雨音は夜に消える
小説、初心者です。
解りにくい点、表現不足などあると思いますが、ご了承ください。
昔から、見えるはずのないものが見えた。
物心が付いた時には既に見えていたそれは、他の人達には見えていないようだった。
何というか、そういう類のものに少し敏感な体質なのだろう。
ただ、見えるだけ。他には何の力も無い。
ぼんやりとしか見えないものもあれば、はっきりと見えるものもあるそれらに、小さい時は何の疑問も感じてはいなかった。それゆえに、人に話して気味悪がられた事もある。
大きくなってからは、それを口にする事は無くなった。
たまに見える不可解なものを、ぼんやりと眺める。
自分にしか見えない世界を。
自分だけが見えているものを眺めている。
はずだった。
大学に入ってから始めての秋がやってきた。
まだ少しの夏らしさを残した昼の陽気に比べると、朝や夜はすっかり肌寒い。
キャンパスの敷地内にある木々も少しずつ赤や黄色に葉の色を変えつつある、秋真っ盛りの10月の終わり。
「…さすがに、雨に降られると寒いな、」
篠田樹は、すっかり暗くなった大学の敷地内を歩いていた。
少し襟足の長い髪に緩めの服を着た樹は、コンクリートに打ち返されて流れていく大粒の雨を見て、持っている黒い傘を風上に傾ける。
夕方から降り始めた雨は、秋から冬へと確実に冷えた空気を運んできていた。
なぜこんな時間まで大学に残っていたかと言うと、友人が彼女と喧嘩をしたと言うのでその話を聞いているうちに、何故かその彼女までやってきて二人の話を聞く事になり、最終的に和解させているうちにこんな時間になってしまったのだ。
何故だか、昔から人の話を聞いたり相談されたりする事は多い。
ちなみにその友人はというと、仲直りした彼女と早々帰ってしまったのだが。
友人とその彼女を見送って自分の荷物を取って外に出てみると、昼間の温かい陽気とは裏腹な大雨が降っていたので、カバンに入れていた滅多に使わない折り畳みの傘を使うハメになってしまった。
雨のせいで余計に暗くなったキャンパスの敷地内を、一人家路を急ぐ。
人気の無くなった道を、足早に近くのバス停へと歩いていた。
こういう日は、見えやすいのだ。
見えるからどうという訳ではないが、やはり気分のいいものではない。
小さい時から見慣れているとは言っても、突然現れたり、はっきり見えすぎてしまったりするものには当然ながらいつも驚かされる。
それを回りに居る人に不審に思われていないか、いつも少し心配していたりする。
風向きが変わって、肩に背負っていたカバンが背中からの風と雨に煽られた。
それを回避しようと傘を後ろに傾けた時―――――
白いものが、視界の隅に入った。
「―――……!」
一瞬ぎょっとなって、足が止まる。
慣れているとはいえ、やはりこういうものは気味が悪いのだ。
素通りしてもいいのだが、知らない方が怖いと思う本能があるのか、いつもその時に見えた不可解なものを確認してしまう癖がある。
雨音だけが響く影の落ちた広い通路の脇。
気味が悪いとは思うが、不本意ながら場慣れしている樹は、視界に入るそれへと顔を向けた。
その白いものは、樹の歩いている右側のところどころに植えられている少し離れた木の中の一本に、実を付けるかのようにして葉と葉の間からぶら下がっていた。
白い人の手。
「………」
マネキンでも木に引っかかっているのではないかと思うような、場違いな違和感。それはじっとして動くこともなく、そこに存在していた。ただ存在するだけなのに、生きた気配を感じないのに、息遣いすら感じそうな程の、確実にモノではないという不気味な違和感。
雨音だけが聴覚を支配する冷たい通路で、樹は一人それを眺めていた。
人通りは無い。時間はもう既に9時を回っている。
「……やば、」
ふと、バスの時間が近い事に思い当たった。
バスの便は然程多くないので、逃すとこの雨の中しばらく待たなくてはいけなくなってしまう。
急いで行かなくてはと、樹は前に向き直って歩き始める。
そして再び、樹は驚いて足を止めた。
樹が行こうとする通路の先に、いつの間にか人影が立っていた。
その女は、全身を真っ黒の服で覆い、周りの闇と溶け込むようにそこに立っていた。
誰もが美人と認めそうな凛とした顔立ちに、ぼんやりとした雰囲気を漂わせる表情。そして何より目を引くのは、灰色がかった色の髪と、そこから覗く右目を覆う白い眼帯。少し間違えば鋭いとすら取れるような目。暗闇でも解る程蒼白な顔をした彼女は、何かをぼーっと眺めているようだった。
それは、樹の知っている人物だった。
大学で何度か見かけた事のある、同じ学年に居る女の人。
そして、彼女の見ている先にあるものに気付いた時、樹は少なからず驚愕した。
彼女は、さっきまで樹の見ていた木をぼんやりと眺めていたのだ。
無表情に目の前に佇む彼女に、樹はしばらく呆然と目を奪われた。暗闇の中に立つその姿は、まるで絵のように綺麗だった。
雨の音すら忘れるような時間が過ぎる。
そうしているうちに樹は、とんでもない事に気付いてしまった。
彼女は、傘をさしていなかった。
土砂降りの雨の中、ずぶ濡れの状態でそこに立っていたのだ。
「…おいっ、」
樹は、思わず彼女に駆け寄った。そして、自分の持っていた傘を彼女にかける。
突然駆け寄ってきた樹をその凛とした目で樹を見ると、少し訝しげに眉を顰めた。
「何やってんだよ、こんなになって、」
「……別に。」
「別にって、ずぶ濡れだろ、」
すると彼女は、樹の方を見るその目をすうっと細めて答えた。
「…あんたもずぶ濡れなんだけど。」
「……あ。」
傘を差し出した樹も、バケツをひっくり返したようなこの雨の中では彼女と同様にあっという間にずぶ濡れになってしまっていた。
「あー…俺は大丈夫…って、しまった、」
慌てて大学の外を見ると、樹が乗るはずだったバスが調度走り去っていくところだった。
灯の付いたバスが、どんどん遠くなっていく。
それを見た彼女が、抑揚の無い声で尋ねた。
「…遠いの?家。」
「あー、バスで15分くらいかな。まぁ、歩けばいいか。」
そう言うと樹は、持っていた傘を彼女に差し出した。
「今更だろうけど、これ使って。返さなくてもいいからさ。」
しかし、その差し出した手を無表情に見ているだけで、受け取ってくれない。
雨は弱まる事なく降り続いていて、こうしている間にも2人を冷たく打ちつけてた。
微妙な間が、雨音の中で過ぎる。
「……あの、」
樹が声を掛けた途端、下を向いていた彼女は突然すっと顔を上げて樹を見ると、傘を差し出している樹の腕を乱暴に掴んだ。
「え?」
そして、困惑する樹の腕を掴んだまま黙って何処かへ向かって歩き出した。
既に、持ったまま横に放り出された傘は雨避けの役割を全く果たしていない。
これが、彼女、依月怜奈との出逢いだった。
全ての出逢いには意味がある。
それがどんなに小さなものでも、些細な事でも。
この出逢いは、何万何億と繰り返される出逢いと別れのたった一つに過ぎない。
けれどそれは、必然と言う名の出逢い。




