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短編集  作者: 坪山皆
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オレンジに、染まる

「初めてのカラーかあ。染め甲斐があるな。何色にする?」


 行きつけの美容室、担当の美容師さんがカラーリストを目の前で広げて見せてくれた。           

「うわあ……、どうしよう」


 様々な色がグラデーションになった見本用の毛束がずらりと並んでいる。


「ふふ。迷っちゃうよね。これなんか、似合いそう」


 指差さされたのはピンク系のブラウンだった。女の子らしくてかわいい色だけれど。でも、この色、あの女の人の髪の色に似ている。鏡の中の自分を見る。美容室のケープを身に付け、濡れた髪をしている私は今にも泣きだしそうな顔をしていた。茶色は、やめよう。もっともっと、派手な色がいい。そう思った。  

 元気になれる色はないだろうかとリストをじっくり見ると、鮮やかな色が。そういえば、身の回りの小物も昔からこの色を選ぶことが多かったことを思い出す。もうすぐ夏休みだし、休みの間だけでも思い切ってみようか。

 私は勢いでその色を指差した。美容師さんが、ええっと高い声を上げた。


「お、オレンジ?」


◇◇◇


 高校時代からの彼氏、譲くんは、私の見た目に関する注文の多い人だった。ミニスカート、ノースリーブなど露出の多い服はもちろん、メイクやアクセサリーもだめ、髪を染めるのは論外。ちょっと強引だけど、優柔不断な私を引っ張ってくれる男らしい彼氏。そんな彼の束縛は、自分は特別なのだという証だと、高校生の頃の私は思っていた。

 都内の大学に進学し、おしゃれに敏感で、華やかに着飾る同年代の女の子が多い環境になって、引っ込み思案な私にも友達ができてきた初夏。みんなのネイルやアクセサリー、ヘアスタイルを間近で見て、可愛い、私もしてみたいなって思うようになった。膝下のスカートも黒髪も好きだけれど、ショートパンツや明るい髪だって私にも似合うかもしれない。


「髪の毛、染めてみようかな」

「駄目に決まってんだろ」


 反応をうかがおうと、デートの時にさりげなく言ってみると、かぶせ気味に返してきた譲くんは想像以上に怒っているみたいだった。


「絶対似合わないって。こんなきれいな黒髪染めるなんてもったいない。絶対、許さないからな! だいたい、その爪だってなんだよ。みっともない。晴奈らしくねーよ。今日帰ったら、すぐ落とせよ」


 友達が、絶対彼氏も褒めてくれるよ、と塗ってくれた爪は上品なピンク色で、決してみっともないなんて言われるようなものではなかった。髪の毛だって――。


「譲くんだって、染めてるのに」

「俺はいいの! キャラってもんがあるんだから。晴奈は絶対似合わない。わかった?」


 怖い顔で断言され、私は何も言い返せない。別の大学に通う彼は、高校の頃は私と同じく黒かった髪を、いつの間にか茶色に染めていた。最近は腕や首もとにシルバーアクセサリーも付けるようになっていた。顔を赤くして怒っている彼を見て、私は悲しくなる。理不尽な状況にも、頷くしかできなかった自分にも。


 それ以降、私の心は譲くんから離れて行ったのだけれど、それでもあの光景を見たときはさすがにショックだった。腕をくんで体を密着し合い、楽しそうに言葉を交わしながらあるく男女。どこからどう見ても友達以上の親密さを醸し出している。男の人は見間違えようもなく、譲くん。そして隣の女の子は、つややかなブラウンの巻き髪にばっちりメイクで、すらりとした足をミニスカートからのぞかせているという恰好だった。彼は私に気付くと雑踏の中立ち止まり、隣の彼女が怪訝そうに彼を見上げる。ドラマみたいだ、なんてどこか他人事のように思った。

 わけが分からない。あなたの彼女は私じゃなかったの? どうして好みとは真逆の女の子と寄り添っているの? そんなに可愛い女の子と想い合っていながら、どういうつもりで私を束縛していたの?

 何一つ聞けないまま、私は踵を返した。その日は一晩中思い切り泣いて、次の日には朝一番で、美容室に駆け込んだのだった。


◇◇◇


 違う自分になりたかった。譲くんが今まで私に求めていた女の子像とは真逆になりたかった。一言でいえばやけくそ、かもしれない。染めてもらっている最中は少し不安だったけれど、仕上がったあと鏡の中の自分を見て驚いた。綺麗なオレンジ色は、意外なほど私に似合っている。単純かもしれないけれどこれで少しでも、前向きになれる気がした。美容師さんのアドバイスで眉も染め、似合いそうな服も何着か買った。


 周りの反応はといえば、当たり前だけれど、

「どうしたの!? 何があったの!?」

 とびっくりする人がほとんど。中には私だと気づかない友達すらいる中で、


「おー、いいじゃん、似合ってる似合ってる」


 唯一そう言ってくれたのは、仲の良いバイト仲間の柴田くんだ。バイト先の居酒屋の休憩室で、からかう感じではなく、私をまじまじと見て褒めてくれて私は嬉しくなった。


「変だと思わなかった? いや、私は気に入ってるんだけどね。周りには驚かれるばっかりで。初めてかも、褒めてくれる人」


 私は後ろで一つ結びにしていた髪を掴んでみせた。


「変じゃないよ。なんか、表情も明るくなったんじゃない。それにしても、どういう心境の変化?」


 休憩室のパイプ椅子に腰かけ、柴田くんはコーヒーを飲みつつ尋ねてくる。


「単純だけど、髪の色変えてみれば、自分も変われるかなーって。形から入ってみた」


 形から入るにもほどがある、お前はみかんにでもなりたいのか! と父親に言われたのはつい昨日の話だ。柴田くんも呆れてしまうか、と思ったけれど意外にも真剣な顔で頷いた。


「俺もたまに、違う自分になってみたくなるよ。そのためにはぱーっと思い切ったことしたくなるのも分かる気がする」

「柴田くんはそんな悩みなさそうに見えるけど」

「そう?」


 柴田くんはいつも飄々としていて、何事もミスなくこなす。周りに惑わされず、目標を見定めて自身をしっかりと持っている人、というイメージだ。


「今のままで十分きちんとしてるじゃない」

「滝沢さんがそう言うなら、そんな気がするよ」


 彼はコーヒーを見つめながら、柔和な顔で笑った。


◇◇◇


 髪の毛をオレンジ色にして、良かったことがある。毎日のようにかけられていた酔っ払いからの誘いがぴたり、とやんだこと。やっぱり男の人は黒髪、染めたとしても自然な茶色が好きなんだろうな。来店するたびにしつこく電話番号を聞いてきていた若いサラリーマンが、オレンジ髪の私を見た途端眉をしかめ、隣の同僚に不機嫌な感じでひそひそ話をした。あまり気にならず、営業スマイルで接客する。前の私だったら、お客さんの嫌な視線にもいちいちびくびくしていただろう。確実に、この髪は私に勇気を与えてくれている、そう思えた。


「――晴奈?」


 ある日開店早々に入ってきたお客さんに、反射的にいらっしゃいませ、と寄っていって固まった。

 顔を見るまで分からなかった。ワックスで固めた髪、派手なシャツ。目を大きく見開いた譲くんは、信じられない、といった顔で私を見る。


「晴奈、だよな。なんだよ、そのみっともない髪」


 眉をつりあげ、譲くんは言った。みっともないという言葉に、どろどろとした怒りが喉のところで渦巻いたけれど、それをうまく口にすることができない。


「何って。い、いいでしょ、別に。もう関係ないじゃない。何の用なの、バイト先まで押しかけてきて……」

「話があるからに決まってるだろ。てか、いくらなんでもその色はないよ。ぜんっぜん似合ってないし可愛くない。いや、俺が悪いんだよな。いきなり、あんなのショックだよな。晴奈の気持ちも分かるけどさ、でも……」


 ぶつぶつと何かを言っているその人を見て、さらに喉の奥が苦しくなる。確かに、髪をこの色にしたきっかけは譲くんで、やけくそではあった。でもこの髪のおかげでやっと前向きになってきたところなのに。


「晴奈、あいつとは遊びだから。やっぱり俺は晴奈みたいな清楚な子が好きなんだ。もう少し待っててくれれば晴奈のところに帰ってやれると思う。だから、お前も。黒髪に戻して待っててよ」


 大きな手で腕を掴まれたとたん、肌が粟立った。

 落ち着け、晴奈。譲くんの言うこと聞くばかりだった私じゃない。変わったんでしょ。あの時言えなかったことを、言ってやらなきゃ。今しかないんだ。私は変わったんだ。オレンジ色が視界の端で揺れた。


「嫌、もう譲くんなんかのために髪の色は変えない。私はもう譲くんのこと好きじゃない。もう二度と会いたくないし、顔も見たくない……。帰ってください、お願いします」


 小さな声、しかも少し震えたけれど、目を見てちゃんと言えた。譲くんの顔が真っ赤になり、ゆがむ。


「なんだよ……。なんで」


 呻くように言い、手を掴む力が強くなった。それと同時に、


「お客様」


 すっと誰かがそばに立った。


「他のお客様のご迷惑になりますので、申し訳ありませんがこれ以上は」


 柴田くんだ。開店早々に訪れた譲くん以外に、他のお客さんはいないのは一目瞭然だけれど有無を言わせない雰囲気だ。いつも穏やかな表情の柴田くんだけど、たちの悪い酔っ払いの男性客対応はお手の物で、背が高い彼が真顔で淡々とした対応だとかなりの迫力があるのだ。呆然と彼を見上げた譲くんは、舌打ちの後、私の手を離すと足音も荒く店をあとにした。

 譲くんが出て行ったドアをじっと見ている柴田くんへお礼を言いつつも、


「ああー!」


 私は頭をかかえずにはいられなかった。まだまだ私は変わり切れていない。平手打ちの一発くらわせてもバチは当たらなかったと思うし、もうちょっと迫力のある罵り方をできなかったのだろうか。


「もっとガツン、と言ってやればよかった」


 二股最低くず男? 自分勝手野郎? いまいちぱっとしない。


「ガツンとより、さっきの滝沢さんみたいに必死で、丁寧に嫌がられるほうが心えぐられると思うよ」

「そ、そうかなあ」


 苦笑しながらも柴田くんがそう言ってくれて、少し心が軽くなった。


◇◇◇



 数日後、バイト先の休憩室で雑誌を読んでいると、柴田くんがやってきた。

 おつかれさま、といつものように挨拶すると、彼はごく自然な動作でページをめくる私の手の横に可愛くラッピングされた小さな包みを置いた。


「どうしたの、これ?」

「滝沢さんに似合うと思って」

「え?」

「この前、誕生日だったって聞いたから」


 確かに先日、柴田くんを含めたバイト仲間数人で誕生日の話になって寂しい誕生日だ、やけ食いだ、と流れで言ったけれども。


「やっぱり俺もたまには思い切った行動してみようかな、って」 


 照れた様子ながらもこちらをじっと見つめてくる柴田くんは包みを開けるようにうながした。


「かわいい……」


 突然の展開に少し震える手で開けた箱の中身は。今の私の髪と同じ色の天然石がランダムに配置されたブレスレットだった。


「好きなんでしょ、オレンジ」


 誰もが驚くばかりだった私の明るすぎる髪を、柴田くんだけが褒めてくれた。その上こんな贈り物まで。彼の優しさは、私の中の何かを目覚めさせようとしているように、柔らかく大きく心を揺さぶった。箱の中で光る温かい色合いの石を眺めてしみじみと思う。やっぱり好きだなあ、オレンジ色。


「ありがとう。――うれしい」


 心のからの喜びが自然と声にこぼれた。そっと箱から出し、左腕にはめてみる。冷たい石の感覚がこそばゆい。顔の横に掲げてみせれば、柴田くんは笑って頷いた。


「よく、似合ってる」

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