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4.名探偵のライバルは偽者の予告を見逃さない。

「全く。また事件に巻き込まれてるのね、法月君」

「あ、加賀警部補……!」

「貴方には一般人である自覚を持ってもらいたいわ。……危険だから、捜査は私達大人に任せてちょうだい」

「ーーでも、俺、あいつを殺した犯人を見付けたいんです」


「いいでしょう、法月一真! この僕と君のどちらが先に真相に辿り着くか、推理勝負です!」

「……人が死んでるってのに、勝負だのなんだの、そんな事言ってる場合かよ。どうせなら協力した方がいいだろ、絶対」

「フン。そんなに僕に負けるのが怖いのですか、法月一真!」

「話を聞け」


「まさか、僕の考えたトリックを解き明かす人間がいるとはね……! 今回はきみの頭脳に免じて、『女神の紅き涙』は返してあげるよ」


「この事件、まさか……」

「法月君も気付きましたか?」

「ああ。もしも、俺達の推理通りならーー彼女が危険だ」

「……先程から何度か電話をしているのですが、電源を切っているようです」

「皆が彼女を最後に見掛けたのは19時20分頃、書斎だったな」

「行ってみましょう」







 ーー『名探偵法月一真の事件簿』の主人公には、『ライバル』と呼ぶべき存在が三人もいる。



 一人目は、絶世の美女でエリート気質な警部補、『加賀百合』だ。加賀警部補は、女教師のような色気の漂うクールビューティーだけど実は負けず嫌い、隠してはいるけど本当は可愛いものが好きな大人のおねーさんだ。『法月一真』に対してライバル意識と警察としての保護欲、それとほのかな好意を持っているらしい事は、漫画を読んでいる読者にはバレバレだけど、肝心の主人公はそっち方面に鈍感なせいで気付かない。一般人の兄貴に皮肉を言いつつツンデレ気味に心配している様子を間近で目撃した時には萌えのせいで悶えかけた。深夜アニメを見ていてもツンデレな女の子に萌える事が多い俺のツボを押しまくる加賀警部補の恋模様、応援したいようなしたくないような。とりあえず、小学生な俺は流石に守備範囲外なんだろうなぁ。

 彼女は、年上のライバル兼サブヒロインなメインキャラだ。


 二人目は『秋月怜』という名前の、イケメンな高校生探偵である。有名な私立高校に通う秋月は、警察の幹部を親に持つエリートで眉目秀麗、頭脳明晰、おまけにスポーツ万能。モテモテだけど、喋るとちょっと残念なイケメン。だが、とある事件で『法月一真』と推理対決をした結果敗北した事をきっかけに兄貴をライバル視するようになり、度々勝負を挑んでくる男だ。おまけに『ヒロイン』である早苗に一目惚れをしたらしく、会う度にアピールしては早苗の兄貴一筋っぷりを見せつけられている。少しだけ不憫だ。兄貴に俺のお守りを頼まれた時にパフェを奢ってくれた事には感謝しているけど、俺は兄貴の味方だから応援はしない。

 彼は、同年代のライバル兼恋敵なサブレギュラーだ。


 そして、最後の三人目こそが、4か月前に俺の事を拉致監禁した挙げ句に殺そうとした『殺人怪盗』の『神代春人』だ。前世の知識によると20代半ばくらいだったと思う。ターゲットの命もろともお宝を奪うこの犯罪者は、ネットの一部からはカルト的な人気を得ており、奴を崇めるサイトすらある。実際にそのサイトを好奇心で見た事があるが、吐き気がしてすぐに閲覧を止めた。早く捕まって欲しい。存在自体が恐ろしい。

 あいつは、悪役のライバル兼犯罪者兼兄貴の宿敵なサブレギュラーだ。




 そんな、兄貴のライバルの一人である『殺人怪盗』からの挑戦状が警察に届いたのは、先週の事だ。とある高級ホテルで開催されるIT企業の社長のパーティーにて、社長の命と企業の秘密を奪う。そんな内容だったらしい。何度も『殺人怪盗』と対峙し、そのトリックを暴いた実績のある兄貴は、いつも事件現場でお世話になっている警部のおっさんーーメインキャラである『筑波政太郎』に協力を頼まれて、そのパーティーに出席する事になった。

 そして、元々パーティーに呼ばれていた兄貴のクラスメイトの郷田祐司、兄貴についてきた早苗に加えて、『法月二葉』ーー要するに俺も、パーティーに参加する羽目になったのである。


 何故、足手まといにしかならない、単なる小学生の俺までもが、『殺人怪盗』の犯行予告があった場所へのこのこやって来たのか。答えはひとつ、家に居る方が危ないかもしれないからだ。






 4ヶ月前の夏、前世で結局観なかった『名探偵法月一真の事件簿劇場版』の公式あらすじ通り『殺人怪盗』に気絶させられ誘拐された俺が目覚めると、そこは殺風景な部屋だった。薬でも嗅がされたのか頭がぼんやりしている上に拘束された状態で、脱出する術はないかと部屋の中を色々見てみたが収穫はなし。もしも脱出ゲームならばあからさまに怪しいヒントや暗号やパズルが設置されていたのだろうが、リアル監禁された場合はそんなものなんてないのが普通だ。まあ、前世の『田中次郎』だった頃に一人でリアル脱出ゲームに参加したら見事に脱出失敗したから、どの道駄目だろうけど。とりあえずトイレはあった、良かった。


 早々に自力での脱出を諦めた俺は、体力を保存する為に寝た。起きたら『神代春人』に見下ろされていてちょっとだけビビったのは秘密である。奴に出されたご飯は、食べるか食べないかしばし迷った末にいざという時に体力が落ちてると逃亡が難しいと思って全部残さず食べたら、犯罪者にケラケラと笑われたけど、無視した。満腹になったと思えば急激な眠気に襲われーー次に目覚めた時には、相変わらず殺風景な部屋と置かれたご飯。

 また室内を調べてから薬入りのご飯を食べては眠るのを数日分繰り返した末に、俺は棺の中に居た。それは、監禁されていた部屋で見かけた、中に真紅の花が敷き詰められた死体入れだった。


 ーーあっ、コレ、ヤバイ。死ぬ。


 直感でそう悟った俺は、どうにか棺から出ようと暴れた。拘束は既に解かれていたが、狭い。クッション代わりの花が邪魔だ。というか、あの時見た花は赤かったのに、実際に俺の体の下で潰れている百合は白い。そんな些細な違いは横に置いといて、棺の外が焦げ臭くてヤバイ。絶望しながらも、俺は監禁部屋を調べた時の事を思い出す。

 そうだ、脱出ゲームみたいにどこかに暗号とかないかなーと思った俺は、この棺も調べた。叩いたり蹴ったり、部屋にあったハンマーで殴ったりした。ちょっと壊した。何となく、誤魔化した。

 必死だった俺は、その壊れた部分辺りでごちゃごちゃやって、そしたら棺の蓋が開いた。二枚あった蓋とか鏡とかよく分からないけど、俺は箱からの脱出に成功したのであった。


 ーー壊れた『手品』の小道具から抜け出した俺を待っていたのは、燃え盛る船上で、真顔で俺を見下ろす『殺人怪盗』だった。死んだ。よく分かんないけど瞳孔かっ開いてるぞこの犯罪者。



「二葉、無事か!?」

「……その声、兄貴!? 俺は、大丈夫! 今のところは!」

「ちょっと待ってろよ、二葉! 直ぐに助けに……って、早苗!?」

「一真くん、これ持ってて!」


 炎の向こうから聞こえた『名探偵』の言葉に返事をしていたら、『ヒロイン』であり格闘技が滅茶苦茶強い早苗の声がして、直後に何かを破壊するような大きな音がした。『名探偵法月一真の事件簿』にて、物理的に作中最強級のキャラと評される主人公を守る系ヒロインが、何かしたのだろう。流石は早苗ねーちゃんだ。


「ーー法月二葉、僕の『手品』を失敗させたな」


 頼れる二人の存在を感じてほっとしていた俺の背後に、無感情な声がかけられた。振り替えるまでもなく、そこには殺人鬼が居るだろう。冷や汗を掻きながら、俺はゆっくりと声の主へ顔を向けた。

 

「探偵くんがトリックを暴くのは、まあいい。彼は僕の『宿敵』であり、僕の『解説者』だからね。そもそも僕は彼との対決を気に入っているんだ。探偵くんの彼女は『観客』の癖に余計な事をするけれど、ちゃんと『観客』の役割を守っているから見逃そう。だが、法月二葉ーーきみは、僕の舞台の『助手』にしてあげたのに、僕の『手品』の仕掛けをぶち壊して、この僕に失敗させた。せっかく、今回のショーの仕上げとして探偵くんの目の前できみを殺す為に用意した『手品』だったのに」


 そして即行で目を逸らした。殺人鬼が殺人鬼の目をしていた。明らかに怒っていた。そもそもお前の手品とやらがどんなものだったのかも知らねーよ、とは言えない空気だ。『法月二葉』に対して鋭利で真っ直ぐな狂気と殺意を向けて来た神代は、淡々とした口調で話してはいるがどう考えても怒り狂ってるぞこれアカン本当にアカンやつやコレ、助けて早苗ねーちゃん! こういう時には兄貴よりも早苗ねーちゃんや警察の人の方が頼りになる!


「それは許しがたい冒涜だ、法月二葉。だから僕は、必ずきみを殺す。最高の舞台と筋書き(トリック)手品(マジック)を用意して、ショーの仕上げに獲物(きみ)を殺し、探偵くんを完膚なきまでに敗北させてやる」

「……うわぁ!?」

「二葉を離せ、神代!」

「二葉くん!」


 兄貴達が俺達の方へ辿り着いたのと同時に、俺の足が床から浮いた。背を向けていた相手によって首根っこを掴まれ持ち上げられた俺は、直ぐには反応出来ずに一瞬固まってしまった。その一瞬の間に、視界が回る。身体全体が、浮いて、兄貴達が俺を呼んでるのが聞こえて、ーー俺は神代によって、船上から夜の海へと投げ出されていた。


「ーーそれじゃあまた会おう、二葉くん。首を洗って待ってなよ」


 最後に、愉しげに嘲笑う男の声が聞こえてーー投げられて海に落とされた俺は、パニックに陥って暴れた。前世で死んだ時の記憶が蘇り、恐怖でぐちゃぐちゃに動いて沈む俺の腕を、誰かが掴んで引っ張る。「落ち着いて、二葉くん!」見慣れた年上の異性の顔を見て安堵した俺は、そこで意識を失った。



 ……これが、4か月前に俺の周りで起きた『劇場版』の出来事である。






 海に落とされた俺を追って飛び込み助けてくれた早苗のおかげで無事に救出された俺は、あの後神代によって脚を撃たれたらしい兄貴と一緒に暫く病院に入院し、事情聴取を受けた後は暫く家に引きこもった。だって怖い、全国に指名手配されている大量殺人犯に名指しで殺す宣言されるとか怖すぎて毎晩泣いて寝れなくて、昼に寝ていた。警察の護衛もあったけど、怖いものは怖い。兄貴の怪我がそんなに酷くはなかった事だけが救いだ。


 とは言え、『殺人怪盗』の口振りだと、奴は直ぐには俺を殺しには来ないだろう。舞台とやらを作り上げる準備を終え、『名探偵』の兄貴に予告状を送り、謎の逆恨みによって俺の命を狙うに違いない。その前に逮捕されろ、塀の中にぶちこまれろ。殺人犯を呪いながらも俺は元の日常へと戻った。




 ーーそして、ついに『殺人怪盗』の新たな犯行の舞台へと兄貴は向かう事になったのだか、正直何だかおかしい。今までの神代ならば、『名探偵』へと予告状を送っていた。それは『怪盗』による『探偵』への宣戦布告だろう。だが、今回は兄貴には何も送らず、兄貴は過去の実績から警察に協力を頼まれただけ。兄貴も何だか釈然としないと言いたげな顔をしていた。


 まあ、『殺人怪盗』から犯行予告が届いた事には違いない。そしたら、以前の事件にて俺の命を狙っている発言をしていた神代が、兄貴達が居ない間に俺を再度さらって殺す可能性がある。要するに、俺から目を離していたら危険かもしれないから警察や兄貴達の側を離れず近くに居るように言われた訳である。


「ーー何時あいつが現れるかも分からないから、俺や早苗や祐司や筑波警部の側から離れるなよ。ああ、でも、奴の変装っぽいと思ったら即刻逃げろ」

「分かった、なるべく早苗ねーちゃんか筑波のおっさんの近くに居る」

「……何で俺と祐司は選択肢に入ってないんだ?」

「だって兄貴は、頭はいいけど強くはないじゃんか。祐司にーちゃんも見るからに弱そうだし」

「うぐっ……!」

「はっきり言うなぁ、一真の弟は……」

「ふふっ、二葉くんったら正直ね」

「……追い討ちはやめてくれ、早苗……」

「はっはっは! 法月、お前も少しは体を鍛えたらどうだ?」

「大丈夫だよ、二葉くんと一真くんは私が守るから!」

「井上さん、俺は……!?」

「……警部、子供達とサボってる暇があるならちゃんと仕事して下さいっ!」


 兄貴と早苗と警部のおっさん、そして祐司と俺がパーティー会場の隅っこでぐだぐだと雑談をしていたら、顔見知りの平刑事に警部が連れて行かれた。そんなおっちゃん達を見送り、残った未成年達で話していると、ウェイターがやって来てドリンクをくれた。漫画やアニメなら、変装が得意な『怪盗キャラ』はこういうウェイターに成り済まして主人公達に一度は接触するのが定番だが、どうなのだろう。じっとウェイターの顔を見詰めてみたが、『殺人怪盗』とは別人だ。ジュースうめぇ。



 ーーそんな風に和やかに過ごしている間にパーティーが始まり、あちこちで警察の人っぽいのが警戒してる気配を感じながら、俺達はパーティーを割と普通に楽しんだ。高級ホテルのビュッフェスタイルのご馳走はおいしい。手品やピアノの演奏等の催し物も楽しみつつ、早苗と一緒にデザートを取って兄貴と祐司の居る筈の場所へ元へ戻ると、このパーティーの主催者によるサプライズ発表があるとかで、会場内がざわついていた。

 ちなみに兄貴は知らない女の人とぶつかって服に飲み物が掛かってしまったので、汚れを落としに会場の外へ水場を探しに行ったそうだ。『殺人怪盗』が居るかもしれないのに、無用心である。同じ事を考えた早苗が、兄貴を心配して会場を出ていってしまい、残されたのはサブレギュラーキャラが二人のみ。これが『名探偵法月一真の事件簿』ならば、確実に視点が兄貴側に移って誰かしら重要人物と遭遇している筈だ。


「IT企業の社長のサプライズって、まさか最近の芸能人の結婚ラッシュに乗っかっての婚約会見だったりして」

「あの社長は既婚者だよ、一真の弟くん」

「ふーん、じゃあ何だろ」

「さあ、何なんだろうね?」

「俺に聞かれても分かんなーーうわっ!?」


 デザートのショートケーキを食べながら、壁際で祐司と下らない話をしていると、急に会場内の証明が消えた。パーティーの客だけではなく、警備をしていた警察の人達も驚いて動こうとしている。そんな暗闇の中で、パーティー会場の中心だけ証明が点いて、一昔前の結婚式でありそうなスモークと共にゴンドラが登場した。テレビで見た事のある、バブル時代の『ハデ婚』みたいだなと半分呆れながら俺達はゴンドラに乗っている人物を見上げた。恐らく、あの人影が『殺人怪盗』の予告を受けた社長なのだろう。俺の背後で「全く、金持ちのやる事は……」と、知り合いの警部の声がした。


 けれど、警部の言葉は、それ以上は続かなかった。何しろ、ゴンドラに乗ってふらついていたその人物が落下しーーそれが胸に深々と刃物が刺さった死体であると気付いた人々の悲鳴によって、かき消されてしまったのだから。


 死体の手には、この場の人間達を嘲笑うように『殺人怪盗』の署名がされたカードが握られていた。







 そんなこんなでパーティー主催者の社長ーー『金木銀之助』の殺害の容疑者が『名探偵』と警察の調査と推理によって絞り込まれ、更に容疑者の中の一人が何者かによって殺害されたのが昨日の出来事だ。容疑者達は全員5年前に金木の会社で起きた不祥事で責任を取って自殺した『上野竜也』と何らかの形で関わりがある事が判明している。正直、『殺人怪盗』の名を騙って上野竜也の復讐をしようとしているのではないかと推理漫画の元読者らしい安易な推理を脳内でしてしまったが、肝心のトリックは一切合切分からない。


「……俺、トイレ行きたい」

「一人は危険だから付いて行くよ」


 二人目の犠牲者の宿泊していた部屋を捜査している兄貴達を廊下で待っていると、急にトイレに行きたくなってしまった。今までにも事件で何度も顔を合わせている若い刑事がにこにこと笑いながらついて来てくれる事になり、俺は無事に用を済ませた。


 しかし、手を洗っている間に、遠いどこかから甲高い悲鳴が聞こえ、トイレの外で待っていてくれた刑事は「二葉君、ここから動かないで!」と言い残すと悲鳴の方向へと向かってしまったらしい。『殺人怪盗』に殺す宣言をされてる子供を一人にするなよ、と内心で毒づきつつ、俺はそっとトイレから出た。



 ーー廊下には、誰も居ない。何か怖い。

 ーーやばい、一人きりって凄く心細いんだけど。

 ーーそうだ、兄貴達と合流しよう。



 暫く周りをきょろきょろ見回していたけれど、誰も居ない恐ろしさに堪えられなくなった俺は、兄貴達が居るだろう方角に向かおうとした。


 そのつもりだったのだが、反対側の方向からガタリと物音したので、気になった俺はついつい音がした場所ーー階段へと足を向けたのである。そして後悔した。見事なまでに死亡フラグを立てた自分を呪いたくなった。



「……」

「……」



 何だか返り血のようなものを浴びた上着を脱いで丸めている、清掃員の格好の大人が居るんだけど。しかも俺の気配に気付いたらしいそいつが振り返ったせいでバッチリ目が合ったんだけど。うっすらと見覚えがあるその顔は、俺の記憶が確かならば、あの時パーティー会場で飲み物を渡してくれたウェイターなんだけど。


「……見られたか」


 ぼそりと、生気のない声が聞こえたかと思ったら、上着を脱ぎ終えてごみ袋に詰めたそいつが俺の方へ足を踏み出した。その瞬間、弾かれたように俺の身体が動き出す。階段を昇り、上のフロアを駆ける俺の背後を、殺人犯が追い掛けて来る音がした。俺の口からは悲鳴は出てくれない代わりに、荒い呼吸だけが漏れていた。それでも、走らないと。足を停めれば、きっと俺は死ぬ。


 けれど、小学生の体力なんて直ぐに尽きる。豪華なフロアを駆け抜けて、角を曲がり、そこで膝を付いてしまった俺の腕を、誰かが思い切り引っ張った。

 

「……ヒッ……!?」

「黙ってて」


 思わず悲鳴が出そうになった俺の口を誰かの手が覆い、混乱している俺は何処か暗くて狭い場所に閉じ込められた。その場所に詰められる直前に言われた指示に従い、息を殺して縮こまる。


「こんにちは、そんなに急いでどうかしましたか?」

「ああ、いえ、……刑事さんこそ、どうしてこんなところに?」

「いやぁ、実はあの探偵くんの弟くんが見当たらなくなったって聞いて、捜していたんですよ。そしたらさっきのあの悲鳴が聞こえて、これは彼を早く見付けてあげないと危ないと思いまして。でも、この辺りには居ないみたいなんですよね、もしかしてそこの非常口から使える非常階段を使ったのかもしれませんが、どうなのか。とりあえず、小学生の男の子を見かけませんでしたか?」

「……いえ。心配ですから、俺もその子を捜してみますね」

「ありがとうございます、助かります」


 そんな会話が聞こえて来て、誰かが遠ざかる足音がしてから、更に暫くの時間が経過してから、急に視界が明るくなった。


「ーーもう大丈夫だよ、二葉くん」


ーー開いていた非常口の扉と壁の間、大人では入り込めなさそうな隙間に押し込まれていた俺は、ようやく一息付こうと開けた口を、閉じれなかった。間抜けに大きく口を開けた俺の顔を見下ろすのは、俺をトイレに置き去りにしたあの刑事だ。だが、さっき聞こえた声は、知り合いの刑事のものじゃなかった、気がする。嫌な予感にうち震える俺を、爽やかな顔に似合わない歪んだ笑みを浮かべた刑事が見ている。

 

 七三分けというリアルだとなかなかユニークな髪型の刑事が、ニヤニヤ笑いを浮かべている顔を手を伸ばし、人当たりの良さそうな顔をマスクのようにベロリと剥がした下には、神代春人ーー今回の殺人事件の犯人かもしれない『殺人怪盗』の整った顔が存在していた。うん、そんな予感はしてたんだ。



「久しぶりだね、法月二葉くん」

「……何で、お前が……?」

「ああ、探偵くん達だけじゃなくきみも、今回予告状を送った『殺人怪盗』は偽者だと気付いていたのかな? そうだね、僕は単純に、僕の名を騙って三流以下のショーを開催している馬鹿を処分する為に忍び込んだだけだよ」



 死んだ目で笑う神代は、人差し指を立てて口元に沿えると、口角を吊り上げた。キザったらしい動作も様になっているものの、どこか胡散臭い殺人鬼は、大袈裟に溜め息を吐き出す。それから、思い出したように七三のカツラを撫でると、それをズルリと脱いだ。黒髪の下から、黒髪が現れる。


「それにーーきみは、探偵くんとの対決の舞台での獲物(メインキャスト)だからね。僕以外に殺されたら腹立たしい」


 ……指名手配犯が笑顔で言い切った言葉の内容は、アレだ。バトル物の漫画のライバルがピンチの主人公を助けた際に言う、「お前を倒すのは俺だから俺以外に倒されるな」って感じのツンデレな台詞とニュアンスが近い。ただし、この殺人犯の場合は、デレがない。デレは殺意だ。そんなのデレじゃない、俺はこんな奴をツンデレとは認めない。現実逃避の思考がツンデレについて向かい出したタイミングで、俺は当たり前のように薬を嗅がされ、意識が遠ざかる。


 ーー単独行動は、もうしないようにしよう。それが、俺が意識を完全に失う直前に考えた事だった。






 俺がふかふかのベッドの上で意識を取り戻した時には、『偽殺人怪盗』の事件は既に『名探偵』によって解決していた。薬のせいではっきりしない頭で聞いた話によると、犯人は『殺人怪盗』によって意識不明の重体に陥ったらしい。本当に、犯罪者達は恐ろしい。


 ひとまず、ホラーでもミステリーでも単独行動はしてはならないという教訓を学んだ俺は、しばらく家族や早苗や友人達と離れようとしないくっつき虫になった。

転生物あるあるネタ「その世界の実力者に目をつけられる」がミステリー物で発動すると死亡フラグだと思います。

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