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ねずみ録  作者: mozno
第二章 潜入! 今戸一家

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潜入! 今戸一家1

 準備は整った。

 体臭で疑われないようにここ数日猫に化け、猫の食うようなものばかり食べてきた。

 ニンニクもチョコレートも食べられないとか何のために生きてんのあいつら。

 アルバイトも休みをもらってきた。不忍池の神使さまに事情を説明したら、『シフト組み直せるくらい早めに言ってくれれば良いわよ』とのことだった。あの方は利益が出ればそれでOKな方なので、従業員の稼働効率を最大にすべく申請すれば休みは貰えるのだ。今戸に忍び込むことに関しては特に何も言われなかった。生きて帰ってくるのが当然だと信頼されているのかネズミの権力争いなんぞに興味が無いだけか、たぶん後者である。


 今戸の猫の縄張りをぺたぺた歩いて進んでいく。

 すれ違う猫たちは私に視線もくれないが、野良らしく警戒しているのは伝わってくる。私も同じように歩き、通り過ぎた。

 辿り着いた廃屋の前には一匹の太っちょの猫が陣取っていた。ガタイの良い猫に門番として仕事を与えているのだろう。

 これから敵地に潜り込むとあっては、日頃先生から図太い図太いしぶといと言われ続けているさしもの私も幾許か緊張してきた。生粋の江戸っ子である私は生来嘘が下手くそである。だが化け術とは嘘そのもの。こういうときのコツは先生から教わっている。

 俺は緊張している。俺は嘘が下手だ。それを認める。それを切り離して、その「俺」に「私」を見張らせる。嘘をつくときは常に私だ。私が俺を化かすのだ。

 猫の肉球に「子」の字を書いて飲み込むと、ひらりと通りに繰り出して門番に声をかけた。


「今戸又七郎殿のお宅はこちらでいらっしゃいますか?」

「なんでぇ、てめえは」

「手前は肥前の国より参りました、ミロと申します。旅のしがない者でございます。通りがかりましたのも何かのご縁、この辺りの縄張りのあるじさまに一言ご挨拶させていただこうと思いまして、参った次第でございます。親分さまはご在宅でしょうか」

「わざわざ挨拶とは今日日珍しい筋の通った若ぇのだな。どこの生まれでぇ」

「へい、鍋島でごぜぇます」

「おぉ! うちの頭領が代々継ぐ名前も、鍋島が由来なのよ。いや、こりゃうれしい縁だね。大したもてなしも出来ないが、ゆっくりしてくといい」

「かたじけなく存じます」

 ここはお江戸だってのにわざわざ鍋島くんだりから名前をもらってこなきゃいけねえとは、猫ってやつはさぞ逸話が少ないと見える、と口に出しかけたのを飲み込んだ。


 ふと屋根の上を見上げると、虎柄のオス猫がこちらをじっと見つめていた。

 既視感がある。弟の結婚式に乗り込んできた猫だと気付いて、あっと声を出さずに済んだのはほとんど幸運だった。

「あちらの方は?」

 門番に尋ねるとまごまごしながら教えてくれた。

「あぁ、うちの若頭のトラキチさんだ。武闘派で鳴らしていて、親分以外には負け無しだとか。普段は面倒見のいい兄貴なんだがどうにもここんとこピリついててね。悪いことは言わねえからあまり近づかねえ方が良いよ」

 以前潜入した時に名前は聞いたことがあったが、姿までは見たことが無かった。

 それにしても実質のナンバー2が自ら乗り込んできていたとはなにやらキナ臭くなってきた。

 私はこちらを睥睨するトラキチにぺこりと会釈をし、廃屋の中へと歩みを進めた。


 人に化けていられるようになって、次に教わったことは影の作り方でもなく、服の着こなし方でもなく、『袋』の作り方だった。

 『袋』が何かというと、化ける前に持っていた物を、化けた後に体の内に隠し見えなくする技術のことだ。慣れないとネズミの時に持っておいた小石が体の中をゴロゴロし始め、大変に気色が悪い。だから文字通り体の中に『袋』を用意しておいて、そこに収納しておく。取得した物を変化を解いた後にも『袋』の中に残しておくことも出来る。そうでなければヒトの姿で稼いだ小銭を私はいちいちどこかに埋めて隠さねばならない。先生程の達人ともなれば神社の一角を『袋』で覆い、その中に社を建てたり、桜の木を植えたり出来る。


 もっとも教えてくれた先生ご本人はこの術を邪道と呼んでいた。化け術というのはいかに本物に近づき、同化するかを極めるすべであり、カンガルーに化けるのでもない限り、『袋』などという存在しないものを作るのは彼女の美学に反するらしい。私がネズミであり、常に何かを食べていないと餓死の危険性があるということを知り、食物を隠し持っておくために特例として教えたのだと何度も言われた。

 私は誰にも見られていないことを確認してから『袋』から事前に購入しておいた子持ちシシャモを取り出して、口にくわえた。

 神妙な面持ちで歩みを進め、奥にいた大柄な三毛猫の前へとシシャモを置き、数歩下がって先程門番にしたように名乗る。

「突然のご訪問、失礼いたします。手前は肥前の国より参りました、ミロと申します。旅のしがない者でございます。通りがかりましたのも何かのご縁、この辺りの縄張りのあるじさまとして名高い今戸又七郎さまに一言ご挨拶させていただこうと思いまして、参った次第でございます。どうぞお見知りおきを」

 又七郎が小さく頷いた。

 体格の大きな猫だ。それでいて太っているわけではない。しなやかな猫特有の筋肉の塊だ。だらけているように見える仕草はその実、すぐさま眼前の相手に飛びかかり、その喉笛に噛みつくことが可能である。相手を射すくめるような眼光は後ろ脚から外れない。猫の動作はそこから始まると知っているからだ。

「つまらねえものではございますが、親分さまがお好きと伺い用意させていただきました。お納めください」

「肥前てぇと鍋島か……。太郎佐の兄いは元気かい?」

「……聞かない名でございますな。どこか別のお家とお間違えでは?」

 わずかのあいだ又七郎が沈黙し、その後にやりと笑った。

「あぁ、俺も聞いたことがねぇ名前だ」

「お戯れを」

「へへ、もし知ったかぶりでもしようものなら噛みついてやることにしているのさ」

「本当にいらっしゃる方の名前だったらどうするんです?」

「それで間違って噛みついたとして、何か問題でもあるか?」

 牙をむき出しにして獰猛に笑って見せた後で、そんな自分がおかしくて堪らないとでも言うようにげらげらと笑い始めた。


「ミロと言ったなぁ。まぁ、ゆっくりしていきな。わざわざ挨拶に来たってことはすぐ発つわけじゃあるまい。もし仕事が欲しいならトラキチ、あぁ、屋根の上で不貞腐れてる間抜け面がいたろう? ヤツに頼みな」

 それで話しは終わりというようにシシャモをがじがじと食べ始めた。ここまで無警戒に口に運ぶなら毒でも入れてやればよかった。いや、猫の嗅覚は鋭い。気が付かれて潜入が台無しになってはつまらない。それに今回は様子見だ。標的に化け術が通じることは確認できた。なら次は内通者を探す。その過程でこいつの弱みを探ればいいだろう。焦るな。そんな必要はない。化け術の習得に半年も費やしたのだ。顔に出すな。仕草に出すな。俺を私で化かすのだ。出来るはずだ。

 自分に言い聞かせて爪を仕舞い、ぺこりと会釈をして立ち去った。


 ***


 するなと言われればやりたくなるのが人もネズミも変わらぬ(さが)というもので、又七郎の前から去った私が次に向かったのは屋根の上の虎猫、トラキチのところだった。ナンバー2だというなら内情にも詳しかろうし、又七郎の寝首をかくことを狙っていてもおかしくはない。

「恐れ入ります、手前は――」

「さっき名乗っているのを聞いた。そう何度も言わなくていい」


 ごろりと横になったまま、私に一瞥をくれるとそっぽを向いた。屋根の下では私を通してくれた門番猫がちらちらと不安げにこちらを見ている。忠告を聞き入れなくて申し訳ない。だがこの無考えは親譲りである。

「又七郎の親分に仕事が欲しければこちらに伺えと。しがないヤクザ者ゆえ日を凌がねばなりません。猫の手でも借りたいという鉄火場がございましたら、どうか使ってもらえぬものでしょうか」

「流れ者に任せる仕事なんざねえよ」

「飯さえいただければ大抵のことはこなします。それに流れなら足がつかねえ。……どこかに目の上のたんこぶでもありゃしませんか?」

 今度はじっとこちらを見た。そしてにやりと笑った。

「随分猫被ってやがったな」

 実はもう一枚被っているのだが、それはバレていないらしい。

「いいだろう、使ってやるよ。おっと、早まるなよ、なにも親分をどうこうしようって話じゃない、今のところはな。ちょっとばかり運ぶのを手伝って欲しいもんがある」

「なるほど、運び屋ですか」

「そうそう、運び屋運び屋」

 楽しそうにトラキチが音頭を取って歌いながら立ち上がった。その非合法な響きを愉快がっているようである。ここいらの猫はみな露悪趣味なのであろうか。


「おう、おめえも付いてきな。例のブツの受け取りだ」

「へい!」

 ひらりと廃屋上から飛び降り、着地すると門番に声をかけた。三匹で連れだって歩きながらこっそり門番に声をかける。

「いいのかい? あそこを守ってなくて」

 私の問いに彼は気まずそうな顔をしてもごもごしながら答えた。

「あまりよくはねえんだが、トラさんはおっかねえから断るわけにも……。まあ、万が一カラスなんかに襲われても親分なら返り討ちにして食っちまうから別に問題はねえのさ」

 じゃあお前は何を守っているんだ。

 デカい奴が門の前にいると箔が付くとかそういうことなのだろうか。仁王像か。それにしては表情がふにゃふにゃしすぎている。

「なにをごちゃごちゃ話してやがる」

 トラキチが不機嫌そうにこちらに首をもたげた。

「いやさ、旦那が仲間内じゃトラさんって呼ばれているってえからさ、おいらもそう呼ばせてもらおうかと」

「……好きにしろ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、再び前を向いて歩きだした。門番がにやにや笑っているところを見ると、さっきはおっかないなどと言っていたが慕われていることがわかる。

 かくいう私も弟に慕われる寡黙でクールな兄貴なので少し彼に共感を覚えた。ほんとにちょっとだけ。


 塀から屋根へ、屋根から別の屋根へと飛び移る。化けているから可能だが、ネズミであれば地面に打ち付けられているだろう。猫に化ける上でもっとも苦労したのが、この高所間の移動である。先生が言ったように化け術では相手の技能までは真似できない。だから猫として暮らすために軽快に移動する術を練習しなければならなかった。

 思ったより高くに登ってしまい足がすくむ猫はいても、高い所に登ることをためらう猫はいない。飛ぶ前に気合いを入れる猫はいない。無事着地できた後にほっと安心する猫はいない。彼らにとって高所に登ることは生活の一部である。

 逆に彼らは人間の家に忍び込んで家財にやたらめったらに噛みついたりはしない。当然のことだがネズミにとっての当然と、猫にとっての当然は違う。その逆もまた然りだ。

 名が違えば種類が違う。種類が違うということは骨格が違うということであったり、動作が違うということだ。それぞれの動物の筋肉や関節の動きはそれらに付随する。物に化けるときも同じだ。湯を沸かすためのハサミなど存在しないし、物を切るのに時計を使う奴はいない。全てのカタチには意味がある。おそらく先生が仰っていた『物のあり方を知る』とはこれを理解せよという意味だったのだろう。……また化け術の神髄に一歩近づいてしまった。くぅ~、免許皆伝の日も近いかなこれは。


 何か得られる情報でもないものかとあれこれ口の軽い門番に話しかけ、彼が時たまトラキチに話を振り、奴が気のない返事であぁだのうんだの言っているうちに、どうやらブツの受け渡し場所に到着したらしい。

「お前はちぃと黙ってな。さっきから思っていたがちょいとおしゃべり過ぎるからな。まあすぐ済むから大人しくしていろ」

 私に向かってそう言うとその場でごろ寝した。門番も少し後ろで横になったのを見て、私もそれにならった。

 しばらくそうしているとイラついたようにトラキチが吠えた。

「いつまでそうしているつもりだ? ネズミども」


 正体が看破されたのかと一瞬びくっとしてしまったが、幸い誰にも見とがめられなかった。複数形だったので私の事ではないと思い至り、素知らぬ顔をして前足で顔の横を掻く。

 トラキチの脅しが効いたのか、物陰からこそりこそりとネズミが顔を出し、こちらの様子を伺い、なにやら揉めた後に年長らしき者が一匹だけでこちらへとやってきた。

「いつもの野郎はどうした?」

「な、なんでも急な体調不良だそうで……」

 消え入るような声でそう言ったネズミはどうやら本来の担当者とは違うネズミらしい。どこの出身だろうか、少なくともそこそこ顔が広いはずの私に見覚えがないということはこの上野浅草地方での神使争いでしのぎを削っている家の者ではないことは確かである。

「まあ、なんでもいい。それよりブツは持ってきたんだろうな」

「は、はい。……おい! 運べ運べ!」

 こちらに向ける声とは打って変わって高圧的な声で、物陰のネズミたちに声をかけた。ネズミの大軍が大きく膨れたビニール袋をえっさほいさと担いでやってくる。何匹かはすぐに逃げられるように持っている振りをしているだけだ。

「ど、どうぞお確かめください」

「おう」

 トラキチが近づくと恐怖に耐えきれなくなった数匹が逃げ出した。重さに耐えきれなくなった他のネズミが袋の下敷きになり、何匹かは身動き取れずに失神した。哀れ……。

「確かに受け取った」

「では、これで我々は失礼いたします」

「待ちな」


 すぐにでもこの場を立ち去りたいといった雰囲気の年長のネズミをトラキチが呼び止める。

「例の結婚式の件だ。随分打ち合わせと違ったようだが……」

「そ、その件は!」

 ネズミが慌てたようにトラキチの言葉を遮った。

「後日、詳しく正式にお話しをしたいと、その、我々の代表が、そう、伝えろと!」

 しどろもどろになりながら言う様子を見るとどうやら教えられた台詞をそのまま言っているだけのようだ。

「それまで猫の間でも他言無用でお願いしたいと! そう申しておりました」

 それよりも結婚式というのはほぼ間違いなく先日の我が弟夫婦の結婚式のことであろう。話しを聞く限りだとネズミとトラキチ、あるいは猫たちの間で何らかの取引があったようである。

「他言無用? ほう。……なるほどね。分かったよ。もういい、用は済んだぜ」

 トラキチがそう告げるとネズミたちはいっせいに逃げ出した。と思ったら戻ってきて失神していた仲間を担いで再び逃げ出した。

「あのネズミどもはなんです?」

「あぁ。こいつと引き換えに自分たちを襲うなとそういう契約になっているんだ。といってもネズミの見分けなぞ付かんからな。とにかくこの辺りであまりネズミを獲るな。縄張りの決まりだ、覚えておけ」

 本当はすぐにでも結婚式の件について聞きたかったが、ここですぐにその話題を出すのはあまりにも不自然だ。だからもっと目立つ物に話題を移す。

「で、ブツってのはなんなんです? そろそろ教えてくれてもいいでしょう?」

「まぁ、いいだろう」

 トラキチはそういうとビニール袋の中身から一本のアルミ缶を転がして引っ張り出した。白を背景に缶に巻き付くように蛇の意匠が象られている。蛇が大きく口を開けたその横にでかでかと『Snakebite』と書かれている。門番の奴が二度三度と舌なめずりをした。

「こいつは、人間の飲み物でしょう? どうしてこんなものを?」

「この辺りの猫のあいだで大流行りしていてな。どういうわけかネズミどもはこいつを新品で手に入れてくる。どうせどこかから盗み出しているんだろうが……。俺たちはこれを手に入れる、奴らはそれで安全を手に入れるってわけだな」

「なあ、トラの兄貴、もういいだろう? 俺は我慢できねえよ!」

「ああ、はいはい。まあ一本ぐらいならいいだろう。運び屋の特権てことでな」

 トラキチがよだれを垂らした門番の方へと缶を転がした。歓喜に震えた巨体が缶へと飛びかかり、その声はすぐに苦悶とイラつきの混じった声に変わった。どうやらうまくプルタブが開けられないらしく、かつんかつんと空しい音ばかりが響く。

「クソ、これさえなければ、ああ! また! イテッ! 指が挟まった!」

「ちょっと貸してみなよ」


 見かねた私が声をかけると門番が缶を体に隠した。

「そう言って奪うつもりだろう?」

「取りやしないって。そもそもおいらはそいつを飲んだことがないから味も知らん。一人で野良の旅暮らしが長かったもんでね、そいつを開けるのは得意なんだ。ちょいと貸してくれたら開けてやるよ」

「ほ、本当か?」

 渋々かつ恐る恐ると言った調子で彼は私の方に缶を転がした。私は缶を立て、後ろ足で固定するとプルタブを前足で覆った。二匹から見えぬように肉球を人間の指に変化させる。これは人間のために作られた道具なのだから、人間でなければ開けにくいのは道理だ。プシュッと炭酸の解放される音が響き、あふれだした甘ったるい液体が私の前後足を汚した。

「ああ! もったいない!」

 門番が地面にこぼれた液体に何度も舌を這わせる。私は即座に人間の指を肉球に戻して、誤魔化すように指に付いた雫を舐め取る。弾ける感触が舌先に走る。全身がムズムズしてきたのを何とか押し留める。この飲み物に限らず炭酸飲料は化け術と相性が悪い。


「ほう、器用なもんだな」

「一匹で生きていると色々出来るようになります」

 トラキチがたまらないといった調子で空気中に散らばった甘ったるいにおいを吸い込んだ。

「こら、お前ばっか飲んでじゃねえ。新入りにも分けてやらねえか」

「あ、ああ。……あんまりいっぱい飲むなよ?」

 名残惜しそうに缶からわずかに体を引いた。参った。正直なところあと一口飲んだだけで化けの皮が剥がれそうなのである。飲み口に顔を近づけ、舌を伸ばす。が、舌先はギリギリ液体に触れない位置で舌を動かす。さも堪能したといった風を装い、口元を前足でぬぐう。

「すすめてもらって悪いんだけど、どうにもおいらはこの味が好きじゃねえな。いや、匂いは良いと思うんだが、このパチパチすんのがなぁ……。良かったらおいらの分まで飲んじゃってくれよ」

「い、いいのか?」

「ああ」

「お、お前良い奴だなぁ!」

 そう言うと門番は私から缶をひったくり、横倒しにして毛並みがびしょびしょになるのも厭わず、ごくごくと無我夢中で飲み始めてしまった。


 その様子を見ていたトラキチが満足げに頷いている。どうやら先輩を立てて遠慮したのだと思われたらしい。ただ化け術が解けるのを回避しただけである。もっと正直に言うと猫畜生が口をつけたものに口をつけたくなかっただけだ。

「トラさんは飲まないんですかい?」

「俺は一本貰えるからいいんだよ。役員報酬ってやつだ」

 トラキチが得意げに胸を張った。

 地位に頓着するのは人間ばかりだと思っていたが、長い歴史の中で飼われるうちに猫にも感染うつっていたらしい。いや、よくよく思い返してみればネズミも『大黒ネズミ』選挙でしのぎを削っていた。それも神代の頃からである。もしかしたらネズミから人間に感染ったのやもしれぬ。連中ペストを治すのに必死になりすぎてこっちのやまいには全然気付いていないらしい。だがそれも時間の問題で、いつもと同じように流行し、大量の死者を出し始めたら薬か手術でもって病原を皆殺しにしてしまうのだろう。何を殺すのかは知らないが、実験台はたぶんネズミだ。


 人間は様々なネズミの話を考えるほど、我々のことを愛しているが、同時に我々を殺す。猫がみな露悪的で傲慢であるように、おそらく人間という奴はみな狂っている。大切に思う者を傷つけずにはいられないのだろう。もしかするとそれもどこからか貰って来た病なのではなかろうか。そう考えると哀れな奴らだ。どうかいつの日か彼らが彼らの病から完全に解き放たれんことを願うばかりである。


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