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第63話 言葉

 扉を叩く音に、寝椅子から顔を上げる。足音で誰かは分かっていた。扉が開き、だらしなく寝そべっている私を見た家政婦長は、呆れて目を回した。


「ここは私の部屋で、私は傷心中なの。貴女じゃなかったら、きっとちゃんとして出迎えたわ」

「これでも、ですか?」


 家政婦長が扉を大きく開く。


「は?」


 もうひとりの足音が聞こえ、まずいと思った時には、開け放した扉の向こう家政婦長の後ろをヴァイパーが通りかかる。私は慌ててスカートの裾を揃えて座り直した。

 その座り直した動作の一端が見えたのだろう。ヴァイパーは少し立ち止まり、怒ったような呆れたような表情で私をちらりとだけ見て首を振った。それを見て、家政婦長は静かに扉を閉める。


「ルドルフがこの雨の中、赤い顔をして庭に出て行きました。あの子を揶揄うのは、あまり感心するものではありませんよ」


 ルドルフがあれでも私のことをやはり意識していたと言うのに、喜んでしまう。

 ヴァイパーはそれの回収に行くのか、私の様子を念の為見に来たのだろう。密かに自分の匂いがどれだけ出ていたのか確かめるが、自分のものだからなのか、はっきりとは分からなかった。


「あいにく、揶揄ったつもりはなかったのだけれど」

「なら、なお悪いでしょう」


 家政婦が眉を顰める。私は相変わらずルドルフに甘い家政婦長を鼻で笑った。


「素直になれ、ってみんなが言うから。素直になってみたのに。心外だわ」

「ちゃんと言葉にされましたか? お嬢様はすぐ行動で示そうとされます。結局のところで大事なのは、お嬢様が軽視されている言葉だったりもするんですよ?」

「別に、軽視なんかしてないわ……」


 家政婦長が私に手紙の束を渡してくる。今日は一日、王女殿下のことで忙しなかったから、見ている時間が全然なかった。私はそれを鏡台の上に置き、ネックコルセットを外した。暑苦しいことこの上ないが、着けているのが習慣になってしまった。


「ドレスを脱ぐのを、手助けしてちょうだい」

「承知いたしました」


 家政婦長は私のドレスを脱がすのを手伝ってくれる。胸衣をコルセットに留めるピンが抜かれ、上着も取り外される。


「ちゃんと、言葉にはしたわよ?」


 少し前の会話を続ける。と、それは言い訳がましく響いた。家政婦長は黙ってコルセットに手をかける。が、少しした後、小さく吹き出した声が後ろから聞こえた。


「……失礼いたしました。でも、それは大変疑わしいですね。それならば、あの子が庭で落ち込む必要はないですから。お嬢様はいつだって、言葉より行動を重視されていますしね」

「だって、口で何と言おうと、こうあるべきって理想があろうと。実際に究極の選択を目の前にした時、動けないことってあるじゃない? 言葉よりも行動よ」


 行きの馬車の中で再発見した初心を思い起こす。

 他人が私の思い通りに動いてくれることなんてない。他人に期待ばかりしていたら、独りでは何も出来なくなってしまう。いつかどこかで、一人でどうにかしなくちゃいけないタイミングが来るんだから。最近それが出来ていなかったのは、甘えによるものだった。なんて思ってもいなかったけれど。

 そこまで考えた私は、自分で自分の墓穴を掘った。

 だから、察してくれないのなら、ちゃんと自分の口で言うしかない。そう、思ったんだったわ。それで言うなら、さっきの私の言動は。ちゃんと言葉にした、に分類できるものかしら?

 腰をきつく締めるコルセットが外され、ようやく深く息ができる。何枚も厚く重ねたスカートの留め紐を解いては、家政婦長へ渡す。それを一枚一枚広げながら、家政婦長はため息をついた。


「お嬢様がそんな場面に陥るようには思えませんが。その尖ったお考えは、どこからお持ちになられたんですか? 困ったものですわ」


 肌着姿で、肩をすくめて見せる。

 それなら、誰も信じない前世のことをまず話さなきゃいけないわ。セレナは別枠だとして、唯一話したルドルフすらその話は言ってないんだもの。誰が信じるって言うの?


「さあ、何ででしょうね?」

「昔から、本意を尋ねると、そうやっていつも曖昧にお笑いになれて……お嬢様の秘密主義は筋金入りです。だいたい、あれをしたいこれを習いたいと我がままなのか気まぐれなのか分からないことを突然言いだして。理由はうまく説明できないのに、計画や道筋だけは大人顔負けで……」


 そしてその度に、貴女を困らせたんだったわね。きっとお目付け役の侍女だった頃から、お父様やお母様に色々と聞かれる先は、貴女だったでしょうし。

 私はつい笑ってしまう。

 秘密主義。この家政婦長が言うのだから、きっと周りにも思われているわね。ヴァイパーには、なぜだが、よく見抜かれているのに。まあ、私よりも分かりにくい相手ってだけなのかもしれないけれど。


「……まあ、その理由の分からない行動で、あの子は拾われたわけですが」


 浴室へ向かいかけていた私は、家政婦長の呟いた言葉に後ろを振り向く。が、その白髪まじりの猫の獣人はドレスを片付けるのに一生懸命で、丸い後頭部をこちらに向けていた。


「…………」


 何となく興味が引かれ、ドレッサーの前の椅子に腰掛ける。その続きの言葉を待っていると、やっと家政婦長が振り向く。私がまだ肌着のまま後ろにいるのを見つけ、家政婦長は驚いた顔をした。

 さっきのは、私がもうお風呂へ行ったと思っていた独り言だったらしい。


「お嬢様はそうやってすぐに薄着でいらして! 何かお召しになってください」

「大丈夫よ。夏だもの」


 さっきの続きを聞くのは、無理そうね。

 鏡を覗き込むと、少し汗ばんだ赤い顔が映っている。私は居直って、置いておいた手紙に手を伸ばした。すかさず、家政婦長が私の肩にショールをかけた。

 私はふと、この家政婦長なら、先ほどの疑問が分かるのではないかと思い付いた。


「……ところで、あのルドルフの先回って何でもするのは、何でなのかしらね?」


 手紙を開きながら、それとなく聞く。家政婦長は夜着を出しながら、私の質問を平然と聞いている。とすると、あの行動は共通認識らしい。私は自分の気づきが当たっていたことに納得しつつ、自分のルドルフへの認識の甘さにため息をついた。


「それは、話題の変更になっていませんよ。お嬢様が何もおっしゃらないから、あの子には察し癖がついてるだけです」

「そうかしら?」

「ええ、そうなんです。私どもからすると、いじらしい限りですよ。私たちネコ型の性格じゃありえません。イヌ型は尽くすと言いますから。ただ、お嬢様への執着を目にすると、確かにオオカミだなとは思いますがね」


 そう言って、家政婦長は穏やかに笑った。


「私のことはともかく、ルドルフだけには話しておいて下さいね。ちゃんと言葉で伝えない限り、どうとでも取れますから」

「……考えておくわ」

「まあ、言葉を伝えたところで理解できない変な輩もいますけど。お嬢様を見ていると心配でなりません。昔から大人びていらっしゃいましたが、妙に幼いところも多いですから。きっと……鼻が最近まできかなかったせいでしょうね」


 お風呂を準備いたしますね。少し鼻声でそう言って、浴室へ向かう家政婦長の背を見送る。てっきり、いまだに揶揄われる、ルドルフを拾った夜に同衾していた話でもされるかと思っていた私は脱力した。

 半端な自意識で、私が自分は獣人だというのを受け入れられなかったからなだけ。だから、鼻も、変なところで獣人の知識が欠落しているのも。貴女のせいじゃない。そう言えたら良かったのに。これは、言葉にしても通じないわ。

 思わぬところで湿っぽくなったのを振り払い、私は手元の手紙の束に目を落とした。

 物思いで気が散っているせいで、ろくに読めたものではない。商会や領地経営に関する報告書の類は後に回して薄い私信のものから開けていく。


「あら、またこの方だわ」


 宛名しかない手紙。このところ何度も見た筆跡に、私はため息をつく。

 開くと、ぜひ学園で直接会ってお話しがしたいという呼び出しの内容だった。

 私のことを『僕の女王様』と呼ぶ、不敬も不敬の笑ってしまうような手紙をいつも送ってくる相手。送り主が書いていないが、インクや紙の質からしてひとかどの貴族ということはわかっている。あまりに軽薄なので、返事をしたことはなかった。しかし、これはどう考えても。

 告白よね?

 私は再びのため息をついた。いつになっても慣れるものではない。好かれることに嬉しく思う気持ちもなくはないが、私のことを何も知らない相手から向けられるのはひどく億劫でもある。

 それでも、ラブレターを送ってくるなり、呼び出すなり告白や求婚するなり。それが出来るだけ、私よりもずっと勇気があるんでしょうけど。


「ちゃんと言葉に、ね……」


 したつもりだった。しかし、それでもルドルフは何もしてこなかった。

 いいえ、期待しては駄目。ルドルフに甘えては駄目。でも、つい向き合うと、言葉から逃げてしまう。今までのことを謝るだけ。自分の好意を伝えるだけ。それがどうしてこんなに難しいのかしら。

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