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ねずみ録  作者: mozno
第一章 ネズミの嫁入り

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ネズミの嫁入り1


 坂を下って鳥居を抜け、境内けいだいに入ると生い茂る若葉が陽光を隠して肌寒くさえ感じられる。

 私は右手に持った二つのビニール袋をガサガサ言わせながら、小走りで階段を上り、幾重にも続く朱色の鳥居を頭を下げてくぐり抜ける。

 十といくつばかりか抜けたところで鳥居と鳥居のあいだに体をねじ込むようにして入り込むと、古ぼけたやしろが突如目の前に現れた。後ろを振り返っても先程くぐり抜けたはずの鳥居は影も形もない。ただ数本の桜の木がその若葉を揺らしているだけである。

 もしここに人間が迷い込むようなことがあれば、それは文字通り狐につままれる体験となるのであろう。

 私は片方のビニール袋から助六寿司を取り出して社の前へと供えた。


「先生。(はく)先生。戻りました」

 そう声をかけると社の奥の暗がりからのそりと影が立ち上がり、さらさらの黄毛に覆われた一匹の狐が現れた。

「そうか」

 短く呟くと先生は神妙な面持ちで稲荷寿司を食べ始めた。一通り食べ終えたところで口を開いて文句を言う。

「ミロク。そちが買ってくる稲荷寿司はいつも俵型よな。それに酢飯しか入っておらん。たまには三角の、中に椎茸やら胡麻やら入った奴が食べたいのう」

「三角って握り飯じゃあないんですから。そんな稲荷、見たことも聞いたこともありませんよ」

 私がけらけら笑いながら言うと、先生ははぁ、と大きく溜め息をついた。

「物を知らん奴……」

 稲荷寿司だけを食べてしまうと先生は残りの巻き寿司をプラスチックの器ごと私の方に押して寄越した。私はぱっぱと手を打ち払って、片手でつまんで一口で口に含んでからもぐもぐと咀嚼する。

「そんな食い方をせんでも魚の一切れも入っておらぬ巻き寿司など取らんわ」

 んぐっと口の中身を飲み干して、指についた酢飯を舌でなめとる。

「巻き寿司はお嫌いですか」

「安い食い物は嫌い」

「稲荷だってそう高くはないでしょう」

「稲荷寿司には品があるから良い」

「まぁた意味の分からねえ事を言ってら」


 私がもうひとつのビニール袋内の紙袋からチーズバーガーを取り出し、むしゃりと口に含むと先生は嫌そうな顔をした。

「よくそんな臭いものが食える。あぁ臭い」

「人の好物をくせぇ、くせぇとひどいお人だなぁ」

 一口食べるたびに濃厚なチーズとピクルスの匂いが鼻を抜け、ワンテンポ遅れて玉ねぎが舌を痺れさせる。異様に味の濃い肉とやたら甘いパンズのこの味覚への情報過多なチープな味が私に幸福をもたらすのだ。


「食い終えたなら、今日の分を始めよ」

 私が名残惜しく指先をぺろぺろやっていると先生から修行開始の合図が出た。

 先生が左右に振る稲穂のごとき尻尾の動きに合わせ、私はキリンに変化へんげする。尻尾がもう一周するまでの間にそれより一回り小さい物に変化しなければならない。サイ、カバ、シカと化けたところでダメ出しが出た。

「動物ばかりではないか。次の三回は動物禁止とする。物に化けよ」

「ですが先生、化ける時は化ける相手の心を知れといつも仰っているではありませんか。私はタンスや布団に心があるとは思えないのですが」

「人もネズミに心があるとは思うておらんだろうよ。心を知るというのはその物のあり方を知るということ。タンスにはタンスの、布団には布団のあり方というものがある。それを心得よ」

「チーズバーガーにもですか?」

「左様。そちが知らぬだけでものを見聞きし、考えておるやもしれん」

 うへぇ。食いづらくなるから聞くんじゃなかった。


 タンス、布団、テーブルと化け、次からまた動物に化ける。近場に動物園があり、そこで観察を重ねた私は他の動物に化けるのは得意だと自負している。

 そもそも化け術において自分より大きなものに変化するのはさほど難しくはない。その点においてほとんどの動物より小柄なネズミである私は有利であるといってよい。もっともその技能、持続時間は本職である狐狸こりには遠く及ばないが。だが我が宿願のためにはそれでも十分なのだ。

 犬に化け、猫はわざと飛ばして、鳩、チーズバーガー、クマネズミと変化する。

「変化が解けておるぞ」

「これはクマネズミです」

「見分けがつかん」

「私の方がプリティーでしょ?」

「ドブネズミが何をぬかすか」

 ひどい。


 さてここからが本番だ。自分よりも小さなものに化けねばならぬ。饅頭、タワシ、湯呑み、サイコロ、胡麻と姿を変えたところで溺れるような感覚を覚え、尻尾がはみ出た。

 はたから見るとネズミの尾が生えた胡麻という奇々怪々な絵面である。

「そこまで」

「今日はいけると思ったのですが……」

 尾はそのまま胡麻が膨らみ、私本来の姿に戻っていく。灰色の体毛を見て、長い歯をカチカチ鳴らし、欠けた右耳を撫でてすっかり戻っていることを確認する。たまに耳だけウサギだったりするから油断は禁物だ。

「選択が悪かったな。サイコロは化けの皮が剥がれ、胡麻は化けた側が敗北する逸話がある。信仰にひきずられたな」

 先生曰く、化け術はいかに相手に信じさせるかということがキモであるらしく、そうした逸話の残っているものは初めから人々が疑いの目で見るため、もとより半分化けの皮が剥がれた状態であるらしい。

「でも先生はサイコロに化けようが、胡麻に化けようが尻尾を出したりはしないでしょう?」

「無論。そちの修行が足らぬだけのことよ」

 そういうと小さな小さなサイコロに化けて見せた。私は人間へ変化し、それを掌の上に乗せてまじまじと観察する。転がしてみても天地の和が七となるまごうかたなきサイコロである。

 じいっと見つめていると悪戯心がむくむくと湧いてきて息を吹きかけてみたり、横腹をくすぐってみたりする。反応がないのでサイコロになったまま寝ているのかもしれないと思い、口の中に含もうとすると首根っこを噛まれた。ぐるぐると視界が回り、あっという間に変化が解ける。

「ちゅー! お許し下さい! お許し下さい!」

「師を口に入れようとするやつがあるか、この阿呆め!」

 先生は頭を大きく振りかぶり、勢い任せに我が体をその口から手水舎めがけて解き放つ。どぼんと水に落ち、がぼがぼ言っている私の頭に柄杓ひしゃくが当たり、かぽんと静かに鳴った。

 私は沈んだ。


 ***


 文字通りの濡れネズミとなった私はしばらく日光浴をして水気を飛ばし、再び人の姿へと変身した。プラスチックゴミを片付けてから先生に外出の旨を伝える。

「どこかへ出かけるのか?」

 あくび混じりにそう聞かれた。

「ええ、弟の結婚式でして」

「ほう、めでたいことだ。気を付けて行って参れ」

 そういうとごろりと横になってしまった。日がな一日このように寝ていて尻尾にカビでも生えないのが不思議である。


 先生が境内けいだいに隠した結界を出て、大通りを抜け、上野恩賜公園を素通りして式場へと向かう。普段であれば先生のご友人である不忍池しのばずいけの神使さまに一言ご挨拶をしてゆくところであるが、覗いたところ不在だった。

「おっと、いけない」

 祝いの品を買っていこうと思っていたのを忘れていた。スーパーマーケットに寄り道して1㎏の米袋を千円札で購入し、えっさほいさと肩に担いで運ぶ。

 途中の電気屋では店先に並んだテレビが受験生の間で麻薬が流行しているといったニュースや、黄色いネズミのアニメの再放送などをてんでばらばらに垂れ流していた。わざわざネズミを主役にするのだから、人間たちのネズミ好きはすさまじい。だのに何故ネズミを殺す猫を好んで飼育するのか、これが分からない。

 雷門のあたりはいつ来ても人間たちでごった返している。中には金色の髪の毛に青い目をした人間などもいる。へっ、そんな人間がいるもんか。随分化けるのが下手くそな狐がいたものだ。


 人形焼きの匂いについふらふらと引き寄せられるのを堪えて、本殿の裏へと足を進める。

 米袋を降ろし、ネズミたちを驚かせないために変化を解く。そう言えば先生は生まれたときより狐であるのに時に狐に化けるという。しかも他の狐に変装するのではなく自分自身に化けるのだそうだ。

『化けるにはその相手のことを時にその相手以上に知らねばならぬ。姿形のみを真似るのではなく人の間に溶け込めてはじめて人に化けたと言い、猫の間に溶け込めてはじめて猫に化けたと言う』

 他者からどう見られているか理解していなければ自分自身に化けることさえ敵わぬ、とは先生のお言葉だ。先生に言わせれば化け術とは一種の哲学なのである。

 しかし先生は世捨て人ならぬ世捨て狐なので、狐の間には溶け込めていないからその定義に従うと化け失敗であることは気付いたが言わなかった。それは私が師を敬うがゆえである。お仕置きが怖かったわけではない。


 せっかくであるし、師の教えを実践するべく自分自身へと変化し、本殿軒下の式場へと向かう。その道すがら見知った顔を見つけたので声をかけた。

「叔母上、ご無沙汰しております」

「?」

 声をかけた相手は亡父の妹のフミ叔母上である。首をかしげる仕草が少女のようだ。私と同じくねずみ色の体毛だが歳のせいかかなり白毛が混じっている。

「ごめんなさい。あなた、……どちらさまだったかしら」

「やだな。叔母上、俺ですよ、ミロクです」

「嘘言っちゃいけないわ。ミロクちゃんはあなたほど男前じゃないわよ」

「……」

 私は無言で変化を解いた。

「あら? 本当にミロクちゃんだわ。やだ、私ったら」

 人の気も知らずおほほと指先を口元にあてて笑っている。


 叔母上と連れだって式場に入ると、そこではすでにたくさんのネズミたちが黒山を作っていた。

「まぁ! 随分大勢いるのね」

「天下の『大黒ネズミ』の浅草寺ですからね。娘の結婚式となれば派手にするでしょう」

「これ、並ばないとダメかしら」

「いえ、俺たちは親族だから、……おっ! いたいた」

 私はネズミたちの間をちょっと失礼と、するするとすり抜け、参列者たちに挨拶をしている一匹へと声をかけた。


「やぁ、若旦那」

 私が声をかけたのは浅草寺家当主の息子である豊一氏である。

「これはこれは、ミロクさん。本日はおめでとうございます」

「このたびはうちの不肖の弟のためにこのような席を用意していただきまして……」

「いやいや、今日の式が開けたのは他ならぬミロクさんの援助とロクマルくん自身の努力あってこそですよ。彼のような技術を持った職人が一族に、それも僕の義弟おとうとになってくれるとは心強い限りです」

「そう言っていただけると大変にありがたく思います」

 お互いにぺこぺこと頭を下げていると後ろにやっと叔母上が追い付いてきた。


「ミロクちゃん、ひどいわ。置いていっちゃうんですもの」

「フミさんも本日はお越しいただきましてありがとうございます。ミロクさんとは末永い付き合いを、というのは父も常に言っていることです。これからもよろしくお願いしますよ」

「弟をそちらに小僧に出したままほとんど帰らねぇ阿呆でよければこちらこそ。あぁ、そうだ、外に心ばかりの今日の祝い品を持ってきたから、後で皆さんで召し上がってくださいよ」

「すでに拝見いたしております。やはりあの大量のお米はミロクさんでしたか。今度是非とも商売繁盛のコツを教えていただきたいものです」

 それはすなわち化け術を狐の師匠に習い、人間の姿でアルバイトをすることであるが、これから親戚になる相手に狂人扱いはされたくないので企業秘密ですと言って笑って誤魔化した。

「お二人は新郎の親族ですから、特別席を用意しておりますので」

 豊一氏は近くにいた子ネズミに声をかけると、私たちを案内するようにと指示を出した。

「申し訳ありませんが、私はここで皆様にご挨拶をさせていただいているもので、また後程」

 そう言うと、参列者で出来た山に向かって行った。

「お忙しそうねぇ」

「次の『大黒ネズミ』の筆頭候補ですから。休んではおれないでしょう」

「父と息子で票を争うのね。あぁ、嫌だ。護国院から移ったって結局同じことをやってるのね」

「叔母上。声が大きいです……」

 やめて。案内役の子ネズミがこっちを睨んだから。

 護国院というのはこの浅草寺家と対を成すネズミの大家である。歴史は護国院が古く、『大黒ネズミ』といえば護国院家から排出されるのが常であった。しかし時代は変わり、昨年末の『大黒ネズミ』選挙では長年の念願かない、浅草寺家がより多くの家族を持ち、そのお役目を奪取した。

 今でこそ独身だが、かつては護国院家現当主と夫婦(めおと)の間柄であったフミ叔母上にとっては思うところがあるのであろう。


「兄貴! 来てくれたんだな!」

 我々が席についてしばらく待っていると、そう言って駆け寄って来たのは弟のロクマルである。今日の主役はその証に首元に白い蝶ネクタイを着けている。

「おう、来るとも。おめぇこそ花嫁ほっぽってこんなところにいていいのか?」

「化粧だ衣装だなんだってんで追い出されちまったんだよ」

「終いにゃ家を追い出されるなよ」

「大丈夫。隠し通路を作っておくから」

 冗談めかして言っているが大工である弟にとってそのくらいはお茶の子さいさいであろう。

「それにしてもあのロクマルちゃんが結婚とはねぇ、時が経つのは早いわねぇ。恋愛結婚なんでしょう? 良いわねぇ」

「叔母上。それもう何度も言ってますよ」

「何度言ったっていいじゃない。おめでたいんだから」

「いや、ボケたのかと思って心配になります」

「まあ! ……で、ミロクちゃんはいつ結婚するのかしら」

 やり返されて旗色が悪くなってきたので、ちょいとはばかりにと言って、席を外した。


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