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Questing Beast  作者: 瀬戸内弁慶
後編~Silver Near Family~
21/32

11.

 銀髪の少年が後ろで何かをわめいていたが、その忠告自体は『エレクトラム』とて承知していた。

 あきらかなワナには違いなかったが、それでも追わずにはいられない。アレだけは、アレらだけは生かしておけない激情が、彼女をこの異世界につなぎとめる唯一無二の行動原理だったからだ。

 それを抑えることは自分を否定するにもひとしいことだ。


 正直なところ、あの少年を殺さんと思う衝動を抑えるだけでも精一杯なのだ。


 かつてはもっとおのれを律することができたはずなのだが、今はそれがかなわず、獣のように駆け、吠え、爪牙をふるうのみだった。


 その死後にこの世界に呼び出され、守るべき国家も、信じる正義も体感時間一夜にして喪ったからだろうか。


 ――いや、ちがうな。


 ほんとうは、あのとき、従兄弟との争いに敗北した瞬間から、彼女の崩壊ははじまっていた。

 いや、もっと先、生まれた時点から、みずからの内におぞましい獣は誕生していたのだ。


「醜い」


 それが、自分の生まれたとき、父が発した第一声だったという。


 父は、戦国乱世においては珍しく、かつ尊ぶべき秩序と正義の人だった。

 彼にはあらゆる宗教は無意味な繰り言に過ぎず、抽象的で実態のない概念にすがるよりも実利をとり、あらゆる娯楽は否定し、そんなものよりも先に勤勉であるべきという人だった。


 そんな彼にとって銀髪紅眼の娘というのは、忌むべき存在の何者でもなかった。

 それでも彼女は、父を愛した。


 自分を産んだことで寵をうしない、自死同然に衰弱死した母を外せば、唯一無二の親だ。

 それに、父の教えは道理だと思った。


 この世の人間は進むべき筋道、歩むべき正道が示されているにも関わらず信仰心だの情けだので惑う哀れな愚か者ばかりで、自分たち迷わずその信念に突き進める者こそが、彼らを正し、導いていかなければならないのだ。


 そう教え聞かせるときだけ、父は自分を見てくれていた。


 だから自分は、その教えが正しいものだと思い、その道をひた進んだ。

 文武にはげみ女だてらに兵馬と領地を与えられ、それらを取りまとめ秩序をしめし、兵を率いれば勝利を飾った。

 邪を破り、悪を討ち、罪を裁き、私を殺した。

 必要とあれば民を斬り、味方を斬り、土地を焼いた。


 秩序のために、正義のために、父のために、

 人を、他者を、おのれを、殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し……


 ……ほんとうに、そうか?


「そう、お前はこの時点で、あやまちを犯していた」


 気が付けば、そこはどこともしれない霧の中。

 現世とも夢とも思えない空間で、居もしない人間が、父が、なつかしささえ感じる厳格な表情で自分をにらみつけていた。


 ――あの魔女の幻覚か。

 そう思って振り払おうとしたが、魔術に抗するすべを、彼女は知らなかった。幻とはいえ、父を即座に否定することなど、できようもなかった。


「お前が勝てば勝つほどに、正しいことをすればするほどに、人々は銀髪の少女に神性を見出して心酔し、理屈を抜きに信奉した。そんなお前の存在こそが、神を否定する余の道を否定するのだ」


 彼女は駆けた。だが道に果てはなく、どこまで走ろうとも幻聴と幻覚はついて回った。

 いや、自分の肉体は本当に、自分の考えている通りの動作をしているのかさえ、わからない。


 かつての家臣たちが、同胞が、青白い顔で唱和する。


「そして貴方様は、我々を憎まれた。我々がさわぐたび、貴方様は怒り、罵倒なさいましたな。だが、それは我々が道にはずれたからではないでしょう。……そう、自分がそういう目で見られるたび、実像以上に崇め奉られるたびに、父君の御心は離れていく。それがおそろしかったのでしょう」

「黙れ、亡霊どもがっ!」


 貴様らのせいで。そう言いかけて、彼女は口をつぐんだ。

 その先を言えば、彼らの言い分を認めてしまうことになる。


「そして樹治六十年、貴方はそのわずかな人生のなかで最大の罪を犯した」

 自分とよく似た声が、ナレーションのように物語る。

 よく似てはいるが、気品と嘲りが同居した、奇妙な語調。


 ずり、ずり。

 足下でなにかが這いずり、自分の足下に触れた、ような感覚におちいった。

 反射的に見下ろしたとき、悲鳴が喉元まで出かかった。


 それは、二足で歩けもしないほどに幼い、童子だった。

 ただしその眼窩は鳥獣にえぐられて光をうしない、神経の残骸を涙のように垂れ下がらせて、その肌はどす黒く腐敗している。


「お前が殺したんだ。お前の従兄弟たちを、そして俺の弟たちを」


 そこから逃れようとした矢先、彼女の進路にひとりの青年が現れた。

 赤色の帽子、朱色の羽織、そして青空色の目。

 何もかもが自分と対極の色を持つ彼こそが、自らの従兄弟にして、かつての朝廷に歯向かった愚か者の極み。そして……何度も彼女の凶刃からのがれたあげくに復讐戦に勝利した、その男。


 幼児の首が、彼女が振り払った瞬間にブツリ……音を立ててねじ切れた。

 その頭部を時間をかけてかかえあげ、胸に抱きながら、亡霊のような面持で青年はつづけた。


「彼らになんの罪があった? ないよな? お前は、自分のくだらない承認欲求のために、彼らをその手にかけたんだ」

「……」

「そして、その後悔を受け入れきれずに、お前は自分を見失って俺との戦に敗北した」

「……っ」


 衣服の袖をすり抜けて、腕につたうもの。それは汗などではなく、もっと潮と鉄の悪臭がつよいものだった。

 気が付けば、彼女の手は鮮血にまみれていた。

 首からは戦に負け、自刃したとき裂傷がふたたび彼女の罪過をとがめるように生じていた。


「でも、もう良いんだ」


 と、気が付けば青年は、べつの男になっていた。若いころの父だったかもしれない。弟だったかのしれない。あるいは出会ったこともない他人だったのかもしれない。あるいは従兄弟のままだったのかもしれない。

 はっきりと顔は見えているはずなのに、次の瞬間には輪郭さえおぼろげだった。それこそ、寝ては醒める夢のように。


 柔和な表情をうかべる好青年は、ふたりの時間をいとおしむように、ゆっくりとした足取りで後ずさる彼女に近づき、血まみれの手をとった。


「君は、じゅうぶんに苦しんだ。それこそが、幼い子どもたちや、大勢を殺した後悔と罪の代償だったんだ。だから、すべてを忘れて幸福になる権利は君にだってある」


 そう甘く、想い人のようにささやく声とともに、小柄な少女の身体を抱きすくめた。

 あ、と息を漏らすのもかまわず自分の肉体でもってつよく圧迫する彼は、恍惚とした声音でつづけた。


「それを僕が与えよう。これは救済だ。……そして私は、貴方になって、貴方が得られなかった幸せを味わうの」


 青年の声は、自分に似た女の声に変わり、そして白霧のなか、真紅の花が、一輪……。

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