12.
霧が晴れる。
乳白色はかき消えたが、真紅の色はその場に色濃く、その聖堂兼大講堂にこびりついたままだった。
びちゃ、びちゃり。
そしてその華は際限なく、毒々しく、そして堂々と拡大していく。
ふたり重なる、銀髪の少女の間から。
そしてその片方の背からは、翼のように刃が伸びていた。
「……ば、か……な……!」
鉄の片翼を生やした銀髪の天使は、血反吐を口から吹きこぼし驚愕に赤の瞳を見開いていた。
それを真紅の瞳がのぞき込みながら、刀を引き抜き、突き放した。
「真紅とおもえば貴様の瞳はよどんでいるな。同じ記憶と顔を持っていても、やはりいろいろ違うらしい」
膝をつき、金太刀を杖にする異装の女を、『エレクトラム』は冷ややかに見下ろして血ぶるいした。
「ただの女が……っ! このわたしの術を破るなんて!?」
はじかれたように『シルバー・ミスティ』は起き上がるも、段差につまずいてふたたび転ぶ。後ずさりながらも部屋の最奥にある舞台へと上がっていく。今度は、『エレクトラム』がそれを追う番だった。
「術だと? 罪? 後悔? 策を弄しすぎたな『聖女』殿。薄っぺらい感情で私を推し量ろうとするから、そうなる。……一気に醒めたぞ」
「でも、たしかに……あなたは、赤子を殺したことで心を乱したじゃない!? それを後悔したからこそじゃないの!?」
ヒステリックに叫びながら、『聖女』と呼ばれた女は立ち上がる。
そして人間離れした挙動で跳ね上がり、金色の太刀を振りかざす。
それを真正面から受け止め、受け流す。前のめりになった女の、無駄の多い装束をつかみながら、膝を腹部に見舞った。
「誰が、幼い従兄弟を殺したことを後悔していると言った?」
「……え?」
よどんだ目が、ふたたび異常な剥き方をした。
茫然とする彼女を、第二の剣撃がおそった。とっさにみずからの得物で自身をかばい、刃を噛み鳴らす。
体格に見合わない超人的な膂力で自分のオリジナルを押し返すも、彼女はすずしい顔で着地した。
「後悔などしていない。罪の意識など、感じるわけがない。あれは父の命だ。そして、絶対的な秩序のため、見せしめのため、悪しき芽はことごとく焼き払う。一事が万事、矛盾なく道理のとおったそれの、いったい何が罪だ?」
「そんな、それじゃ、いったい」
「では教えてやる! 私の罪は、過ちというのはっ!」
舞台の上で、剣劇がはじまる。
ただし一方が、満足に体のうごかないそれを、常人の脚力と技術でもって翻弄し、壇上で圧倒する。
そして彼女が剣を鞘に戻した瞬間、火の海がその舞台の上に満ち満ちた。
「それは、ほんの一瞬でも、たかがその程度のことに迷いを生じさせた、私の弱さだ! よしんば私自身の動機や存在自体が間違っていたとして、父の語る正義に、それに殉じる私の戦いに、矛盾も間違いもあろうはずもない! そのために死んでいった者たちに、私が手ずから屠った幼い従兄弟に、『諸君らが死んだのはなにかの間違いだった』などと、どうして言える!? 彼らは正しさの下に、公平に裁かれたのだ!」
壇上の垂れ幕に、火の粉が飛び火する。
北斗七星のえがかれたそれが、『シルバー・ミスティ』の背後で焼け落ちて、消し炭になる。
「く、狂ってる……貴方は……アンタはマトモじゃないィィィッ!」
対照的に、青白くなった唇を震わせ、声を荒げる。
大上段に振り上げた金太刀の下を、『大渡瀬』を小脇に押し込むようにして少女がかいくぐる。鞘から走り出た銀の一閃が、すれ違いざまに女の脇腹へとたたき込まれた。
鮮血のシャワーが床を濡らす前に滑り出た『エレクトラム』は、返す刀を肩口めがけて振りかざす。
「アンタの父親がしたのと同じことを、自分の『娘』にもするつもり!?」
斬られた箇所をかばいながら『シルバー・ミスティ』は悲鳴と涙の混じった声をあげた。
『エレクトラム』のトドメとなるはずの一斬はとたんに急停止し、女の礼服一枚を切り裂くにとどまった。
「ねぇ、そうでしょ? 私は、どう言いつくろおうと貴方から生まれた。それを否定するつもり? 貴方だって、父親に似たようなあつかいを受けたんでしょう? そんな悲劇、繰り返していいものじゃないでしょう? だったら、子どもたちには、せめて人並みに幸福になる権利ぐらい、くれたっていいじゃない? ……ママ」
実際に涙を流し、顔にへばりついた化粧と煤とを洗い流し、情に訴え懇願する『シルバー・ミスティ』。あと数ミリずれれば致命的になるような位置で、『大渡瀬』の刃先は揺れていた。
数秒ほど、少女の思考の時間がつづいていた。
やがて、刃と眼光の震えは消えた。
荒々しい息をはずませて、『エレクトラム』は藤色のスカーフをひるがえし、刀を鞘へと押し込みながら、部屋から出ようとした。
「……ありがとう、ママ……」
殺気が消えたことを感じ取ったのか、『シルバー・ミスティ』は肩の力を抜いた。
ただし、彼女自身は、その金色の太刀を手放さず、むしろさらに握力を加えて。
「これで私は、本物に……ッ!?」
と言って不意を打つべく立ち上がった彼女だったが、その肩で異様な熱が膨張と拡大を繰り返しているのをじかに感じ取った。
それは寸前で止まったはずの、肩口の切断面。彼女の狼狽とか関係なく、その熱は、『大渡瀬』の刀身からうつった粒子は赤みをはなち、女の白肌を焼きながら、際限なく総身に回らんとしていた。
……そう、彼女がどう嘆願しようとも、言葉を尽くして子殺しを非難しようとも、勝敗とともにその生死も、『母』によって決定づけられていたのだ。
「ま……待って、助け……助けてェ!」
「あぁ、救ってやるとも。貴様の言う『救済』のやり方でな」
爆発圏外であろう出口で、彼女はそこでようやく完全に納刀し、鍔を鳴らした。
次の瞬間、『シルバー・ミスティ』なる聖女は血肉と骨と断末魔を振りまきながら、原型をもとどめず爆散した。
彼女は、『娘』の末路を確かめることもなく、焼け落ちて閉幕した劇場を、よどみない足取りで後にする。
「そうだ。私自身は、ただ狂い吠える獣で良い。それによって信じる正義の体現がかなうのならばな」
そして確信と信念をもって、みずからが取り戻した名を宣言するのだった。
「私の名は、鐘山銀夜だ」




