2 マクスリー視点
マクスリー視点です。
一方、エメルのいなくなったヒーラルト家は大変な事になっていた。
花瓶の割れる音が響く。
ゼェゼェと青い顔で荒い息をするのはマクスリーだ。
「なぜだ。なぜ薬が効かない」
マクスリーの持病の薬。
エメルの残したレシピ通りに何人もの薬師に作らせているが、どれも気休めでしかなく、症状は改善しない。
その上、奪ったレシピ集は読む事が出来ず新たな薬を知ることもできない。
新しいレシピも用意できず、体調も悪くなるばかり。とうとうマクスリーは公爵令嬢から愛想を尽かされてしまった。
父にももう見放されそうだ。
勝手にエメルを、金を産む卵を追放したのだ。
エメルのお陰でヒーラルト家はヴェルダン王国での地位を上げた。
薬学会の権威とまで言われ、他国までその名声は広がっていた。
それもこれも全てエメルのおかげだった。
数年前までヴェルダン王国の識字率は低かった。
地方の村々では今でも文字を書けない者の方が多い。だから、レシピ集は文字で書かれておらず、暗号のようだった。
恐らく、このレシピは口伝で解読方法を伝えていたのだろう。知っているのはエメルだけ。
そのエメルも地方の村出身なので文字が得意とは言えなかった。だから、レシピを文字にするのには時間がかかる。
しかし、薬を作ることを優先したヒーラルト家は教育などは行わず、翻訳されたレシピは僅か。それでも、ヒーラルト家にそれなりの利益をもたらした。
レシピ集を手に入れられればその利益を自分のものにできるとマクスリーは考えたのだが、解読できないのであれば宝の持ち腐れだ。
すでにエメルの記憶は奪ってしまっている。解読に必要な知識ももう失われただろう。
しかし、もしかしたらとわずかな希望で馬車を追わせたが、エメルを捨てさせ、戻った御者の始末が完了したという報せが届いた。
もうエメルをどこにやったのかも分からなくなってしまった。
マクスリーは頭を抱える。
明らかに体調は悪くなっている。
魔力は体を巡り、生命の維持に必要なものだ。
人によっては、魔力を外に出し火をつけたり水を作り出したりする者がいるが、それは王族などの魔力の強い者だけ。
普通は生命維持に使う程度だ。
しかし、なくてはならないもので、支障があれば命に直結する。
エメルの作る薬を毎日飲んでいた。
レシピもあるから大丈夫だと思っていたが、日に日に体調は悪くなる。
そういえば、薬は気候や体調によって調合を変えていると言っていた。大気にある魔力の流れやその時の体内魔力によって変えているのだと。だから作り置きができないと言っていた。
それなのに。
一時はヒーラルト家も薬学会で名を馳せた。王家からも新しい成果をとせっつかれている。
しかし、その栄光をもたらしていたエメルを追放している上、レシピ集も一向に解読できないでいる。
ある日、マクスリーの耳に隣国で一番大きな商会が次々と新しい薬を発売し、効果的な薬草の使い方を紹介しているという話が聞こえてきた。
それはどれも素晴らしい効果をもたらし、今までにない薬草の使い方に薬学会では大きな話題になっているという。
マクスリーは確信があった。
隣国の商会に元婚約者がいることに。
マクスリーはその商会を訪ねた。
ヒーラルトは薬学で一度は名を上げた家名だ。
すんなりと応接間へと通された。
応接間に現れたのはかつての婚約者。
見違える程に輝いていた。
地味だと思っていた栗色の髪は、緩く波打ち、華奢な飾りでハーフアップにしている。
透き通るような白い肌はまるで陶器のようで、瞳は最高級のエメラルドのように輝いている。
そして何よりもその表情がまるで違う。
穏やかな笑みを浮かべ、自信に満ち溢れていた。
「初めまして。オルフェン商会薬師部門の部門長をしております、エメルと申します。ヒーラルト家の功績は耳にしておりますわ。お会いできて光栄です」
笑顔で手を差し出され、ギチッと体が固まる。
──初めまして。
記憶がないのだからマクスリーのことが分からなくて当然だ。しかも、ヒーラルト家の功績は全て他でもなくエメルのものだ。
記憶がないというのを実際に突きつけられると心臓がギギギと、不快な音を立てる。
「──」
記憶を失う前の名前で呼んでみたが、首を傾げたエメルの肩からサラリと髪が流れ落ちる。
「ヒーラルト殿は握手はお嫌いなようだ」
エメルの隣を見ると肩を抱き差し出した手を取り引っ込めさせる男性。
こちらを見つめる目が酷く冷たい。
「私はこの施設の総括をしております、キリクと申します。本日はエメルにどのようなご用向きでしょうか?」
「あ……えと」
喉がやけに渇いて言葉に詰まる。
「二人で少し話がしたくて」
「申し訳ありません。エメルは私の婚約者ですので、お二人だけにすることはできません。このままお話しいただければと思います」
キリクを見つめるエメルの瞳が恥ずかしそうに、また嬉しそうに細められる。
エメルの視線に気付いたキリクもまた、表情を一変させ、愛おしそうにエメルを見る。
言われなくても相思相愛だと分かる。
エメルのそんな表情をかつて婚約していた時に一度でも見た事があっただろうか。
結婚できないと伝えた時、彼女は驚きもせず、そうなんですねと納得しただけだった。
愛されていたと思っていたが、今の姿と比べれば、間違いだった事を理解してしまった。
ほんの僅かに繋がっていた細い希望のようなものがふつりと切れた気がして苦いものが込み上げる。
「あら? お顔の色が優れませんわね? 薬湯をお持ちしましょう。キリク、少し席を外してもいいかしら」
「ああ、もちろんだ。お客様は俺がお相手しておこう」
持病などをお伺いしても? と問われ、話した後、お願いね、と、キリクの膝に触れてエメルが立ち上がり部屋を出ていく。
所作も美しくなった。
キリクの瞳と同じ色の宝石でできた髪飾りとイヤリング。
そして、上等な生地で作られたドレスは動きやすいように体のラインに沿って誂えてあり、そのスタイルの良さが際立っている。
洗練された姿は、エメルが一流の教育を与えられたのだと分かる。
サラサラと持病を書きつける文字も美しかった。
何もかもがヒーラルトにいた頃と違う。
「今更、彼女のことが惜しくなったか?」
ゾッとするほど冷たい声が響いた。
「あんただろう? 彼女の記憶を奪ったのは」
「なんで……」
「オルフェン商会の情報網を舐めてもらっては困る。他国だろうが調べることなど造作もない。あんたが彼女の記憶を奪い、彼女の母親の形見を奪ったこともな」
息が詰まる。
まるで鋭利な刃物を首筋に突きつけられたようにヒヤリとする。
「まあ、こちらとしては感謝しかないが。あんたがバカなお陰で俺たちは優秀で可愛いエメルを手に入れることが出来たのだから」
本当に、愚かだな、と嘲笑う。
「彼女を取り返しに来たのかもしれないが、彼女はもう我が商会、いや、我が国の宝となっている。奪おうものなら戦争も辞さないだろう。彼女には我が国の王太子の後ろ盾もあるからね」
恐らくヒーラルト伯爵家を潰すだけならオルフェン商会だけで事足りるだろう。
それほどにオルフェン商会の規模は大きく、商会を擁するメリディア王国は大国だ。
平民であるエメルを路傍の石のように思っていた。
本当は無価値な石ではなく宝石だったのだ。
それがマクスリーには分からなかった。
彼女はもう、手の届かない場所に行ってしまった。
「エメルの薬湯を飲んだらさっさと帰れ。ああ、彼女の母親の形見も置いていけ。でないと取り返しに行くぞ」
キリクの浮かべる笑顔が恐ろしい。
マクスリーの病気を改善する薬はオルフェン商会で売られている。
それは万人向けであり、かつての婚約者が作ってくれたマクスリー専用薬ではない。
あれほどの効果は見込めないだろう。
マクスリーの体のことを熟知し、最善薬を作ってくれていた彼女を消したのは他の誰でもなく自分なのだ。
湖面のようなどこまでも冷徹な瞳が、マクスリーを射抜いていた。
「お待たせしました。こちらをどうぞ」
湯気がたちのぼる茶器。
満たした薬湯はあの時と同じ黄金色をしている。
だが、これは毒なんかではなく正真正銘マクスリーの為に作られた薬湯だ。
いっそ、毒を盛ってくれたら、と。
希望に近い願いが悔恨の念に支配された心に浮かんで、消えた。
薬湯は温かく、冷えて固まった心をほぐすようだった。
──本当に馬鹿だった。
マクスリーは思い知った。
自分が、いや、ヒーラルト家が何を蔑ろにし、何を失ったのか。
分かったところでもう取り返すことはできない。
「すまなかった」
「? いいえ。お大事になさってください」
優しい言葉に目頭が熱くなる。
マクスリーはレシピ集を机に置き、席を立った。
ヒーラルト伯爵家の薬学での活躍はその後一度もなく、過去の栄光すら忘れ去られ、失望と共にその地位を落とした。
後継には息子のマクスリーではなく、他家からの養子が据えられ、マクスリーは公の場に二度と出てくることはなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
いかがだったでしょうか?
因果応報。自業自得。マクスリー、残念な子。
ありがたいことにこれまでの作品もたくさんの方に読んでいただけて嬉しい限りです。
感想も的確だったり、思いもよらないとこから切り込んでくださったりと、非常に面白いです。
まさに十人十色!
また次回もお会いできますように!




