男である。
「では、逮捕されないと考えてもよいのですね?」
そこでマエレオス閣下が身を乗り出す。
「その代わりということではございませんが、公子に一つ、お頼みしたいことがあるのです」
「何でしょう?」
「それはドラコ・キルギアスを殺した犯人を見つけていただきたいのです」
ということは、デモン・マエレオスは犯人じゃない?
「実を申しますと、オフィウ王妃陛下から別件として依頼がありましてな」
ハクタの魔女もドラコ殺しの犯人じゃない?
「公子がドラコ殺しの犯人を捜しているとセトゥス閣下から伺っておりまして、それで閃いたのです。公子に犯人を見つけるように依頼すれば、我々としては労せずして任務を果たすことができるではありませぬか。その上、公子を駒として使うことで、逮捕命令に背いた言い訳にも転用できますからな。二つのご命令を、言葉一つでクリアすることができるのです。互いにとっても、悪くないアイデアとは思いませぬか?」
この男は本当に悪魔的な頭の使い方をする人だ。
「依頼するも何も、私は現在進行形で捜査を行っておりますので、断る理由はございません。ですが、情報をお渡しするとなると、話は別です」
だからわざわざ依頼したわけだ。
「条件を伺いましょう」
金品を要求しても意味はない。
「なんてことはありません。閣下に尋問を受けていただきたいのです」
僕の言葉に、デモンは笑みを浮かべて、何度も頷くのだった。
「わしへの尋問を要求するということは、これまで何一つ、手掛かりらしい手掛かりが見つかっていないということなのでしょうな。よかろう、受けようではありませんか。ただし、こちらも条件が一つ、ミクロス・リプスのような手荒な真似だけはご勘弁願いたい」
ということで、早速デモン・マエレオスへの尋問を始めることにした。
「初めに伺いますが、ドラコを殺したのは閣下ではないのですか?」
「いいや、私は殺していない」
「直接殺していないだけで、殺害を命じたのではありませんか?」
「いいや、私は殺害を命じてもいない」
「ドラコ殺害に関与していないというのですね?」
「そうだ。私はドラコ殺害に関与していない」
「実際は、ドラコを殺した犯人のことを知っているのではありませんか?」
「いいや。私は犯人を知らない」
「では、現時点で誰が犯人だと思われますか?」
「第三者の立場から見れば、ドラコの剣と王冠を手中に収めた公子でしょうな」
「私はランバと一緒にいたというアリバイがあります」
「では、第一発見者の四人が共謀して殺害したのでしょう」
「その中には、ご子息のハンスも含まれております」
「除外する理由はない」
「ご子息が犯人である可能性を排除しないのですね?」
そこでマエレオス猊下は顎をさすって長考に入った。
「いや、倅が犯人の一味なら、もう少し時間を稼いでいたでしょう。そもそも、わざわざ邸の客間に遺体を放置、もしくは遺棄する必要はありませんからな。握られていた剣を隠し、外の目立たぬ場所に遺棄すれば、ドラコが殺害された事実すら隠蔽できたのです。ということは、つまりドラコが死んだことを確実に知らしめる必要があり、尚且つ、あわよくば、この私を罠に掛けることができればよいと犯人は考えたのですよ」
そこで再び長考に入った。
「ただ、もう一つ違う見方もできますな。ドラコを確実に殺し、それを私の犯行に見せ掛け、遺体が腐食することを計算に入れて、本当はドラコが生きているのではないかと思わせるのです。そうすれば姿を消すために、ドラコ自身が替え玉殺人を行ったと思わせることもできますからな。もしもそうなっていた場合、ドラコの生存を望む者は、いつまでもドラコの幻影を追うことになるのです。近親者のジジが現場にいなければ、誰があの全身ただれた遺体をドラコだと確認できましたか?」
ジジはユリスの命令で動いているので自分の意思で現場に来たわけではなかった。
「今と違って盛夏でしたからな、紙一重だったのですよ。発見が半日でも遅れれば、今頃ドラコはどこかで生きていて、姿を隠したのも彼自身の作戦ではないかと勝手に考えていたことでしょう。それだけで真犯人に対する意識が削がれるのです。そういう意味では、第一発見者の四名は容疑者から除外していいのかもしれませんな」
尋問を続ける。
「しかし我々四人の後に、すぐに猊下がやって来ました。その後にはデルフィアス陛下も現場に到着しているのです。作為的でありながら、すべてが偶然のようにも思われますし、三組の到着順が前後することも充分考えられるわけですよね。そうなると、第一発見者だからといって軽々に除外することはできないのではありませんか?」
マエレオス閣下がニヤッとした。
「公子も容疑者に戻りますぞ?」
「それは構いません」
マエレオス閣下が思案する。
「しかし私が犯人ならば、わざわざ邸に遺体を残すことはございません。ハンスが犯人でも同じことが言えましょう。仮に私に罪を着せようとした場合でも同じです。もっと確実に私を犯人に仕立て上げる方法があったでしょうからな。王妃誘拐に使われた荷馬車が邸に乗り捨てられていたので、罪を着せる意図はあったのでしょうが、ハンスが関わっているならば、もっと確実にできたと思うのですよ。少なくとも、デルフィアス陛下よりも先に現場に到着させることはなかった。発見した時点で、公子らを邸から追い出して、遺体を隠すこともできましたからな。私が一貫して捜査に協力的なのは認めていただきたい。デルフィアス陛下の妃が誘拐されたことを忘れてはなりませんぞ。あそこで人生が閉じていてもおかしくなかったのですからな。それこそ到着が前後していれば、領地を侵犯した陛下を確認した時点で、交戦していたかもしれなかったのです。それを狙ったのかもしれませんが、やはり紙一重だったのですよ」
父親よりも息子のハンスの方が怪しいような気がしてきた。
「ご子息の話になりますが、ドラコの遺体を発見した際、ご子息が私やランバと一緒にいたことに驚かれた様子はありませんでした。それは把握していたということですか?」
「いいや。ドラコと共に活動していることを知っていたので、その場で瞬時に理解できただけで、行動を把握していたということではございませんな」
ならば、もう少し詳しく聞いてみよう。
「そのご子息のハンスですが……」
どこまで話していいのか躊躇してしまう。
そこでマエレオス閣下が気遣いを見せる。
「ひょっとすると、ザザ家の掃討作戦にハンスが関わっていたことを聞きたいのではありませんかな?」
やはり知らないはずがなかった。
「はい。そのザザ家の掃討作戦で閣下はご嫡男の……、ええと、イワン・フィウクス次官を亡くされています。イワンは次期国王候補ともいわれているお方でした。そのご長兄をドラコの立てた作戦によって奪われ、さらにご次兄のハンスがその作戦に参加していたというではありませんか。つまり何が言いたいかと申しますと、弟のハンスには兄を殺し、父親に罪を着せるだけの野心があったのではないかと思われるのです。それでもハンスがドラコを殺していないと思いますか?」
そこでマエレオス閣下は三度目の長考に入った。
「どうやら、すべて正直に打ち明けなければ、ドラコを殺した犯人を見つけ出すことはできないようですな。これから公子に誰にも打ち明けたことのないお話をいたしましょう。ですが、どうか、約束してくだされ。犯人を見つけると約束するのです。話を聞けば、私や息子に疑いの目を向けることもなくなりましょう。よいですな? そのために話すのですぞ?」
試されている。
「聞かせてください」




