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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第十六話(104) ドラコの作戦

 剣聖モンクルスがいて、父上がその一番弟子だったから、今の僕があるわけだ。ここまでは他者のおかげであり、自分では何一つ成し得ていない。誇るものもなければ、これといった成果もない状態だ。


 ドラコ・キルギアスに見込まれたはいいが、それも父上や父の部下から剣術を学んだという背景があってのことである。指導を受けて、ダメだと判断されたら外されるだけだ。まだ何もしていないということを肝に銘じて、彼から学びを受けなければならないのである。


 不安なのは僕だけではなく、ハドラ神祇官も同じだった。


「心意気は気に入ったが、それでも、これから作戦内容を仕込むということは、本番を先延ばしにするということかね? もうすでにデルフィアス殿下が近くまで来ているという話だが、どうするのだ?」


 ドラコが答える。


「先延ばしは考えておりません。殿下が到着する前に決行します。替え玉が見つかれば明日、それが見つからなかった場合は明後日にもプランを変更して決行します」


 その答えに納得しないのがリュークだった。


「貴君は、たった一日の準備で事が足りるというのか?」

「公子次第ですが、見込み違いであれば最も安全なプランを進めるまでです」


 そこで初めて次兄のルシアスが口を開いた。


「そもそもですが、替え玉を使って王妃と王太子が死んだように見せ掛ける必要はあるのですか? いや、狙いは分かりますよ。王族の暗殺なんて、そんな大それたことをムサカ法務官が一人で思いつくわけがありませんからね。しかし救出作戦の他に、護衛付きの法務官らを殺して、さらにご遺体の偽装までするというのは、やはり欲張りすぎというものでしょう」


 ドラコが説明する。


「以前にもお話しした通り、これは変革のチャンスでもあるのです。お父上を除いた七政官が、たった一人の判断で暗殺に加担しているとは思えません。それぞれの領地には彼らを支持する勢力というものが存在しています。その勢力を一掃するには、実際に暗殺が行われたと思わせた方が、デルフィアス殿下も後任人事を進めやすくなるでしょうからね」


 ルシアスは納得していない様子だ。


「しかしこの作戦ではドラコのみならず、我が一族が容疑の対象となり、他の七政官は被害者と見做されてしまいます。一時的なものだと言っていましたが、本当に上手くいくのか今でも不安ですね」


 父親のハドラ神祇官が窘める。


「それについては、もう幾度となく話し合ったではないか。ドラコに不安を吐露するというのは話を理解していないという証拠だ。これは私がドラコに作戦の立案を命じ、この私が了承したのだからな。ドラコに異を唱えるということは、この私に意見するということだ」


 ハドラ神祇官は実の息子よりもドラコの方を信頼しているようだ。

 そこでリュークが弟の方を見た。


「お父上、ルシアスは賢い男ですよ? 作戦が上手くいくとも限りませんし、そこで最悪のケースを想定できるのが弟の特性ではありませんか。暗殺を偽装して、作戦の黒幕をあぶり出すのは大事なことかもしれませんが、我々に容疑が掛かっている最中に、匿っている王妃陛下と王太子殿下の身に、さらなる魔の手が伸びたらどうなるというのですか? その時は我々が罪を着せられるというわけです。そこまでのリスクを冒す必要があるのでしょうか?」


 ハドラ神祇官が息子の疑問に答える。


「暗殺を企てた者を特定もできずにのさばらせておいては、どのみち王妃陛下や王太子殿下に安息の日々は訪れない。一時的な救出は急場しのぎにすぎないのだ。それを何度も説明したではないか。説得のつもりならば、思い違いも甚だしい。お前たち二人もドラコのように、フェニックス家にご奉仕することだけを考えるのだな」


 エリゼの父親が心から尊敬できる人物で良かったと思った。いずれはリュークが後継者になるだろうが、その実の息子を平民の前で叱る貴族など見たことがないからだ。ハドラ神祇官こそが王政の従事者に相応しい大貴族だ。


 そこでドラコが報告する。


「閣下に申し上げなければならないことがございます。ご期待に添えるよう努力はしておりますが、正直なところ、実はまだ王太子殿下の替え玉となる遺体が見つかっていないのです。今日と明日で見つからなければ、暗殺の偽装は取り止めるつもりでございますので、万事順調というわけでもないのです」


 ハドラ神祇官が頷く。


「王妃陛下の方は見つかっておるのだな?」

「はい。年恰好の似た囚人の身体を使います。遺体が腐りやすい時期ですので、まだ生かしておりますが」

「五歳の幼児の遺体なら、見つけるのはそれほど難しくないのではないか?」


 ドラコが難しい顔をする。


「年齢だけならば、さほど難しくはございません。ですが、身体に傷がなく、日焼けもしておらず、痩せていない身体をした五歳児を見つけるというのが困難なのです。いくら王家の御為とはいえ、偽装工作のために命を奪うわけにも参りませんので」


 地域の風習によっては生贄も珍しくはないとジンタから聞いているが、偽装工作のために利用するのははばかられるということなのだろう。大罪を裁くために小さな子の命を奪う罪を犯しては、後に裁かれる隙を与えてしまうからである。


「それなら、アッシに心当たりがありますぜ」


 突然、ランバの横に立っていたジンタが口を開いた。

 発言者に注目が集まる。


「五歳児の子どもの遺体に心当たりがあるというのか?」


 訊ねたのはドラコだった。


「へい、死にそうになっている金持ちの太った子どもをお探しなんでしょ?」

「まだ死んでいないというのか?」

「いやあ、近いうちに死にますぜ」

「そいつは好都合だ」

「そういうのを四、五人知っているんでさ」


 リュークが口を挟む。


「そんなことを、なぜお前が知っている?」


「へい、それは金になるからです。金持ちの商人ってのは、倅が死んだら豪勢な葬式を出すんでさ。その時に墓石を買いますでしょ? そこで石屋に教えてやるんでさ。『どこそこの子どもが死にそうですよ』ってね。すると何て言ってたかな? そう、すぐに営業しに行くんでさ。大事なのは死んでからでは遅いってこってす。死にそうになってる子どもを見つけなくちゃいけねぇ。その情報が金になるんでさ」


 ドラコが目を輝かせた。


「公子、あなたは我々に欠けていた最も重要な情報まで一緒に運んで来てくれたようだ」


 そこで初めて、歓迎されているだけではなく、祝福されているように感じられた。

 ただし、リューク・ハドラだけはおもしろくなさそうな顔をしていた。

 早速ドラコがジンタに訊ねる。


「それで、その死にそうになっている裕福な子どもはどこにいるのだ?」

「そいつはタダじゃ教えられねぇ」


 その言葉に反応したのがランバだった。


「何を言っておるか!」

「怒鳴られたって、教えられねぇもんは教えられねぇんだ」


 ドラコは落ち着いていた。


「金が欲しいというのだな?」


「そりゃあ、当然ですぜ。あちらさんから見たら、アッシが情報を色んな相手にバラ撒いているように見えますからね。信用はガタ落ちだ。落ちた信用を取り戻すためには、しばらくタダ働きしなくちゃならねぇんだ。報酬をいただくだけじゃなく、ちゃんと石屋のほうにも話をつけてくれねぇといけませんぜ」


 いつもと変わらぬジンタが頼もしく感じられた。


「私が支払おうではないか」


 ハドラ神祇官が要求に応じて、ドラコに訊ねる。


「決行はいつになる?」


 ドラコが答える。


「ユリスが王都に到着する、その日に作戦を決行したいと思います」

「何か理由はあるのか?」


「はい。ユリスの凱旋ともなれば、ハクタから大勢の警備兵を引き連れてくることでしょう。入れ違いでハクタへ向かえば逃走が捗ります。一時的に捜査の対象となりますが、王妃陛下と王太子殿下を敵営からお守りする時間は充分に稼ぐことが可能となります」


 ハドラ神祇官が頷いた。


「よし、分かった。決行日はデルフィアス殿下の凱旋日としよう。すぐに準備に取り掛かってくれ。どのプランを実行するのか、準備ができ次第、報告してもらおう。それではドラコ、頼んだぞ」


 ハドラ神祇官と二人のご子息を見送った後、ドラコはランバに王太子様の替え玉を見つけてくるようにと命令した。案内役としてジンタも一緒に連れて行った。決行日が決まったので、期限は明日の日没前までと定められた。


 僕はドラコと一緒に朝食を摂りながら雑談に応じていた。しかし、すべては僕を試すための会話だと思っているので、一瞬たりとも気を抜くことができなかった。プランをいくつも用意してあると言っていたので、僕に王宮の運命を託しているわけではないということだ。


「公子は料理をしますか?」


 食堂には僕たちの他に誰もいなかった。

 そこでパンと冷めたスープを食べているところだ。


「はい。父上から覚えるようにと言われて育ちました。鶏を絞めたり、豚を解体したり、一通りのことは経験しています。料理の他にもキノコや野草など、ハクタ周辺に限れば食用の見分けは充分つくと思います」


「流石は長官のご子息だ」


 褒められるのはいつも父上だが、それは当然のことなので感情的になることはなかった。


「それでは、人を殺めたことはありますか?」


 嘘をついても仕方がない。


「いいえ、ありません」

「殺人を目の当たりにしたことは?」

「処刑現場には何度か立ち会いました」

「どのような処刑方法でしたか?」

「剣で突き刺したり、矢を放ったり、火あぶりだったり、首吊りだったり、そんなところです」

「罪人の処刑ばかりですね」

「はい、あれは犯した罪と同じ罰を与えていると聞きました」

「神に召される前に、現世で償わせてあげているのですよ」

「未だに火あぶりの時の臭いが忘れられません」


 それでも食欲が失せたように思わせてはならない。

 淡々と食事を口に運ぶのが兵士の務めだからだ。

 ドラコが頷く。


「敏感な嗅覚というのは兵士にとって重要な感覚です。目がいい者には高台を見張らせ、耳がいい者には建物の外を見張らせ、鼻がいい者には建物の中を見張らせます。特に上水道が完備されてある王宮は清潔に保たれていますからね。王宮の衛兵はわずかな異臭も逃さずに察知するものです」


 これは今回の作戦の難しさを説明しているのだろう。


「殺してしまえばその者の気配は消えますが、悲鳴を残したり、糞尿を撒き散らしたりすることもあるのです。鋭い嗅覚を持っていれば、血だまりにむせ返ることもあるので、死体を隠しても異変が起こったと周囲の者に悟らせてしまいます。血というのは厄介ですよ。返り血を浴びれば簡単に拭えませんし、踏みつけてしまうと足跡が残ります。また、傷を負えば目印をつけて歩くことになりますからね。密室となった王宮で、百人以上いる衛兵が守っている中、護衛されている大貴族を処刑するのは至難の業です。ハドラ神祇官はお付きの警護を大幅に減らすと約束してくれましたが、我々はその約束が果たされなかったことまで想定しなくてはならないのです」


 それほどのミッションを、どうして僕に頼むのだろうか?


「公子には、議事堂内にある隠し通路の扉を開けてもらうだけでいいのです。正確には通路を塞いでいる重石をどかしてもらいたいのですがね。議事堂の入り口には、常に二人の警備兵が立っています。王宮を密室にしても、それは変わらないでしょう。いや、隠し通路の存在があるので見張りが増員されるかもしれない。その見張りを確実に仕留めて、私とランバを中に入れてもらいたいのです」


 ドラコが心配する。


「公子には不安がおありのようですね」


 心の迷いが顔に出たようである。


「はい。それが正直な気持ちです。それでも暗殺計画を企てた官僚らを殺すことに迷いはありません。しかし王宮を守っている兵士を手に掛けていいものか、どうしても躊躇ってしまうのです」


 ドラコの表情に失望の色はなかった。


「公子は自分と向き合うこともできるお方のようだ。ですから私はハドラ神祇官のご長兄ではなく、公子に頼んだのですよ。リューク・ハドラは自分の中にある怖気に向き合おうとしませんでした。威勢がいいのは口だけで、簡単に仕事を請け負ってしまうのです。結果、マクチ村で二人の協力者が命を落とした。いや、これは彼の本質を見抜けなかった私の責任ですけどね。うん、そう、私が悪いのです」


 父上も『口だけの人間にはなるな』と言っている。


「公子、いいですか? 王都で火災が起き、これは我々が仕掛ける作戦の一部ですが、その時に非常事態宣言が発動されます。そこで王宮が巨大な密室となるのです。それ自体が暗殺計画の一部ですので、王宮の内部にいる者は漏れなく暗殺を企てた者たちの手先ということになります。ですから、殺すことに躊躇する理由はありません。もしも我々の裏切りが発覚した場合、警備の者たちは我々を殺すように命じられ、実際に殺そうとするのですからね。私が潜入して陛下と殿下を暗殺すると承知している時点で重罪なのですから、迷うことなく殺すのです。リューク・ハドラのままでしたら、その場にいる警備兵に持ち場を離れるように命令するだけで、次なる一手を難しくさせていたことでしょう。公子には確実に警備兵の息の根を止めてもらいたいのです」


 ドラコは丁寧に説明するタイプの指揮官のようだ。


「しかし、あなたが王宮内部に潜入することは周知のことなのですよね? でしたら見張りの兵士に扉を開けてもらうことはできないのですか? 殺すのはそれからでも遅くはないと思うのですが?」


 ドラコが首を振る。


「私は一緒に替え玉を連れて行く予定です。子どもの方は背負っても荷物にはなりませんが、二十歳前後の成人女性ではそうはいきません。できれば生きたまま歩かせていきたいので、潜入した直後の戦闘は避けたい。ですから、できるだけ虚を衝いた状態で殺してもらいたいのですよ。それに」


 そこで一旦、言い淀んだ。


「これは考えたくなくても考えなければならないことなのですが、ハドラ神祇官が我々を裏切るかもしれないわけです。同行者をご子息から公子へ変更したことを承知したので心配はいらないと思いますが、王宮に潜入した矢先に裏切られては防ぎようがありませんからね。隠し通路から議事堂内に潜入した際は、状況を確認するだけの充分な時間をいただきたい。その時間を公子に作ってもらいたいのです」


 危うくハドラ神祇官を信じるところだった。まだ僕たちを利用するだけ利用して、罪を着せてから口を塞ぐという可能性があるわけだ。エリゼの父親だから無条件に信じてしまったが、ドラコは彼が黒幕である可能性も疑っているのである。


「話は分かりました。ですが、これほどの大役が僕に務まるのでしょうか? 他に適任者はいなかったのですか?」

「私の部下は面が割れています」


 だから僕に王宮へ行った時期を訊ねたわけだ。


「では、僕がいなかった場合、どうしていたというのですか?」

「救出を最優先としたシンプルなプランに代えていたでしょうね」


 話を聞く限り、それを成功させるのも簡単ではないはずだ。


「ハドラ神祇官に裏切られた場合、僕たちはどうなるのですか?」

「お父上の失職だけでは済まないと思われます」


 エリゼの父親だから信じたい気持ちと、エリゼの父親だからといって容易には信じてはいけないという気持ちがせめぎ合っている状態だ。ドラコにエリゼのことを正直に話すべきだろうか? しかし、そうすれば任務から外されることだろう。


「ドラコ、実はあなたに話していないことがあるのです」

「聞きましょう」

「僕はハドラ神祇官のご息女に好意を抱いておりまして、それがここへ来た理由でもあるのです」


 ドラコは色恋の話でもニヤついたり、ふざけた顔をしたりしなかった。


「エリゼお嬢様のことですね。なるほど、よく正直に話してくれました。それで正常な判断ができないのではないかと、ご自分を疑っておられるわけですね。自分に自信を持つことは大切ですが、自分を疑うという負の感情もまた、私は大切だと考えています。なぜなら過信が怠慢や油断を招くわけですからね。正の感情と負の感情を持ち合わせている公子こそ、我々の作戦に加わる最適の人物といえるでしょう」


 ドラコは負の感情すら利点とすることができるから、多くの成功を手にしてきたのだろう。僕も見習わなければならない。エリゼが僕の判断を迷わせると考えるのは、それは失敗した時に彼女の責任にしようとしているからだ。


 今はエリゼのことや父上のことを考えている場合ではない。王妃陛下と王太子様の命が狙われていて、救出作戦を命じられたのだから、考え得る最悪のケースも想定しながら任務に当たらなければいけないわけだ。迷うことなど何もなかった。


「これから先も、何度も迷うことがあるでしょう」


 そう言うと、ドラコは窓の外の遠い空を見つめるのだった。


「あの空の向こうに、私にも愛する人がいます。その人のために戦ったこともあるのです。その戦いが彼の地に遺恨を残してしまったのではないかと、今でも思い悩むことがあります。事実、越権行為でもあったわけですからね。しかし彼の地で生まれた我が子を思うと、不正を正すために戦って良かったと、後悔する気持ちが消え失せてしまいました。新しい命が、それまで見えていなかった道を明るく照らしてくれることもあるのです。その新しい道が、我が子が歩む道ですからね。だから、どんなことがあっても不正や巨悪に屈してはいけない。たとえ惨めな思いをしようともね」


 ドラコに子どもがいるとは初耳だ。


「その子の名は、なんというんですか?」

「アイム。母親がそう名付けました」


 その子のためにも失敗は許されない。

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