第3話
イーナとロジーが学校に行っている時間は、シリルは実はやることがあまりない。
昨日、初の講義──という名の戯れタイムを終えて、若干イーナとぎくしゃくしつつも、二人がどのあたりの勉強をしているのかが分かったシリルは、自室で書物を読んでいた。待遇は使用人、メイドたちとさして変わりはないのだが、家事や掃除といったことをしなくていいため、時間が非常に余る。日中はほとんど暇であり、昼過ぎにお嬢様方が学校から帰ってきてから、及び、休日が仕事の時間だ。
ちなみに、家庭教師として招かれてはいるものの、住みこみという性質上、
「良かったら、普段のしつけもよろしく頼むよ」
と、旦那様に言われてしまい、子守役も兼任することとなっていた。とはいえ、二人のことを余り知らないシリルが、子守役をするのは簡単ではない。シリルは、今二人に必要な勉強面についてのことを一通り復習し終えると、屋敷の中を歩き回ってみることにした。特別な意図はなく、使用人たちに、お嬢様二人のことを聞ければいいかなと思っただけだ。
こうして歩きまわってみると、屋敷は広い。貴族の屋敷とは、どこもかしこもこういうものであり、外で活動してばかりで自分の屋敷にあまり帰っていなかったシリルにとって、少し懐かしい。だが、シリルが果たしたかった目的はいまいち果たせそうになかった。人が少ないのである。少ないというか、かれこれ数分散歩しているが、一人も見当たらない。
思えば、この屋敷に来てから、屋敷の主人である旦那様、そして、メイドのアリーチェ以外に屋敷の人間を見ていないことを思い出す。
「だから、自分を雇ったのか……?」
という一つの結論にもたどり着く。考えながら、屋敷を歩く。郊外に位置しているため、窓から見えるのは、農地や林、荒れ地といった景色が主だが、小高い丘にあるが故に、景色は悪くない。もう少し高ければ、ミラル王国最南端の街だけあって、隣国の街並みも見えようかというところだ。かつては、紛争地域として治安が良くなかった中部自治区だが、近年はミラル王国から富裕層が観光に行くくらいには治安も回復しており、シリルとしては、一度行ってみたいところでもある。
「あら、シリル様。どこかへお出かけですか? 暇なんですか?」
アリーチェが話しかけてくる。語尾の一言は、私は忙しいですけど貴方は暇なんですね、といった皮肉でも込められているのだろうか。シリルは、このアリーチェに対して何か害を加えた覚えはないのだが、心なしか嫌われているような気がしてくる。いや、そんなことは、ない、はず。そういう願いを込めて、コミュニケーションを試みる。
「えーっと、何か用事という訳ではないんですけど、イーナとロジーについて何か知っていることがあれば教えていただきたいなぁ~とか……」
「え……」
「なんでそんな気も地悪いものを見るような眼で見るんですか!? 教育者としてですよ!?」
思わず激しい突っ込みを入れてしまう。この人は、自分のことを浮浪者か何かだと思っているのだろうか。本当に、自分がこのアリーチェという女性に過去、何もしていないのか少し不安になってくる。もしかしたら前世で何か無礼を働いたのかもしれない。嫌なパターンの前世の繋がりがあるのでは。
「あぁ……そうですか、びっくりしました」
もう、何にびっくりしたのかは、聞かないでおくことにした。
「そうですね、お二人は、非常に対照的な性格で──昨日話した様子である程度はお分かりかと思いますが。何分、奥様が体調を崩されてからというのものは、お嬢様方をお世話する人がいなくなってしまった状態でして」
「そういえば、奥様には、まだ会ったことがありませんね」
いるということは主人から聞いているが、あったことはない。体調を崩しているということで納得する。
「ええ、そのお世話は私がさせていただいています。お嬢様二人が学校へと入られるまでは、お二人のお世話は主に奥様がしていらしたのです」
なんとなく、この家のことが見えてきた。学校へ上がるまでの教育、しつけは、おそらく奥様がしていたのだろう。
「ということは、この家の使用人は、アリーチェさんおひとりなんですか?」
シリルの少し不思議そうな顔に、
「ええ、何かおかしなところでも?」
と、アリーチェは怪訝な顔で返す。どこの貴族もが何人もの使用人を雇うことが出来るほど財力がある訳ではないということだ。シリルは、自分の家が裕福な貴族に属しているため、そのことが頭になかったのである。
「い、いえ。その、じゃあ、大変ですね?」
「そうですね。でも、お嬢様や旦那様、奥様の料理は毎日作りに来る人がいますし、庭の手入れも庭師の人が定期的に来てやってくれます。まぁ、あなたよりは、私の方が大変ですけど」
うっ、と胸が痛む。だが、特に反論することはできない。
「あー、ありがとうございました。それでは、僕はこれで……」
居心地が悪くなり、その場を立ち去ろうとしたその背後から、アリーチェが声をかけてくる。
「あの」
シリルは足を止め、振り返る。そこには、少し頭を下げた姿勢のアリーチェがいた。
「難しい二人かもしれませんが、お嬢様方のことをよろしくお願いします」
その声に、これまでの意地悪さはなく、シリルは戸惑いを覚えつつも、
「ええ、もちろんです」
と返す。彼女なりに、二人のお嬢様を気遣っての願いだろう。別に、頼まれなくてもしっかりやるつもりだったが、子守役として、頑張れるだけ頑張ってみようと思うのだった。シリルが、民衆を導くより前に、二人の子供を、導いてやりたいと思った瞬間でもある。
そうしているうちに、二人が学校から帰ってくる。
「おかえりなさいませ」
アリーチェが二人を迎え、二人はそれぞれが自分の部屋へと戻る。シリルの役割は、その二人をそれぞれ、部屋から連れ出し、約一時間ほどの講義を行うことだ。
シリルは、まず、妹ロジーの方へと向かう。コンコンと部屋をノックし、
「ロジー、入るよ~」
と、返事を待たずしてドアを開ける。しかし、これが良くない。何が良くないかといえば、貴族の通う学校である程度伝統ある学校というのは、制服というものが存在するという点が良くない。
少し回りくどかった。ロジーもイーナも、制服を着て学校に登校しているという点が良くない。どう良くないのかといえば、
「……ひっ!」
「あ」
シリルの目の前にあったのは、裸体に限りなく近い十代の少女の姿。白い肌が綺麗で、引きつった顔面は蒼白だ。両手でなんとか己の裸体部分を隠そうとしているが、太ももやわき腹を隠し切ることは難しく、どうしてもそこはむき出しになってしまっている。
「あ、えっと、夕食前に勉強を……」
「は、早く! で、出ていってください……!」
ロジーにしては、一際大きな声だが、しかし、部屋中になんとか聞こえる程度の音量。だが、ロジーが怒っているのは見て取れたし、何より、すぐさま出ていくべきだろうということはシリルの革命的な頭ですぐに理解することが出来た。即座に踵を返し、ドアから退室して、へたりこむ。
「み、みすった!」
いや、ミスったどころではない。一歩踏み間違えれば本日付けで再び無職(本物)に戻ってしまう危険性さえ孕んでいる行為だ。今度こそ正真正銘の無職になってしまう、というか、もう踏み間違えているのではなかろうか。
この屋敷では、人の着換えという点に関して、自身がアリーチェに見られたことも含めると実に二回ものトラブルに巻き込まれているということを思い出し、着換えという一大イベントに対して、もっと細心の注意を払い続けなければ生き抜けないサバイバル屋敷なのではないかと考える。
そんな余計な思考の後、この後、この部屋からきっと出てきてくれるであろうロジーに対してどのように謝ればよいのかという思考がぐるぐるとシリルの中を渦巻き、一つの彼なりの最適解を見つけ出す。
古今東西、己が悪いことをしてしまったと考える時はどうすればよいか。革命家時代に決して頭を下げることなく、己の信じる道をひたすらにつき進んでいたシリルが短時間でビビッと閃きババッと出した結論は──ガチャと扉が開き、制服から普段着へと着換え終わったロジーが顔を見せる。
「……先生、なにしてるの?」
ロジーの前にいるのは、シリルだった。だが、ただのシリルではない、土下座をしたシリルだ。頭を地につけ、誠意の謝罪、究極の謝罪を行っている。
「申し訳ない! のぞくつもりなんかは毛頭なかったんだ!」
何故この結論に至ったかは、自分でもわからないが、恐らく、再び職を失い路頭に迷うという可能性を危惧して、最悪のケースへとマイナス思考を進化させていった結果こうなったのだ。革命家は思ったことはすぐに行動へ移してしまうのだ。やらねばならぬ、何事も。
「…………」
じーっと、その姿を観察するロジー。もういいだろうか、とチラと頭を上げるシリル。片手を口にもっていき、上品に、堪えるように、ぷふっと吹きだすロジーを見て、シリルは立ち上がり、ぱたぱたと膝についた埃をはらう。
「面白かったかな?」
「慌てぶりが」
ロジーは、まだ面白いのか、くすくすと静かに笑う。昨日の暗いという印象が完全にとは言わずとも、半分くらい払拭される。
「いや、その、申し訳ない。本当に、そんなつもりはなかったんだ」
「あ……」
ロジーは、頬を赤らめる。自分の身体を見られたことを今更ながら思い出してきたようだった。かぁと赤くなり、すたすたと一人で勉強部屋へと行ってしまうので、シリルは慌てて追いかけようとするが、
「イーナ、呼んであげてください」
ビシッと、イーナの部屋の前で扉を指さし、その役割をシリルに預けて先に行ってしまうものだから、後を追うことも出来ない。仕方なしに、イーナの部屋の前で立ち止まり、ドアをコンコンとノックする。今度はすぐに開けない。流石に学んだからだ。ドアの前で、ノックに対する返事を待っていると、
「はーいー!」
という声と共に、イーナが飛び出してくる。うわっと扉から離れて、一歩引き下がったシリルの前に飛び出てきたのは、イーナ。きちんと上の服は普段着に着換え終わっている。そう、きちんと、上の服に関しては、普段着に着換え終わっているのだが、一方で、下半身下着姿──言い換えるならば、そして、万人に分かりやすく言うのならば、パンツ姿。
「おぉああ!」
悲劇、再び、いや三度。しかし、今回ばかりは自分は悪くないのではないかと冷静に考えるシリル。何せ、ノックをして飛び出てきたのはイーナの方なのだ。けれど、誰かに助けを求めようにも、ロジーの姿はとっくに見えなくなっているし、むしろ、この状況で誰かが来た方があまり良くない気がする。
「あ! 先生か。アリーチェが呼んでるのかと思ったよ~! ていうか、パンツ見ないでよね~」
きゃっとわざとらしくいって、両手を下半身を隠すようにする。シリルは、そんなところへと目線を合わせる度量は持っていないため、完璧に目線をイーナから外しているので、完全に言いがかりだ。
「見てないよ! ていうかほら、ドア、閉、め、て!」
ぐぐぐとドアを押して閉めようとするのだが、何故か、全く理解できないことに、それに抵抗してくるイーナ。一体何が起きているのか全く理解できずに、力対決をしてみるものの、あまり力を入れても、ドアの間にイーナをはさむことになってしまい、怪我をさせかねないので、強引にとまではいけない。
「なんで!? 何で閉めないの!? 意味が全くわからないんですけど!」
もはや、何を解説するまでもなく、意味不明だった。
「ちょっと! いいから、ほら! 見なさいよパンツ!」
「???」
シリルの頭にははてなマークが無量大数個浮かんでいる。意味不明。理解不能。訳が分からず、ドアを押す手を緩めて、仕方なく、イーナを見ることにした。見るといっても、パンツをではない。イーナの顔を見て、話をすることにした。
「見たわね!」
「見てない!」
「これがお父様にばれたら大変なことになっちゃうわよね! だから、一つ、私の言うことを聞いて!」
何故だかは分からないが、ただ一つ分かるのは、イーナが、シリルに対して何か要求をしてこようとしているという事実だけだった。とんでもない要求じゃなければいいなぁと思いつつも、
「後で、話は聞くよ、ほら、だから、早く部屋に入って服を着なさい!」
と、なんとかイーナを部屋へと押し込めることには成功するが、それと引き換えに何を突きつけられるのがビクビクせざるを得ないのであった。そして、何より、パンツを見ていない一方的な条約の押し付けは、まさに一方的な和平交渉という名の敗戦条約と同等のものであるとさえ思え、革命家としてなんとも耐えがたいものでもあった!




