〜恋雨(21)〜筆記物理攻撃と現れた影
襲いかかってきたのは、神殿の床を貫いて這い出てきた無数の植物達だった。
それらは、明確に時神を標的にしていた。数え切れないくらいの蔓が時神を襲いくる。
それを、時神は美耶を片手で抱き上げたままかわし、軽やかに宙で舞う。空中で小柄な体を回転させ、どういう原理なのか、何もなかった右手に長剣を出現させた。そして、攻撃してくる蔓を鮮やかに切り裂く。
(うわわわわわぁっ!!)
目が回る。
時神、身のこなしはもはや破格に違いないのだが、現役女子高生かつ運動神経皆無の美耶の気持ちも考えてほしい。
「うほほほおぉっ!!!!」
また、回転。それが華麗なのは見事なのだが、おかげで美耶の口からは変な声が漏れてしまった。
「舌を噛みますよ、命神。どうか大人しく僕に守られていて下さい」
頼もしい時神の言葉。
普通ここは、はい(キュン)と言ってトキメク場面なのだろうが、生憎、相沢美耶という女はそんな人間ではないのだ。
「わ…わ、たし!……おおおうっ、樹峯と、話したいんだけど!!」
危ない。舌を噛んでしまうところだった。
「ーー森神とですか?彼のあなたに対する馴れ馴れしさと強い執着から、あなたと彼が他より親しい仲だという事が察せられますが……。すみません、それは叶えられません」
必死に訴える、腕の中の美耶を時神が一瞥し、すぐに前へと視線を戻す。
「どうしてっ!!」
「森神と僕達は、敵対関係にあるのです。だから、せっかく得ることができたあなたを彼に返すことは無理です」
なんて、身勝手な。
ぐるぐる目が回る中で、美耶は心の中でそう吐き捨てた。
「そんなこと、どうでもいい!私と樹峯は、仲いいんだから!!下ろして!」
「不可能です。あなたを下すことも、彼に渡すことも。言ったでしょう?僕が、誰よりもあなたに会いたかったと」
ーー不意打ちだった。
こちらを真っ直ぐに射た紫水晶色の目。その瞳に、一瞬、美耶を望む色がちらついた。まるで、恋い焦がれるような、熱の色。
こんな時だというのに、思わず頬に朱を散らしてしまう。
「ーー闇神も、あなたを解放する気は毛頭ないでしょう。あれはどうやら、あなたを目的の為だけでなく、とある感情を抱いてしまったようですから」
と、どこか面白く無さそうに眉根を微かに寄せた時神は、目線を今度は後ろに投げた。
美耶も彼の目先を、首を捻らせて見つめた。
そこには、時神に襲いかかったはずの樹峯と対峙している闇神がいた。
どちらも、たいした怪我を負っていないことは遠目からでもわかった。ーーだが、互いを見据えるそれぞれの目は危険なものを宿していて、全てを破壊しそうな凶暴さがあった。
「ーー闇神がどうやら、僕の代わりに彼を沈めてくれるそうですね。まあ、闇神は武神でもあった男ですから負けることはないでしょう」
時神の落ち着いた声が、遠かった。
美耶が全ての感覚を集中させたのは、背後でにらみ合う二神。森神と闇神。
かれらから放たれた言葉が風に乗って聞こえてきた。
「邪魔だ。今すぐ消えろ、闇神」
「邪魔はどっちだ?森神。やっと、命神を保護した俺からあいつを取り返そうと言うのか?愚かだな」
「保護だと?捕らえた、のだろう?私から彼女を奪った、傲慢な神。憎くてたまらない。今こそお前を殺す。あの、汚らわしい手で彼女に触れるという愚行をおかしている時神も」
「ーーあいつにとって、お前は敵だろう?今はどうやら、あいつはお前を好ましく思っているようだが。まあ、あいつが記憶を取り戻せば、お前に抱く感情も変わるだろう。本来、お前に持つべき感情をな」
冷ややかな嘲笑が、闇神の口許に刻まれる。指の関節をパキリと数度鳴らし、闇神は片手に漆黒の光を生み出す。
すかさず、以前体験した事が思い出させられた。
素肌を撫でる、静かな闇の風。静かなのに、すさまじい力を感じる。
「まったく、どれだけこの神殿を壊せば気がすむんだろう」
はああ、と気鬱なため息を吐いた時神。頭を片手で押さえ、恨みのこもった目で、にらみ合う二神を見つめている。
「……また、時戻しをしないといけないなぁ、こらは」
乾いた笑い声をこぼし、時神はしつこくまだ襲いかかってくる蔓たちを切り裂いていく。
「時神……私をあの二人の所に連れて行って!!」
「え、ですから、無理だと……」
「いいからっ!!」
「だめです」
この、非情薄情馬鹿糞神!!と、あやうく叫んでしまうところだった。
なんとか、口には苛立ちを、出さなかったものの、彼の華奢な腕に爪を立ててしまった。
「もう、こうなったら!」
「!?」
気づけば、手が勝手に自身のスカートのポケットに入っていた。
中をゴソゴソと動かすと、ある物を掴んだ。
「こっちがいけないんなら、あっちが来ればいいのよ!」
と、手に収まっていた物を全力で投げた。
そう、学生必須の消しゴムとシャーペンを。今にも世界を殺しそうな森神と闇神の間へと。特に、闇神寄りに。
(名付けて、筆記物理攻撃!!)
ヒュンと勢い良く飛ばされた消しゴムとシャーペンは、しっかりと二神の間を過ぎた。
はっ、と二神が自分たちの前を通り過ぎた物を目で追い、そして。
「美耶さま…?」
「美耶?」
やっと、二神の意識をこちらに向かせることが出来た。
二人とも、虚を突かれた目をして美耶を振り返った。
「……うわ、なんてことを。命神。せっかく逃げていたのに」
時神がやっちゃた、と苦しげに端正な顔を歪めたが、そんな事に美耶は構わず。
「ちょっとーーっ!闇神、私は樹峯と話がしたいの!大人しくそこからどいてよ!!あと、樹峯。とりあえず落ち着いてよ!私は大丈夫だから!」
そう叫ぶと、二神は張り詰めていた雰囲気を一瞬霧散させーー樹峯が、瞬時に床を蹴った。
「ちっ、やっぱり来たよ!」
心底嫌そうな顔をした時神は、美耶を抱え直し、宙を飛ぶ速度を上げた。
「時神、急げ!!」
焦燥を孕んだ闇神の声。
彼は、時神を急かし、彼自身も駆け急いだ。
(一体、これ、どんな状況なのよ!!)
凶暴さが増した蔓を切り裂きながら、時神は神殿の入り口の方へと急いだ。
「なにこれ、ほんと!」
再び回り始めた目に気分を悪くしながらも、落ちないよう、必死に時神の首に腕をまわした。
あと少しで神殿の外に出ようとした時だった。
ーーゾッ。
得体の知れない気配が、美耶を襲った。
威圧的で。冷たくて。怖くて。とても、そんな言葉で言い表せない、なにか。
一瞬にして、悪寒が走った。どっと、全身から冷や汗が吹き出る。
「……ち、まさか奴が来るなんて」
憎憎しげに口許を歪めた時神の美耶を抱く腕に力が込められる。
刹那。
視界に、黒が入ってきた。
全てを覆い尽くす黒。どんな色をも塗りつぶす黒。あらゆるものを喰らい尽くす黒。
「ーーお久しぶりですね、時神」
それは、影のような男だった。
時神の纏う気配が一転した。
彼の全身から溢れ出たのは、激憤。憎悪。殺意。
「幻影……っ!!」
男が、嗤った。




