ネズミの嫁入り2
訪れたネズミたちが席に着き、めいめいに話し始めると会場を覆う黒いさざ波のようである。
司会を務める豊一がマイクを持ち、咳払いをするとさざ波は止んだ。
「えー、皆さま。本日はお忙しい中、ご足労いただきましてありがとうございます。ただいまより根津ロクマルくんと、我が妹浅草寺ヒトミの結婚式を執り行いたいと思います。司会を務めさせていただきますはわたくし、浅草寺豊一でございます。短い時間ではございますが、皆さまどうぞごゆるりとお楽しみください」
慣れたものでさっきまで来客対応をしていたにもかかわらず、疲れを一切見せていない。新郎新婦より重労働なのではなかろうか。だがこういった家同士のつながりを大切にしているというアピールこそが『大黒ネズミ』には求められる。
式の工程が進み、私の待ちに待った瞬間がやってきた。
「新郎のお兄さまであり、この披露宴主催者の一人、根津家当主、根津ミロクさまよりご挨拶がございます」
私は立ち上がり、頭をへこへこさせながら壇上へと立ち、司会からマイクを受け取る。見渡すとロクマルが口をパクパクさせていた。日頃こういう席には決して出ないものだから、私が何か一席ぶつなど思いもしなかったのであろう。
「えぇ、普段『さま』なぞ付けられる暮らしをしてねぇものですから、急に付けて呼ばれるってなると妙にこそばゆくなりますな。『先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし』なんて句がございますが、私なんぞは先生と呼ばれたい馬鹿がここにありといった始末で。出て来て早々に阿呆なことを申しましたが、ご紹介にあずかりましたロクマルの不肖の兄のミロクでございます。本日は弟夫婦の結婚式にご足労いただきまして、誠にありがとうございます」
客席には子連れも多く、わいわいと話し声が絶えない。私の演説なぞ聞いているのはロクマルと叔母上くらいなものである。私はむくむくと膨らむいたずら心の赴くままに新郎(実弟)の恥ずかしい過去話を次々と暴露していく。
「昔からもっぱら弟の面倒を見ていたのは私でして、よくこの背中に背負ってあやしたものでございます。私右耳だけがギザギザしているでしょう? 何を隠そうこれは弟が赤ん坊の時分に噛みついてできたものでして。それだけでは飽き足らず背中で何度寝小便を垂れたことか」
「父が生きていた頃に『大工の修業を受けたい』と泣きついてきたことがありました。『泣きつく相手が違う、親父に言え』と言ってもうじうじして出て行かない。仕様がないから訳を聞いてみると、惚れた女がいるからその子に良い恰好を見せたいが本音だった。まぁ、その相手が今こうして隣にいるわけだから、大工修行の甲斐もあったと言うもんでしょう」
「大工の修業を始めてもね、粗忽者でね。道具を忘れるんですよ。慣れてきて道具を忘れなくなった。今度は弁当を忘れるんですよ。で、言伝を頼んで俺に弁当を持ってきてくれなんて言う。ところが私もその粗忽者の血筋ですからね。外に出ようと準備しているうちに要件を忘れちまう。で、手ぶらで弟の所に行って『お前は俺に何を頼んだんだっけ?』なんて聞きに行ったりして」
「いいかっこしいの、うっかりものの、小便垂れですからね。最初はこいつと所帯を持とうなんてどんなとんでもねえメスが来るんだと身構えたもんです。だが実際は気立ての良いしっかり者のお嬢さんだった。この方ならうちの弟をしっかり尻に敷いてくれるだろうと、間違えた、尻を蹴っ飛ばしてくれるだろうと、これも違う。まぁ、なんにせよ、めでたい!」
「知る方も多かろうとは思いますが、我が根津家は昨年末、卑劣なる猫の襲撃を受けまして、親兄弟を亡くしました。我が家にご挨拶に来られ、巻き込まれてご家族を亡くされた方もいると伺いました。それはひとえに先代当主たる父と私の不徳の致すところでございます。この場を借りて改めてお詫び申し上げます」
「生前可愛がっていた末っ子が今日のようなめでたい日を迎えることが出来たこと、父母、兄弟姉妹揃って草葉の陰で喜んでおりましょう。もし唯一の不満があるとすれば一番の不良息子の私が、父に代わってこの壇上に立っていることくらいでございましょうか」
「頼りない弟ではございますが、新婦のヒトミさん、そして浅草寺家の皆々さま、なにとぞよろしくお願いいたします」
「簡単ではございますが、これにてお祝いの言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」
私がそう言い終えると、拍手の雨がそそぎ、面食らう。いつの間にか場の視線が皆、私の方に向けられていた。妙に照れくさくなって欠けた右耳を触りながら壇を下りる。下りてから手にマイクを持ったままだったことに気が付いた。慌てて壇上に戻り、司会にマイクを押し付けると会場がどっと沸いた。
普通こういう嫌な汗はスピーチの前にかくものではなかろうか。
席に戻ると叔母が隣でぼそりと言った。
「ミロクちゃんって敬語使えたのね」
「失礼すぎやしませんか、叔母上。というか叔母上の前ではいつも敬語でしょう」
「あんな噺家さんとヤクザの合いの子みたいな口調が敬語なもんですか。スピーチの途中でもなっていたでしょう」
「自分で話してると気が付かねぇもんですね」
「まったく呆れた。男の人っていうのはいったいどこで悪いことを覚えてくるのかしら?」
それを言うなら女ってのは長話の仕方をどこで覚えてくるんですかとよほど言ってやろうかと思ったが、機嫌を悪くするか怒り出すかのどっちかだと思ったのでむっつりと前歯で下唇を押さえるだけにしておいた。
***
三三九度も済み、みなが好き勝手食べ始めた時に甲高い悲鳴が上がった。
悲鳴の元のメスネズミが指差す、本殿の屋根の上にはこちらをじいっと見るトラ猫が一匹いた。喉をごろごろと下品に鳴らしている。
跳躍し、会場に飛び降りると周囲のネズミたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。そのほとんどが出された食事はしっかり口にくわえている。
狙いが新郎新婦であることはすぐに分かった。一番目立つ席にいたから当然ともいえる。
だからこそ幸運でもあった。もし無差別に手近なネズミを襲っていたら私の場所からはとてもじゃないが間に合わなかった。
私は雄鶏に化けると、今まさに新郎新婦に飛びかからんとする猫の横っ面めがけて、「コーケコッコー!」と大音声で叫びをあげた。
聴覚の優れる猫はその場で足と尻尾を伸ばして、石像のごとく硬直した。
私はこっこ、こっこと鳴きながら、ネズミと猫の間に割って入る。
「やいやい、猫の旦那。随分無粋な真似をなさるじゃないか。確かにネズミを捕らえて食らうは猫の道理というものだろうが、今日は晴れの日、華燭の典。こんな日くらいは『まぁ、見逃してやろう』というのが世の情けと言うものでございましょうよ」
相手の道理を蹴っ飛ばすときは、自分の言っていることがさも世間の常識であるかの如く語るのがコツだ。議論で勝つのは正しいことを言う方ではない、声のデカい方だと先生も言っていた。
「うるせえ、鶏風情が! ……なんで鶏がこんなところにいやがる」
猫が何かを言い終える前に大型犬ゴールデン・レトリーバーへと変化し、その鼻面に噛みついてやる。狂ったように暴れる猫から口を離すと同時に右前脚でその脇腹を救い上げるようにレシーブする。空中で何回転かするとその柔軟性でもって体勢を立て直して無事着地した。ちっ。
「てめえ! 妖の類か!」
答える義理はない。口の中に入った猫の毛をぺっと唾とともに吐き捨てる。左後ろ脚で地面を二度掻く。爪の生えた犬の足が、蹄へと変わっていく。黄金がくすみ、淀み、泥の混じったような焦げ茶色になる頃に、私の口の横には鋭い牙が生えていた。
「おい……。それは洒落にならねえぞ」
ぐっと前足をたわませて加速するのと、猫が跳躍するのが同時だった。大型動物の命さえ奪うイノシシの牙は空振り、焦りから高度の足りなかった猫の体は私の体にかすり、弾き飛ばされた。私が頭の向きを変えて再び加速のモーションを取ると猫は舌打ちし、柱と壁を飛び移り屋根の上へと戻った。振り向きざまにこちらを忌々し気に一瞥すると去っていった。
猫の気配が去ったことを確認すると私は変化を解き、ネズミの姿へと戻った。生け垣や建物の陰に隠れていたのであろうネズミたちが私の事を不審げな目で見ている。
「あ、兄貴……。今のは……?」
「あ? あぁ、最近覚えた手品さ。結婚式の余興になると思って」
適当に誤魔化そうとすると疑わし気な色が強くなった。
困った私は司会席でマイクを持ったまま立ちすくんでいる豊一にアイコンタクトを送る。気付いてくれなくて何度もウインクする羽目になった。結婚式が台無しになって困るのは彼も一緒である。はっと正気を取り戻すと事態の収拾を始めた。
「皆さま、ちょっとしたアクシデントがございましたが、ご心配ございません。今のは余興。余興でございます。一番手を務めてくださったミロクさんに拍手をお願いします」
そう言って一人で馬鹿デカい手拍子を取ると、まばらに周囲が参加し始め、やがて大音声となった。
どさくさに紛れてロクマルの背中を押して席に戻す。
たぶん本当の余興は別にあってこのせいで今日のスケジュールはもうすでに滅茶苦茶なのだろうが、私のせいではない。猫のせいである。ネズミの身に起こる悪いことのほとんどは猫のせいである。
それに『大黒ネズミ』を目指すならこの程度の苦難乗り越えられずになんとする、と雑に責任と問題をぶん投げて、私も食事にありつき始めた。
***
いったいどこからかっぱらってきたのか、浅草寺のネズミたちがフライドチキンを担いで持ってきた。飢えた子ネズミたちの歓声が上がる。
そのかぐわしい油の香りに誘われて私の足もふらふらとそちらへ向かう。
油が浮かび、しなしなになった衣を一齧り。繊維のように肉が裂け、効き過ぎた胡椒が舌を刺すのも気にせず、もう一齧り。
食べるのに夢中になりすぎて、私は周囲のネズミたちがそっと離れるのに気が付かなかった。
白い毛の混じったずんぐりとしたネズミが通ると、他のネズミたちがモーゼを前にした大海のごとく道を開ける。ちなみにモーゼというのは先生が考えたお話しの中に出てくる登場人物である。モーというぐらいだから牛でしょうと私が言うと、先生は「そうだ」と言っていたから多分牛だ。
「いやはや見事な大立ち回り。てぇしたものだ。あのおかしな術、どこで習った?」
尻尾を二度三度とわざとらしく地面に打ち付けてから老ネズミが聞く。
私は鶏肉を飲み込んで、こくりと頷く。指についていた衣をぺろりと舐め取る。
「護国院の頭領が何の用だ……」
老いたずんぐりネズミ、護国院一朗太は鼻の頭をひょこひょこ動かしながら笑った。
「嫌われたもんだ。我らネズミの代表、『大黒ネズミ』の家で結婚式があるというから祝いに来てやったってのに」
「祝いに来ただぁ? てめぇがうちの親父に、家族に何をしたか忘れたとは言わせねぇぞ。猫と手なんぞ組みやがって、この裏切者が!」
私の言葉で周囲のネズミたちにざわめきが広がった。
「ふん。証拠でもあるのか?」
「親父を殺して利益があったのはてめぇだけだろうが!」
護国院一朗太はかつて今は亡き父と友人であり、仕事仲間でもあった。しかし時代の流れか、栄華を誇った護国院家は徐々に身内で神より賜った仕事とその報酬を占有するようになり、他家の者は食い扶持に困るようになった。そうして昨年末、浅草寺家が台頭した。父も浅草寺から仕事を貰おうと駆け回っており、当然その代価として求められたのは浅草寺の傘下に加わること、すなわち護国院からの離反であった。
「根津家が浅草寺につこうとしたのが、そんなに気に食わなかったか? どうせさっきの猫畜生もてめぇの差し金だろう?」
「本気で猫がネズミの言葉に耳を貸すとでも思っているのか? 親父さんの件は不幸な事故だった。それで片が付いたはずだろう」
今にも噛みつかん勢いの私と、余裕綽々といった一朗太のあいだに豊一が割って入る。
「ミ、ミロクさん、抑えてください……。……護国院の当主さま直々にお越しいただけるとは。ささっ、どうぞこちらへ」
豊一が私から引き離すべく、一朗太を会場の奥へと連れていく。その方向には一朗太の元妻であるフミ叔母上がいるのだが、そっちでいいのか。
二人が去っていった方向からぎゃーぎゃーと喚き声が聞こえ、今まで疲れた顔一つ見せなかった豊一ががっくりと肩を落として戻ってきた。
「元気出せよ」
「半分ぐらいあなたのせいなんですけど……」
その後、叔母上がぷんすか肩を怒らせながら戻ってきた。
「白髪が増えたな、ですって! 失礼しちゃう!」
機嫌を取らねばならないのは私なのだから、そういうことを言うのはやめて欲しい。




