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第十話「水の手」(2)

 闇の向こう側で行われる狂乱の宴を、山砦の守備兵たちは文字通り傍観していた。


「やれやれ、始まったか」

「どちらが勝ってるんですかのう」


 陣を借りてこの『義挙』とやらに参加した武者、小田井(おたい)求十(きゅうじゅう)は、雑兵の言葉ににべなく答えた。


「決まっている。策が嵌まったから戦が尾根で起こっている。でなければ好んで味方が争っているのさ。……冗談だよ」


 指揮下の兵たちがぎょっとした顔を向けるのを、彼はつまらなさげに鼻を鳴らした。

 一門衆、天童文法を対象とする兵は彼らを含めて五〇。それ以外は皆出払っていた。

 どうせなら留守居役のお守りよりも、あの前線に躍り出て功を立てたかったが、仕方がない。


「あれっ」

 と、落とし気味の肩越しに声が漏れ聞こえた。


「どうしたい」

「おかしいな、水が汲めねぇ」


 ひそひそと大井戸の前で語り合う兵に、小田井は近寄った。

 乾いた水桶を引き上げながら、その理由を説明してやる。


「この時節、山の土が水を吸い上げる力が弱まるらしい。それでだろう。水はちゃんと別の場所に貯めてある」

「小田井さま、よくご存知ですねぇ」

「いやまぁ、俺も元より知っていたわけじゃない」


 小田井は素直な感嘆を受けて、はにかみながら鼻の頭を掻いた。


「俺は元々ここいらの土豪の出よ。前にここの修築に従事した時、学んだんだ」

「苦学ってわけですか」

「そうじゃなくて、妙にしきりに土地柄や人の入りやらの話を聞きたがる人足がいてな。俺もその話の種を仕入れるために聞きまわってたら、自然と頭に入ってきた」

 当時はこの辺りは平穏で、どこぞの細作(しのび)、というわけでもなさそうではあった。


 葡萄酒色の奇妙な髪色をした、人の良さそうな少年であった。


 笑顔も穏やかで育ちの良さがうかがえたが、もろ肌を脱いだ姿は引き締まった筋肉が巌のようで、その怪力で人一倍働いた。


 ――だが、探究心と言い、周囲への気配りと言い、いちいち細かい奴だったな。あるいはああいう輩こそ、意外と大事を成すのかもしれん。


 何を馬鹿な、と小田井は嗤った。

 不審がる番兵たちの前で両手を打ち鳴らし、明るく音声を発した。


「さっ、無駄話は終わりだ。水も良いが、今夜にも戦勝祝いよ。酒も振舞われるそうだから、たんと喉を潤せ」


 そう言って、井戸の縁に手をかけた時、その背を、硬い何かが貫通した。


 彼とて戦人(いくさにん)である。

 その金物の味は、肌身で知っていた。

 だが、死にいたらしめる一突きと、段々寒くなっていく感覚は……死というものは、初めてであった。


 ――あれ、おれ……夢、を見……?


 そう彼が錯覚したのも、無理らしからぬことであった。


 彼を突き刺した剛刀。

 その持ち主は井戸の中にいて、つい今しがた、彼が語っていたその人物であったのだから。


~~~


 城砦を焼くほどの劫火を見るのは、貴船我聞は二度目であった。


 一度めは『順門崩れ』の際。

 身内を裏切り、敵を手引きした禁軍第六軍の大将が第五軍の守備する砦へ侵入した時。それを看破していた初陣の信守は砦にあえてその裏切り者たちを引き入れ、砦もろとも彼らを焼いた。


 二度目が、今宵である。


 唯一の出入り口である大井戸の口を手勢と共に確保しておき、喧騒の中拡大していく水樹陶次の火計を見守る。


 成った、という手応えを歴戦の経験が感じ取っている。

 本当に成した、という驚きと畏怖を、培った本能が敏感に感じ取っていた。


 ――我が君、上社信守は火炎によって初陣を飾られた。その客将たる水樹殿も、同様に初陣をこの火で彩っている。……なんという偶然か。


 そして荒ぶる熱風になぶられながら、十年前と同じように、貴船我聞は薄ら寒い気分に陥っていた。


 ――またしても、わたしは若き名将の誕生に立ち会っているのかもな。

 傍に倒された士分の男を、敵ながら哀れに思った。


「我聞殿」


 水樹陶次が三〇ばかりの分隊と共に松明を手に戻ってきたのは、その直後であった。

 闇夜に浮き上がった顔には、日頃と違わぬ美笑があった。


「敵の兵糧は焼きました。引き上げましょう」

「……そうだな」


 城を落とせ、と上社信守は彼らに命じた。だが制圧や占拠という二字は耳にしていない。彼もそこまでは期待してはいないだろう。無力化させれば、十分な成果と言えた。


 順々に井戸の中に味方を引き上げさせながら 、彼らは訳も分からずがむしゃらに突っ込んでくる敵兵を、適当に切り払っていった。


 ――まったく禁軍第五軍に属していると、山賊まがいの手管に長けてくる。

 という悲嘆を、我聞は胸中に秘めた。


「お先に!」

 と言い置き最後の一人が姿を消した。

 我聞がそれに続くべく、桶の縄に手をかけた。


「その前に、敵の追撃を食い止めてみせましょう」

「ならん。無謀だ」

「ご安心を。我が身を含めて、一兵も使いません」


 眉をひそめた我聞の手前、にわかに陶次は松明を大音声を発した。


「これ以上敵の侵入を許すなっ! 岩なり木板なり井戸に投げ入れ、奴らを封じるべし!」


 言うが早いか、彼らはすぐさま井戸の底へと下り立った。

 二人の後を追うように、水樹陶次が『注文』した通りの瓦礫が上から降ってくる。彼らの錯乱と盲信を、そのまま反映させたかの如く。

 完全に封鎖したとは言えないまでも、撤去し、軍勢の移動を可能とするには、相当の時と労力が必要であろう。


「ね。これで敵の追跡は遮断できた」

「……殿がおられたら、喜びそうな謀略だな」


 我聞は本音からそう言った。


 ――あるいは、あの独力の人が、自らの軍勢を、しかも決定打を他人に委ねられたのは、この才略を見込んでのことか。


 井戸から外の川まで続く地下道の中、陶次は各々に火を消すように命じた。

 曰く、このような閉所では、火は毒を発するらしい。

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