第4話
学校がある日の講義は、基本的には、学校で習った内容の復習が中心となる。ゆえに、そこまで時間をかけることはせず、夕食前に終わらせることを目標に、短時間で効率良く復習を行っていく。
つまり、学校で習った内容が理解出来ていればそれでオーケー。出来ていなければ、やり直すことによって、身につけるという簡単な内容。
「──だからして、半島暦が始まる前は、種族間での争いも頻発していた。特に、人間は、エルフの森へと侵攻したり、ドワーフを奴隷にしたりといったような行為を繰り広げていた訳だね」
「へー?」
「…………」
生徒二人の反応は、それぞれがそれぞれ異なる。この授業前に起きた案件のことについては、一旦忘れているにせよ、この反応の違いは一体何なのだろうか。片方は、へー、などと言っておまけに疑問符までつけているが、もう片方はきちんと内容を理解している。差は歴然と言っても過言ではないだろう。
「イーナは理解できてる……?」
「どうでしょう?」
できていないに違いない、間違いない。
「続いて数学の方──」
教科が変わっても、二人の力関係は変わらず、残念ながら、イーナが理解出来ている様子はなかった。一方のロジーだが、こちらはこちらで、始終つまらなさそうな顔をしながらも、シリルが自作した簡易テストも難なくクリアし、理解度については十二分だと思われた。特段、一生懸命という様子は見えないのだが、人の話を真面目に、静かに、真剣に聞くことや、理解力の高さも関係しているだろうと思われた。
イーナの理解不足の点を考えると、平和とは言い難いが、それ以外については、至極問題なく講義は進行し、一時間足らずで、その日の復習時間を終える。ロジーは、ぺこと一礼をすると、自室に戻っていってしまった。着換えを覗いてしまった一件があったとはいえ、まだまだ、自分とロジーの関係は希薄なものなのだろうかと考えるシリルだが、それ以上に、今、目の前には問題が広がっていた。
この場に残されたのは、必然的に、イーナとシリル。
「さ、先生! 話聞いてよね!」
ロジーが退室していったことを確認して、イーナの顔つきが変わる。不満気な目線がシリルの顔を貫き、シリルは、嫌なことを後回しにしたことを少しだけ後悔した。
「えーっと、うーん……」
あんまりいい予感はしないが、それにしたって、そんなに無理難題を押し付けられるとも思えない。シリルが身構えていると、イーナは、意外なことを口にする。
「私の成績を学年一位にしなさい!」
シリルは、その言葉の意味を考えた。まず、成績というワードだ。これは、つまり、学業の出来を意味する。ちなみに、家内での学業ランキングでは、イーナは恐らく、ワースト一位という不名誉な地位に位置しているだろうと思われる。次に、学年一位というワード。きっと、この一位というのは、ワースト一位という意味ではないだろう。ベスト一位という意味の、良い意味での一位ということを意味しているだろうと客観的に見て分かる。
最大の問題は、この発言、ロジーがしているのではなく、イーナがしているという点だ。そこで、シリルは、まず、イーナに、発言の真意を問うことにした。
「それは、本気?」
その発言が、あまりよろしくなかった。
「……そやって、先生も私のことを馬鹿にするのね」
と、聞き取れるか聞き取れないかの声で呟く。シリルは、その呟きをうまく聞き取ることが出来なかったが、イーナが非常に悲しそうな表情を浮かべたということは良く分かった。だから、自分が失言したということも同時に理解したし、イーナが、本気で学年一位になりたがっていたということも理解した。
「イーナ、ごめん、別にイーナを悲しませるつもりはなかったんだ、ただ」
「ただ?」
その先を催促される。咄嗟に出てきた、ただ、という言葉の先に、イーナに伝えられる言葉はない。ただ、イーナが本気なのか確かめたかった。いや、もっと辛辣だろう。ただ、イーナの力では難しいと思った。いずれも、とてもイーナに伝えられるような内容ではないのだけは確かだ。だから、イーナに、その先を催促されても、シリルは答えることができなかった。
その沈黙は、結果として、イーナを怒らせることになる。悲しみではなく、怒りを抱かれるようになるという結果を招いてしまう。
「もういいよ」
イーナの表情は、悲しみから怒りへ、そして、最終的には、失望へと変わった。イーナは、すぐに、退室していってしまう。
部屋には、シリルがただ一人残された。
シリルは、己のすべきだったであろう対応を考えた。イーナは、勇気をもって、自分に話しかけてきていたという事実をきちんと受け止めるべきだったということ。この一点につきる。相手が本気で訴えかけてきていたにも関わらず、シリルはそれを冗談として扱ってしまったということに問題があった。
イーナが普段ふざけている様子が強いからこそ、シリルも冗談と思ってしまったということを考えると、イーナ側にも問題はあったように思えるが、結果がこうなってしまった以上、イーナばかりを責めるという訳にもいかないのが現状だ。何せ、シリルは、イーナの世話役に近い存在になろうとしていたのだから。
険悪な雰囲気になるかと思われたその後の生活だったが、イーナの様子は目に見えて変わる事はほとんどなかった。
ただ、問題点として、シリルの講義をより聞かなくなってしまったということが挙げられた。ロジーは一生懸命に聞いているに変わりないが、イーナの友好的な発言が減った、気がする。もしかしたら、気のせいかもしれない、というくらいには些細な変化に思われたが、だからといって、気にしない訳にはいかない。
シリルもイーナに話しかけ辛いのは確かだった。必然的に講義の時間、イーナがついてきていないような場合に声をかけ補足説明などをするのだが、そのコミュニケーションがぎくしゃくしてくる。シリルとしては、精一杯に教えているつもりなのだが、イーナはまるで無関心かのように理解している様子が掴めなかった。まるで雲を掴むような教え心地であり、手ごたえがまるで感じられない。
かといって、理解しているのか、考えているのか、と叱りつける訳にもいかない。尚更やる気をなくされるのが怖いからだ。
こんな調子でシリルが有効な解決策を見つけられずにいると、ある日の学校後の復習の時間終わりに、珍しくロジーが、
「先生、質問があります」
とシリルを引きとめた。イーナは、その様子を一瞥するも、気にも留めないで、そのまま部屋から出ていってしまう。およそ、勉強熱心なロジーは疑問点があったときにこうして先生に聞きに行くことは珍しくないことからだろうと思われた。
「なにかな?」
シリルはあくまで自然に装う。ロジーが質問をしてくれるというのは、教師という立場からすると、非常に嬉しいことでもあった。何せ、興味を持ってくれているということなのだから。
ロジーは、けれども、イーナが部屋から退室していたったことを確認するという動作を挟んでから、シリルに口を開く。
「イーナと、何かあったんですか?」
質問だ、確かに質問だった。だが、その質問は、シリルの意図していた質問とはまるで系統の異なる質問だった。いつも退屈そうなロジーの顔だが、今日は、気のせいかもしれないが、少し心配そうな表情を含んでいるように見える。
「イーナから、何か聞いたのかな……?」
恐る恐る尋ねるシリルに、けれども、ロジーは静かに首を横に振る。
「いいえ、でも、分かるんです。双子だからでしょうか?」
シリルは、全てを見透かされている気がして、大人しく、起きたことを全て話した。イーナが、自分に対して、成績を上げるように要求してきたこと、及び、その後の自分の発言など、一連のことを話した。イーナにパンツを見せられたということは、なんとなくぼかしておいたが、しかしながら、ロジーは鋭く、
「その最初のくだりをもうちょっと詳しく聞かせて下さい」
と指摘してくるものだから、涙ながらに、
「パンツを、パンツを見せられまして……」
と説明せざるを得なくなった。自分の下着姿を見られた時は流石に恥ずかしがっていたロジーだったが、人がパンツを見たという話を聞いている時は、始終真面目な顔で静かに頷いているので、シリルは無性に情けなくなってしまったのだが、それは置いといて、
「つまり、先生は、イーナを怒らせちゃったってことですね」
などと締めくくられる。簡潔にて明快であり、完璧な結論。見事。回りくどく熱弁を垂れることの多かった革命家シリルから見ると、実に痛快な物言いだ。この子、暗く無口に見えて、言うところはびしっと決めてくる。
「そうだ、ロジーが、イーナとの仲を取り持ってくれないかな?」
シリルがたどり着いた答えは、これだった。ふと口から出た結論。しかし、その安直すぎる発案に、ロジーは首を振る。
「それは無理」
ロジーが首を振ったのは、しかし、シリルが考えた理由とは違った。シリルは、てっきり、自分で解決しなさいというロジーからの厳しい態度だと解釈しつつあったのだが、理由はそうではなかった。
「協力してあげたいけど、イーナは、私のこと嫌ってるから」
ロジーが心なしか悲し気な目をしているのが見て取れた。そして、何より、とても意外だった。双子の姉妹というのだから、それ相応にかなり仲は良いものだと勝手に思っていたからだ。普段、二人を見ている限りでは、とてもそんな雰囲気を読み取れることはなく、通じあった仲にさえ思えるほどだった。
「とてもそんな風には見えないけど……」
シリルの感情をそのまま表に出したような呟きに、ロジーは不快感を示すことはない。しかし、ロジーに仲を取り持ってもらうという選択肢が消えようとしていることは、シリルにとっては危機だった。ようやく見えつつあった突破口を塞がれてしまいそうになっているのだから。
「仲悪い、っていったって、でも、それはたまに喧嘩とか、そういうくらいの話じゃないの? 何かあったの?」
思い切って、踏みこんでみることにした。家庭教師という立場からは、少し踏み入りすぎな気もした。だが、今や、シリルは、その壁を超えようとしていた。自分は、この二人に何ができるのかということを考えれば、学校の先生という立場では教えられない何かを教えなければいけないのではないかと思っていた。それは、子守役という家庭教師とは違った立場からの物言いでもあり、また、一人の人間として、ロジーと接しようとした結果だ。
シリルの質問に、驚くロジーだったが、少し考える仕草を見せた後、口を開く。
「イーナはね、勉強があんまり得意じゃないの。得意じゃないって言っても、記憶するのが嫌、というか、多分、苦手、なのかな」
不仲の原因というよりは、イーナの事。なんとなく、シリルも分かっていたこと。一見、上からな意見にも見えたが、そうではない。これは、ロジーが本当に客観的に見てのことだろう。もしかしたら、イーナ自身からそういう話も聞いているのかもしれない。それと不仲が一体どう繋がってくるのだろうか。
「でも、イーナは、すごく人とのコミュニケーションが得意で、私なんかとは違って、学校の皆はイーナを慕ってるし、学校の先生だって、親戚の人だってそう」
社交的な性格、ということだろうか。初回の講義において、なんとなくそんな気はしていた。おおよそ納得のできる内容であり、異議はない。シリルは黙って続きを促す。
「私は……自分で言うのも恥ずかしいけど、勉強は得意な方。学校でも、この間は一番だったわ」
「え、そうなの!? ……僕、いらないんじゃ」
一瞬、自らの存在意義を見失いそうになるシリル。これまで偉そうに復習講義などをしていたが、実は、ロジーからはそんな内容必要ないわとばかりに見下されていたりしたのだろうかと考えると胃が痛くなる。ロジーからは見下され、イーナからは嫌われ、もはやこの家に自分の居場所がなくなる三秒前な気がしてきた。そんな心中不安定真っ盛りのシリルを放っておいて、ロジーはまだ続ける。
「私は、イーナの事、好き。だけど、イーナは、私が勉強できることが気に入らないみたい」
「あー、なるほど、なるほどね」
己の心に抱く傷口をなんとか一瞬で塞ぎきり、シリルは話の中身を整理する。つまるところは、イーナは勉強が苦手であり、その勉強が得意なロジーを好いていないということだろう。




