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第62話 先回り

「お嬢様、今日は連れていってくださって、本当にありがとうございました!」


 馬車の中、話の途中で、テーラーが何度目か分からないお礼を私に言う。セレナの時も、こんな風に大袈裟に喜ばれた。私は創作意欲がはち切れんばかりになっているテーラーを私は楽しく見つめながら、同じセリフを繰り返す。


「喜んでもらって良かったわ。だから言ったでしょう?」


 私の言葉に、テーラーは今度も照れてしまう。行きの馬車の中でどれだけ自分が杞憂な心配をしていたか、何度も指摘されるのは恥ずかしいらしい。


「それにしても、王太子妃殿下が本当にお美しくて……驚きました! セレナ様はまるで天使のような愛らしさでしたが――」

「殿下は言うなら大天使よね」


 続く言葉を先に取ると、嬉しそうに嬉しそうに、テーラーは笑った。私はテーラーの芸術の理解者ぶれたことに、満足する。アスピスに線を引かれた時、今日テーラーに顔を合わせた時。こんな風に笑い合えるだなんて思っていなかった。


「そ、そうなんです。まさにそう思っていました。さすがお嬢様……!」


 テーラーと発想が私と似ていることに笑いつつ、王女殿下――ダイアナ様のことを思い浮かべる。側妃になるとばっかり思われていたのには卒倒しかけたが、うまく切り抜けられて良かったと今は安堵するばかりだ。

 あれは、『おりおり』のエンドの強制力ってやつだったのかしら。もしあそこで否定してなかったら、後宮に入って色々あって『ショックで気が狂い、幽閉の身』になったっていうの? いくらダイアナ様が良いと言おうと、まさか殿下が了承するはずないのに?

 理由を聞かれた時には咄嗟にルドルフのことを白状したが、言葉にするタイミングを得たことは今思えば良いことだったと思う。しかし、ちゃんとダイアナ様と話をしていていない殿下への怒りがないわけではない。殿下もダイアナ様を憎からず思っているらしいのは、分かっている。

 事実、ドレスを贈りたいってことは、そういうことでしょう?

 なら、きちんと自分が話すべきことを話して、安心させてあげるべきではないのだろうか。そう思ってしまうからだ。帰り間際、殿下とジョナサンとすれ違った時には、話すべきことはちゃんと話したほうが良いともう少しで言いかけたが、堪えた。それは私にも刺さる言葉だったし、言われたのが私だったら変に頑なになりかねない。

 私は雨で濡れる馬車の窓に映った自分を見て、ふっと自重気味に笑った。

 ただの同族嫌悪。本当に、私たちって残念なくらいに、変なところで似た者同士ね。

 侯爵家の玄関が見える。そこには雨の中、待っている忠犬の姿があった。


「……あら」

「お嬢、おかえりなさい」


 屋敷の前に馬車が停まった途端、ルドルフがポーチから飛び出してくる。夕立で私が濡れないようにと外套を持って待っていたらしい。

 確かにひどい雨だけど、馬車と玄関の距離でしかないのに。それとも、ルドルフを置いて、私がダイアナ様のところへ行ったから。心配で待たずにはいられなかったのかしら。

 外套を手渡しながら、ルドルフは私の顔を見て少し驚いた顔をする。


「お嬢、顔が赤いけど、大丈夫?」

「馬車の中でずっとテーラーと話してたから。今日は雨も降ってるし、蒸すわね」


 外套も一応は羽織ったものの、暑苦しいことこの上ない。


「アスピスはまだいるの? テーラー、うちの馬車で帰りなさいね」

「そう言うと思って、待たせてあるよ」


 王宮の馬車が走り去ると、馬屋から馬車が回ってきた。そうこうするうちに、アスピスも外に出てくる。私はそっとテーラーから離れ、ルドルフが開けている玄関の扉へ向かう。


「それではお嬢様、これにて失礼いたします」


 ドアをくぐる前、振り返るとアスピスがこちらに恭しく頭を下げた。テーラーもそれに倣い、私へお辞儀をする。私は二人に手を振り、屋敷へ入った。


「アスピス、テーラー。気をつけて。またね」


 閉まる戸の隙間から、テーラーが馬車に乗るのに手を貸すアスピスが見えた。少しほっとする。いまだに『さん』づけで呼んでいたのは気になったが、仲がいいらしいのは嬉しい限りだ。

 ヴァイパーが言う通り、うまくいってるってことよね?

 外套を脱ぎ、ルドルフに渡す。部屋へ歩き出した私に、ルドルフはそわそわしなが付いてくる。おそらくは、ダイアナ様に呼び出された私のことがずっと気になってしかたなかったのだろう。

 あれだけ不満げだったもの。気になるわよね。

 その嫉妬に対して余裕を持って、むしろ面白くも思っている自分に気がつき、大した心変わりだと自分でも自分に呆れてしまう。嫉妬について、オオカミあるあるなのだと聞いたせいだろう。嫉妬されるのは自分が信頼されていないからだなんて思っていた時に比べると、心穏やかにもなる。

 そういえば、昔誰かがそんなことを言っていた気がするわ。日記には書いてなかったと思うけれど。きっと、自分には関係ないと思っていたのね。


「……どうだった?」


 我慢ができなかったのだろう。ついに痺れを切らして口を開いたルドルフに、私はにこやかに答える。


「テーラーを連れて行ったもの。大丈夫よ。ダイアナ様の侍女の方と意気投合したみたいだし、テーラーにはダイアナ様に会わせておきたかったのよね。モチベーションが違うもの。それに、むしろ私たちだけで良かったわ。結婚前の女性のところへ行くのだもの。殿下とジョナサン以外に離宮の中に居るのは女性ばかり。お前が来ても、外でキールスからの親衛隊や騎士たちと待機だったでしょうね」


 わざと煽るような言葉を使ってしまう。それに面白くなさそうなルドルフを見て、私はくすりと笑った。


「お前、テーラーにも嫉妬するの?」

「違うよ。いや、そうだけど。お嬢が王女様のことを名前で呼んでいるから……何も無かったみたいだから良いけどさ」


 口を尖らせるルドルフに、内心で苦笑いをする。

 本当は、何にも無かったわけじゃないけど。でも、うまく切り抜けられたし、それになんだか自分でも壁を越えられたような気がするのよね。

 ふと、気づく。久しぶりに、ルドルフとちゃんと目を会わせて話してる気がする。問答を乗り越えてから、なんだか妙にはしゃいでいる自分がいる。

 ダイアナ様にルドルフのことを言語化したからかしら。

 部屋に着くと、お茶が用意されていた。それをカップに注ぎ、ルドルフは肘掛けの前に置く。私は差し出されたタオルで少しだけ濡れた髪をぬぐい、カップに口をつけた。


「どう?」

「美味しいわ。ありがとう」


 紅茶で一息つくと、私はふと冷静になる。

 馬車を降りてから、こうやって部屋で一息つくまで。どれだけルドルフが私の世話をしているか。朝から晩まで、どれだけ手間をかけさせているか。カップを置き、今までを振り返る。少しの逡巡の後、私は少し怖くなってしまった。

 ……驚くほど、何でもやっているわ。

 しかも、別に日常生活だけじゃない。契約をする時には署名台まで用意しているし、商談をすれば勝手に議事録をとっている。セレナにネックコルセットを着けた時には、鏡も勝手に持ってきていた。

 使用人というのはそういうものだ、と言ったらそれまでだけど。でも、あまりに先回りしすぎじゃない?


「…………」


 ルドルフが全て先回りするから、それに甘えている自分というのに気が付く。と同時に、対等になんてなれないじゃない、なんて考えていた自分に呆れる。以前、刺繍針の一件で気まずくなった時、仕事がうまくは回らないとぼやいていたが、この先回りを無くしたことが原因だ。

 今日、離宮に行く道で他人に期待することをやめた方がいいなんて思ったけど。私が一番無意識に期待しているのはルドルフで、その上で私の気持ちを分かって欲しいだなんて思っていたってことよね。

 あまりの事実に、少し頭痛がしてきた。


「大丈夫? 疲れた?」


 黙り込んで眉間を押さえている私に、ルドルフが心配そうに覗き込んでくる。


「……私はお前に色々なことを頼りすぎかと思って」


 うっかり本心を話してしまった私に、ルドルフは驚いた声を上げた。見上げると、耳を倒したその顔はみるみるうち不安げな表情になる。


「それは、俺を側に置きたくないってこと? またヴァイパーに戻すってこと?」

「ち、違うわよ。お前に頼りすぎてるなって、自分でちょっと反省したってことよ」


 ルドルフの過剰反応に驚きながら、訂正する。すると、ルドルフは幾分安心したようだった。尻尾は垂れたままだが、耳の位置は戻った。

 何だったのかしら、今の反応。

 何かの地雷を踏みかけたらしいことに、私は動悸を感じている。今までもルドルフの仕事を取り上げたことはあった。しかし、その時は何らかの事情があったり、ルドルフ自身が私を避けていたり、呆けていたり。直接指示もしてはいなかった。

 私は自分を落ち着かせるため、紅茶を口に含んだ。


「分からないわ。だって、手間のかからない主人の方が楽でしょうに」

「いつも言ってるでしょう。頼ってくれないのは、寂しいよ。お嬢は人に頼るの苦手っぽいし、弱みも絶対に見せたがらないし」


 そうは言っても、今巡った思考としては、私がいかにルドルフに寄りかかっているかってことだ。それは致命的なものにしか思えない。


「依存しすぎると、怖いもの」


 結局、正確な言葉を使うと、こういうことになる。セレナとのことを思って嫉妬した時も、首筋を噛もうとしたのを断られた時に取り乱したのも、ここに根本的につながってくるものだと感じる。


「お嬢、それは言い方が悪いよ。頼る、って言いなよ。だって頼る人がいないのは、頼られないよりも寂しいことじゃないの?」

「……まあそれは、そうかもしれないけど」


 よくもポジティブに言い換えたものだ、と私は舌を巻いた。


「あの時に、指摘したから、もうしなくなっちゃうかと思って迷ってたけど。これも本当は頼られてるみたいで嬉しかったし」


 ルドルフが指さす先、私の尻尾がルドルフの足に絡んでいるのが見えた。私の尻尾の先を撫で、ルドルフは努めて明るい声で言った。


「揶揄わないで、とは言わないけどさ。俺が変な気を起こしたらどうするの?」


 冗談めいて言うルドルフに、私はこの間逃してしまった機会が回ってきたことに気がついた。カップを置いて、ルドルフの顔を見上げる。ルドルフは私に気後れしたらしく一歩下がった。それを追いすがり、その金色の目を見つめる。


「揶揄ってないわ。起こしてくれてもいいのよ、お前なら」

「また冗談を――」

「だから、揶揄ってなんか、ないわよ」


 ぎゅっとルドルフが目を瞑る。その後、そろりと目を開く。それでも私と目が合うことにルドルフは動揺したようだった。

 嬉しそうに、驚いたように、不安そうに、ルドルフの顔色が変わる。


「……本気だもの」


 ついにこちらを見据えたルドルフに手を広げると、私の体は軽々抱きかかえられ――


「…………」


 寝椅子へ落とされた。目を逸らしながら、ルドルフは早口で言う。


「お嬢、帰って来た時から赤い顔してたけどさ。王女殿下や色んな人の匂いに酔ってるだけでしょう。こう言う時は横になった方がいいよ」

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