第七十九話 悪夢ひとつまみ、驚き少々
遠くで誰かの声がする。
懐かしい声。間違えようがない。
おとうさん。染み入るような低い声。暖かな手のひら。優しい眼差し。
「アレクシア。豊穣の女神の名前か。能力で祝福されないのなら、せめて名前ででもお前を守ってほしいと、せめてもの思いじゃったのかもな」
そんなこと、あるわけない。だったらなぜ私は捨てられたの。
「ワシはその名前、とても良いと思うぞ。優しく、可愛い、天使みたいなお前にな」
そんな、褒められるような子じゃ、ないし。
「アレクシア。お前にとって世界は、厳しいが優しい。自らの眼で見て、肌で感じて、見定めよ。世界はお前のためにある」
うん。だからこうしてここまで頑張ってきたよ。
「だが……本当に残念じゃ」
どうしたの? おとうさん。
「あれだけかわいがっていたお前が、ハーフエルフだったなんて」
でも……でもそれは、私も知らなかったことで。
「知っていたなら、助けなどしなかったのじゃが」
そんな。そんなこと言わないで。おとうさんから捨てられたらわたし。
「アレクシア。残念じゃが」
やだ、おとうさん、捨てないで。私、もっといい子でいるから、だから……!
「私を一人にしないで!」
気づけば仰向けに右手を天に突き出していた。
「……あ……夢……?」
やたらに風景が滲んでいると思ったら、自分が泣いているからだと気づく。
「ここは……?」
ベッドに寝かされているようだった。天国ではなさそうなので、どうやら命は拾ったらしい。
コシコシと目を拭って起き上がる。ベッド脇の窓から何気なく外を見て、思わず息を飲んだ。
そこには尋常でない数の魔物。建物の二階から見下ろしている恰好なのだけれど、地上に居る魔物たちの圧倒的な数に、背中を冷や汗が伝う。
「あ、お姉さま!」
扉が開く音とともにかけられた声にびくりと振り向くと、見知ったひとの姿に肩の力が抜けるのを感じる。
エルだ。
「お姉さまよかった、気が付かれて。もう目を覚まさないんじゃないかって思っちゃいましたよ?」
「エル」
思わず名を呼んだ。なんとも情けない声が出た。泣き暮れた子供のような声だ。
彼女は優しく微笑んで、そしてふんわり抱き寄せてくれた。
「んー? アレクシアちゃんは一人でさみちくなっちゃいましたか? ほんとにしょうがない子ですねぇ」
「な、なにバカなこと言ってんのよ。そんなことあるわけ」
ふっ、と彼女が離れるのを感じると、少し湿っぽい音に続けて頬に一点、ほのかに暖かな感触。
「目を覚ましてくれてありがとう。心配で心配で、もうどうにかなっちゃいそうだったんだから」
彼女の目には涙があふれていた。
「ごめんね、エル。心配かけちゃったね」
「ほんとよ。はらはらしっぱなしだったんだから。もう」
背中に回された腕に力が込められた。
「ありがとう、ずっと看ててくれたくれたんだね」
「……いっぱい心配していたエルちゃんにはご褒美が必要です」
「なにをしてあげれば、いいかな」
エルは身をはなすと、目を閉じ唇を突き出す。
「ん」
「え、これ……?」
「はやく、ごほうび。ん」
「これ、ご褒美なの……?」
苦笑いしつつ、彼女の肩を抱き寄せる。
「……ところで、ここってどこ? 船はどうなったの? みんなは無事なの?」
「ちょ、ちょっと待ってください、一度に聞かれても」
首まで真っ赤なエルが乱れた髪と服を整えながら、慌てたように返事する。
「あ、ごめん」
もう、せっかちなんだからと独り言をつぶやきつつ、スカートを二度、三度払うといつもの澄ましたエルに戻っていた。
「こほん。ここは魔族の島。魔王のお城がある町です。この部屋はお城の中にある客間です。船はあの時、木っ端みじんになって……お姉さまはその際に周りの何かにぶつかったみたいで。今までずっと気を失っておられました」
「木っ端、みじん……?」
「ええ。おそらく爆薬の類かと。あの……ミッドフォードが作っているものと同じものかもしれません」
ふいに一人の少年の、あの柔らかな笑顔が脳裏に浮かんだ。
「あ、や、まだミッドフォードが関係しているとは限りませんし、なにより彼の国の姫様を襲った連中ですから、裏で手を結んでいる可能性は低いのでは、と」
「わかってる。で、ほかの人は」
「ええ。全員無事です。今は武器を調達に出ています。全員武器は海の底ですから」
そういわれてハッと周りを見渡した。そして当時のことを思い出す。寝込みを襲われたので、防具の類はほとんどしていなかった。
唯一持っていた剣も気を失った際に手放してしまったようで、部屋を見渡しても見当たらない。最後にこわごわ見た指には、緑の宝石がキラリと光を放っていたので胸をなでおろす。
ラウレさんの鎧も、おとうさんからもらった宝石の類も、海の藻屑と消えてしまった。思わず目頭が熱くなる。
ごめんなさい、おとうさん、ラウレさん。残してくれた物、失くしちゃった。
控えめなノックのあと、ドアが開かれた。
「ただいま。どう? エル、お姉ちゃんは……っお姉ちゃん!」
ベッドの上の私を認めるや、ディルは手に持った荷物を投げ捨てながらこちらに駆け寄り、勢いそのままベッドに飛び込んできた。
「わっ! ……もう、危ないじゃないディル」
「よかった……良かったよぉ、お姉ちゃん! もう、目が覚めないかとおもってわたし……っ!」
「ごめんね、心配かけたね。ディルも無事でうれしい」
”気が付いたか”
”ヴァイス”
トコトコと近づいてくる魔狼をみて、ようやくほっとすることができた。
「よかった、アレクシアさん。……お姫様は意外とお寝坊さんだね?」
ユルスラがディルの頭をなでながら、ニカッと笑った。よかったね、とディルに話しかける。
「よしてよユルスラ。あなたも無事で良かった……ジェフリーも無事だったのね」
「ああ、死ぬかと思ったがな」
獣人の女の子の後ろで、ジェフリーはおどけるように肩をすくめた。
なんでも全員、目が覚めたら一つのボートに載せられていたそうだ。
”もっと俺をほめてもいいんだぞ、お前ら”
なんとヴァイスが気を失って海を漂うメンバーを一人ずつくわえて、偶然浮いていたボートに集めてくれたそうだ。さすがヴァイス、できる子。
「すごいね、ヴァイス! やっぱ頼りになるう!」
ディルがぎゅっと抱きしめてグリグリと撫でたくる。
”や、やめろうっとおしい!”
尻尾をブンブン振りながら文句をいう魔狼。まんざらでもないらしい。
ともかくエル、ディル、ユルスラにジェフリー。何とか命は拾った。よかった。
「そういえば、ラトラ。あの子は」
「私もなんとか。目覚めてよかった、おねえさま」
ドアのヘリに手を掛けたラトラがニコッ、と笑顔を返してくれた。
「よかった。あなたも無事でよかったわ、ラトラ。……ほかの乗員は」
「ほとんどの部下は助かったのですが、あの時ケガをしていた者は……」
「そう。……残念だったわね。ラトラ、大丈夫?」
「ご心配ありがとうございます。うん、大丈夫! まずは食事にしましょう? さあさあ!」
ラトラは気丈にも笑って私に立ち上がるよう促した。
「来る前は何やらおどろおどろしいイメージを持っていたけれど、案外普通の島なんだね?」
黒パンをもしゃもしゃと食べながら話す。うん、普通のパンだ。
「どんなイメージ持ってたんですか……」
スープを飲む手を止め、エルが半眼で突っ込んできた。
「あ、や、なんというかほら、なんかでっかい山菜みたいなのとか、人の顔より大きな花とか、一抱えありそうな野菜とかー、なんかそんなのがわんさかと?」
頭の中の想像図を思い出して口にするたびに、エルたちの表情が残念な人を見るような目のそれになっていく。ちょっとやめて? ていうか、なんで?
「海峡はさんで西大陸と対面している島なんですから、植生がそんなに変わるわけないでしょう……?」
「えっ、えっ、わ、私だけ!?」
「あたりまえだ」
ジェフリーに呆れ顔で突っ込まれた。
「魔族が普通に暮らしてるフツーの島にきまってるだろ。畑仕事もする。魚も獲る。経済活動もするし、人族の貨幣だって使える」
そして窓の外を眩しそうに眺める。
「身分の貴賤はあるが、人族より純朴な面もある。基本商売でだましなし。料理も金さえ出せば出てくる」
そして少し顔をゆがませた。
「人よりよほど人らしいとは思わないか?」
そこまで言って、ジェフリーはコップをあおった。彼はこの一言に何を込めたのか。
「そうだそう言えば」
ラトラが思い出したかのように手をぱん、と打ち鳴らす。
「城に結構な数の人族が軟禁されているようです、おねえさま」
「えっ!? それ、どういうこと?」
「っていうかそれ思い出したように言う内容じゃないですよ!?」
エルと突っ込みが重なった。
「あっはは、ごめんごめん……お姉さまが目を覚ましたことですっかり……えっと、なんでも『裁きの星』が消えて、人族が再び魔法を使えるようになったときの交渉の切り札に、地位の高い連中を集めたって。長老たちが言ってたよ?」
臆面もなく言ってのける彼女に、あっけにとられるしかなかった。他のみんなも同じようだ。ジェフリーも、はてはユルスラもそうなのだからその様子は推して知るべしだ。
「えっ……とつまり」
エルが眉間を押さえながら情報を整理しようとしているようだ。
「魔法が再び使えるようになっても魔族が大陸を押さえられるように、貴族を中心に人質を取った…と?」
「そういうことだろうね。私はよくわかんない。長老たちが動いてるから」
なるほど切り札ね。
「でもリンブルグランドはっ……」
エルがそこまで言って口をつぐんだ。
「うん、あそこはアイツが仕切っていたから、その……ごめん」
「そんな。ラトラちゃんが謝ることじゃないよ」
隣のディルが慌てて言葉を継ぐ。
「ね、そうだよねエル」
「……そうね、ラトラさん。貴女が気に病むことではないわ」
ユストゥル。どうもアイツは魔王の意思をも無視して動いているように思える。奴の意図はどこにある?
「ありがとう、二人とも……あ、それと」
ラトラがまた思い出したようにつぶやいた。
「今度はなに?」
ディルも興味津々だ。
「リンブルグランドの生き残りがいるって聞いた」
「えっ!? だ、誰なんです!?」
エルがはじかれたようにラトラに迫る。慌てて立ち上がったものだから、テーブルのカップの水が激しく揺れる。
「うわっ!」
ラトラはグイっとせまるエルを避けるように身体をそらす。
「え、あっと確か……ぷ、ぷ…」
目をぱちくりしてから眉を寄せ、思い出そうとしているようだ。
「プリシラ!? プリシラが生きているの!?」
「あ、そうそう、確かそんな名前……って近い近い」
更に近づくエルに、ラトラの頬は若干赤みを帯びる。咳払い一つ、エルの肩をやんわり押してラトラが姿勢を戻す。
「会わせて、私の、私たちの妹なの、ラトラさん、お願い!」
「え、そうなのか!? あ、や、でも参ったな」
エルの必死のお願いに、しかしラトラの返事はどうにも歯切れが悪い。
「なにか問題があるの、ラトラ?」
会わせられない事情があるのだろうかとたずねてみると、ラトラは振り返り軽く頷く。
「ええ。もう一度確認してみますが――実はさっき城に上がったときに、誰にも会わせられないって、長老たちが言ってたんです」
ラトラは申し訳なさそうに、上目遣いに私を見た。
「私がお姉さまたちを連れてきてることは、城の方では周知の事実なので」
「そんな……」
エルはガクリと座り込んだ。
「ね、エル。魔王様に会って直接お願いしよう。もしかしたら、私のお願いなら聞いてくれるかもしれない」
エルは私の言葉に顔を向けるが、先ほどまでの威勢のよさはどこへやら。すっかり意気消沈している。
そんな中ラトラは合点がいったのか、手をぽんと合わせた。
「あ、なるほど! 確かにエルフの姫君の依頼なら、聞き届けるかもしれませんね」
「でしょ? 早速お会いできる時間を取ってもらえないかな?」
「わかりました、お姉さま! なら早速行ってきますね!」
ラトラは元気よく立ち上がり、風のように食堂から走り出ていった。
返事は意外と早かった。昼過ぎには三日後の謁見が設定された旨の封書が部屋に届けられた。
「けれど残念。保護している人族との面会は難しいって」
封書をエルに差し出すと、明らかに落胆した様子で受け取った便せんに目を走らせた。
「お姉さまごめんなさい」
「どうしたのラトラ」
「会えるように取りはかれなくて」
「仕方ないわよ。この手紙の内容で十分」
するとエルの目が文面の一部に差し掛かった時、カッと開かれた。
「保護している人族の名簿を同封!?」
「らしいわね」
便せんを繰るのももどかしそうに次の紙面に目を走らせる。そこにはびっしりと情報が書かれていた。国、氏名、称号、その他諸々。
「……プリシラ・フォン・リンブルグランド……あった……」
エルが呆然と便せんの文字を読み上げる。確か第六王女といったか。彼女の腹違いの妹と聞いたことがある。
「ホント!? ……よかった、プリシラちゃん生きてるんだね!」
エルに引っ付くように便せんを覗き込んできたディルは、その文字を認めると声を上げた。
「うん、うん……良かった、あの子だけでも生きてて、本当に」
エルは涙を浮かべている。本当にうれしいのだろう、めずらしくディルと手を取り合ってその場で飛び跳ねている。
私は便せんの続きに目を通し始めた。
レンブルクの国王やその側近たちも捕らえられたようだった。ということは生きている――。けれど正直、素直に喜べそうにない。パッと流し読みして次に進む。
「ん、ここからはデュベリアか……あれ、これって――」
「どうしたの、おねえちゃん」
私のつぶやきに気づいたディルが覗き込んでくる。
「ああディル。あのさ、エドの家って確かヴィッテンにある」
「クラウザー男爵家だったとおもうけど……ってまさか」
ディルの声色に、にわかに緊張が走るのを感じる。
「うん、そのまさか。ご両親、捕らえられてるよ、ココに」
手元の便せんを、じっと見下ろす。タダの紙が、鉛でできているかのように途端に重みを増したような気がした。
「――わたし、伝えに行ってくるよ」
「え、何を……って、まさか」
ディルが不安げに問いかける。
「うん、エドに。たぶん、リンブルグランドにいるとおもう。ま、私なら往復で半日掛からないから。パッと行って帰ってくるよ」
「そんな、危ないよ一人で」
「エドは、家族が殺されたと思って戦っている。ご両親が生きているのなら、戦う理由がなくなるじゃない」
やさしく微笑む少年の姿を思い浮かべた。彼にこれ以上、恨みの中で戦ってほしくない。
「だからすぐに伝えて、できればここに、いえ。パーティーに戻ってきてもらうの」
「で、でもそんなこと」
「いい案なんじゃないでしょうか」
振り返ると、悪い顔をしたエルが腰に手をあて立っている。
「エル、あなた」
ディルは思わずといった感じで気色ばんだが、そのまま言葉に詰まる。
「エルはそういうと思った。そりゃそうよね? 『騎士』のくせに、いつまで妹を一人で放置しとくんだーってね?」
「全くです。あのバカを引きずってでも連れてきてくださいな、お姉さま」
「了解。風で居場所を特定したらすぐ出るわ」
ディルが何か言いたそうにしたけれど、あえて気づかないふりをしてみた。
彼の居場所を捕らえるのに少し時間がかかったけれど、以前東大陸へ渡ろうと船を借りた港町、ハーファーにいる気配を風が捕らえた。
「何もないと思うけれど、あとよろしくね、エル」
「まかせてください、お姉さま」
胸をどん、と叩いてエルが大きく頷いた。
「あ、それとディル」
怪訝な表情で見る彼女に笑顔を返してやる。途端にディルはきょと、とした表情をみせた。
「あなたはアイツのほっぺたを叩く練習でもしておくことね」
「そ、そんなこと――!」
じゃね、と一言残し、夕焼けを背にリンブルグランドへと飛び立った。






