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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
120/244

第三十二話(120) ダリス・ハドラの遺言

 地面に突っ伏しているリューク・ハドラが僕の存在に気づいた。


「おお、ヴォルベ、私の話を聞いてくれ」


 ガレットがリュークを無視してミノルを叱る。


「おい、マヨルはどうした?」

「途中で森の中に行っちまって」

「持ち場を離れるなと言っただろう」

「オレも心配なんだよう」


 ガレットはそれ以上責めようとしなかった。


「ヴォルベ、私の話を聞くんだ」


 リュークと話す前にやることがある。


「ミノル、兄貴を捜したいだろうが、先に森の中にある死体を数えてきてくれないか」

「分かりました」

「殺し損ねた奴がいるから油断してはいけないぞ」

「任せなって」


 ガレットが急ぐミノルを呼び止める。


「ついでにアタシの矢も回収してきてくれ」

「そんな無茶な」

「矢はすべて死体に刺さっている」

「まさか」

「早く行け」

「あいよ」


 そう言って、槍を構えて南側の森の中に入っていった。

 ガレットが僕に訊ねる。


らないのか? だったらアタシが殺るぞ?」

「待て、待て」


 と言いつつ、リュークが立ち上がる。

 そこへ、すかさずガレットが膝裏に蹴りを入れる。


「誰が『立て』と言った」


 リュークが膝立ちで僕のことを仰ぎ見るのだった。


「ヴォルベ、この女を下がらせるんだ」

「あなたはもう、私に指図できる立場にありません」


 リュークの栗毛色の髪が、嫌でもエリゼの顔を思い出させた。


「何を言っている」


 彼の口調は、なぜか高圧的なままだった。


「これはヨアン・ダッグスによる裏切りだぞ? 私は奴に父上も殺されたのだ」

「あなたは私たちの前から逃走したではありませんか」

「当然だろう? あの時の状況を思い出してみろ」


 思い出すのは、ハドラ神祇官の悔しそうな顔だけだ。


「いいか、ヴォルベ。私の立場となって物を考えてみるのだ。今朝起きた出来事は私にとって理解を超えた状況だったのだぞ? なにしろ信頼していた部下に裏切られたのだからな。それでどうしてよく知りもしないお前たちを信用できるというのだ?」


「あなたはお父上が主犯だと言ったではありませんか?」


「あの場ではそう考えるのが当然だろう。ヨアンを小屋の中に入れられるのは、私を除けば父上しかいなかったのだからな。私は私の仕業ではないことを知っておるのだから、父上を主犯と考えるのは当たり前の話ではないか」


 彼は父親の死に際を知らないから平気な顔をしてうそぶいているのだろう。


「お父上はあなたの犯行だと名指しして亡くなられたのです」


 僕の言葉にリュークが天を仰いだ。


「そうであったか。ヨアンの奴め。何て忌々しいことをしてくれたのだ。つまり、父上は最期の瞬間まで、ヨアンの虚言に騙されてしまったというわけだな。これで裏切り者のヨアン・ダッグスがすべてを私のせいにしていたことがはっきりしたではないか」


 そうなのか?


「おい」


 ガレットが怖い顔で睨んでいる。


「お前は何度この男に騙されるつもりだ?」

「ヴォルベ、この女を黙らせろ」


 リュークが命じた。


「黙るのはお前の方だ」


 と言って、ガレットがリュークの尻に蹴りを入れた。

 ガレットが僕を叱る。


「この男は森に逃走したんだ。そこには敵兵がいたが、誰もコイツに弓を引く者はいなかった。それはこの男が奴らの雇い主だからじゃないか。これ以上の証拠がどこにある」


 リュークが言い訳する。


「ヨアンは私を利用したのだ。まだまだ利用する気でいたのだろう。だから生かすように命じられていたのだろうな。奴らが私を殺さず、生け捕りにして人質にしたのが何よりの証拠だ。こちらにも証拠がある以上は、勝手な裁きは許さぬぞ」


 二つの異なる状況証拠を提示されてしまった。どちらも決定的な証拠といえないところが悩みどころだ。ハドラ神祇官を信じたいところだが、リュークの言うように騙されていた可能性も否めない。


 ガレットは正しい心を持っている少女だが、リュークの言い分に反証できるほど状況をすべて把握しているわけではない、というのが公正な判断である。後で取り返しのつかない事態になることだけは避けなければならないのだ。


 ガレットが僕を見てイライラしているのが分かった。それより僕は、こんな時にエリゼのことばかり考えていた。エリゼのことを考えれば考えるほど、リュークの無罪を信じたい気持ちでいっぱいになる。


「ヴォルベ」


 リュークが僕に向かって両手を広げた。


「私を信じなさい。貴君には罪人になってほしくないのだ。我々は正しい道を歩まねばならぬ人間だからな。その役割を担って生まれてきたのだよ。ここで私を裁いてはいけない。それは明らかに間違った選択だ。私に対する誤った処断は、私だけではなく、ハドラ家並びに、テレスコ家のみならず、国家にとっての損失となり得る。その責任を貴君は取れるのか? 正しい航路への舵取りは、我々に託されたのだ。共に目指そうぞ」


 たった一つの状況証拠だけでは人を裁けない。


 その時だった。


「公子」


 丸太小屋の二階の矢狭間からタウロスが顔を出した。


「状況の報告を願えますか!」

「危機は去りました! しかし、今しばらくお待ちください!」

「承知した!」


 その直後、閃いた。

 いや、思い出したのだ。


「またしても僕は騙されるところだった。ハドラ神祇官を殺害したのはヨアン・ダッグスではなく、リューク、お前だな」


 そう言うと、膝立ちのリュークがヘラヘラと笑った。


「何を証拠に?」


「今朝、僕が丸太小屋へ到着した直後に悲鳴を聞いたんだ。それで扉を叩くと、すぐに開き、手斧を持ったヨアンが出てきた。あまりに多くのことが起こり過ぎて思い出すことができなかったけど、タウロスのおかげで思い出すことができたよ。あの悲鳴は僕の頭上から聞こえてきたんだ。つまり二階にいたハドラ神祇官のものだったんだ。二階で殺害した直後に一階の玄関に一瞬で移動することなど不可能だ。神祇官を殺したのはヨアンじゃない。リューク、お前が父親を殺したんだ。よくも猊下に罪を着せたな!」


 リュークが地面に倒れ込んだ。

 右手の拳が痛い。


「罪を着せた?」


 そこでリュークは折れた歯を吐き出した。


「ハドラ家に泥を塗ったのは父上の方だ」

「お父上は王家を救った英雄だぞ」

「王族殺しの首謀者として追われているではないか?」

「一時的なことだ。それがドラコの作戦であることは承知しているはずだ」

「そのドラコはどうなった?」


 ドラコ殺しには関わっていないということか?


「父上の作戦は失敗に終わったのだよ」

「まだ終わっていない」

「終わってからでは遅いと言っているのだ!」


 リュークが立ち上がりかけたところを、ガレットが短剣で制した。

 僕もドラコの剣を利き手に持ち替えた。


「なぁ、ヴォルベよ。今ならまだ間に合うぞ?」


 リュークが膝立ちで話を持ち掛ける。


「今こそ正道を歩むのだ。お前にはそれができる。いや、お前に懸かっているのだ。どの道、王妃と王太子は守り切れぬ」


「我々にはユリス・デルフィアスがいる」

「妃を守れぬ男に何ができるというのだ?」


 アネルエ王妃の誘拐にも関わっていないということか?


「いいか、ヴォルベ、私たちが言い争うことはないのだ。もうすでに、三十年も止まっていた歴史が再び動き始めたのだからな。お前ごときが止められるものではない。ドラコのようになりたくなければ大人しく我々に従うことだな」


 我々ということは、父親殺しには別に主犯がいるということだ。


「エリゼに気があるのだろう? ならばハドラ家の為になる選択をした方が良いと思わぬか? 今ならまだ間に合うと言っておるではないか。父上は家族を人質に取られ、ドラコに協力するしかなかった。それでハドラ家の家名は守られる」


 拳を痛める価値もない男だ。


「父親の次はドラコにまで罪を被せようというのか?」

「罪を被せる? それは違うな」


 そこでリュークの目つきが変わった。


「あの男こそ、罪そのものではないか。平民出のくせに出しゃばりおって。この私に指図したのだぞ? あの男さえいなければ、ハドラ家は安泰だった。サッジ・タリアスのような野蛮人に神祇官の聖職を盗まれることもなかっただろう。これはカグマン国建国以来の恥ずべき汚点ではないか。父上も父上だ。あの男に乗せられ、我が子の信用を失うのだからな。大事なものが見えぬから悲劇を招いたのだ。すべては自業自得よ」


 リューク・ハドラの底が見えた。正道を説いていたが、その実、自分を認めてもらえないことに逆恨みを抱いていただけなのだ。私怨で動く人間に正しい道が歩めるはずがない。これ以上、話を聞く価値は見いだせなかった。


 おそらくだが、リュークの私怨を見抜いている者がいて、その私怨を父親殺しに利用した人間がいるのだろう。狡猾で、自分の手を汚さずに、他人を道具にしてしまう男。ルシアス以外には考えられなかった。


「他に言い残すことはないか?」


 膝立ちのリュークが僕に手を伸ばした。


「ヴォルベ、まさか、この私を殺すのではあるまいな?」

「あなたを殺すのが、お父上の遺言です」

「私はエリゼの兄だ」

「僕ならまた騙せると思ったのでしょうね」

「父上亡き今、この私が神祇官なのだぞ?」

「聖職は、必ずしも聖人が務めているとは限らないということがよく分かりました」

「処刑は許可しない」

「これよりダリス・ハドラ神祇官の遺言を執行します」

「お前は間違って」


 リューク・ハドラの首が地面に落ちた。

 栗毛色の髪が目に入っているのに、もう今は、エリゼの顔が思い出せない。

 それが悲しくて、悲しくて仕方がなかった。

 まるで僕の方が死んでしまったみたいだ。


「戻るぞ」


 ガレットがそそくさと丸太小屋へと歩いて行った。待たせているのが王妃陛下や王太子様ではなかったら、一人になって、しばらく湖を見ながら泣いていただろう。リュークの首飾りを拾って、僕も丸太小屋へ急いだ。


 その途中、リュークが首にぶら下げていた金の家紋を弟のルシアスに渡していいのか悩んでしまった。ハドラ神祇官はルシアスが裏切ったことを知らないまま死んだので、その遺言をそのまま執行していいのか迷うのだ。とりあえず後でゆっくり考えることにした。



「公子、よくやってくれましたね」


 客間でパヴァン王妃陛下からお褒めの言葉をいただいた。


「ご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。当面の危機は去りました故、ご安心ください。お疲れのことと存じます故、居室にて休まれてはいかがでございましょうか?」


 王妃陛下が頷く。


「公子に従うことにいたしましょう」


 そう言うと、犬を抱えたパナス王太子と二人の召使いを従えて退室した。


 扉が閉まった瞬間、ボーテス・タウロスが大きく深呼吸した。

 それから六人テーブルの一角にドカッと腰を下ろすのだった。


「公子もお座りになってはいかがかな?」

「はい」


 やっと緊張感から解放された。


「ガレットも座ったら?」

「アタシはいい」


 そう言うと、扉を開けて、壁を背にして玄関口を見張るのだった。


 しばらくしてからミノルが戻ってきた。


「マヨルは見つかったか?」


 僕の言葉に首を振った。


「死体の数は全部で十一。ハドラの坊ちゃんを合わせると十二なので、やっぱり一人だけ取り逃がしたみたいっす」


 タウロスが発言する。


「公子、ご提案してもよろしいですかな?」

「お願いします」

「王妃陛下と王太子殿下を別の場所に移さねばなりません。すぐにでも出立の準備を始められてはどうか?」

「そうですね。早速準備に取り掛かりましょう」


 ミノルが異議を申し立てる。


「ちょっと待ってください。マヨルはどうなるんすか?」

「すまないが、優先順位は変えられないんだ」

「一日だけ待ってくれませんかね?」


 ガレットが叱りつける。


「おい、お前たちの仕事はヴォルベを守ることだったはずだぞ」

「分かってるんです、すみません」


 同じ兄を持つ者として、ミノルの気持ちが痛いほどよく分かった。


「タウロス、出立を一日遅らせることはできないだろうか?」

「公子がご指示くだされば、私はそれに従うまでです」


 指揮系統を乱さない見事な規律だ。


「それでは明日の朝を期限としよう。それでいいね?」


 ミノルの顔が綻んだ。


「ありがとうございます」


 タウロスが発言する。


「それでは別のご提案をさせてもらってもよろしいですかな?」

「お願いします」

「代わりの警護を呼びに行き、ここに連れて来るというのはいかがですかな? その方が移動の際にも何かと心強い」

「そうですね。不眠不休とはいきませんからね」


 タウロスが立ち上がる。


「では失礼して行って参ります。夜半までには戻ってこられるでしょう。それまでの間、王妃陛下と王太子殿下の警護をお願いいたします」

「分かりました」


 タウロスがその場を後にした。

 ガレットも動いた。


「では、アタシは森に帰ろう。ミノルは小屋の外を見張れ。湖の方の警戒も怠るなよ。ヴォルベはアタシたちが外に出たら中から鍵を掛けるんだ。警護兵が来るまで弓矢の練習でもしておくんだな」


 そう言うと、食料や水を持たずに出て行ってしまった。



 これからどうすればいいというのだろう? ドラコに続き、ハドラ神祇官まで死んでしまった。しかし王妃陛下と王太子様は生きている。つまりドラコの作戦は継続したままの状態にあるということだ。


 隠れ家を移すのはいいとして、カイドル国に向かうか、それともカグマン国に向かうかは悩みどころだ。王宮に帰るにはハクタの魔女が目を光らせている土地を経由しなければならないというのがリスキーである。


 やはり当初の計画通り、デルフィアス陛下の帰国を待って、警備が万全であることを確認してからカイドル国へ送り届ける方が無難なのかもしれない。王太子様が生きていることを知れば、すぐにでもマクス・フェニックスから王位を剥奪することも可能だろう。


 そうなれば、分国した三国は再び統一されるだろうし、ユリスが王族に復帰しており、フィンスも王政に参加でき、七政院の人事も刷新できたので、いいこと尽くしの未来が待っている。そのためにドラコとハドラ神祇官は命を懸けたのだ。


 しかし、それを良しとしない連中がいる。ハクタの魔女ことオフィウ・フェニックスに違いないが、リュークに突発的な謀反義を起こさせるには接点が乏しいように思われる。ハクタ国とは物理的に距離があるというのも疑問の一つだ。


 オーヒン国、またはその周辺にハクタの魔女と結託している人物がいるのではないだろうか? 魔導士のように人心を意のまま操る恐ろしい存在だ。ドラコを殺した犯人を見つけなければ、いいこと尽くしの未来などやってくるとは思えなかった。

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