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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
110/244

第二十二話(110) マエレオス邸の惨劇

 それから十三日後に、リング領の兵士に付き添われてジンタがやって来た。実に一か月振りの再会である。そろそろ来る頃だろうと思っていたが、彼が一人で使いに出されるとは思わなかった。


「隊長はご無事ですかな?」


 兵舎の会議室で出迎えたランバが興奮して訊ねた。

 椅子に掛けたジンタが布巾で顔を拭く。


「へい、あっちこっちと忙しくしてまさあ」

「それは結構ですな」


 ひとまず安堵するランバだった。

 会議室には僕たちの他にジャンジャジもいる。


「ドラコはどうして姿を見せないんだ?」

「一通り仕事を片付けたみたいで、今日にでも伺う予定だったんですがね、昨日、事件が起きちまったんでさ」


 すかさずランバが問い質す。


「事件というのは?」

「ユリス・デルフィアスの奥さんが攫われたんでさ」

「誰に?」

「それは分かっちゃいません」

「それで隊長はどうされたんですかな?」


 ジンタが答える。


「『これはユリスを誘き出す罠の可能性もある』って言うんで、ダンナらに『しばらく合流できない』って、プランの変更を伝えるように頼まれたんでさ。それから『公子を呼んで来てくれ』とも頼まれやした」


 ランバが確認を求める。


「公子ではなく、私の間違いではないのか?」


 ジンタが首を振る。


「いえ、『ランバは第三者の呼び出しに応じないから、公子だけを呼んでくるんだ』と念を押されましたぜ?」


 納得するランバだった。彼は部隊を預かっている人間なので、呼び出しにホイホイと応じることがないとドラコも分かっているし、なによりもドラコ自身がランバにそう命じているのである。だから責任のない僕を呼び出したわけだ。


「続きは道中で聞かせてもらいますかな」


 そう言うと、ランバが立ち上がった。


「副長、どこへ行かれるんですか?」


 ランバを制したのはジャンジャジだった。


「無論、隊長の元に決まっておろう」

「ドラコは『ダメだ』って言ってましたよ?」

「『公子のお供をするな』とは言われておりませんからな」


 この場でランバを止められる人はいなかった。


「それではジャンジャジ殿、後を頼みましたぞ」


 何も言わず、敬礼で応えた。


「よしっ、ジンタ殿、それでは案内していただこう」

「いや、アッシはいま着いたばかりなんですぜ? 何か食わせておくれよ」

「それではパンと干し肉と煎り豆を用意させよう。それなら道中でも食えますからな」

「口の中が乾くもんばっかじゃねぇですかい」


 ランバが僕を急かす。


「さあ、公子も準備の方をお願いしますぞ」



 ドラコが待っている場所は、オーヒン国の北西部に隣接するマエレオス領にある農場だそうだ。そこを目指して山を下りつつ、ジンタからこれまでの出来事を説明してもらうこととなった。


「アッシも船に乗るのは初めてだったんで、それはもうビビりましたぜ。しかし漕ぎ手が何人もいる高速艇だったんで、面白いぐらいに進んでいくんでさ。ドラコの兄貴とアッシも手伝ったんで、二日も掛からずに峠の向こうにあるゴヤ村の海岸に着いちまいやした」


 僕たちよりも丸一日先行していたわけだ。


「それから魚の加工場に行くと、そこに兄貴の部下がいて、そこで一泊して、明くる日に隠してあった商用馬車に乗り込んでオーヒン国に向かったんでさ。実際に積み荷と通行証もあったんで、見た目は干し魚を売る三人親子と、使用人と用心棒が二人ずつの組み合わせにしか見えなかったと思いますぜ。王太子様、いや、そんなことを口にしちゃいけなかったんで、道中は『坊ちゃん』と呼んでたんですが、その坊ちゃんも商人の振りをする芝居が楽しそうなのが忘れられませんや」


 王宮から一歩も出たことがないと聞いていたので嬉しかったのだろう。


「でもって、夜になってから奥様と坊ちゃんを別の場所に移すっていうんで、アッシと旦那様、いや、ハドラ神祇官のことですがね。そこで二手に分かれたんでさ。でもって、アッシらの方はハドラ神祇官の家族が待つセトゥス領の領地にある別荘へ行ったんでさ」


 セトゥスというのは、オーヒン国・財務官のアント・セトゥスのことだろう。彼が救出作戦の協力者となってくれたわけだ。オーヒン国の上級貴族の別荘地ならば捜査で調べられることはないし、仮に令状があっても、発行されるのが遅いので逃げる時間を持てるわけだ。


「ジンタ殿、王妃陛下と王太子殿下はいずこへ?」


 最後尾を歩くランバが先頭のジンタに声を掛けた。


「それはドラコの兄貴にしか分かりませんぜ。ハドラ神祇官が知っているのかどうかも、アッシには教えてくれませんでしたからね。それでいいんですよ。情報っていうのは持ってるだけでも危険ですからね」


 情報屋だからこそ、その怖さをよく知っているのだろう。


「続きですがね、別荘地に行ったら救出作戦の成功を祝って家族で祝杯をあげると思いきや、奥様とお嬢様には内緒にしろと釘を刺されたんでさ。召使いやお世話係も王都が大変なことになってるって知らないみたいで、絶対に漏らすなとキツく言われやした。だから今も国が三つに分かれちまったことを知らないってこってす」


 家族に仕事の内容を話さないのは珍しくない。特に機密を扱う今回のような任務ならば仕方のないことだ。問題は、いつすべてを打ち明けるかだろう。そのタイミングを考えるのはハドラ神祇官の仕事である。


「といっても、アッシは別荘の中に一歩も入れませんから関係のねぇ話です。馬小屋に泊まってドラコの兄貴が現れるまで外の見張りを命じられたんでさ。それでも上等な酒を飲ませてくれたんで、これまで一番楽しい毎日でしたね」


 そこでジンタが振り返る。


「いや、これもすべてダンナのおかげなんでさ。お嬢様が猊下にアッシのことを聞いたみたいで、それでダンナと知り合いだって分かって、そこから差し入れをたくさんくれるようになったんです。ただ、不味い料理を食わなくちゃいけなかったのは大変でしたけどね。お嬢様ったら、身体にいいってんで、アッシにセロリばっかり食わせるんだ」


 きっと、おそらくだが、エリゼの嫌いな食べ残しを食わされたのだろう。


「ドラコの兄貴が姿を見せたのは、オーヒンで別れた半月後でやした。猊下と再会すると、二人の息子さんを交えて、三日三晩、昼夜を問わず、場所を変えながら話し合いをしていやした。和やかなムードとならなかったのは、やっぱりフィンス国王陛下が生きていたことを知らなかったからじゃないですかね。長男が興奮して、次男が宥め、猊下が叱責して、ドラコの兄貴が長い演説を始めるといった感じでやした。いえ、アッシは見張りを任されていたんで会話の内容まで聞くことができなかったんでさ。国が三つになったことを知ったのも猊下と別れてからですからね」


 想像するしかないが、おそらくユリス・デルフィアスの仕事があまりにも早かったので長兄のリュークは焦ったのかもしれない。事実、神祇官の後任が簡単に決まってしまったからだ。これは不審に思っても仕方ない。


「兄弟の外泊が多くなったのはそれからです。お嬢様が心配していましたが、理由を話すわけにもいかなかったので、それはもう大変で。それでも、ドラコの兄貴が猊下に許可をもらってアッシを自由にさせてくれたんで随分と助かりやした。しばらく走ってなかったんで、何も考えずに走れるってだけで気持ち良かったんでさ」


 ドラコは何をしたかったのだろうか?


「ジンタ、ドラコは誰かと会っていなかった?」


「へい、アッシをリング領に連れて行って、そこで色んな人たちを紹介してもらいやした。いつか必ず公子の力になってくれる人だからと、それで引き合わせてくれたんでさ。『身を隠すにはここに来ればいい』って。だけど尾行されないように注意しないとダメだとも言ってましたぜ。それから、いま向かっているマエレオス領のお坊ちゃんを紹介してもらったんでさ」


 マエレオス領といえばフェニックス領の荘園だ。お坊ちゃんというのはデモン・マエレオスの次兄ハンス・マエレオスのことだろう。彼をジンタに引き合わせたということは、ドラコはハンスを信用しているということだ。


「アンナお嬢様はお元気でしたかな?」


 訊ねたのはランバだ。


「へい、領地の教会で子どもに歌を教えていましたぜ。王都が大変なことになってるっていうのに、荘園の中だけはまるで別世界のように平和なんでさ。まぁ、アッシは教会が苦手なんで、マエレオス領に生まれなくて良かったんですけどね」


 ドラコが信じている人を無条件で信じていいのか、判断に迷うところだ。


「ジンタ、父親のデモン・マエレオスは紹介されなかったのか?」


「へい、とにかく忙しいお人で、息子のハンスですら自分の親父がどこで何をしているのか分からないといった有様なんでさ」


 父親との信頼関係は不明ということだ。


「話を続けますがね、それからドラコの兄貴にオーヒン国の政治家の顔を覚えろって言われて、それで国王や貴族や、いずれ要職に就くその身内の顔と名前を一致させるために、あっちこっちと連れ回されたんでさ。もちろん兄貴は顔が割れてるので相手に気づかれないように慎重に近づきましたがね、これも修行のうちだって言ってましたぜ。そうでさ、人相を覚えるのが何よりも大事だと言われたんです。誰が誰と会っているのか、色んな人に部下を張り込ませて調べさせてるって言ってやしたからね」


 ドラコはこれからジンタを密偵として重用するつもりのようだ。


「そうこうしているうちに、定期連絡でデルフィアス国王陛下が帰国の途に就いたとの報せが入りやした。それで兄貴はアッシに陛下を張り込むように命じたんでさ。オーヒンで誰と会うのか把握したいって話でした。自分の部下は近づけさせることができないって言うんで、アッシが適任だったんだと思いますぜ」


 早く出世する者の近くには能力を引き上げる有能な理解者がいるものだ。


「んで、デルフィアス陛下が来るのを待ってたんですがね、峠で暗殺未遂事件が起きたっていうじゃないですかい。いや、どうやら官馬車をダミーにして、陛下は別の馬車に乗ってたから無事なんですがね。それでドラコの兄貴がアッシに、その暗殺未遂事件の現場検証をやってくれないかと命じるんでさ。いや、『そんなもんはやったことがない』って言うと、『現場に落ちてる物を何でもいいから拾って持って帰ってくるだけでいい』って言うんで、『分かりやした』と返事をしたんす。現場に残された物は全部手掛かりになるって言ってましたぜ」


 盗賊団を相手にしていたドラコは事件捜査のエキスパートだ。


「それで、現場に行くと、すぐに大破した官馬車を崖下で見つけることができて、ええ、旗はなかったが、塗装が施してあったんで、まず間違いねぇと確信して、そこで周辺だけじゃなく、崖の上の方までじっくり調べたんでさ。それで持ち帰った物をドラコに見せると、矢を見て『ユリスが危ない』と呟いたんでさ」


 国王は常に標的となるものだ。


「そこで兄貴はアッシと任務を入れ替えたんでさ。ドラコの兄貴が、いざっていう時に救えるようにと陛下のお側で監視して、アッシが王妃様を張り込むことになったんす。ただ、王妃様の外遊先ってのが、コルピアス邸といって、オーヒンの軍事基地のど真ん中にあるんで、捕まらないように充分気をつけろとは言われましたがね」


 ご公務による訪問先までのルートは前日までには確実に警備シフトが決まるので、情報さえ手に入れることができれば行き先を知ることは可能だ。しかも組織を知り尽くしたドラコならば情報を入手するのは容易いことである。


「ところがです。その厳重なはずの邸の中で王妃様が消えちまったんすよ。邸の壁を警護兵がぐるりと取り囲んでいたんですぜ? それでも誘拐されちまったんだ。ただ、厳重だっただけに『犯人を見つけるのは難しくない』ってのがドラコの兄貴の見解でやした。『容疑者は当日に出入りした客人か、業者か、邸の主しかいない』って言ってやしたからね。で、その夜に兄貴から、プランの変更を伝えるように使いに出されたんす」



 ドラコとの合流地点であるマエレオス領の農場に着いた時には、すでに真夜中を過ぎ、明け方近くになっていた。またしても、僕が文字通り足を引っ張った形である。アネルエ・デルフィアス王妃が誘拐されて一日半の時間が経過したことになる。


 マエレオス領にも多くの農村が存在しており、ブドウ園を始めとして、穀物や野菜、また牧場も数多く点在していた。ジンタによると、ドラコが潜伏しているのはハンスの私邸で、領主の邸ではないという話だ。


「着きましたぜ。あそこがハンス坊ちゃんのお邸でさ」


 ハンスの邸は比較的人口の多い町の中心に建っていた。


「領主の息子というより、町長の家って感じだね」


 僕の感想だ。

 ジンタが説明する。


「坊ちゃんが言ってましたが、なんでも親父さんの方針らしいですぜ。労働者っていうのは数字をチョロまかすものだから、労働を監視して、生産高を徹底的に管理しないといけないんだそうです。親父さんは他人を信用しない人だから、それで役所があるこの町に息子を住まわせたって聞きやした。税金を多く払った方が、結局は得をするってのが親父さんの考え方なんだそうです。税金をきっちり納めることで検問所に多くの兵士を融通してもらえるってんで、それで犯罪率が減りますからね。富める者は、ますます富むってわけでさ」


 腐りやすい食べ物を、どれだけ早く、大量に、かつ確実に、現金に換えるか、というのが商売人の腕の見せ所だ。供給ルートの奪い合いでもあるので政治力も必要になる。領主も他の領主との生存競争に勝たないといけないという命題があるわけだ。



 常駐する私兵が客間に案内し、ハンス・マエレオスが笑顔で出迎えた。


「や、これは、キグス教官ではありませんか」

「ご無沙汰しております」


 そこで僕を隣に呼び寄せた。


「こちらがテレスコ州都長官、いや、失礼。テレスコ首都長官のご子息でございます」

「ヴォルベ・テレスコと申します。以後、お見知りおきを」

「ドラコから聞いております。救出作戦では大活躍だったそうですね」


 そう言って、手を差し出した。

 その手を握る。

 ひ弱な見た目ほど軟ではないという感想を抱いた。


「ところで、隊長はどこにおられますかな?」


 ランバの問いに、ハンスが答える。


「日没前になりますが、義母上の邸に行きました。公子の到着を待ってからにしてはどうかと言ったのですが、いつ到着するか分かりませんし、先に調べておきたいことがあるというので引き止めることができなかったのです」


「ブドウ園の邸に行って、一体なにを調べるというのですかな?」


 ハンスが日中の出来事を思い出すように語る。


「ドラコがここへ来たのは、前日にコルピアス邸に出入りした搬入業者について調べるためです。ジンタの報告から、客人や邸の主ではなく、絨毯を運び入れた業者が怪しいと思ったんですね。少し前にデルフィアス陛下の暗殺未遂があったので、目的は王妃のお命ではなく、陛下を誘き出す罠だと考えたのです。馬車は徹底的に調べられたと言っていましたが、『巻かれた古い絨毯の中まで調べたか?』と訊ねて、ジンタが『調べてない』と答えたことで、ドラコはそこに王妃陛下がいたと確信したのです」


 見張りが大勢いる中、目視できる位置まで近づけたジンタもすごい。


「ドラコが部下を使って業者の行方を調べたところ、父上が大陸で買い付けた絨毯だっていうじゃないですか。それでぼくのところに来て、業者について説明したのです。ですが、その絨毯をコルピアス閣下にお届けするのは三か月も前に決まっていたことなんです。貿易船が予定通り到着したから届けられたものの、もしも天候に恵まれずに不順となったら、王妃陛下の訪問とバッティングすることもなかったので、ですから、ぼくはドラコの推理に懐疑的なんですがね」


 ランバが訊ねる。


「しかし、隊長はブドウ園の邸へ向かわれたわけですな?」

「はい。交換した古い絨毯が邸に運ばれたと聞いて行ってしまいました」

「では、我々も参りますぞ」

「夜明け前には戻ると言っていましたよ? 行き違いになるかもしれません」

「行き違いは、もうすでに起こっているやもしれませぬからな」


 ということで、四人でブドウ園の邸へ行くこととなった。



 夜明け前なので馬車での移動は控えることにした。しかし、この日は朝から歩き通しだったので、ハンスが僕のために馬を用意してくれた。ランバに手綱を引いてもらって、ハンスが道案内し、ジンタが先行して辺りを警戒しながら邸を目指した。


「ドラコとは会えませんでしたね」


 そろそろ夜明けを迎えるが、途中の道でドラコとすれ違うことはなかった。


「それよりハンス殿、見回りの兵士はどこにいるのですかな?」


 ブドウ園の邸の周辺は静まり返っていた。


「父上は荘園の襲撃が僕たちの作戦だと知りませんから、義母上が狙われないように別の場所に避難させました。ですから警備も別の場所にいるので、つまり本邸は無人というわけです」


 馬車蔵へ行くと、荷台だけ置かれてあるのが目に入った。


「うちの馬車ではありませんね」


 そこでハンスが呟く。


「ドラコは帰ったのかな」


 僕たちがいるのに姿を見せないということは、ドラコはここにいないということだ。


「ハンス殿、念のために中を案内していただけますかな」

「そうですね、ひと眠りしているのかもしれません」


 そうではなく、ドラコは永遠の眠りについていた。

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