第1話 かつて最強と呼ばれた男
二度目の人生、と言うのは、思ったほど良いものではない。
「……かつて最強と言われた回復術師も、今となってはしがないブラック企業のサラリーマンってか……」
凄く、疲れた。いや……今とか、今日とか、そういう範囲じゃない。
思えば『あの時』から、俺は間違えていたんだろうか。
そう、あれは前世……。
――
魔王城。
そこで俺たちは四柱の魔王、その一柱を討伐した。
「いやああの時はマジで助かった、シン! 危うく全滅するかと思ったぜ」
「はは。俺にできることは回復くらいだからさ。魔王をの一柱を無事討伐できたのは、みんなのお陰だよ」
ガシリと肩を掴んでくる戦士のジャナクに対して、何とか笑いを浮かべてみせる。魔力の尽きた体では四肢を動かすのもままならない。が、魔王城にはまだどんな罠が残っているかわからないのだ。油断するのは勿論、士気を下げるようなこともするべきではない。
皆ボロボロだが、その足取りは歴戦の猛者そのものだ。
「何言ってるの。回復魔法がなければ私たちはすぐ全滅よ? シンが居るからこそ、私たちは安心して前に出られるのよ」
「ケケケ、その通りっス。あんたはもっと自分の力に自信を持っていい」
「そ、そうか? まあそう言ってくれるのは嬉しいけど」
そう言って微笑みを向けてくるのは、魔法使いのラーナと盗賊のドルク。ありきたりな職の四人だが、俺たちはこの四人で研鑽を重ね、魔王の一柱を討伐するまでに至ったのだ。
俺は、このパーティに誇りを持っていた。
「なんだよシン、照れ隠しか?」
「んなっ……ちげえよ!」
「ハハハッ、お前はそういうとこあるからな――って、なんだァ!?」
「……!」
唐突に地が揺れる。咄嗟に全員背を合わせ、戦闘態勢を取る。
「これって……」
ラーナがひりついた声を漏らす。魔法に人一倍敏感な彼女に続いて、間も無く全員が悟った。
「城ごと、自爆する魔法か……」
舌打ちをするジャナク。
例え己が倒されたとしても、その戦力を後世に残すまいとする意思。魔王の最後っ屁としては強力かつ合理的だ。しかも奥から多数の魔物の気配。恐らく魔王の魔法により、特攻を強いられているだろう。
「全員生きて帰るには無理スね」
「ドルク、お前の速度でも自爆起点を探すのは無理そうか?」
「魔力が足りないス。申し訳ない……」
「みんな――」
柄にもなく緊張感に満ちた声が出、三人の視線が集まる。
「先に、行ってくれ」
「シン!?」
「何言ってるのよ、戦闘能力のないあんたじゃ!」
「だからこそ、だ」
「!?」
「タンクの代わりでもある俺が残るのが合理的だよ。それにヘイトを俺に集中させれば、自爆の魔法も方向性を俺に集中できる……かもしれないしな」
「……死ぬ気スか」
「全員死ぬよりマシだろ?」
笑いかけてみたつもりだが、引き攣ってしまった。上手くはいかないもんだな。
だが、三人は俺の意思を汲んでくれたようだ。ドルクが残りの魔力を掻き集め、加速の魔法を三人に付与する。
それを見て、俺も三人に魔法を掛けた。魔力は底を尽きているので、魂と肉体を魔力に不可逆変換している。
「これは餞別だ。効力はあまりないけど、自動回復。何とか……生き延びてくれ」
「恩に着るぜ、シン」
「ああ。これまで楽しかったよ。――ほら、ぼやぼやしてないで急げよな」
一瞥し、三人は加速して場を去った。
一人残った俺は、敵に集中する。
「最期ってのは、案外あっけないもんだよな」
自身に強力な回復魔法――ハイパーリジェネレートを掛ける。副作用で魔物の注意が一気に引きつけられていく。
この魔法は、回復と身体強化を兼ねている最強魔法の一つだが、ヘイト値も極限まで上昇してしまうのだ。
『ヴァアアア……』
洗脳されたオーガと思しき魔物が四体迫ってくる。その攻撃の全てを躱し、同士討ちを誘発させる。
「自我が崩壊してるから、逆にやりやすいな」
身体に意識を集中させ、五感を研ぎ澄ます。
――みんなは、ちゃんと脱出できているだろうか。
今の聴覚なら、集中すれば声を探知することくらいはできる。
『いやぁ。せいせいしたっスねぇ』
『まぁ魔王と一緒に邪魔者も消えたワケだしな?』
『ふふふっ、ちょっとっ、やめなさいよあんたたちっ。ほら……そうそう、誰かが犠牲になる必要があったんだから! 仕方ないわ』
……ん?
『なーに綺麗事言ってやがるラーナ。魔王一柱も倒したんだ。これで俺らの人生はアガり! 後は一番なーんにもやってねぇ奴を盾役兼ねて置いてこりゃあ、分け前も増えて一石二鳥ってな』
『はあ。アンタほんとがめついんだから』
『ん? でも俺のそういうトコが好きなんだよな~~』
『バカっ、こんな所でやめなさいよっ』
『あーはいはい。もう出口なんで、惚気は後でやってくれっスー』
その声を最後に、彼らを知覚できなくなった。魔王城から出て、安全地帯に転移したのだろう。
「え?」
喉が、息が詰まりそうだった。だから声を出してみたつもりだが、自分でも思った以上に情けなく、泣きそうな声が出てしまい、居た堪れない。
『ヴウウウ!!』
「うるっせええええ!!」
魔力自体を攻撃力に変換するエナジーバーストを発動する。これまでの人生で一度も使ったことのない魔法だ。理由は簡単、これは魔導士としての最期の一手だから。そしてその一手が、攻撃魔法を持たない回復術師にとっては最初で最後で――唯一最強の攻撃手段になる。
「なんだよ……くそ……!」
エナジーバーストが五感を更に活性化させ、脳の回転を限界突破させる。焼き切れそうな思考は既に、敵への対処など思考し終えている。
残っているのは、ただグルグルと回り続ける取り止めのない思考。
あるいはそれを後悔と呼ぶのか、それとも……。
「あいつら、ずっと俺のことを嘲笑ってたのか……?」
ジャナク、ラーナ、ドルク、この三人とはそれなりに長くパーティを組んできて、魔王戦にまで至れるほどの練度になっていた。
だから信頼関係も築けている。
と、思っていたのに。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だァァアッ!!」
『ヴァッ!?』
魔王の残党兵など俺の敵ではなかった。エナジーバーストとは名ばかりで、実際は最小限に引き絞られた魔力の矢が的確に敵の核を破壊するのだ。
既に限界を超え、焼き壊れつつある俺の脳にとって、自我を持たずに向かってくるだけの敵を見定め破壊することは苦でもない。頭痛はとうに感じないし、身体中の血管は破れ失血死も迫ってくる。
「なあ、俺は仲間だったよな? 友達だったよな? ……良い、パーティメンバーだったよな?」
『ア、ヴウ』
情けない断末魔。俺が締め上げた首がみるみると圧壊していき、サイクロプスが絶命。
目の前の雑魚など、やり場のない感情を殴りつけるサンドバッグだ。
地響きを立て、魔王城が崩壊を始める。
天井が崩落し、床が抜け落ちる。
知ったことか。
今俺の脳内を巡っているのは、俺にとっての思い出。
冒険者として一流になりたくて、適性のあった回復術師を極めると決心して、血の滲むような訓練と実戦を経て、あいつらに、出会って……。
記憶を再生すれば、そこにはみんなの笑顔しかない。
笑顔しか、ない。
「いや、嘘だ」
俺はどこか必死だった。
有効な攻撃手段を持たない回復術師は、他のパーティメンバーに依存する。
だからだろうか。
いつからか、みんなの顔色を伺っていた。
無意識に。
正確に過去を思い返してみれば、何となく疎外されているような感じはあった。そう……あの時とか、あの時とか、あの時、とか……。
あれ? 意外と多いな。
「あー、やっぱ俺、人間関係下手くそなのかなぁ」
ぽつり、と子供みたいな声が漏れる。
変換した魔力が尽きかけ、膝から崩れる。もう攻撃はできない。だが、見たところ敵という敵はいないようだ。
殲滅したのか。
「例えこんな最期にヤケクソで魔物倒しまくったところで、死んじまったら何の意味もねーよ」
敵の残骸の上で呟く。魔王城はようやく起爆するようだ。
「あーあ。こんなんだったら、知らずにいれば良かったかもな」
ヘイト値は俺に集中している。死ぬのは当然、俺だけだろう。
強大な魔力の奔流を感じ、目の前が真っ白になった。
――
こんなクソ前世だったから、今世は争いのない世界でちゃんと生きるんだ、って思ったのに……。
数年に及ぶ連日の過労で、今や五感は遠い。
だから、自分がフラフラと道路を横断していることも、暴走したトラックが突っ込んできていることも、気づけなかった。