第三十四話(122) 三種の神器
パヴァン王妃陛下から木箱を預かって隠れ家を後にした。命という一つしかない大事な物があるので注意深く生きてきたつもりなのに、それ以上に大事にしなければいけないものがあるとは、自分が意識できる範囲を超えた重責を感じているところだ。
この木箱に納められた三種の神器こそが、王宮襲撃計画の真の狙いだったわけだ。そこまではドラコやハドラ神祇官からも聞かされていなかった。ひょっとしたら七政院以下の者には三種の神器そのものの存在すら知られてはいないのではないだろうか?
三種の神器のうち金印と金の剣が紛失しているからパナス王太子の命が狙われてしまった可能性がある。なぜなら三種のうち一つでも欠けているものがあることで、正統性が認められない、という理屈が通ってしまうからだ。
金印や金の剣はどこにあるのか? それを現在も所有している人物こそが、今回の一連の事件の黒幕である可能性が高い。三種の神器を揃えることで、正統なる国王を誕生させることが目的ならば、すべての行動に説明がつくからである。
金の剣はパヴァン王妃が生まれる前には紛失していたと言っていた。王妃が生まれる前だから、少なくとも二十五年以上前であることは確かである。戦争が終わった三十年前の時代に真実がありそうな予感がする。
金印の方はパヴァン王妃が王宮に入る前に紛失していたというから、六年以上前ということになる。その頃の王宮には、もうすでにハクタの魔女ことオフィウ・フェニックスが出入りしていたはずだ。
三種の神器の保管してあった場所は、王宮の中でも王族の居住区なので、そこは七政院の大貴族ですら踏み込めない聖域だ。そこから紛失したのだから、必然的に窃盗犯は王族に連なる人間ということになる。
もうすでにハクタの魔女の手に三種のうち二つまでが渡っている可能性も考慮すべきだろう。それで金の王冠までも奪われたら、マクス・フェニックスこそ正統なる国王として認められることとなり、そうなればフィンスが王宮から追放されてもおかしくないのだ。
歴史が再び動き出したと思っていたが、実はもう終わりかけていて、王宮の襲撃でエンディングを迎えていたかもしれなかったわけだ。本当に、歴史というやつは、気づかないうちに進行しているから厄介だ。知った時には終わっているのも歴史の特徴である。
「危なかった」
でも、まだ間に合う。金印や金の剣が完全に熔かされて原型が失われているならば別だが、まだ存在しているなら、僕が三種の神器を揃えることも可能だからである。三種のうち一つを所有していることが今後大きな強みになるだろう。
そんなことを考えながら歩いていたが、日没前には戦闘が行われた隠れ家へと到着することができた。馬を休ませる時間がなかった分だけ早く着けたようだ。この日はここで泊まることにした。
戻ってきた理由は見張りの警備兵にその後の様子を聞くためでもある。しかし特に異常はないということで、丸太小屋の中でゆっくり眠ることができた。それはマヨルとミノルが交代で夜中も警護してくれていたおかげである。
木箱を抱えながら眠り、目を覚ましたら中を確認する。大丈夫だと分かっていても、そうしなければならなかった。これでは身が持たないと思った。今すぐ王宮へ戻ることはできないので木箱をどこかへ隠しておく必要がある。
急いで王宮へ届けるよりも、まだ僕が持っていた方がフィンスのためにもなるだろう。王宮に金の王冠が戻ったら、今度はフィンスが襲撃を受ける可能性が高いからだ。奪われたり失くしたりしてはいけないが、わざわざフィンスを危険に曝すことはない。
「ガレット!」
翌朝、丸太小屋を発つ前に助言を求めることにした。
すぐにガレット・サンが森の中から現れた。
「何だ? 周辺に危険はないぞ?」
「いや、出発する前に言っておきたいことがあって」
そこでパヴァン王妃陛下から預かった木箱を見せた。
「これなんだけど、この木箱の中にはフェニックス家に伝わる金の王冠が収められているんだ。これは家族や自分の命よりも大事なものなんだ。実際に父上や母上を人質に取られたとしても、僕は渡さないし、交渉にだって応じるつもりはない」
非情だが、それが公人である僕の務めだ。
「そこでだけど、もしも、もしもだよ? 僕が旅の途中で襲われたとして、この木箱が奪われそうになったとしたら、ガレットには僕の命よりも木箱の方を優先して守るようにお願いしたいんだ。手当てをすれば間に合うっていう状況であっても、奪われた木箱を取り返すことを優先してほしい。どう? 頼めるかな?」
ガレットがため息をつく。
「お前はその異なる二つの命令を同時に出す癖を直した方がいいな。この場合は『僕と木箱を守ってくれ』ってシンプルに命じてくれた方が助かるんだ。いいか? 世の中に『もしも』はない。そんなものは人生にもなければ、歴史や未来にも存在しないんだ。命じる側に優先順位があると、命じられた側に妥協が生まれるぞ? そうなるとどちらも守れたはずなのに、木箱の方を守れただけで良しと考えてしまうんだ。お前も指揮をする立場になりたいならば、命じられる人間の心理をよく理解することだな」
大事なものを預かったことで、知らないうちに、命に代えてでも、という意識が芽生えてしまったようだ。しかし持つべきは、僕が責任を持って王宮に返す、という強い意志だ。その欠けた意識をガレットに見透かされたのである。
気を抜くと、つい自分の命を軽く考えてしまう。そうすることで死を呼び込んでしまうのだ。以前、ドラコにも同じようなことを注意されたことを思い出した。僕がこれまで生きてこられたのは、命を救われたというのもあるが、死んでもいいと考えなかったからだ。
「ガレット、僕と木箱を守ってくれるかい?」
山猫のような少女がニコッとした。
「それでいい。それだけでいいんだ。後は任せてもらった方が助かるからな」
他にもまだ聞いておきたいことがある。
「ただ、王宮へ返納するのはまだまだ先の話なんだ。一先ずどこかに保管しておきたいんだけど、どこか安心して預けられる場所を知らないかな?」
ガレットが質問返しをする。
「訊ねたということは、ドラコ隊のアジトではダメなのか?」
「うん。そこだと隠し場所として予想されやすいからね」
「なるほどな」
そこでガレットが頭を巡らす。
「隠し場所として予想しにくく、かつ信頼して預けることができる場所といったら、マザーのお邸以外には考えられないな」
マザーことマリン・リングは亡きドラコの伴侶だ。
「面識のない僕の頼みを聞いてくれるだろうか?」
「お前次第だな」
「マザー次第の間違いでは?」
「それは違うぞ。自分に問うてみればいい」
「何を?」
「命と同じくらい大事なものを、お前は他人に預けられるのか?」
ガレットは僕の不安を見抜いていた。
「そうだね。よく考えてみるよ」
ドラコは気を許している相手に殺されたと僕は考えている。だから身内であっても容疑者から外すことはできない。ましてやマザー・マリンとは会ったこともないのだ。まだ心から信用することができていないというのは嘘偽りのない気持ちだった。
「とりあえず、会ってみよう」
ガレットが断りを入れる。
「会えるかどうかもお前次第だけどな」
「どういうこと?」
「簡単にお会いできるお方だと思うな」
相手からすると、僕の方が薄気味悪く感じられる存在ということだ。なにしろ僕と出会った直後にドラコが殺されたという事実があるからだ。ドラコ殺しの犯人を見つけるだけではなく、自分が疑われない努力も必要というわけだ。
出立してから七日後の朝にマリン領近くに到着した。そこまでガレットに案内してもらって、夜になるまで領内に侵入しないようにとの指示を受けた。マザーに会うには誰にも姿を見せてはいけないというのが必須条件だからである。
「お前たちはここで休んでいろ」
人里離れた森の中でテントを張って休むことにした。
「いいか? 勝手にうろつくんじゃないぞ?」
ガレットの目は丸太小屋で敵に囲まれた時よりも真剣だった。
「いくらアタシでも、ここでは守ってやることができないからな」
そう言って、マザーとのアポイントメントを取るために一人でリング領に向かった。
ガレットがテントに戻ってきたのは翌日の夜半前のことだった。
「とりあえずヴォルベを邸の近くへ連れて来てもいいそうだ」
「会う許可はもらってないの?」
「会わせるかどうかはハッチ・タッソという男が決める」
マザーの守護者だろうか?
「同じリング領でもドラコ隊が潜伏している場所とは違うからな」
ドラコ隊の潜伏先は人のいない山の中だ。
「領内に踏み込んだ瞬間から見られていると思え」
どうやら試験を受けることになりそうだ。
「分かった」
「では行くとしよう。アタシについて来い」
そこで早速移動することにした。
「ちょっと待って」
テントを畳もうとしていたマヨルとミノルを制する。
「二人はここに残って僕の帰りを待つんだ」
「それでいいんですかい?」
ミノルが不安そうだ。
「ああ、邸に近づく許可をもらえたのは僕だけだからね」
そこでガレットに訊ねる。
「そうだろう?」
「確かにそうだな。三人の名前を出したが、向こうが名前を口にしたのはヴォルベだけだ」
「だったら僕しか行っちゃいけないんだ」
ガレットが頷く。
「いい判断だ」
夜の間、一時も休まず歩き続け、ひと気のない不気味な町外れにある教会に辿り着いた時には夜が明けようとしていた。その教会の地下に隠れ家があり、そこでハッチ・タッソを待つこととなった。
流石のガレットもかなり疲れているように見えたが、それよりも僕は立っていられないほど足が痛くなっていたので、寝台が目に入った瞬間、気を失ったかのように寝入ってしまった。
目が覚めてから地上へ出たはいいが、自分がどれだけの間眠っていたのか分からず、薄明かりが朝焼けか夕暮れか判断つかなかった。一日丸々眠っていたとしても不思議ではないからだ。それくらいたっぷり眠った感覚があった。
「やっとお目覚めか」
教会の墓地に行くと墓石の前でお祈りを捧げているガレットが僕に気がついた。
「誰のお墓?」
「パパのお墓だ」
「誰のこと?」
「パルクスだよ」
ジュリオス三世だ。つまり暴君としてカグマン国の歴史に記されているマザーの父親だ。そして、死んだドラコの義父でもある。このままではドラコも王族殺しの大犯罪人として名前が残る可能性もある、というのが歴史書の恐ろしさである。
僕は密偵のジンタから、ジュリオス三世が暴君ではなく自国民のために前線で戦った英雄だと聞かされていたので、彼に対する誤った認識を捨てることができていた。平和を壊す者に抗うのは、僕の目指す生き方と一緒なので、祈りを捧げることにした。
「よし、そろそろ日が沈むな」
ガレットが見ているのは西の空ということだ。
どうやら僕は半日以上も眠っていたということになる。
「夜になったら出発するぞ」
「どこへ?」
「マザーのところに決まってるだろう?」
「許可をもらえたということ?」
ガレットが頷く。
「お前が眠った後、すぐにハッチを呼びに行ったんだが、眠っているヴォルベをじっくり観察してな。それからアタシに『会わせてやろう』と言って、すぐに邸へ帰って行ったんだ。あの男は人の目ではなくて、手の平や体つきで人物を判断するんだ。『詐欺師はまず人と目を合わせる練習をする』というし、ハッチは目つきよりも誤魔化しきれない筋肉の付き方や使われている皮膚の硬さで人間を判断するんだ。お前のことは『働き者』だと言っていたよ。それから『ドラコの剣を譲られるに相応しい人物』だとも言っていた」
なぜか人の善さそうなルシアス・ハドラの顔を思い出してしまった。僕はまさに彼と一度も握手をせずに、優しい目だけで好人物だと思い込んでしまったのだ。それから目を見ながら話す彼の弁舌にまんまと騙されたわけだ。
よく耳にする『人と話す時は目を合わせなさい』というのは、詐欺師が自分を信用させるために用いる意識への刷り込みである。それを良しとすることで、騙されやすい人間を、より騙されやすくさせるわけだ。
騙されにくい人間というのは、『この人は人と話す時に目を合わせるから信用できる』などと、そんな根拠のない言葉を拠り所などにしないのである。訓練を積んだ詐欺師かもしれないと考えるのが予防法だ。
商人が悪いわけではないし、人に物を売る行為も悪いわけではない。ただし、その中の一部に悪質な人間が含まれる、という当たり前のことを考えているだけだ。商業の盛んなハクタ出身だから、余計にそういうことに気をつけなければいけないのである。
そんなことを、いつか子どもに言い聞かせるつもりで考えていると、いつの間にかマザー・リングのお邸に着いていた。門の前に立っている男がハッチだと教えられた。彼が出迎えたということは、道の途中からしっかりと監視され、報告が入っていたということだ。
「ハッチ、連れてきたぞ」
「マザーが中でお待ちだ」
そう言うと、ハッチが僕を見た。
「ヴォルベ・テレスコです」
「ハッチ・タッソだ」
握手を求められたので、手を取って握り返した。
「剣は預けた方がよろしいでしょうか?」
「そのつもりならば、今朝のうちに取り上げておる」
「帯剣したまま会ってもよろしいのですか?」
「ドラコの遺品であろう。そなたにお任せいたす」
色んな意味が含まれている言葉だ。
そこで剣が鞘から抜けないように紐で結わえることにした。
「それでは案内する」
客間に通されて、ガレットと二人で待っていると、甘い香りが漂ってきた。その甘い香りをさせていたのがマリン・リングだとひと目で分かった。彼女は、僕が生まれた頃から漠然と思い描いていた聖母そのものだったからである。
「マザー!」
マリン・リングが現れると、ガレットが飛びついて、その胸に抱かれるのだった。
マザーに抱かれたガレットは四つか五つの幼児に見えた。
「ガレット、よく会いにきてくれましたね」
マザーのお言葉は、僕にまで喜びを与えるのだった。
決して甘える人間ではないのに、ガレットはマザーから離れなかった。
ハッチはランプを戸口の台に置き、そのまま室内警護に就いた。
「大変」
マザーが心配そうに腕に抱いたガレットを見ている。
「この子、気を失ってしまったみたい」
それからハッチの方を見る。
「このまま寝かせてあげましょう」
ハッチがガレットを抱っこして外へ運んで行った。
「疲れていたのね」
マザーが僕に向かって呟いた。
「彼女は僕を守るために、だから、僕が無理をさせてしまったんです」
緊張して小さな声になってしまった。
「しばらく休ませてあげることはできますか?」
「はい」
予定になかったが、マザーに従うことにした。
マザーが僕の顔をじっと見ている。
「あなたにも言っているのですよ?」
それを聞いた瞬間、今まで感じていなかった疲労を全身で感じた。
足の痛みとは違う感覚だ。
意識が遠のいていく。
マザーが心配そうに駆け寄る。
「誰か!」
そこで完全に意識が途切れた。




