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ねずみ録  作者: mozno
第二章 潜入! 今戸一家

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天神まつりにて


 毎日のように雨が降りだす前に、湯島天満宮では毎年お祭りを行う、らしい。らしいというのは先生から聞いただけで私が参加するのは初めてだからだ。人の群れに紛れ込み、遠巻きにかつがれ運ばれていく神輿を眺める。

 私は浴衣の上に腕を通さず羽織を掛けて、ガリガリとりんご飴をかじる。甘いうえに歯の伸びすぎも防げるとは神の食べ物なのでは? こんなものを作るということは人間たちも日々伸びる歯に困らされているということか。親近感を覚える。


「凄い人だな」

 となりで先生が呟く。水色と白の薄物(うすもの)を身に(まと)い、ふぅと息を吐く。人の多さに辟易したというよりは梅雨間近とは思えぬほどの快晴ゆえの暑さのための嘆息であろう。日を遮る右手元に巾着袋が揺れる。

 あらわになったうなじにほんのり汗がにじんでいる。

「日陰に行きましょう」

「そちは涼しそうだな。羽織まで掛けているくせに」

「これ、化け術で見た目を作っただけで全裸みたいなもんですからね。先生のように裸の人間に化けてわざわざ服を着て白粉(おしろい)塗ってなんてしてられませんや」

 時々先生はこういう訳のわからないことをする。彼女の卓越した化け術をもってすれば高価な着物も、化粧要らずの絶世の美女も一瞬で作れよう。だがわざわざ目の小さく、鼻もあまり高くない少女に化けてから、金を払って集めた着物と化粧品で長い時間をかけて身を飾る。最初の頃は化生(けしょう)が化粧をするというシャレかと思ったがそうではないらしい。ちなみにその収集品を片付けるのは私の仕事なので、本当は化けで済ませてほしい。

 先生が恨みがましそうとも、呆れとも、ただ暑いだけとも取れる表情で私を睨む。

「持っていたいものと化けてなりたいものは違う。女心のわからんやつ。だから結婚できんのだ」

「それは関係あるんですか。うちの弟も大工一本ですがこないだ所帯を持ちましたよ」

「ふぅ。こういえば分かるか? チーズバーガーに化けても腹は膨れぬだろう? むしろもっと減る」

「合点がいきもうした」

 自分の尻尾を食うわけにもいかないし、空しくなるばかりだ。

「あと白粉ではない。ファンデーションだ」

「はいはい」

「ちょっといいやつなのだぞ!」

 見せびらかすのが目的なら化け術でも良いのでは? 収集して満足というのは私には理解の及ばない考えである。


 先生は普段の賢しらな雰囲気からは似つかわしくないことに祭り好きである。近場でお祭りがあると私の化け術修行も兼ねて、必ず二人で顔を出す。

 先生は隠者のごとき生活を送っているものだから、人間嫌いとばかり思っていたが人間の装飾品に執着するし、友人(数は少ないが)と談笑していることもある。

「人の多い所はお嫌いではないのですか?」

「いや。ただ人が多いとみな少々異変があってもあまり気にしない。度を越えると一気に伝播するがな。だから人混みのなかではせっかくの化けも霞んでしまう。大衆化された芸術のようなものだ。その理解に教養は要らず、突出することは求められず、外郭だけ捉えてあればよい。ディテールのパズルをするだけの模造品で良いなどと一流の言うことではなかろう?」

「なに言ってんのかさっぱりです」

「化かす対象は好意的にせよ悪意的にせよ個人とするべきだ、ということだ。尾がはみ出ていても気のせいにされるのでは修行にならん」

 つい自分の尻を触ってはみ出ていないことを確認した。

「つまり先生は群れがお嫌いなのですね」

「それだと私が偏屈なようではないか」

 その言い方だとまるで違うようではないか。


 先生が好きなものは祭り以外にもある。

 神輿を眺めて屋台をぶらついた後に、駅の方へと向かうと大道芸人が今まさに三つ重ねられた木造の椅子の上で片足で立っているところだった。

 助手が投げた追加の椅子を片足立ちのままキャッチすると、足場の椅子に静かに乗せて背もたれを掴み、そのまま逆立ちしてみせた。観客から拍手と歓声が湧き、それにひかれた通行人が何事かと覗き込む。

 ふと隣を見ると、先生が食い入るような真剣な表情で大道芸人を見つめている。

 芸者は椅子の上に足をつけると手を伸ばして助手からベニヤらしき板を受け取った。ぺらぺらでどうみても丈夫には思われない。それを椅子と椅子の間に挟み込むとその上をそぅっと歩く。観客の悲鳴の混じったような驚声が駅前に響いた。

 しかしそれを気にもせず、彼は端まで見事たどり着き、我々に向かってお辞儀をすると椅子で出来た塔まで戻り、それを伝って地上に降りた。それから助手とともにもう一度深々とお辞儀をした。

 先程の比にならぬほどの拍手が沸き起こり、どこかのお調子者が吹いた指笛が彼を称えた。


 大道芸人が今後の講演の予定と自身の展望を語り、開場を許可してくれた駅関係者への礼を述べ、はにかみながら空っぽのトランクを開いた。観客が思い思いにそのなかにチップを放り込んでいく。知らんぷりをして立ち去る者も多い。先生はお札を、私は無造作に掴んだ小銭たちを置いて、会釈をした芸者と二言三言話して帰路に着いた。

「何度見ても良いのう、ああいうのは」

 先生の祭り以外の好きなものとは大道芸である。

 ときたまぶらりと出掛けては人の多い駅を巡って大道芸人を探す。彼らの中で客入りが良い場所というのは共有されているのか、また芸を披露することを許可されている場所が限られているのか、特定のいくつかの駅前や公園にいることが多い。


「私は昔、大道芸人になりたかったのだ」

「今からでもやればよろしいではないですか」

「ところが化け以外はとんと不器用でな。皿を割ったり、お手玉を顔で受け止めるはめになった」

「なら化け術を披露すればよろしいではないですか、摩訶不思議七変化とでも銘打って、早や着替えかと思ったら虎が出てきたみたいな」

「通報されるわ。それに化け術とはだれかを化かすためのもの。もとは(あやかし)の技術。だれかを楽しませるためのものではない」

「しかし先生、化け術の習得には自分が楽しむことが一番だとおっしゃったじゃありませんか。ならば自分が楽しむついでによそさまを楽しませてもいいじゃありませんか」

「ああ言えばこう言う……。化けとは元来、他者に危害を加えることを目的とするものだということだ。恩を返すための化けは上手くいかない、鶴の恩返しのようにな。他者に利益のみを与える化けは道理に外れる行いなのだ。だからしっぺ返しが来る」

「良い事してんのにしっぺ返しを食らうのはなんだかおかしくないですか?」

「なにを馬鹿なことを。代価というのは結果の如何(いかん)ではなく、なにかを望んだことに対して生じるのだ」

「先生のおっしゃることはむつかしくて何がなんやらです」

 何に満足したのか先生は得意気にふふんと笑った。


  ***


 祭り囃子と夕焼けを背に鳥居の狭間の結界に戻る。

 先生はいつの間にやら出店で買ったヘリコプターのラジコンをふむふむ言いながら眺め、すっかり分解してしまうと今度は自分が小さなヘリコプターに化けて、空を飛んで見せた。少しのあいだぐるぐると大空を舞うとよたよたと着陸し、狐の姿に戻った。


「疲れるな、これは」

「でも空を飛べるのはすごいですよ。でもなぜ鳥に化けても飛べないのに、模型に化けると飛べるんです?」

「鳥は鳥に生まれたから空を飛べるわけではない。やつらは鳥として生まれた後に飛ぶ技能を習得したから飛べるのだ。化け術ではその技能までを真似ることは出来ん。だがこの模型は初めから飛ぶ物として作られている。だから化ければ飛ぶことが出来る。そうおかしなことでもなかろうよ」

 私も先生を真似てラジコンに化けるが、飛ぶことはおろか動けもしない。

「飛べないんですが……」

「そりゃあ、プロペラが回るようにしなければ飛べるはずが無かろう。それにプロペラを動かす仕組みにも化けねばならぬし、そもそも電池のエネルギーは神通力で無理矢理補ったからそちには無理だ」

「えぇ、飛びたかったのに……」


 先生は元神使であるため神通力を、また現妖怪であるため妖力を使うことができる。先生いわく、それら二つは全く同じものであるとのことだ。「妖力の雅語が神通力だ」とはひどい言い草である。

 弟子である私は先生からほんのちょっぴりだけ(文字通りネズミ一匹ほどの)妖力を借りて化けている。だからあまり多くのエネルギーを消費するような物には化けられない。また神使のような者が見れば、私が狐の持つ信仰の力を使って化けているということは一目瞭然である。だからきっと忠二郎氏は私が狐の弟子であるということには気付いているはずだ。気付いていて何も言わなかったのは私の化けを利用できると考えたからであろう。ネズミのくせに狸である。


「ところでミロク、飯はまだか。私は手持ちがない」

「あれ? 先生、このあいだ不忍池の姐御のところでアルバイトしたからお金があるって言ってませんでした?」

「それならさっきの模型を買ったら無くなったぞ」

「……」

 堕落である。

 我が師は日頃弟子に頼りすぎるあまりすっかり堕落してしまった。これは頼りになりすぎる弟子に問題がある。弟子がなー、優秀だからなー、参っちゃうなー。


 しかし、これ以上の堕落は看過しがたい。師のために心を鬼にせねばならぬ時もある。

「先生、これから二週間ほど留守にしようかと思っております」

「どこかいくのか? 弟の新婚旅行にでもついていくのか?」

「そんな無粋なこたぁしませんよ。修行の甲斐あって一日中化けていられるようになりましたし、そろそろ今戸に忍び込もうかと思います」

 先生が眉根をひそめた。

「……そうか。死ぬ気ではないな?」

「今回はただの様子見です。なんでも内通しているネズミがいるらしくて、そいつを調べるのが目的です」

「なら良い。気をつけて行ってまいれ」

「ですんで、しばらくお食事はご自分で用意して下さいね」

「あぁ、めんどう。困ったのう、ラジコンのせいで金もないのに」

「ここんとこ引き込もってばかりだったじゃないですか。姐御の所に顔見せも兼ねて仕事でももらってきたらいかがですか?」

「不忍池か……。あやつといると面倒事ばかり起こる。というかあやつが起こしている……。あぁ、どこかに金の成る木でもないものか。飯を持ってくる弟子でもよいが」

 持ってきたら持ってきたで絶対になにかしらぶーたれるくせにこういう時だけ調子が良い。

 先生は祭りと見世物を愛する粋な狐である。賢く、化けに関しては妥協を許さぬこだわりを持ったプロフェッショナルだ。

「あぁ働きたくない……。どうして遊んで暮らせないのか」

「遊んで暮らしているじゃないですか……」

 だが、時々とてもダメである。


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