帽子屋と消えた遺体 3
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ルドルフ警部は苛々していた。
狭い警察署の一室で、頑健な体を揺すりながら、太い眉を寄せて苛立っているルドルフ警部を部下たちは遠巻きに見ている。部屋が狭いのでどこにも逃げ場はないが、こういう時の警部には可能な限り近寄りたくはないのだ。いつ怒号が飛んでくるかわかったものではないからである。
五十手前のルドルフ警部は下積みの期間が長く、数年前にようやく警部の地位を手に入れたが、自分よりも若造の、しかし位だけは上の連中にいいように使われており、それが日々鬱憤として溜まっているようだった。
そして、つい最近、ヒステリックな子爵が持ち込んできた事件――
それが、ルドルフ警部の怒りの導火線に火をつけてしまった。なお悪かったのは、その怒りの爆弾を爆発させることができるのならばよかったのだが、没落しているとはいえ、相手は貴族。そして、その貴族にもみ手すり手ですり寄る警察本部のお偉い様方に、拒否権なしの圧力をかけられて、怒りはたまるが文句を言うところがなく、ひたすら苛立ちだけが募るという今の状況が作り出されていた。
ルドルフの部下たちは、そんな警部にとても同情したが、かといっていらぬとばっちりは受けたくないと、息を殺して部屋の隅で雑務処理にいそしんでいるのである。
「だあ!」
ルドルフが突然奇声を発して、目の前の机をダン! と叩いた。
机の上には書類が山のように積まれており、叩かれた衝撃で雪崩のように床に散らばったが、ルドルフはそれらを一瞥し、チッと舌打ちだけした。拾うつもりはないようである。
部下たちは慌てて散らばった書類をかき集めたが、誰もルドルフに声はかけなかった。
しかし、ルドルフはどうやら話がしたい気分だったらしい。
「なんなんだ、あの子爵様は!」
ルドルフの一番近くで書類を拾っていたロトネーは、話しかけられて飛び上がった。
彼は昨年警察に入ったばかりの十九歳の少年で、色白のそばかす顔に、いかにも頼りなさそうな細い体、そして見かけ通りの気弱な性格をしていた。
ロトネーはかき集めた書類をぎゅっと抱え持ち、警部の四角い顔を見やった。
「な、なにかあったんですか?」
ここでほかの先輩警官のように、聞かなかったことにできるほどロトネーの神経は図太くない。びくびくしながら訊ねると、ルドルフにぎろりと睨まれた。
ひいっと心の中で悲鳴を上げるが、ルドルフははあっと盛大にため息を吐き出す。怒られはしなさそうなので、ロトネーはほっとした。
「ロトネー、お前もそばにいただろう。あの野郎、捜査がなかなか進まないことにネチネチネチネチと難癖付けに来やがって。早くしろだの、娘に何かあったら陛下に警察の怠慢を訴えてやるだの、そんなに大事な娘なら貧民街になんて行かせるんじゃねーってんだ!」
ダン! ルドルフはもう一度机を殴った。
ロトネーは書類を警部の机の上におくのは危険だと察して、それとなく近くの別の机の上に非難させる。
「でも、妙ですよね。子爵令嬢はおいておくとして、調べれば調べるほど次々に行方不明者が出てきます。いったい何人いるんだか」
「しらねーよ!」
「ひいっ」
ロトネーは悲鳴を上げて、すぐ近くにいた先輩警官の背後に隠れた。
眼鏡をかけた長身のこの先輩警官はシャルルと言い、三十手前。ルドルフ警部とは古い付き合いで、この部屋の中にいる部下たちの中で唯一警部に意見できる貴重な存在だった。
シャルルは口にくわえていた葉巻を近くの灰皿に押しつけて、警部に向きなおった。
「その件ですがね、警部」
「なんだ、シャルル。ここは禁煙だっつったろう!」
「娘さんに葉巻臭いって怒られたからって、全員禁煙とか横暴ですって」
「なんだと?」
「いえいえ、なんでも。それで、この行方不明事件ですけどね」
シャルルは近くの椅子を引き寄せると逆向き座って、背もたれに腕を乗せた。
「調べていたらどうも、別の場所でも似たような話が出てきましてね」
「……なに? どこだ」
「孤児院ですよ。孤児院の近くに住んでるおばちゃん連中に聞いたんですけどね、どうも孤児院で見なくなった子供がいるんだそうで。最初は誰かに引き取られたのかと思っていたらしいんですがね、十四、五歳になる女の子ばかりがいなくなるんで、不思議に思っていたらしいですよ。ま、本当に引き取り手が見つかっただけかもしれないんですけどね」
「その孤児院は?」
「ルドルフ教会の近くの孤児院です。ほら、教会の神父が善意でやってる孤児院ですよ。さすがに神父を捕まえて、お宅の孤児院で行方不明者が出ていませんか、なんて聞けるはずがありませんからね、直接事情は聞いていませんけど」
ルドルフは腕を組むと難しい顔をした。
「あそこの神父なら俺も知っている。家が近所だからな。フランクって名前の、人のいい神父さんだ。もしフランク神父の孤児院で行方不明者が出たんであれば、あの人だったらすぐに警察に届け出るだろうさ。単に、立て続けに引き取り手が見つかっただけだろう」
「ですかねぇ」
シャルルはまだ腑に落ちないという顔をしていたが、ふと何かを思い出したように手を叩いた。
「おっと、忘れてました。伝言を預かってたんでした。警部、陛下がお呼びだそうですよ」
「……は?」
ルドルフ警部は目を丸くした。
「警視総監が血相を変えて、急いで城へ連れて行け! って叫んでました。警部、何かしたんですか?」
急いで連れて行けと言われたにも関わらず、のんびりとした口調でシャルルは言う。
ルドルフは真っ青になって、「馬鹿野郎! そういう重要なことは早く言え!」とシャルルを怒鳴りつけると、何が何だかわからないまま、大慌てで警察署を飛び出したのだった。




