第二十六話(114) 公子の決意
出発が遅れたということで、ちゃんとした別れの挨拶がないままランバ・キグスと別れてしまった。ただ、急いでいたというだけではなく、直前に仇討ちすることになるかもしれない男の娘に結婚を申し込むという無茶苦茶な状況が気まずかったというのもあった。
これでドラコはジュリオス三世の娘と恋仲になり、その腹心のランバは最後の皇帝であるデモン・アクアリオスの娘と恋仲となったわけだ。当代随一の剣豪と、その腹心だが、不思議な因縁を感じずにはいられなかった。
その一方で、旧カイドル帝国というのは伝統的に、その時に一番強い者が皇帝に選ばれるので、その末裔が剣一本でのし上がったドラコとランバを婿として選ぶというのは、理に適った選択ともいえるわけだ。
オーヒン国を建国したブルドン王のように、カグマン島の北部には一代で成り上がった者を尊敬し、崇拝する精神性がある。それは旧カイドル帝国が滅んでも、その土地の人間が絶滅したわけではないので受け継がれていくわけだ。
ユリス・デルフィアス国王陛下が治世を実現させるには、血脈ではなく、力を見せなければならないだろう。島の北方地域というのはそういう土地柄だからである。この島にはどうにもこうにも交わらない二つの価値観が同居しているというわけだ。
王族の少子化から、暗殺計画の企てまで、明らかにフェニックス家の王政を終わらせようとしている者が存在しているのは確かだ。しかも何年にも渡って準備をし、それが組織的である可能性が高いのである。
三十年前にカグマン国は戦争に勝ったが、その後はなぜかオーヒン国周辺の地域から栄えるという不思議な現象が起きている。ユリスが立ち上がらなければ、静かに勢力が弱まり、沈黙したまま衰退した後、オーヒン国の国王が島を支配していてもおかしくなかったのだ。
カグマン島には現在、四つの国がある。王族の暗殺計画に端を発して、そのような事態を招いたわけだが、ユリスが望むべくしてそうしたのか、それとも何者かの意思が介入していたのか、その辺は改めて調べてみる必要がありそうだ。
まずはハドラ神祇官に現状報告をすることが先決だ。ドラコが死んでしまった今、今後の指針を決められるのは神祇官の他に存在しないからである。その前にドラコ隊の動きを把握する必要があったので、先にリング領に寄ることにした。
一度通った道のはずなのに、進む方向がさっぱり分からないので、どこに行くにもジンタの案内が必要だった。彼と出会った時は、これほど重要な仕事を任せるとは想像すらできなかった。
リング領の山の上にある練兵場に到着した時には、辺りはすっかり暗くなっていた。そんな中、聴こえてきたのは故郷の歌だった。涙交じりの歌声はドラコ・キルギアスへ捧げられた鎮魂歌なのだろう。
兵舎へ行くと、正面広場で焚き火を囲んでいるドラコ隊の隊士の姿があった。初めて見る顔も多く、ドラコの死を聞いて駆けつけてきた者が多くいることが分かった。その六、七十人いる隊士が酒を飲みながら歌を口ずさんでいるわけだ。
「公子! ご無事でしたか」
ジャンジャジの言葉で、一斉に注目が集まった。
「僕たちが駆けつけた時には、もう手遅れでした」
そう言うのが精いっぱいだった。
隊士たちの悲嘆に暮れる姿を見るのがつらかった。
「公子、キグス教官は一緒ではないのですか?」
「ランバは隊長の仇を討つと誓って、ハクタへと旅立ちました」
そこで、どよめきが起こった。
「我々も後に続こうではないか!」
「そうだ! 俺たちも隊長の仇を討つのだ!」
「いつまでも酔っ払っていられるか!」
「復讐あるのみ!」
隊士たちの口から次々と言葉が発せられた。
士気が上がるのは結構だが、暴発的な行動は困る。
「待ってください!」
睨みつける隊士もいるが、怯んではいけない。
「ドラコが何者かに殺されたのは確かですが、まだ誰に殺されたのか分かっていないのです。そんな状況で、どこへ行き、何をするというのですか?」
「マエレオス邸で死んでいたのだ。あの裏切り者に決まっているではないか!」
初顔の隊士が声を荒げた。
「そうだ、奴に決まっている」
「あの守銭奴が国や息子の次に隊長を売ったのだ!」
ジャンジャジは部下を宥めようとしてくれなかった。
僕がこの場をどう収めるのか試しているようである。
「証拠がないのです! 証拠がなければ、仇を討つべき相手を見誤るかもしれないではありませんか。だからランバはデモン・マエレオスに同行したのです。ランバはドラコ隊の隊士を一人も連れて行きませんでした。それが答えであり、教官からのご指示を表しているのではありませんか? ランバは自らが囮となって、自分自身の命を証拠に換えようとしているのです。ならば、判定できるようになるまで、ここは待つべきです」
初顔の隊士たちは納得した顔を見せてくれなかった。
「貴君は、それで黙って教官を行かせたのか?」
「それが、デモン・マエレオスが首謀者である証拠を掴むための唯一の方法でした」
「隊長だけではなく、教官も黙って見殺しにしろというのか?」
「命を落とした時には、必ず仇を討つと誓いました」
「死んでからでは遅いのだ!」
大声に怯んではいけない。
「そのやり方が正しいのならば、デモン・マエレオスが現れた時に断罪しています。でもランバがそうしなかったのは、それがドラコ隊のやり方ではないからじゃありませんか。みなさんは隊長を失っても、ドラコ隊の隊士なのです。ならば、これからもドラコ隊のやり方で任務を全うしなくてはなりません」
子どもの言うことを素直に聞く人たちではなかった。
「貴様に俺たちの何が分かるというのだ?」
「我々は隊長と共に何年も戦ってきたのだぞ!」
「お前に仕事の何たるかを教えられる筋合いなどないわ!」
「ガキは引っ込んでろ!」
そこでジャンジャジが隊士たちの前に歩を進めた。
僕では収拾がつかないと判断したのだろう。
「静かにしないか!」
ジャンジャジの低い声が響き渡った。
雑音が消えた。
「公子」
そこでジャンジャジに呼び掛けられた
「その腰に下げた剣を見せていただけますか?」
ランバから預かったドラコの大剣だ。
両手で持って見せると、隊士たちから嘆息が漏れた。
焚き火の照り返しだけでも、それが隊長の遺品だと分かったようだ。
「お前たちに問う!」
ジャンジャジがその場にいる隊士の一人一人を睨みつけていく。
「隊長はパヴァン王妃とパナス王太子の救出作戦を、こちらにいるヴォルベ・テレスコに託されたのだ。そして作戦は成功し、見事に救い出すことができた。公子はまだ十四なのだぞ? お前たちも自分が十四の時だった頃を思い出してみろ。お前たちはその時、何をしていたというのだ? 母親と別れるのが寂しくて泣いていたのではないのか?」
野次を飛ばす人がいなくなった。
「キグス教官は隊長の剣を公子に預けたのだ。剣士にとって、剣は魂と変わらぬもの。ランバはドラコの魂をヴォルベ・テレスコに預けたということだぞ。それはドラコの遺志を引き継ぐ者は、自分ではないと考えたからではないのか? 我々は互いにドラコの剣に誓いを立てた者同士。ならば、公子のご命令に従うのが、ドラコ隊の取るべき行動ではないか」
これは隊士に言い聞かせているのではなく、僕に心構えを説いているのだ。
「不満がある者は今すぐこの場から去れ。ただし、二度とドラコ隊を名乗らせぬからな。残った者は、ドラコ隊のまま死ぬことを覚悟した者たちばかりだ。自分を売り込むための看板に利用する者に、ドラコの名を騙る資格はない」
そこでジャンジャジが僕に不満を訴えていた初顔の隊士に声を掛けた。
「ロニー、古株のアンタの決定に従う者も多いだろう。この中では一番の功労者なのだから好きにすればいい。オレは引き止めないぜ。デルフィアス陛下の元に行って事情を説明すれば兵役を全うすることだって可能だろう。浪人になったって、アンタの腕があれば幾らでも稼げる。元ドラコ隊の肩書だっていらないだろうしな。食つなぐだけの金は用意しようじゃないか」
ロニーと呼ばれた無精ひげを生やした短髪の中年男が僕を睨んでいる。
立ち上がると、僕の方に向かってゆっくりと歩いてくるのだった。
背はそれほど高くないが、威圧感がある。
「公子、お前さんは、どうしてここにいるんだ? お父上は偉大なお方だ。ハクタの州都長官で、今はカグマン国の首都長官として王都を防衛する立場となったじゃないか? 言われた通りのことをしていれば、入隊して三年で官邸に呼ばれていただろうし、今なら王宮で仕事をすることも可能だったはずだ。先の見える安定した未来を手放してまでハドラ領に忍び込んだわけを聞きたい。その時は、隊長が考えた救出作戦のことは知らなかったはずだからな」
早いもので、もう一か月以上も前のことになる。
「ジンタから荘園の襲撃に関与した疑いのあるドラコ隊の隊士がハドラ領に入ったと聞き、神祇官も一連の事件に関わっていると思い、それで止めさせようと説得しに行ったのです」
「自分一人で説得できると?」
「はい」
「その根拠は?」
「父上から、ハドラ神祇官は王宮の安全保障を誰よりも考えているという話を聞いていましたので、きっと何か裏があるのだと感じていたのです。その話を聞いていなかったら、危険を感じて、ユリス・デルフィアスに報せに行っていたでしょう」
正解の分からない入隊試験を受けている気分だ。
「なぜ、お父上に相談せず、ユリス・デルフィアス陛下の到着を待たずに行動を起こしたのか、その行動原理が知りたい。自分で説明できるか?」
焚き火を見てフィンスのことを思い出した。
「僕には一つ下の従弟がいます。カグマン国の国王に即位されたフィンス・フェニックスが、その人です。僕は彼を王政復帰させるために情報を集めてきました。そのためには次期国王が誰になるのかというのが大事になってきます。そこでオフィウ・フェニックスに王宮を乗っ取られてはいけないと考えました。マクス王子を国王にさせないためには、父上やユリスに迷惑を掛けてはいけません。誰一人として足を引っ張る存在があってはならないのです。単独行動に走ったのは、そういう理由があるからです」
そこでロニーが大きく頷いた。
「なるほど。他力ではあるが、見事に目的を達したわけだな。ならば、ここで最初の質問にもどろう。お前さんがここに戻ってきた理由は何だ? 三つに国が分割されたとはいえ、すでに目的は達したではないか。ここに留まる理由はないはずだが?」
ここでやっと彼が僕のことを疑っているということに思い至った。自分が潔白であることは分かっていても、他人が理解してくれているとは限らないということだ。第三者からしたら、僕がドラコの死に関与しているのではないかと勘繰ってもおかしくないからだ。
「どうした? 目的もなく戻ってきたというのか?」
己に問う。
「僕はドラコから与えられた仕事を最後までやり遂げます」
手に握られたドラコの剣が僕に勇気を与える。
「僕もドラコのように正しいことのために人生を全うしたいのです。過去の歴史がそうであるように、時代が変われば、正しいと信じた行動も間違った行動にされるかもしれません。それくらい正義と悪とは不確かなものです。しかし、この時代に生きる僕たちにしか分からないことがあるんです。それは、いかなる理由があろうとも、パヴァン王妃陛下とパナス王太子様の暗殺を許してはいけないということです。そんなことを企てた者たちに時代を変えさせてはいけないのです。それがドラコから与えられた、最後までやり遂げなければならない仕事です」
ドラコの剣が僕を強くする。
「自分が正しい人間だとは思っていません。しかし、明らかに間違っていることに対しては、間違っていると声を上げなければいけないのです。それは、とても勇気のいる行動です。相手が集団であったり、巨大な組織であったりするので、個人、または少数ではとても太刀打ちできないのです。疎外され、虐げられ、粛清されることもあるかもしれません。それでも、戦わなくてはいけないんです。なぜなら、数少ない勇気ある人の存在が、世の中を少しずつよくしてきたからです。角度を少しだけ変えられたなら、それだけでいい。僕たちの時代には分からない変化でも、遠い未来には、それが大きな変化だったと気づくことができるのですからね」
ドラコの剣が僕に教えてくれている。
「ドラコは、僕に証人になってほしいと頼みました。それは隊士のみなさんが誤解され、不当な扱いを受けないようにさせるためです。だから途中で辞めることなどできません。『ドラコ隊は間違いを正すために戦った』と証言しなければならないからです。途中で死んでもいけない。必ず生き残って、ドラコ・キルギアスの名誉を取り戻してみせます。だから、どうか僕に力を貸してください。僕には隊士のみなさんの力が必要なんです。どんな苦しみにも耐え抜くと誓いましょう。ですから、僕をもっと強くしてください」
後は反応を待つしかなかった。
ロニーが手を差し出した。
「手加減はしないから覚悟するんだな」
差し出された手を握ると、潰れるかと思うくらい握り返された。
「ロニー・キングだ。親父さんには扱かれたからな。今度は俺がお返しする番だ」
そこでロニーが隊士たちに呼び掛ける。
「いいか、お前ら、新しい隊長は前の隊長と違って、俺たちのお守りが必要だ。だがな、その代わり報酬は期待できるんだ。たっぷりと搾り取ってやろうぜ」
その言葉に笑い交じりの歓声が上がるのだった。




