おっさんは、魔族との決着をつける。
「ブネ。お望み通りの状況になったんじゃないか?」
クトーは、見上げるよう巨体を前に、剣を肩で担いだ。
ブネの四肢を覆う剛毛は鱗のように連なり、見るからに硬さを感じさせる。
全身も、生物というよりは彫刻……鉱物に近いように見えた。
「1対1、条件もない。疲弊はしているがな。そしてお互いに、最終目的は相手の命を喰うか、自分の命が喰われるかのみだ」
『……そうだな。女神は忌々しいが、この状況には感謝しよう』
ブネに、逃げるつもりはないようだった。
今は結界が破れているので、クトーも外に風の宝珠による通信が届くだろうが、ブネもたやすく逃げられるようになっている。
レヴィは取り戻したが、ブネをこの場で滅しておかなければまた暗躍を始めるだろう。
釘を刺したつもりだったが、ブネはこちらの言葉に乗せられている、という訳でもないようだった。
すでに冷静さを取り戻しているのだろう。
温泉街からこっち……いや、過去にニブルの仲間を殺された時から、ブネはずっと厄介な相手だった。
だが本来の彼は、根っからの戦闘狂なのだろう。
「決着をつけよう。過去に払い残した負債を今から清算する。利子は、もう十分に付いた」
クトーの言葉に、ブネは喉を鳴らした。
『勝てるつもりでいるのならナメられたものだ。……だが、ようやく』
こちらを、二階の屋根ほどの位置から見下ろす黒い仮面のような顔には、すでに表情は浮かばない。
だが、彼の声音は愉悦と歓喜に満ちていた。
『血が沸いてきた……クク、これが……勝敗の見えない戦闘というものか……クハッ!』
しかし表情がないと思っていたら、バキバキと仮面の口元にヒビが走り、ガバァ、と狂気的な笑みの形に変わる。
『魔王様に挑み……圧倒的敗北を喫した時よりも、遥かに高揚する……!』
ブネは、死にかけとは思えない俊敏さで挑みかかって来た。
振り下ろされた爪を剣で受けると、クトーは石畳が砕けるほどの衝撃を受けた。
強化していてもなお手が痺れるほどの一撃に、視界もぐらりと揺らぐ。
だが、奥歯を噛み締めて耐えた。
『いけねぇね……結界の崩壊が、思ったより早ぇさね……』
トゥスの懸念を、クトーは正確に読み取った。
どうやら石畳が砕けたのは、ブネの攻撃のせいばかりではなかったようだ。
王都側に出れば、こちらの戦闘で街に被害が出る。
しかしクトーの頭は、ローラの件を聞いてからの曇りが晴れたように冴えていた。
「結界の崩壊までには終わる」
そう、感じられる。
クトーは爪をいなして横に回り込むと、ピアシング・ニードルを2本、ブネの足元へ向けて投げた。
これを使えば、残りのニードルは2本。
全く、大赤字だ。
「燃やせ!」
ピアシングニードルが飛んでいる途中で炎の槍に変化し、炸裂と同時に豪炎を撒き散らす。
『ゴォウアァアアアアアッ!』
自分を焼き焦がさんと全身にまとわりつく炎を尾と両腕で薙ぎ払いながら、ブネがこちらに向けて横薙ぎの一撃を放った。
避け切れないと判断して、その一撃に向かって剣の切っ先を向け、全身を風圧と衝撃に打たれると同時に相手の腕を貫く。
「ゴボッ……!」
ブネの力は強大で、勢いを殺した一発でも内臓がやられた。
喉からこみ上げる熱い塊を吐き散らしながら、しかしクトーは、剣の柄から両手を離さない。
ブネは瘴気も魔力もほぼ枯渇しているのだろう、直接攻撃以外の手段を使ってこないようだ。
こちらを振り回すように持ち上げてくる。
クトーは剣にしがみつきながら、その巨木のような腕に両足をついて、剣から片手を離した。
血の鉄臭さに上手く呼吸が出来ず、視界がかすむが、相手は外しようがないくらいの目の前だ。
「凍れ!」
クトーはピアシング・ニードルをブネの腕に突き立てると、自身が最も得意とする氷の魔術が発動した。
ビキビキビキビキ、と今度は全身を凍らせようとブネの腕を走って広がった魔力の凍気が、彼の半身を氷の塊の中に閉じ込める。
残りのニードルは1本。
体力は、もう少しだけ剣を振るえる程度。
クトーは聖属性の加護によって傷口を焼いていた剣を無理やり引き抜いて、地面に向けて落下しながら最後のピアシング・ニードルを放った。
「砕け!」
放ったのは、地の初等魔法である振動魔法。
熱して、凍らせる、そして砕く。
硬質極まる外観は、おそらく生物よりも鉱物に近いだろうという判断は正しかった。
ピアシング・ニードルはブネの胸元に突き立つ。
振動魔法が発動すると、バキバキバキ、と振動に連鎖してブネの胸元が砕け散った。
『グ、ォォオオオオオッ!』
痛みがあるのかないのか、胸郭の前面を失ったブネの胸元、人間なら心臓にあたる部分であるコアが見えた。
追撃を仕掛けてきたブネの尾を断ち切り、返す刃で無傷な方の獣腕で放たれた一撃を受け切ったクトーは、そこで握力を失って剣から手を離した。
深くブネの腕に食い込んだ刃を抜く力は、もうない。
『終わ、リ、ダ……相討ち、カ……』
もはや体を維持するだけの力も失われかけているのだろうブネは、腕の傷口の辺りから塵になりかけていた。
ブネは瀕死だ。
動けるだけの力は残されていないのだろう、長大な腕は地面に落ちたまま持ち上がる気配を見せない。
しかし、クトーは静かに告げる。
「いいや。お前の負けだ、ブネ」
『ナ、ニ……?』
ピアシング・ニードルも、もうない。
剣以外の武器を取り出して、トドメを刺す腕力もない。
だがまだ、クトーには1つだけ武器があった。
腰の後ろにベルトで挟み込んでいたそれを、ゆっくりと抜き出してブネに見えるように掲げる。
『……!』
「全く動けないお前と違い、俺にはこれを放るくらいのことは出来る」
それは、赤い筒ーーー先ほどレヴィから拝借した、汎用魔道具だった。
『貴様、貴様ァ……』
ブネの声に、初めて聞く色が混じった。
それは、怨嗟。
『そんな子供騙しのチャチなもので……この死闘に、水を……!』
「侮蔑は控えてもらおう。道具は、職人の技術の結晶。正当な対価に見合うだけの効果を保証してくれる素晴らしいものだ。……爆ぜろ」
クトーはレヴィにならって口に出して命じると、軽く後ろに下がりながら、ポン、とそれを放り上げた。
高く放り上がり、自分の目の前にきた筒を笑みで固まった仮面の顔のまま、ブネが目で追う。
すぐにゆっくりと落下を始めて、ファイアスクロールが落ちた先には、コアがあった。
コン、と硬質な音を立てて軽く跳ねたところで……魔導具がきっちりと効果を発動した。
「後で、使った分の代金をレヴィに支払わなければな」
ブネの胸元で炸裂した火炎球を見て、その轟音を聞きながらクトーは髪を掻き上げた。
そんなクトーに、トゥスがヒヒヒ、と笑う。
『兄ちゃん、調子が戻ったね』
「そうか?」
髪を直した手をそのまま顔に持っていき、メガネを外して目頭を揉んだ。
正直、もうメガネをかけている事すら重く感じるほどに限界だ。
目を上げると、もうブネの体は瘴気と塵に変化して、爆炎に吹き散らされていた。
跡形も残っていない。
魔族の最後は、いつ見ても虚しさを覚えるものだった。
まるで、その死を悼む者などいないと言わんばかりに消えるのだ。
クトーは、シャラシャラとメガネのチェーンを鳴らしながら頭を横に振って、思考を切り替えた。
「ホアンにどう報告するべきだろうな」
『王サマかい? 青くなるかもねぇ』
確かに、魔族が2体……それも片方は魔王軍四将最後の1人……が王都の街中で暗躍していたなど、笑い話にもならない。
『一件落着かい。……わっちは、どうやら久々に見立て違いをしちまったようさね』
「む?」
トゥスは戦闘が終わったからか、安堵したように言葉を漏らした。
『兄ちゃんは、やっぱり面白くて大したヤツだ、って話さね』
※※※
クトーがレヴィに目を向けると、トゥスがまた口を開いた。
『そういや兄ちゃん。ローラって子、生きてるらしいよ』
「何?」
『嬢ちゃんの中に入った時に見た。時止めの秘術だ。多分ブネが使ってたんだろうがねぇ……体に魂を戻したから、墓の下にある体は息を吹き返してるはずさね』
「では、すぐにここから出よう」
外の人間は誰もそれを知らない。
一刻も早く知らせなければ、と思っていると。
「いやぁ、さすがだなぁ」
レヴィに歩み寄るクトーの背後から、パチパチパチと拍手が聞こえた。
「……!」
全く、気配を感じなかったクトーは、緊張を覚えた。
出来る限りの速度で振り向くと、目に映ったのは見覚えのある相手。
「……カードゥー?」
2つで1つの魂を持つ情報屋が、そこに立っていた。
皮で出来たボロボロの帽子に裾がほつれて破れかけた外套をはおる、物乞いにしか見えない人物。
だが普段の無気力な姿とも、情報屋としての深い知性を感じさせるものとも違い、今彼は無邪気な顔をしていた。
まるで面白い見世物を見た後の子どものように、目をキラキラと輝かせてニコニコしている。
「お前、誰だ?」
これはカードゥーではない、とクトーは直感した。
拍手をやめたカードゥーの姿をした男は、大きく肩をすくめる。
「あれ、あっさりバレちゃった。うん、この体は借りてるだけだよ。魂の片割れと交渉してね」
笑みの色を変えないまま、男は指を立てて軽く振る。
「『使者の杖』とは、元来この男と片割れそのものを指す言葉だった。誰かを使者に立てるのではなく、使者に直接意識を宿すことで上の人間が交渉の場に立つための道具だったんだよね、こいつらは」
「どういう意味だ」
使者の杖は、神々の使った道具の1つと言われている。
だが、それが生きた人間であるなどという話は聞いた事がない。
「こいつらは人間じゃないよ。時の神と輪廻の神が作り上げた意思ある神具さ。使ってたのは僕とアムだけど。ま、そんな事は今はどうでもいいじゃない」
あっさりと言う男に、クトーはザラリとした違和感を覚えた。
その口調。
無邪気な様子。
そして何より、神話の存在に対する馴れ馴れしさと、不意に感じた気配。
「まさか……お前は」
「誰だか分かった?」
パッと表情を明るくした相手に、クトーは珍しく、思いついた自分の考えを疑った。
しかし、最も可能性の大きい疑いは、それしかない。
「……トゥス翁」
『何だい、兄ちゃん』
「レヴィを連れて、先に外に出てくれ」
クトーの要望に、トゥスは沈黙した。
『だけどねぇ……いや』
何か反論しかけてすぐにまた言い直す。
『邪魔かい?』
「奴が俺の思う通りの相手だとしたら、この場では俺以外に用はないはずだ」
じっとりと背筋に冷や汗を感じながらも、クトーはつとめて平然とした口調で言う。
「そうだろう?」
『うん。今は満足してるから』
アハハ、と無邪気に笑って指先をこすり合わせる男を見ながら、クトーは再びうながす。
「トゥス翁」
『分かったよ。兄ちゃん……救援を呼ぶまで死んでほしくねぇけどねぇ』
「先にローラを頼む。ブネは死んだ。……生き残る努力はする」
何も対抗手段はないが。
だが、無駄話でなるべく時間を稼がなければならない。
トゥスは、それ以上何も言わずにクトーの体を抜け出すと、レヴィの中に入った。
すぐに、2人の姿が薄れて消えるのを見届けて、カードゥーの姿をした男に目を戻す。
結界の崩壊は、止まっていた。
遠くの景色が暗闇に染まり、逆に天に見える青空はその範囲を大きく広げていたが、先ほど見た時と変わりがなくなっている。
目の前の存在が、止めているのだろう。
「なぜ、お前が生きているーーー魔王サマルエ」
クトーが、自分の推測した相手の正体を口にすると……男は、まるで憧れていた相手に覚えてもらっていたことを喜ぶように、大きく破顔した。




