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Questing Beast  作者: 瀬戸内弁慶
後編~Silver Near Family~
19/32

9.

 夕方の、晩飯どきにしても微妙な時刻の繁華街。

 その屋上に、『エレクトラム』は立っていた。


 それがこの年に廃業になったデパートと呼ばれる複合商業施設のものだということも、眼下を走る鉄の車の正体も原理も、のぞく双眼鏡の有効範囲もすべて頭の中に植えつけられている。

 もともとこういったものに対する感受性が豊かなわけではないが、ただそれでも、初めて目にするものの数々に心が動かないことに、憤りとむなしさをおぼえる。


 ただ、対角に位置するホテルはそんな彼女にとっても圧巻の代物といえた。

 一本橋の向こう、人工島に建てられたそこはまるで巨大な墓標のように屹立し、透明度の高いガラス窓は斜陽を照り返していた。


 その光から逃れるようにして、一台の大型車が裏の搬入口に停まった。

 車内から出てきた白いチャイナ服の男と、自分とよく似た特徴を持つ女に、視点を定める。


 目当ての人物たちの指揮の下、荷台から運び出されたのは大型の筐体だった。

 棺桶にも似たカプセルは、彼女らの部下によって台車に乗せられ、運搬されていく。


「アレが、今私の名を持っている木偶人形か」


 がさり、と音がした方向へと『エレクトラム』は問うた。


 彼女の視界へとみずからの存在をねじ込むようにして、銀髪の少年はコンビニのビニール袋片手に、隣へと並んだ。


「なんだそれは」

「まともなモノ食べてないんだろ。一戦交える前に、なんか入れておけ。毒なんて入っていない」


 と、自身は小ぶりの肉まんを片手にとり一口で頬張る。

 咀嚼したあとで飲みくだし、彼はあらためて説明した。


「『シルバー・ミスティ』。体表から揮発する汗が空気中の成分と融合すると霧状となって拡散。それを介して対象の記憶を読み取り、またそれを利用した幻覚作用を起こさせる。そういう能力を持っている」

「貴様と似たようなものか」

「いや、俺の肉体(アバター)それ自体はあくまで異世界の門を開く力を持っているにすぎない。霧は開いた先の異次元のものだ」


 自分とよく似た簡潔な口調に、毛髪、目鼻立ち。相違点といえば性別と、忌々しいほどに色の青い瞳か。

 そんな彼は自分に距離をはかりかねているようで、微妙な表情で、焼き鮭の入ったおにぎりを差し出した。


 おなじような心持ちでそれを受け取り、しばらく手の中でじっと見つめる。


「どうした? あんたにとっては慣れ親しんだ味だろう」

「……いや。それより、その霧女を囲っている男どもは?」


 おにぎりの裏側に開け口を見つける。

 番号は振ってあるが、くわしい手順や原理は当然のごとく省略されていた。


「『泰山(たいざん)連衡(れんごう)』。いわゆる大陸系マフィアだ。白いパオをまとった男がいただろう。あれがボスの(そう)鳳象(ほうしょう)だ。梅花拳……中国義和団の末裔にあたる拳士にしてヒットマンだったが、ここ数年でその武力とカリスマ性で頭角をあらわし、今や国内外に顔のきく大物だ。教団が傾きかけたころ脱走した『ミスティ』の能力に目をつけ、保護したのが奴らだ」

「悪党中の悪党、というわけか」


 『エレクトラム』はそう相槌を打ったが、彼女は今、それ以上に忌々しい強敵と直面していた。


「ぐ……ぬっ……」


 ヒモらしい出っ張った部分を指で引っかけ、とっかかりに手をつける。

 そうして矢印を示す方向へと、一気に引き下ろす!


 ……結果、バリッと音を立てて、袋は破ける。

 本来くっつくはずだった海苔は、その包装の内側に残されたままだった。


「……何やってる? あんた」

「黙れっ……! 頭では理解しているのだ! 頭では!」


 だが、記憶や知識はあっても経験を積んでない身体がついていかない。

 説明書が頭のなかにおさまっていたとしても、実践したことのない行為に不慣れなのは仕方のないことだろう。

 ……けっして、自分が不器用なせいだけではない、はずだ。


「ほら、貸せ」

 と、横合いから少年の手が伸びる。

 包装から海苔を救い出すと、二つに裂けたそれを器用に米へと貼り直し、完全な鮭おにぎりを仕立て上げる。

「……礼を言う」

 ぶすっとした口調で感謝をつたえると、少年は手をはなした瞬間に、肩を震わせてうつむいた。

 まもなく、声を立てて笑った。


「わっ、笑うな!」

「わっ、悪い……ただ、妙にツボにッ、入った……っ!」


 うっすらと涙を浮かべながらなお大笑いし続ける少年に、『エレクトラム』は何度も制止と静粛をがなり立てた。

 ただ、世にも珍しい表情(モノ)を見たという、奇妙な感動がその胸に去来していた。


 なにしろ似たような顔の自分のそれでさえ、たとえ鏡で何度も見た顔でさえ、笑顔というものとは無縁だったのだから。

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