第18話 辞めますと言ったら怒られた
俺の契約は三ヶ月ごとの更新で、次の区切りは九月末である。
週明け、俺は定時後の足で〈アルメテパ〉本部へ向かった。帰社日以外に自分から来るのは、十六年で初めてかもしれない。
「レントさーん! どうしたんですか、急に。あ、もしかして時給の相談ですか?」
営業はいつもの調子で揉み手をした。
俺は、いつもの調子で頭を下げてから言った。
「〈ガレオン〉の契約ですが、更新しません。それと——アルメテパも、退職します」
揉み手が、止まった。
「…………は?」
三秒の沈黙ののち、営業はまくし立てた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 今辞められたら〈ガレオン〉さんに迷惑がかかるでしょう! 相手の気持ちを考えたことあるんですか!? だいたいレントさん、この歳で辞めてどうするんですか、考え直すなら今ですよ、ね、ね、一度落ち着いて相談を——」
相手の気持ち。
俺の気持ちは、十六年間で誰か考えたことあるんですか——とは、言わない。
言っても無駄なことは言わない。経験(K)が知っている。
代わりに、静かに遮った。
「いろいろ言われましても」
息を、ひとつ。
「——これは相談ではなく、報告ですから」
十六年間で一番、胸のすく敬語だった。
◇◇◇
手続きは、拍子抜けするほど事務的に進んだ。
離職書類の「契約終了理由」の欄には、こう印字されていた。
『契約期間満了のため』
……今回ばかりは、書類が正しい。
正しいのに、十六年をこの四文字で締められると、妙にむなしいのはなぜだろう。
ついでに、ギルドカードの職歴欄を久しぶりに開いた。
『人材派遣クラン〈アルメテパ〉所属 〈ガレオン〉配属』
——一行。
十六年で、一行である。
派遣先を変えてくれと頼むたびに「申し訳ないでしょう」で握りつぶされた結果がこれだ。
同じダンジョンの、同じ層で、同じ魔物を、十六年。
腕はある。あるとは思う。だが、幅が無い。
この歳で「他に何ができるの」と聞かれたら、正直、答えに詰まる。
……最悪だ。16年で、一行か。
◇◇◇
九月末。最終出勤日。
送別会は無い。
花束も寄せ書きも、もちろん無い。
片付ける机も——そもそも机が無い。
ロッカーも無いので私物は袋一つ。うち半分は自腹で買った解体ナイフの替刃である。
作業着のまま来て、作業着のままそっとダンジョンを出る。
十六年通った職場の去り方として、我ながら見事なまでに痕跡が無い。
——いや。
一つだけ、あった。
倉庫の前で、バルドさんが腕を組んで待っていた。
「行くのか」
「はい。お世話になりました」
「送別会はしてやれん。派遣の送別は、規定に無いんでな」
「知ってます。十六年いたので」
「だから——これは規定外だ」
押しつけられたのは、使い込まれた砥石だった。倉庫の備品ではない。柄に「バルド」と彫ってある、あの人の私物である。
「達者でな、レント」
最後まで、名前で呼ぶ人だった。
俺は深く頭を下げた。今度のは、腰の撓りじゃない方のやつだ。
「せ、先輩!」
門の手前で、今度は別の派遣クランの二年目が追いかけてきた。
「辞めるって、本当だったんですか」
「ああ。世話になったな」
「世話になったのはこっちですよ……。俺、これからどうすれば」
「お前は大丈夫だ。素直だし覚えも早い」
言った途端、二年目の目から大粒の涙がぼろぼろこぼれ始めた。
二十歳そこそこの男が、往来で、人目もはばからずにだ。
それに、と俺は泣いている後輩に付け加えた。
「いつか、無料でコーヒーが飲める現場に行けよ」
「……っ、はい!」
語尾まで盛大に震えた、いい返事である。
あれで泣くところさえなければ、もっといい。
もっとも、俺との別れに泣いているのか、それともこの外れ現場に一人残される——派遣先ガチャの結果に泣いているのかは、分からないが。
「じゃあな、派遣君」
最後に、一度言ってみたかった呼び方で別れを告げた。
十六年、言われ続けた側の——ささやかな卒業式である。
◇◇◇
門を出たところに、エリスさんが立っていた。
偶然でないことは、顔を見れば分かった。
「……本当に、辞めちゃうんですか」
「はい」
「……そう、ですか」
彼女は何かを言いかけて、やめて、また言いかけて、やめた。
珍しい。いつも押しの一手の人が。
だから俺も、余計なことは言わなかった。
「お世話になりました」
それだけ言って、頭を下げて歩き出した。
背中に視線を感じたが、振り返らなかった。
振り返ると、決めたことが鈍りそうだったからだ。
◇◇◇
数日後。
行きつけの酒場で、噂を聞いた。
「聞いたか? 〈ガレオン〉に、ギルド本部の調査団が入ったらしいぞ」
「スタンピードの件だろ? なんでも、討伐記録の数字が合わないんだとさ」
数字が、合わない。
……そうだろうな。合わないだろうな。
俺はビールを一口飲んで、聞こえなかったふりをした。六百レンの味がした。
◇◇◇
――――――――――――――――
【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:998,607pt
取得済み:剣術LvMAX/身体強化LvMAX
気配察知LvMAX ほか二十件
備考 :ご退職を確認しました
(なお、当ボードは終身雇用でございます)
――――――――――――――――




